地域社会,家族を子どもの堕落,頽廃から「守る」ために25歳まで農村で教師によって教育をさせること。これがルソーの私教育論であった。現在の公教育も子どもを学校という施設に集団隔離し、そこで学校で決められたカリキュラムに沿って教育することを主張する。しかし、同時に家庭教育,地域の力を重視し、それらと連携しながら教育を推進していこうとする意味では、 プラトンやルソーの教育論とは異質なのである。 あと、ルソーについてはもう一つ強調しておかなければならないことがある。それは彼が別に子どもを好ましくない状態,危険な存在と見なしていたのではなく、家族,社会を好ましくない状態,危険な存在と見なしていたことがある。なぜこのような問題を持ち出したかというと、20世紀の障害者支援における施設推進論にも大きく分けて2つの潮流があったからである。1つは 当事者を「危険な存在」「好ましくない存在」と見なして、社会からの隔離を主張する推進論である。例えば、アメリカニュージャージー州に開設されたヴァインランド「精神薄弱者」施設の2代目施設長ERジョンストンは施設の目的を以下のように語った。 「私たちの大目的は、この集団(精神薄弱者)を消滅させることです。この目的を達成するためには、遺伝性の狂人・てんかん者・痴愚とともに、神経異常者・盲人・ろう者・結核患者・放浪者・公的貧民・けちな犯罪者・売春婦などを消滅することを必然的に考えていかなければなりません」(1904年の発言) ジョンストンのような立場を当時は「精神薄弱」脅威論と言った。1910年代にやはり施設事業の推進者であったWEファーナルドもまた、「精神薄弱者は隔離すべき存在であり、彼らをコミュニティーに放置すれば、怠惰・貧困・犯罪・性的不品行・遺伝的退化を社会に蔓延させる原因になる」とした。現在で言えば、社会的隔離(社会の事情による隔離)ということになるだろう。ノーマライゼーションをはじめとする脱施設化・地域生活を推進するグループが反対したのはまさに「精神薄弱」脅威論であった。 ところが、フロイトの後継者たちによって精神分析学が一世を風靡するようになった戦後から1960年代にかけて、全く別の文脈から障害者の施設推進論を唱えるグループが精神分析学派として誕生した。代表的な論者は実存主義の立場から統合失調(当時は精神分裂病と呼ばれた)について論じたDレインという人物である。治療の世界では20世紀最大のとんでも理論として駆逐されてしまっているが、例えば反ラベリング論のような立場を取る当事者グループの間では今なお若干の影響が残されている。彼は統合失調を人間にとってより高次元の精神状態と見なした。そして、当事者同士の友愛的な環境だけが彼らを癒してくれると考え、 薬物治療を一切行わずに、当事者たちのホームを作った。もちろん、この取り組みはあまりうまくいかなかったのだが、一つだけ注目しておく点がある。それは、この隔離は統合失調者が危険だからという理由で行われたのではなく、社会が統合失調者にとって脅威だからという理由で行われたことである。言うなれば社会脅威論である。そして、これは家族と地域社会を脅威としたルソー教育論と奇妙な接点を持っている。そして、自閉症治療において家族脅威論の観点から施設での治療を主張したのがブルーノ・ベッテルハイムである。 自閉症支援に関する代表的な入門書を紐解けば、ベッテルハイムの名前は必ず紹介されている。しかし、彼が賞賛されるべき臨床家として描かれることはまずない。過去の支援がいかに誤っていたか,いかに誤った自閉理解がなされていたかを語るための反面教師として紹介されるのが、ほとんどであろう。現在の自閉理解や支援の原型を作ったとも言える故エリック・ショプラー(TEACCHの産みの親)はベッテルハイムの直弟子だが、師の説はほぼ全面的に否定している。 さて、ベッテルハイムの著作だが、邦訳になっている本は現在では全て廃刊になっている。 しかし、先日『自閉症 うつろな砦』1・2(みすず書房)が手に入ったので、それを元に彼の理論の概略を述べておこう。彼はローリー・マーシア・ジョイという3人の自閉児を執拗に分析しているが、同時に家族のことを以下のように分析している。 (ローリー) ・母親が離婚し情緒不安定に陥っていた。 ・母親の態度が冷静すぎ、ローリーに敵意をつのらせてはならないように防御するような態度。 ・母親が現実をつかむことが困難な自己陶酔的な傾向 ・父親はローリーに対して無関心。 (マーシア) ・母親が早くから家族の世話をしなければならず、女性として成熟していくことを嫌がっていた。 ・父親は預かりっ子であり、養母に厳しくしつけられ、不必要な存在だと感じていた。妻を見ると養母を思い出し、出産には嫌々ながら賛成した ・父親に突然襲ってくる赤面と不安の発作。マーシアが生まれた時にも精神治療を受けていた。