アブノーマライゼーションへの道(by こうもり)

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help リーダーに追加 RSS ルソーの教育論17 暦と言語と2 

<<   作成日時 : 2008/05/24 01:45   >>

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フランス革命政府がひとたび権力を握ると、それまでキリスト教などが担っていた教育に関する権限を一気に政府が掌握しようとした。キリスト教に代わる新しい時代の規範(社会,精神諸科学。今で言う公民分野)を国民教育で教えようとしたのもその一貫であるし、前回話題になった共和暦の採用もその一環であろう。現在のように政府がラジオ,テレビ,インターネットなどを通じてプロパガンダ(宣伝戦略)を展開することができる時代ならばそんなことをする必要はなかったかもしれない。しかし、それがなかった時代には「神の祝日」に代わって、「国民の祝日」を作り出すことによって、国民に革命の記憶を植えつけようとしたのである。

そして、今回テーマに挙げる母国語教育も国民教育の重要な一部分である。当然、フランスにおける母国語とは現代におけるフランス語の源流となる言語なのだが、それはいったいどこから来た言語なのだろうか?その答えは1794年にバレールという人物によって出された「方言とフランス語に関する報告と法案」(以下、バレール案と記す)である。バレール案によると、その当時フランス国内で使用されていた言語と方言にはヴェルシュ語,ガスコーニュ語,ケルト語,ポーカイヤ語,オリエント語,バ=ブルトン語,バスク語,ドイツ語,イタリア語などが使用されていた。
そもそもフランス自体が多言語国家であると言ってもよい。そして、現在フランス語と呼ばれている言語はその当時
主に宮廷で使用されていた。バレールはこの宮廷言語を以下のように説明する。

「長い間、この言語は奴隷であり、王たちにへつらい、宮廷を堕落させ、人々を隷属させた。長い間、この言語は学校で辱められ、、公教育の書物の中では嘘をつき、法廷では狡猾、寺院では狂信的で、公文書の中では野蛮な言語であった。詩人たちによって柔弱にされ、人々を隷属させた。」

もし、この宮廷言語が問題であれば、廃止して共和国にふさわしい別の言語を作り出さなければならないだろう。しかし、バレール案ではその途を採らず、宮廷言語を母国語にするための正当化が行われる。

「しかし、この言語はもっと美しい運命を待っている、いやむしろ望んでいるように見えた。ついにこの言語は数人の劇作家の手で純化され、洗練され、何人かの雄弁家の演説の中で気高く、光輝くものになった。この言語は、1789年の革命以前に迫害を受けたためにかえって尊敬された数人の哲学者のもとで、力と理性と自由を取り戻そうとしていた。」

つまり、宮廷言語自体は堕落と腐敗の淵にいたが、新しい時代を築き上げた人々の手によって輝きを取り戻したというのである。もちろん、共和国政府が宮廷言語を国語(ナショナル・ランゲージ)として採用した理由は別にあっただろう。バレールによれば、旧ブルボン朝は自らの権力を維持するために言語の多様性を維持してきたのであるという。

「専制君主には人民を孤立させ、諸地方を分離し、利害を分割し交通を妨げ、諸思想の同時的な展開とさまざまな運動の一致をおしとどめることが必要であった。専制政治は方言の多様性を維持した。君主政はバベルの塔に似ざるを得なかった。」

旧ブルボン朝にそのような意図があったのかどうかは分からない。むしろ、好意的に解釈するならば、旧ブルボン朝の方が地域文化に寛容であったと言うこともできる。旧ブルボン朝は国民全てを教育の対象にしようとしなかった代わりに、地域の宗教や言語にもあまり干渉はしなかった。いや、もっと言うならば、旧ブルボン朝の宮廷文化は宮廷内の文化にはこだわったが、宮廷外の文化には無関心であった。極端な話、フランスに様々な革命理論が生まれたのも、宮廷以外の公共空間では自由に議論できる空間が確保されていたからでもある。

しかし、共和国政府にとって多言語と他宗教という状態は好ましくなかった。まず、何らかの法律を制定しても、それを各地域で通じる言葉に翻訳していかなければならない。さらに信仰上の理由から政府が制定した法律に納得しない住民も出てくる。しかも、言語によって集団同一性に基づく集団が生まれ、政府から離反していくという事態も生じていた。特にバレールが危険視したのはバ=ブルトン語,バスク語,ドイツ語,イタリア語であった。バ=ブルトン語圏やバスク語圏ではフランス語を理解し、法律を理解できる農民が少なかったとされる。また、僧侶の影響力が強く、バ=ブルトン語圏では農民が宗教と法律を混同し、「彼らはわれわれにたえず宗教を変えさせようとしているのか」と俗語で叫んだという。宗教における神の法が法律の起源だと考えればこれは必ずしも混同とは言えないのだが、地域の信仰は「1つの国民,1つの言語,1つの法律」という共和国政府の方針と摩擦を起こした。また、ドイツ語圏ではオーストリアやプロイセンの国境地帯の農民たちがプロイセン軍やオーストリア軍を招きいれるという事態が起こっていた。共和国政府はこれをドイツ語に基づく同胞意識とみなした。また、イタリア語圏であるコルシカ県ではコルシカ独立運動が起こり、共和国政府は手を焼いていた。共和国政府はこれら離反を専制君主政の遺産である地域文化(信仰や言語)の所産と見なしたのである。もしかすると、これらの地域文化に対する禁圧がこれらの言語集団の離反を招いているかもしれないという発想は当時の共和国政府にはなかったのである。

