フランス革命政府がひとたび権力を握ると、それまでキリスト教などが担っていた教育に関する権限を一気に政府が掌握しようとした。キリスト教に代わる新しい時代の規範(社会,精神諸科学。今で言う公民分野)を国民教育で教えようとしたのもその一貫であるし、前回話題になった共和暦の採用もその一環であろう。現在のように政府がラジオ,テレビ,インターネットなどを通じてプロパガンダ(宣伝戦略)を展開することができる時代ならばそんなことをする必要はなかったかもしれない。しかし、それがなかった時代には「神の祝日」に代わって、「国民の祝日」を作り出すことによって、国民に革命の記憶を植えつけようとしたのである。 そして、今回テーマに挙げる母国語教育も国民教育の重要な一部分である。当然、フランスにおける母国語とは現代におけるフランス語の源流となる言語なのだが、それはいったいどこから来た言語なのだろうか?その答えは1794年にバレールという人物によって出された「方言とフランス語に関する報告と法案」(以下、バレール案と記す)である。バレール案によると、その当時フランス国内で使用されていた言語と方言にはヴェルシュ語,ガスコーニュ語,ケルト語,ポーカイヤ語,オリエント語,バ=ブルトン語,バスク語,ドイツ語,イタリア語などが使用されていた。 そもそもフランス自体が多言語国家であると言ってもよい。そして、現在フランス語と呼ばれている言語はその当時 主に宮廷で使用されていた。バレールはこの宮廷言語を以下のように説明する。 「長い間、この言語は奴隷であり、王たちにへつらい、宮廷を堕落させ、人々を隷属させた。長い間、この言語は学校で辱められ、、公教育の書物の中では嘘をつき、法廷では狡猾、寺院では狂信的で、公文書の中では野蛮な言語であった。詩人たちによって柔弱にされ、人々を隷属させた。」 もし、この宮廷言語が問題であれば、廃止して共和国にふさわしい別の言語を作り出さなければならないだろう。しかし、バレール案ではその途を採らず、宮廷言語を母国語にするための正当化が行われる。 「しかし、この言語はもっと美しい運命を待っている、いやむしろ望んでいるように見えた。ついにこの言語は数人の劇作家の手で純化され、洗練され、何人かの雄弁家の演説の中で気高く、光輝くものになった。この言語は、1789年の革命以前に迫害を受けたためにかえって尊敬された数人の哲学者のもとで、力と理性と自由を取り戻そうとしていた。」 つまり、宮廷言語自体は堕落と腐敗の淵にいたが、新しい時代を築き上げた人々の手によって輝きを取り戻したというのである。もちろん、共和国政府が宮廷言語を国語(ナショナル・ランゲージ)として採用した理由は別にあっただろう。バレールによれば、旧ブルボン朝は自らの権力を維持するために言語の多様性を維持してきたのであるという。 「専制君主には人民を孤立させ、諸地方を分離し、利害を分割し交通を妨げ、諸思想の同時的な展開とさまざまな運動の一致をおしとどめることが必要であった。専制政治は方言の多様性を維持した。君主政はバベルの塔に似ざるを得なかった。」 旧ブルボン朝にそのような意図があったのかどうかは分からない。むしろ、好意的に解釈するならば、旧ブルボン朝の方が地域文化に寛容であったと言うこともできる。旧ブルボン朝は国民全てを教育の対象にしようとしなかった代わりに、地域の宗教や言語にもあまり干渉はしなかった。いや、もっと言うならば、旧ブルボン朝の宮廷文化は宮廷内の文化にはこだわったが、宮廷外の文化には無関心であった。極端な話、フランスに様々な革命理論が生まれたのも、宮廷以外の公共空間では自由に議論できる空間が確保されていたからでもある。 しかし、共和国政府にとって多言語と他宗教という状態は好ましくなかった。まず、何らかの法律を制定しても、それを各地域で通じる言葉に翻訳していかなければならない。さらに信仰上の理由から政府が制定した法律に納得しない住民も出てくる。しかも、言語によって集団同一性に基づく集団が生まれ、政府から離反していくという事態も生じていた。特にバレールが危険視したのはバ=ブルトン語,バスク語,ドイツ語,イタリア語であった。バ=ブルトン語圏やバスク語圏ではフランス語を理解し、法律を理解できる農民が少なかったとされる。また、僧侶の影響力が強く、バ=ブルトン語圏では農民が宗教と法律を混同し、「彼らはわれわれにたえず宗教を変えさせようとしているのか」と俗語で叫んだという。宗教における神の法が法律の起源だと考えればこれは必ずしも混同とは言えないのだが、地域の信仰は「1つの国民,1つの言語,1つの法律」という共和国政府の方針と摩擦を起こした。また、ドイツ語圏ではオーストリアやプロイセンの国境地帯の農民たちがプロイセン軍やオーストリア軍を招きいれるという事態が起こっていた。共和国政府はこれをドイツ語に基づく同胞意識とみなした。また、イタリア語圏であるコルシカ県ではコルシカ独立運動が起こり、共和国政府は手を焼いていた。共和国政府はこれら離反を専制君主政の遺産である地域文化(信仰や言語)の所産と見なしたのである。もしかすると、これらの地域文化に対する禁圧がこれらの言語集団の離反を招いているかもしれないという発想は当時の共和国政府にはなかったのである。 典型的なのはフランス革命中に起こったヴァンデの乱であろう。フランス西部のヴァンデ地方の農民たちによって起こされた反乱なのだが、この地域は当初革命には好意的であった。しかし、その後共和国が行った教会や僧侶への弾圧,ルイ16世の処刑,増税や募兵に対する不満から共和国政府に反乱を起こした。