父親の不安定さが母親に自分と子供の将来がダメになったと感じさせた。 ・マーシアが2歳の時、家族は移転したが、母親が新しい環境に馴染めず、夫と子供に対して拒絶的な態度を取った。 (ジョイ) ・母親が妊娠しても、意識面で特に変化しなかった ・両親とも過去の辛い経験を忘れるように暮らしていたため、心理的に子供を育てる用意も準備もできていなかった。 ・ジョイが生まれた後、母親は赤ん坊の面倒を見たがらなかった。 ・父親の出兵により、母親は非常に緊張した生活を強いられていた いずれの記述においても、ベッテルハイムが両親の子供に対する態度に注目していたことがよく分かる。そして、彼は自閉症の要因を以下のように説明した。 「この本を通じて小児自閉症の重要なる要因は子供が存在すべきではないという親の願望によるものだ、という私の信念を再三述べてきた。(中略)同じようなことは文献に説明されている母親の態度の場合も説明できるかもしれない。無関心で両価的な母親の感情で小児自閉症を説明するようになされているが、両親の極端に拒絶的な感情が自閉的課程を歩み出しはじめさせるのだというのが私の持論なのである。」 つまり、「両親の極端に拒絶的な態度」によって子供が防衛機能を働かせたのが自閉症であるという説である。既にカナーの先天的障害説は紹介されており、ベッテルハイムもその可能性を完全には否定していない。しかし、それだけでは自閉症は起こらないと考え、家族の養育態度を問題にしたのである。そして、その治療のためには以下のような処置が大切であると論じている。 「(擁護学校)収容に際して両親と学校との間に一つの約束が交わされた。その約束というのは、社会復帰の訓練の効果が上がるか、或いは反対にどうしても治療ができないという結論に達するまではローリーを学校からは出さないという約束である」 ベッテルハイムに限らず、当時の精神分析の世界ではこのような支援が吹き荒れた。繰り返しになるが、彼らは自閉児を不適切な存在と見なしていたから、学校への隔離を主張したのではない。「不適切」な両親から引き離すことにより、子供から防衛反応が消え、自閉症が治療できると考えていたのである。むしろ、両親に対する辛らつな記述とは裏腹に、当事者に関する記述は現在の事例紹介よりも肯定的な記述が目立つ(これに対抗して成立した現代の支援体系が、できるだけ親の問題を記述から排除しようとしているために、当事者の問題行動に焦点が当たりやすいのかもしれない)。 逆にベッテルハイムは自らの支援プログラムを中止し、家族のもとに引き取られた生徒ローリーのことを以下のように記述している。 「われわれのところを去ってしばらくして、ローリーが精神障害者のための州立病院に入院させられていることを知ったのは、それから一年たってからである。2年後、私はそこへ彼女を訪問し、そして私が最初に出会ったこと時とほぼ同じ状態の彼女を見た。彼女は極端にやせ衰え、誰にも何物にも反応しなかった。」 自閉症を拒絶的な家族に対する防衛反応と見るベッテルハイムから見れば、親がよほど改善しない限り、親元に戻された子供の状況が悪化すると解釈するのは当然の帰結であろう。 歴史にもしもはないが、もしルソーがレインやベッテルハイムの取り組みを見たら、何と言うだろうか?これは予想でしかないが、「青少年を家族や社会による堕落と頽廃から防ぐ教育」と評価していた可能性がある。ルソーの教育論もまた青少年を家族や地域社会から隔絶させる 必要性が説かれているのだから。 地域生活と共生が基本理念となっている現代の障害者支援において、彼らの理念が復権する可能性はほぼない。 (次回、アクセシビリティーに関するルソーの論点について) |
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タイトル (本文) | ブログ名/日時 |
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内 容 | ニックネーム/日時 |
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私も卒論で少しベッテルハイムのことに触れました。 |
夏椿 2007/11/04 15:23 |
↑あぁ…読みにくい。 |
夏椿 2007/11/04 15:27 |
▼夏椿さん |
こうもり 2007/11/06 19:21 |
急病とのこと、どうぞご自愛ください。 |
夏椿 2007/11/06 22:22 |
あらあら、お大事に… |
捨松 2007/11/07 18:25 |
▼捨松さん |
こうもり 2007/11/07 22:43 |
あと、日本人では面白いのが、糸賀一雄。今でこそ、インクルージョン推進論者からけなされることが多いですが、発達保障論の立場から障害児専門教育の推進を主張しました。彼の主張からすると、「障害児を普通児と一緒にすれば、発達がよくなる」なんていうのはばかげているんだ、と。 |