典型的なのはフランス革命中に起こったヴァンデの乱であろう。フランス西部のヴァンデ地方の農民たちによって起こされた反乱なのだが、この地域は当初革命には好意的であった。しかし、その後共和国が行った教会や僧侶への弾圧,ルイ16世の処刑,増税や募兵に対する不満から共和国政府に反乱を起こした。特に信仰の自由を求めての反乱という側面も強かったため、単純に反動勢力による反乱ともいいがたい。共和国政府はこれに対して非戦闘員を含めた大量殺戮を行い、死者は1793年〜1805年までの間に30〜40万人に上ったとされる。けっきょく、共和国政府が宗教への寛容政策を採ることで反乱軍は分裂していったのだが、この反乱は現代でもフランスではタブーになる話題だとされる。

このようなさなかにフランス語の国語化は推進されていったのだが、元々の経緯から考えれば現在のフランス語は宮廷の特定の階層の人々によって使用されていた言語であり、フランス人全体が使用していた言語ではないことは明白であろう。フランス語を国語であるとか民族の誇りであると考えるのは、ある種の虚構でしかありえない。「国語」は最初から存在するのではなく、政府によって画一化教育が行われることによってはじめて成立する。そして、
「国語」が成立し、国民に定着することによって、その国の国民はまるで自分たちを共通の歴史を持った1つのまとまった同一集団であるかのように錯覚することができるのである。(例えば、現在のイスラエルではヘブライ語が国語となっているが、建国当初のイスラエルでは東欧のイーディシュ語を使用する人の方が多かった。ヘブライ語を国語にしたのは、あくまで国策による)。地域文化もまた、その地域の特定の人々(場合によってはマイノリティー)に対して暴力を振るうことがありうるが、その地域文化に対してさらの暴力を振るうことがありうるのが国民教育なのである。

国民の規範(政治・精神諸科学),国民の歴史(ナショナル・ヒストリー),国語(母国語),国民の祝日,国旗,国家・・・。こうして、国家や民族の同一性を維持するために不可欠な物語ないしは虚構を作り出すための舞台装置がフランス革命期に作り出されていった。これらの中には王政や宗教が利用していたものもあれば、共和国政府によって新たに作り出された装置もある。しかし、いずれにしても学校教育を通じてこれらの「作り事」を教え広めていかなければ民主主義国家は成り立たないのである。

公教育と国民教育の説明はここまでにしよう。次回から、ルソーの話に戻り、彼の教育論を再検討していこう。

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コメント(18件)

内 容 ニックネーム/日時
なんというか、まずは感心してしまいますよね。「部族共同体(やそれらの連合)」から脱却して「社会」を営もうというときの、なりふりかまわぬ情熱に。情熱なのか、もっと大きな外敵への恐怖なのかは、それぞれの国で違うんでしょうけど。

それから、意識的なのか無意識的なのかは知りませんが、革命を成し遂げた革命家が「革命家が生まれうる環境」を根こそぎつぶしにかかってしまうという話。面白いと思って読みました。
象徴的に言うならば「母殺し」ですか。こうもりさんがトップページに掲げているテーマの一つ、生命論および創造的進化論の視座からすると、「あぁ〜、もう絶滅への道を歩み始めちゃってるよなぁ」って感じですよね。
ドードーとら
2008/05/24 23:26
▼ドードーとらさん

>情熱なのか、もっと大きな外敵への恐怖なのかは、それぞれの国で
>違うんでしょうけど。

フランス革命の場合は両方なんでしょうにゃ。一方には革命や啓蒙に燃える
革命家や知識人の新しい社会を作ろうという情熱があり、一方ではフランス革命の影響が波及するのを恐れる当時のヨーロッパ諸国との戦争があり。。。

社会科の教科書に書かれるフランス革命史とのギャップにちょっとびっくりです。そして、宗教と政治を横断して権力の問題を考えたマックス・ヴェーバーの着想にちょっと脱帽。
こうもり
2008/05/25 15:04
>革命を成し遂げた革命家が「革命家が生まれうる環境」を根こそぎ
>つぶしにかかってしまうという話。