特に信仰の自由を求めての反乱という側面も強かったため、単純に反動勢力による反乱ともいいがたい。共和国政府はこれに対して非戦闘員を含めた大量殺戮を行い、死者は1793年〜1805年までの間に30〜40万人に上ったとされる。けっきょく、共和国政府が宗教への寛容政策を採ることで反乱軍は分裂していったのだが、この反乱は現代でもフランスではタブーになる話題だとされる。 このようなさなかにフランス語の国語化は推進されていったのだが、元々の経緯から考えれば現在のフランス語は宮廷の特定の階層の人々によって使用されていた言語であり、フランス人全体が使用していた言語ではないことは明白であろう。フランス語を国語であるとか民族の誇りであると考えるのは、ある種の虚構でしかありえない。「国語」は最初から存在するのではなく、政府によって画一化教育が行われることによってはじめて成立する。そして、 「国語」が成立し、国民に定着することによって、その国の国民はまるで自分たちを共通の歴史を持った1つのまとまった同一集団であるかのように錯覚することができるのである。(例えば、現在のイスラエルではヘブライ語が国語となっているが、建国当初のイスラエルでは東欧のイーディシュ語を使用する人の方が多かった。ヘブライ語を国語にしたのは、あくまで国策による)。地域文化もまた、その地域の特定の人々(場合によってはマイノリティー)に対して暴力を振るうことがありうるが、その地域文化に対してさらの暴力を振るうことがありうるのが国民教育なのである。 国民の規範(政治・精神諸科学),国民の歴史(ナショナル・ヒストリー),国語(母国語),国民の祝日,国旗,国家・・・。こうして、国家や民族の同一性を維持するために不可欠な物語ないしは虚構を作り出すための舞台装置がフランス革命期に作り出されていった。これらの中には王政や宗教が利用していたものもあれば、共和国政府によって新たに作り出された装置もある。しかし、いずれにしても学校教育を通じてこれらの「作り事」を教え広めていかなければ民主主義国家は成り立たないのである。 公教育と国民教育の説明はここまでにしよう。次回から、ルソーの話に戻り、彼の教育論を再検討していこう。 |
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なんというか、まずは感心してしまいますよね。「部族共同体(やそれらの連合)」から脱却して「社会」を営もうというときの、なりふりかまわぬ情熱に。情熱なのか、もっと大きな外敵への恐怖なのかは、それぞれの国で違うんでしょうけど。 |
ドードーとら 2008/05/24 23:26 |
▼ドードーとらさん |
こうもり 2008/05/25 15:04 |
>革命を成し遂げた革命家が「革命家が生まれうる環境」を根こそぎ |
こうもり 2008/05/25 15:33 |
しかし、自分たちの作り出した社会を永遠のものにしようとする努力ほど創造性に欠けるものはありませんにゃ。その点、創造的進化からは確かに外れております。 |
こうもり 2008/05/25 18:44 |
フランスの事例、異民族の言語を弾圧する国家。 |
ぶじこれきにん 2008/05/26 16:31 |
雑用あり、返信が遅れていました。 |
こうもり 2008/05/28 18:41 |
逆に東欧のユダヤ人とされる人々は比較的独自の生活スタイルを維持したのですが、やはりそれがなければ識別することができなかったでしょう。 |
こうもり 2008/05/28 18:55 |
さらに現時点ではファラシャというエチオピア出身の自らをユダヤ人だと名乗る黒人集団もイスラエルへの帰化が認められており、元々パレスチナ地方にいたユダヤ人というのもいます。これらとヨーロッパから来た移住者をまとめてユダヤ人と呼んでいるのですから、単一民族説というのはかなり怪しいです。 |
こうもり 2008/05/28 19:03 |
ROMをいつもしているものです。 |
チャコ 2008/05/30 19:39 |
▼チャコさん |
こうもり 2008/05/30 20:33 |
それと、4月から新たに付け加わった障害観をちょっとだけ紹介すると、今のテーマの選択の仕方にはちょっとした理由があるんです。 |
こうもり 2008/05/30 20:54 |
なかなかご期待に沿えず、申し訳ありません。 |
こうもり 2008/05/30 20:56 |
こうもり氏の思いに同感。支援者側から、支援について求められるが、当事者の関心分野、得意分野には味も素っ気のない対応で、それについては興味なしという感じでいつも私は自分を含めた当事者の得意分野や、関心のある事に関心を持ってもいい。支援の役に立たない価値観や、世界観にも興味を持って欲しい。それは私を含めた当事者の無い物ねだりなのだろうか。 |
ぶじこれきにん 2008/06/02 15:36 |
▼ぶじこれきにんさん |
こうもり 2008/06/04 20:19 |
この問題は私なりに練り考えてみたい。支援者に支援以外の部分に興味を示すのは立場上無理がある。 |
ぶじこれきにん 2008/06/05 13:42 |
今週、通信過程のレポートに追われて、ちょっとバタンキュー。今回の続きは来週ぐらいから再開します。 |
こうもり 2008/06/08 21:17 |
こうもり氏へ |
ぶじこれきにん 2008/06/09 18:19 |
了解しやした〜。 |
こうもり 2008/06/11 18:31 |
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