アブノーマライゼーションへの道(by こうもり)

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help リーダーに追加 RSS ルソーの教育論16 暦と言語と1

<<   作成日時 : 2008/05/19 01:55   >>

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国民教育論が公教育論から細胞分裂するように派生して誕生してきたことが明らかになった。両者とも全ての人に教育の権利を与えるとともに、教育の管轄下に置こうとしている点では共通している。両者の異なる点は

・公教育論が学問の世界における優秀者による支配を目指すのに対して、国民教育論は教育における行政の役割を重視する。結果的に国民教育論においては愛国教育が重視されることになる。

・公教育は全国民の啓蒙という目的が達成されれば必要とされなくなることを目指しているのに対して、国民教育はその社会が永続することを目指すため、永久に必要とされる。

といった点にあるだろう。そして、もう一つ忘れてならないことがある。国民教育はその教育を行う政府に対する愛国ないしは忠誠を求めるため、一見すると思想・信条の自由を標榜する民主主義とは相容れぬ関係であるかのように見える。しかし、本当は民主主義国家こそが全ての国民に対する国民教育を必要としているのである。実際、フランス革命以前のブルボン朝では国民全てに対する教育というものは行われていなかったのだが、いざとなれば強権を発動して政治を行うことができるブルボン朝には国民皆教育など必要とはされていないのである。別の言い方をすれば外側からの締めつけを行いながら政治を行うことが可能であると言ってもよい(もちろん、無制限という訳ではないのだけれども)。しかし、民主主義国家は、少なくとも建前上は外側からの締めつけを許容しない。そこで、民主主義国家を維持するためには、内側からの縛りつけが必要となる。具体的には自分たちの社会は他の社会よりよい社会であり、この社会を維持していかなければ不幸になるという信念を国民の心に植えつけていくことが不可欠である。特にフランス革命はキリスト教を誤謬と偏見に満ちた教えとして否定した。そのため、愛国心という問題から離れても、新たな内面の締めつけ装置を必要としたのである。話の先取りになってしまうが、そう考えてくると、ルソーの市民宗教や私教育に関する議論の意味も少し見えてくる。彼はフランス革命の革命家たちに先駆けて、新しい時代の到来にはキリスト教に代わる内面の締めつけ装置が不可欠だと考えていたことになる。

話が脱線しすぎたので、話を本筋に戻そう。国民教育論が台頭していく中で、教育において革命を正当化し、革命政府を維持する役割を期待された分野が2つある。一つは暦(こよみ)であり、もう一つはフランス語教育である。

@暦(こよみ)

なぜ、暦が政府を維持するための道具になるのかについて、現代人はピンと来ないのかもしれない。しかし、その理由は現代公教育論の源流とも言えるコンドルセが明確に説明してくれている。

「直接的な教育とは別の方法としては、たとえば国民の祝日は、農村の住民と都市の市民に自由の輝かしい時代を思い出させ、美徳によってその生涯が尊敬される人々を永く記念し、彼らが生涯を通して示した献身と勇気をたたえることによって、農村住民と都市市民が知っておくべき義務を重視するように教えるであろう。」

なるほど、政府によって作り出される建国記念日や祝日にはこんな意味があったのかと感心してしまったが、これは宗教によって定められる祝祭日や聖人祭などと非常によく似ている。キリスト教を否定した革命政府は、一旦政権を獲得すると、今度は自らの手で革命の祝日の制定に乗り出そうとしたのである。この点においてキリスト教とフランス革命政府の発想は驚くほどよく似ている。文化人類学などの手法を使えば、何らかの共通する構造を取り出すことができるかもしれないが、ここではそこまでは立ち入らない。

そして、コンドルセ案をさらに徹底させたのが前回も登場したロムであり、彼は1793年にキリスト教暦に代わって共和暦を制定することを提案した。彼はキリスト教暦を「残忍,撞着,裏切り,隷属の暦である」と断じ、その終焉を告げた。それに代わる共和暦を以下のように説明する。

@太陰暦をやめ、太陽暦を採用する
A共和国の第1日である9月22日(秋分にもあたる)をフランス人の新紀元、第1日と定める。
B1ヶ月を30日に一定させる(12ヶ月で360日)。5日間の閏日を置き、ちょうど365日になるようにする。
C1週間を10日間とする。
D1日を24時間ではなく10時間に分割する

ここまでは、今までのキリスト教暦との差異化を図ることによって、新しい時代の到来を印象づける狙いがあったものと思われる。そして、ここからが暦を使った愛国教育である。

E4年に1度閏日にフランス人のオリンピアード(古代ギリシアのオリンピックに該当する)を開き、体育競技が演じられる。

F月の名前を革命に結びつけた名称に変更する。第7月(再生月),第8月(集会月),第9月(球戯場月),第10月(バスチーユ月),第11月(人民月),第12月(モンターニュ月),第1月(共和国月),第2月(統一月),第3月(統一月),第3月(友愛月),第4月(自由月),第5月(正義月),第6月(平等月)

G1週間10日を以下のような名称にする。第1日(平等のシンボル水準器の日),第2日(自由のシンボルフリジア帽子の日),第3日(三色旗のシンボル帽章の日),第4日(自由な国民の武器である槍の日),第5日(大地の富の道具である馬車の日),第6日(産業の富の道具であるコンパスの日),第7日(力のシンボルである束棹の日),
第8日(勝利の道具である大砲の日),第9日(繁殖と社会的美徳のシンボルである楢の木の日),第10日(休息日)

けっきょく、この暦は普及せず1805年に廃止されたのだが、革命政府が革命の成果を根づかせることと、キリスト教暦と一線を画した独自の暦の制定に心血を注いでいた様子を窺い知ることができる。

ロムは共和暦制定の意義について以下のようにも言う。

「あらゆる民族において暦は僧侶がいつも管理して、知力の低い多数の階級を惹きつけるのに成功してきた強力なお守りであった。毎月,毎日,毎時間が、この信じやすい階級の人々に新しい作り事を与えた。
人々に祖国と祖国の繁栄を保証しうるすべてのものを愛させることによって、真実,公正,効用を広めることこそ、新しい暦を持つフランス人の役目である。」

ある意味でロムは暦の持つ政治的効果を知り、その影響力に対して絶大な信頼を置いていた。そして、それまで僧侶が握っていた暦に関する権限を政府の手中に収めようとしたのである。ロム自身は暦制定の意義を真実,公正,効用を広めることとしているが、じっさいに広めることができるのはキリスト教とは異なる「新しい作り事」であろう。どんな社会もその社会を維持するためには何らかの作り事を必要とするのである。暦による国民の教育もまた、その企ての一つに過ぎない。

少し暦の話が長引いてしまったので、フランス語教育の話は次回に回そう。

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コメント(1件)

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1週間を10日にする暦改革はフランスの人々になじまなかった。フランス革命後共和国政府はラジカルすぎた。
ぶじこれきにん
2008/05/26 16:34

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