アブノーマライゼーションへの道(by こうもり)

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<<   作成日時 : 2008/04/26 10:59   >>

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1791年のコンドルセ案以降、それまでどちらかと言えば国家主義的な教育とみなされていた公教育は民主主義的な意味づけと装いをして再び教育論の世界に復活した。しかし、それが公権力によって実現するものである以上、教育に政治的介入をもたらすことは避けられないように思える。そこで、コンドルセは政治,宗教からの教育の独立を主張したのだが、具体的にはどのように実現しようとしたのだろうか?ここから話を再開しよう。

これについて、コンドルセ案の最後に登場するのは国立学術院の設立である。その構成員はヨーロッパでよく知られている「最高の学識者」とされる。コンドルセの言葉を借りるならば「教育機関の監督と指導を行い、科学と技芸の完成に専念し、有益な発見を受理し、奨励し、応用し、普及するために設立される」となっている。学問分野に応じて第一部門(数理科学)第二部門(精神・政治諸科学。現在の公民や社会科学に属する分野),第三部門(数理的および物理的諸科学の技術への応用),第四部門(文法,文学,芸術,古典学)に分類されているのは前回述べた通りである。コンドルセ案によれば、国立学術院の会員は政府の任命ではなく、会員による互選である。政府がやることは選考に誤りがないように会員の候補者名簿の公開のみとされる。

では、教育機関の監督と指導はどのように行われるのか?前回述べたようにコンドルセ案では初等学校−中等学校−学院−リセー国立学術院の5段階教育が提唱されていたが、学院,リセ,国立学術院が下位の教育機関の教員を選考し、監督されるものとされた。また、教科書については初等学校,中等学校では教育に熱意のある人々によって公募され、学院の教科書の著者は任命とされた。これらを検閲する権限を持つのは国立学術院のみであり、リセ以上の教授に対しては自由な教育が認められた。コンドルセは「この方法によって、教育の独立が保障され、また観察のための特別な機関−教育を統制しようとする意志を持ちかねない特別の機関−を置く必要はまったくなくなるだろう。」としめくくる。つまり、国立学術院を設立しそこに集まる有識者会員に教育に関する独立の権限を与えれば、政治的権力の介入を防止できると考えたのである。今の日本で言えば、文部科学省が教科書検定に関わるような事態を危惧したのである。では、そこまで政府の教育に対する介入を問題にしながら、なぜ国立の組織によって教育を監督,指導させようとしたのだろうか?そこまで言うならば、研究や教育の権限を一切民間団体に委ねてしまえばいいのではないだろうかという意見は当然成り立つ。それに対してコンドルセは以下のような反論を行っている。

「最後に、公権力が自由に結成された団体から選考と監督の役割を担う団体を選ぶ場合を想定してみよう。その場合には、もっとも学識のある人々からなる団体よりも、多数の人々を擁する団体の方が選ばれるだろう。このような団体は学識のレベルが低く、凡庸な連中が容易に入ることができ、天才や優れた人材が優位を占めて彼らを抑制することは容易ではないし、ついには陶片追放がこの団体を支配するだろう。人々はきわめて簡単にペテン師に欺かれたりペテン師の共犯者になるうえに、輝かしい成功や長くつづく成功にたいしてはごく自然に抱く憎しみをペテン師たちには及ぼさないから、陶片追放は恐るべきものになるだろう。」

陶片追放という言葉については若干説明が必要であろう。古代ギリシアのアテナイ民主政治においてこの制度は本来は僭主政治を防ぐために、僭主になる可能性があるとされる人物を市民が陶片に書き込み、それが多い場合にはアテナイから追放できることになっていた。逆に言えば、ある権力者を権力の座から蹴落とそうとする場合には
市民たちを煽って、蹴落としたい権力者の名前を記入させればよく、権力闘争の道具として利用されやすいことが問題になっていた。アテナイ民主政を批判した哲学者プラトンがこれを批判して専門家政治とも言うべき優秀者支配を説いたことは以前にも見てきた。コンドルセは教育に関してのみ、極めてプラトンの近い発想を持っていたことが分かる。研究と教育に関してはしかるべき有識者に委ねなければ、一種の衆愚教育(扇動者によって研究や教育がゆがめられ、優秀な人材が駆逐されてしまう状態)に陥ると考えたのである。別の言い方をすれば、学問,教育の世界のみでプラトンの優秀者支配制を採用することを主張したと言ってもよいかもしれない。

もっとも、前回述べたようにコンドルセは議会にのみ公教育が従属することを求めていた。議会は市民によって選ばれた代表者によって構成されているのだから、当然コンドルセが危惧する衆愚(デマゴーグ)支配に陥る可能性は高くなる。コンドルセ案はその危険性があったとしても議会ならば適切な判断をしてくれると信頼しなければ成り立たないことになる。プラトンならばそのような欺瞞は許さず、あらゆる領域を優秀者支配で解決しようと考えただろうが、さすがに革命政府の下で教育理想を実現しようとしたコンドルセはさすがに議会批判までは踏み込まなかったようである(踏み込んでくれれば面白い展開になってくれていたんだけど)。

こうしてプラトンの公教育論と比較することにより、コンドルセの公教育論の性格はより鮮明になってくる。コンドルセの公教育論は学術的管理を否定はしていない。政治的な権力による学術的管理を否定しているだけで、むしろ優秀者による学術的管理は啓蒙教育のために積極的に採用することを主張している。さらに、国立学術院に独立した権限を与えることにより、それまで以上に学術院に所属する有識者に与えられる研究,教育に関する権限は強くなってしまう。彼が唱えた研究,教育の独立性の確保は皮肉なことに専門家の権力増大に対しても道を開くことになったのである。フーコーの知の権力論が明るみに出そうとしている問題もまさにここにある。

では、コンドルセが提唱した「学術管理組織」は一体何を普及させ、何を圧殺しようとしたのか?この点について稿を改めて考えてみたいと思う。(コメントが予想を超えて長くなってしまったので、)

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コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
こうもりさんはインテリのせいか、フランスの公教育論がこのブログで論じる。追求するテーマなのですね。よくわかりました。
ぶじこれきにん
2008/05/13 10:50

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