昨年11月に亡くなったNEC元会長の関本忠弘氏が、NECにとって「中興の祖」というにとどまらず、日本の情報通信技術の優秀さを世界に広めた功労者であることに異論のある人はいない。
地味な通信機器メーカーのNECは、関本氏が社長、会長として君臨した80年からの18年間に、売上高を1兆円から5兆円へと飛躍させ、パソコンのPC9800シリーズは、国内の標準機となった。
その一方で、豊田章一郎経団連会長の後継をめぐって新日鉄社長の今井敬氏と争い、人脈を総動員するなど権力欲を見せつけたが、結局、豊田氏は今井氏を選んで破れ、その直後に始まった防衛庁(現防衛省)を舞台にした不正請求事件で、会長を退任した。
他にも西垣浩司元社長との確執が取り沙汰されるなど、毀誉褒貶の激しい人生を送った人だったが、人生最後の“仕事”が、息子の雅一氏が引き起こした横領事件の後始末であったのは、いかにも寂しかった。
関本氏にとって、雅一氏は不肖の子供。電通時代には架空広告で広告費を水増し請求、電通を懲戒解雇された。フジテレビの元アナウンサー、寺田理恵子さんと結婚したばかりの頃のスキャンダルにマスコミは騒然となったが、そこは関本氏の力が働いたのか刑事事件は免れた。
その後、事件化した平成電電で広報担当役員を務めるなど、浮沈の多い人生を歩んでいたが、昨年10月9日、社長を務めていたソフトウェア開発会社の資金を横領したとして警視庁捜査二課に逮捕された。甘チャン二世の典型的な転落人生である。
既に雅一氏は48歳だが、関本氏は黙っていられない。氏の依頼を受けて動いたのは、かつて「サラリーマン・ヒーラー」と呼ばれ、関本氏も治療を受けたことがあるという高塚光氏だった。高塚氏のやり方は手かざしによる治療。最初に話題になった頃は広告代理店のサラリーマンだったが、その後、会社を経営、倒産に追い込まれるなど苦労を重ねた後、現在、「気」や「ヒーリング」の治療、啓蒙活動を行なっている。
したがって関本氏との関係は古く深いが、雅一氏の相談を受けた時には、自分だけでは役不足と考え、健康関連会社会長、芸能プロダクション社長、二人の警視庁OBなどとともに、「高塚チーム」を編成、雅一氏“救出”に、全力を尽くすことになった。
まず用意したのは、話題の事件に登場することの多い辣腕弁護士である。関本氏はあらゆる手段を講じて「不起訴」と「早期保釈」を要請、弁護士と高塚チームは意を受けて奔走する。その結果、原告との話し合いがつき、10月25日には「示談金10億円」で合意に至った。
その翌日、弁護士に向かって「息子の件は諦める。白紙に戻したい」と電話、高塚チームにも同様の話をするなど、関本氏の気持ちはぐらつく。そうした心労もあって、まだ解決に至らない10月28日午前、脳梗塞で倒れてしまった。
関本氏が「(留置されていた蔵前署から)出られない」と思っていた雅一氏は、示談が合意していたこともあって、10月30日、処分保留で不起訴になった。高塚氏は、釈放された雅一氏を引き取り、関本宅を訪れるが、たいへんな問題が発生していた。そこに保管されているはずの8億8000万円(示談金10億円のうちの一部)が消えていた。
紛失の原因はわからない。雅一氏は「8億円紛失事件」として荏原署に被害届を出したというが、受理されたかどうかは不明。また、関本氏が約束していたという高塚チームへの成功報酬5500万円は、11月11日に関本氏が死去したこともあり、履行されていない。ただ、弁護士には雅一氏が1500万円を支払ったのだという。
結局、不起訴の条件である和解金は支払われておらず、高塚グループはただ働き。その“後始末”は父を失った雅一氏に出来るとも思えないので、今後相続問題とともに、ひと波乱あることは間違いあるまい。