1949年の新中国成立後、中国政府はチベットは自国の領土として人民解放軍を進駐させ、51年、チベット側と「17カ条協定」を締結。チベットの政治制度は変更せず、チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマの地位も保障するとしていたが、中国側が統治を強める中でチベット側の反発が拡大。59年3月10日、軍がダライ・ラマ14世を観劇に招待したのを「拉致」の口実と疑った多数のラサ市民と軍が全面的に対立し、17日にダライ・ラマがラサを脱出、インドへ亡命した。
(2009年3月11日掲載)
【ラサ(中国チベット自治区)10日共同】中国有数の観光都市、チベット自治区の区都ラサは10日、当局による入境禁止措置で外国人旅行客の姿は見受けられず、市中心部の仏教寺院では武装警官が警戒に当たっていた。市内に通じる幹線道路の検問所でも、警官が車両を止めて身分証をチェックし、緊張ぶりを印象付けた。
チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世がインドへ亡命した「チベット動乱」発生から10日で50年。中国政府は暴動再燃を警戒し「安定と団結」を呼び掛ける一方、チベット自治区や周辺のチベット民族居住地域では警備を一段と強化している。
ラサ空港から市内まで約70キロ。通常は検問などないが、少なくとも三カ所に検問所が設けられ通行車両をチェック。タクシー運転手は「2日前から急に検問が厳しくなった」と打ち明けた。
昨年3月の暴動直後には市内のあちこちに銃を構えた武装警官が立っていたが、1年がたち、住民や車両が街中を行き交う様子には平穏さもうかがえる。しかし、市中心部のジョカン寺周辺では多数の武装警官が立ち並び、不審者らの警戒に当たっていた。
外国人の立ち入りが日ごろは容易な自治区周辺のチベット民族居住地域は、警備の厳しさが一段と目立つ。四川省カンゼ・チベット族自治州康定県では小銃や警棒を手にした警官隊が巡回し、多くの僧侶はダライ・ラマに関する質問に「知らない」と言葉を濁した。
康定には漢民族も多く住み、商店も通常通り営業。しかし、食堂店主によると、2月上旬以降、警備が強化され、武装警官が隊列を組んで毎日巡回しているという。
昨年3月に僧侶らによる激しい暴動があった甘粛省甘南チベット族自治州夏河県でも、武装警官らが検問所で全車両を徹底的に調べていた。
「この先は立ち入り禁止だ。理由などない。上からの命令だ」。記者だと判明すると、警官は直ちに退去を要求。地元のチベット寺院などで厳戒態勢を敷き、僧侶らに対する抑圧を報道させないための措置とみられる。
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●ダライ・ラマ「闘い続ける」
【ダラムサラ(インド北部)10日共同】チベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世はチベット動乱から50年となる10日、亡命政府があるインド北部ダラムサラで記者会見し「チベット人は希望を捨てない。チベットの精神は強く、誰も消し去ることはできない」と述べ、中国からの独立ではない「高度の自治」を獲得するために引き続き闘い続ける強い決意をあらためて表明した。
ダライ・ラマは「聡明(そうめい)な若い世代が現れているため、楽観的でいられる」と指摘。高度の自治を求める対中穏健路線「中道のアプローチ」に批判的とされる一部の若者層とも共闘が可能との見方を示した。
中国指導部が言明している「調和ある社会」実現のためには「信頼醸成と、ほかの国々から尊敬されることが必要」と述べ、中国国内での民主化の推進に期待を表した。
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