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御由緒書

御祭神 天照大御神荒御魂(あまてらすおおみかみのあらみたま)
    御祭神の御名を撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめのみこと)と申し奉る。



御創祀

 廣田神社は、神功皇后摂政元年(201)、国難打破の道を教え、皇子(第15代應神天皇)の ご懐妊を告げ、安産を守り、軍船の先鋒となり導き、建国初の海外遠征に大勝利を授けられた天照 皇大神荒御魂の御神誨により、御凱旋の帰途、神功皇后により武庫の地・廣田の国(芦屋・西宮から 尼崎西部)に御創建されたことが、我が国最古の国史書「日本書紀」に記されている兵庫県第一の古社です。

御沿革

 上代から中古にかけて、国家鎮護・天地自然・立身出世・武運長久に御霊験高き神として、全国 的に延喜式内の官幣名神大社として厚遇され、白河天皇の時代(11世紀末)には、全国神社に冠 たる勅祭22社の一社にも県内で唯一社選ばれ、朝廷・公家の篤い崇敬を受けました。源頼朝は元 暦元年(1184)平氏の討伐を祈願して淡路・広田荘を寄進し、豊臣秀頼は慶長9年(1604)大規模な改築を末社・ 戎社(現在の西宮戎神社)を含み行い、徳川吉宗は現今の地に遷し改修したように、武家も深く信仰 しました。明治4年(1871)には兵庫県内で唯一、最高位である官幣大社に列せられました。平 成13年(2001)には御鎮座1800年の喜節を迎え、天皇陛下よりの御幣帛を奉って式年祭・奉幣 奉祝祭を齋行致した廣田神社は、悠久の歴史と高貴な社格、深遠な由緒を有する、日本全国の十万神社 を代表する神社の一社です。

御神徳

 天照大御神は、八百万の神々の中で最高至貴とされる大御神です。生活の基である衣食住を整えられ た国民生活の祖神です。皇室の御遠祖であり、日本国民すべての大祖神(おおおやがみ)であるその御神徳は多岐にわたり すべての人々を照らし、特に荒御魂である廣田大御神は、勝運合格、開運隆盛、子授安産、文学歌謡、 厄災消除、交通安全、立身出世、罪障祓滅、先導開拓に大いに霊験あらたかなことなど、列挙すれば まだまだ多くの御神徳がが古文書・古記録に多々記されています。

  御宝物

 剣珠……「日本書紀」仲哀天皇2年(193)の条に、「神功皇后が関門海峡長門豊浦の津に泊まり海中 より如意珠(こころままのたま)を得らると見ゆるも是なり」とあり、剣の形の現れたることから、剣珠と称された現存する日本最高最古の 如意宝珠です。八幡大神(應神天皇)・神功皇后に戦勝を授け、高野山を鳴動させた神通の霊宝として著名です。
源頼朝寄進状
後柏原天皇御宸筆
孝明天皇綸旨
摂関家御教書



西宮の地名の起こり

 廣田神社は、京の都から西方にある特別に重要な神社ですので、中世の貴族達は「西宮」と別称し、 当社への参拝を「西宮」参拝、「西宮」下向と称しました。 平安時代の百科事典である『伊呂波字類抄』をはじめ、本居宣長『古事記伝』、伴信友『神名帳考証』にも廣田神社を【西宮】と称したことが記されています。 後に、「西宮」の語は廣田神社の荘園である 廣田神郷(神戸市東部〜尼崎西部、有馬、猪名川に及ぶ)全体の地名として使われるようになり、近世には 末社の南宮や、戎社(現在の西宮戎神社)のある浜南宮を中心とした地域(旧西宮町)の地名となり、 現在は西宮市の名称へと受け継がれています。