こうもり 2007/11/08 23:12 |
糸賀一雄氏に反応しました。私は糸賀一雄氏のコロニーでの長期宿泊実習経験があります。担当教授から「君にはここを選んだから、学べることは学んで来い」と言われ、休日には周辺施設も見学しました。施設論を考えるにあたり貴重な経験ができたのは確かです。 |
夏椿 2007/11/11 10:26 |
> 施設主義のあり方も思ったより多様なんだなということを語りたかったのです。 |
捨松 2007/11/11 22:50 |
すみません。明日かあさってには回答しますので、もう少しお待ちください。今日は13時間労働になっており、さすがに無理がきました。 |
こうもり 2007/11/14 02:42 |
まずは、捨松さんの質問に関する回答です。 |
こうもり 2007/11/15 23:52 |
>じゃあ一体、ルソーはどんな教えを守り継いでいこうとしたのか。ここを |
こうもり 2007/11/15 23:59 |
▼夏椿さん |
こうもり 2007/11/16 00:02 |
ありがとうございました。やっとわかってきました。 |
捨松 2007/11/17 17:20 |
経験知を取って先験知を一旦捨てれば今の教育みたいになるし、逆に先験知を取って経験知を一旦捨てればルソーの教育論になるしで、ルソーの教育論が特殊なのはやはりそこだろうと思うんです。 |
捨松 2007/11/17 17:43 |
現代教育は健全な青少年育成みたいなものを標榜している手前、これは好ましくないという経験はあるのでしょうね。子供がよくやる虫や動植物の虐待,未成年で煙草や飲酒,不純異性行為,都市ならばビルや線路,農村だったら川や山での死と隣り合わせのゲーム。大人を排除した同世代同士の遊び。 |
こうもり 2007/11/18 07:25 |
>激しく矛盾してしまう経験知と先験知が、矛盾したまんま心の中や頭の中 |
こうもり 2007/11/18 07:38 |
現代教育について、ですか。難しいですね…。 |
捨松 2007/11/19 11:37 |
ベッテルハイムって親の育て方に問題があるから、自閉児は隔離して教育すべきだという考え方で日本の現状だと特別支援教育インクルージョン的ケアをする教育。統合教育の理念と現実からかけ離れた考え方なんですね。 |
ぶじこれきにん 2007/11/21 21:51 |
ベッテルハイムって親の育て方に問題があるから、自閉児は隔離して教育すべきだという考え方で日本の現状だと特別支援教育インクルージョン的ケアをする教育。統合教育の理念と現実からかけ離れた考え方なんですね。 |
ぶじこれきにん 2007/11/21 21:51 |
重複しました。削除できるんでしょうか??? |
ぶじこれきにん 2007/11/21 21:57 |
こうもり@やっと薬物治療が終了したぞにょろにょろです。 |
こうもり 2007/11/22 06:05 |
▼ぶじこれきにんさん |
こうもり 2007/11/22 06:23 |
おお。治療がはかどっているようで何よりですね。 |
捨松 2007/11/22 16:40 |
発達障害と家庭環境・教育環境も、重要なテーマですね。最近特に痛感してます。 |
捨松 2007/11/22 16:40 |
▼捨松さん |
こうもり 2007/11/22 23:18 |
>しかし『虐待という第4の発達障害』というタイトルはいただけないな |
こうもり 2007/11/22 23:30 |
なるほど…。勉強になりました。ありがとうございました。 |
捨松 2007/11/26 14:08 |
こうもり氏も年末俗世間は忙しいでしょうが、3月に書いた状況倫理と規範についての私の意見を読んでください。 |
ぶじこれきにん 2007/12/11 21:53 |
▼ぶじこれきにんさん |
こうもり 2007/12/12 14:20 |
追記 |
こうもり 2007/12/12 14:22 |
当事者の書く教育論は共感する人が多く20,30万部は売れて再版のめどが立ったということでしょう。 |
ぶじこれきにん 2007/12/12 15:05 |
よく考えたら当事者の本はそんなに売れない。4万部〜5万部で再版が妥当なところか?? |
ぶじこれきにん 2007/12/12 15:42 |
いえいえ、ものすごく少なく印刷していたので、まだそんなには売れていません。本当に少しずつ印刷しているといった感じです。 |
こうもり 2007/12/12 21:44 |
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