◆長銀破綻「無罪」の教訓
底なしの世界不況。震源地の米国は今、銀行の不良債権処理と政府管理を急ぐ。その姿は、金融再編を進め国の仕組みとルールを変えようとしてもたついた日本の「失われた10年」の歩みと重なる。
1月29日、ワシントン。全米の銀行が集まる「金融サービス円卓会議」の非公開の理事会が、上下両院議員らを招いて開かれた。
「日本の『失われた10年』にはなりたくない。日本は先送りを続けた失敗例だ」
ゲストのバーナンキ米連邦準備制度理事会(FRB)議長は果断な実行を強調した。
唯一の日本人理事として出席していた三菱東京UFJ銀行の米国子会社ユニオン・バンクの田中正明頭取が手を挙げて発言した。
「我々は当時、『日本発の世界恐慌は起こさない』ことを目指し、それには成功した。今回の米国の金融危機は、FRBだけで解決できるのか。国際協調しなければいけないんじゃないか」
バーナンキ議長は各国協調の必要性には同調した。
「日本の経験を教訓に」。昨年11月、第1回緊急首脳会議(金融サミット)で麻生太郎首相は提案した。
日本政府の不良債権処理は手探りで進められた。護送船団方式から米国式の金融自由化へ国策の大転換に急ごしらえで突入し、不良債権処理の厳格化と経営責任追及の二つのルールを未整備のまま導入した。
「やはり国策捜査だったということです。今も怖いんですよ」
1998年10月に破綻(はたん)した日本長期信用銀行(長銀、現・新生銀行)の大野木克信元頭取(72)は2月27日、取材に重い口を開いた。
破綻の翌99年6月、大野木氏ら旧経営陣3人は、不良債権を隠したとする粉飾決算の容疑で逮捕、起訴された。1、2審は有罪。
だが昨年7月、最高裁は逆転無罪を言い渡した。民事で請求された損害賠償責任も否定された。当時の政府の急なルール変更を、司法は認めなかった。
当時、不良債権処理をせかす米政府と「ハゲタカ」と呼ばれた外資系ファンドは、日本政府を翻弄(ほんろう)。長銀は一時国有化の後、2000年3月に米企業再生ファンドに10億円で買収された。買い手の損失は日本が補償する条件付きだった。
不良債権の厳格化はどたばたで行われ、新旧のルールが一時混在。旧ルールで対応した大野木氏らは新ルール違反を問われたが、司法は10年がかりで大野木氏らに違法性はなかったと判断した。
経営責任はどうなのか。当時、米投資銀をモデルに生き残りを目指しながら、行内の抵抗にあって果たせなかった水上萬里夫元副頭取(75)は言う。
「つぶした責任は免れない。旧経営陣には、その自覚がない」
しかし、長銀無罪判決の2カ月後、その米国も金融危機に沈み、世界は目標とする経済モデルを失った。
「構造改革」という名の不良債権処理から10年。米国というスーパーパワーに振り落とされまいと、国家のルールも変えてきた日本。再び変わらざるを得ない今、長銀破綻は重い教訓を突きつける。
毎日新聞 2009年3月2日 東京朝刊