これ、文化人類学や歴史社会学的に見れば、歴史上のどの政権にも普遍的に見られますにゃ。

・前の時代は暗黒時代だったと宣言し、前の時代の所産とされる制度や文化を破壊し、後の世代に影響を与えないようにする。

・そして、今の時代はよい時代であるという物語を宗教や教育(今ならばマスメディアも利用される)を使って宣伝していく

そして、今の社会もまたその例外ではない、と。
こうもり
2008/05/25 15:33
しかし、自分たちの作り出した社会を永遠のものにしようとする努力ほど創造性に欠けるものはありませんにゃ。その点、創造的進化からは確かに外れております。

こうもり
2008/05/25 18:44
フランスの事例、異民族の言語を弾圧する国家。
 こうもり氏のブログを読んで思ったのはフランス語が宮廷言語がルーツで、ブルターニュ語等地域の言葉が多様に合ったこと、フランス革命後、共和国政府がコルシカ語等他の地方言語を弾圧した。
 中国政府がチベット民族を弾圧すると同じ構図である。
同質性に依存すると他を認めない。他の民族の言語・文化を認めない国民国家のルーツはフランス革命後の共和党政府がルーツ。
 ユダヤ人国家イスラエルはユダヤ人のみの純粋な国民国家の形態だろう。(元からいたパレスチナ人を排除した上で)今回のは面白かった。
ぶじこれきにん
2008/05/26 16:31
雑用あり、返信が遅れていました。

▼ぶじこれきにん

>ユダヤ人国家イスラエルはユダヤ人のみの純粋な国民国家の形態だろう

ここについてなのですが、最近「裏・発達障害世界」というコミュ二ティーで話題になった小坂井敏晶『民族という虚構』という本によると、ユダヤ人国家という前提自体がかなり怪しいのだそうです。例えば、20世紀の哲学者サルトルはユダヤ人とは何かという問いに対して、「自らがユダヤ人だと思っている者がユダヤ人だ」という何とも言えない回答を提出しています。
じっさい、肌,髪の毛,目の色のような特徴でユダヤ人かどうかを識別するのはほとんど不可能です。例えば、ナチス・ドイツによるユダヤ人迫害が特にひどかったとされる西ヨーロッパではユダヤ人と非ユダヤ人とされる人々の文化の融合や混血が進み、少なくとも外見的な特徴だけを見てユダヤ人と判断することは難しくなっていました。ユダヤ人狩り,ゲットーへの強制移住,ダヴィデのマークのついた衣服の強要などは有名ですが、逆に言えばそうでもしなければ区別がつかなかったのだとか。。。(続く)

こうもり
2008/05/28 18:41
逆に東欧のユダヤ人とされる人々は比較的独自の生活スタイルを維持したのですが、やはりそれがなければ識別することができなかったでしょう。

さらに宗教から見ても非常にややこしいのは、旧東欧社会主義国,旧ソ連が崩壊した際、この地域から多数の「ユダヤ人」がイスラエルに亡命してきたのですが、彼らの中にはキリスト教徒が多く含まれていたとされます。従って、ユダヤ教を信じる人がユダヤ人だという説明もやはり成り立ちません。
(10分の1から3分の1は偽装なのではないかとさえ言われている。)そして、言語については言うまでもなく、元々へブライ語を話していたのが
ユダヤ人なのではなく、ヘブライ語はあくまでイスラエル建国後に国策で母国語になったに過ぎません。
 血縁性を問題にした場合でも、ユダヤ人のほぼ半数以上は非ユダヤ人と結婚しており、旧ソ連では民族主義を抑圧するために移住政策を強行した結果、非ユダヤ人配偶者は80万人いたといわれています(1989年の結果)。
こうもり
2008/05/28 18:55
さらに現時点ではファラシャというエチオピア出身の自らをユダヤ人だと名乗る黒人集団もイスラエルへの帰化が認められており、元々パレスチナ地方にいたユダヤ人というのもいます。これらとヨーロッパから来た移住者をまとめてユダヤ人と呼んでいるのですから、単一民族説というのはかなり怪しいです。

集団同一性というのは何か根拠がある訳ではなく、政治的,社会的文化的に作り出される。これはこのブログのテーマの1つでもあります。
こうもり
2008/05/28 19:03
ROMをいつもしているものです。
障害などから、離れたブログを記載されるんですね。
障害関連の仕事についているもので、発達障害の大人の人が書いている
ブログということで楽しみにしていました。
でも、ブログは自分の好きなことを書き綴るのがブログですから

まぁ、自立した発達障害の大人の人ということで、
勉強させてもらいます。
チャコ
2008/05/30 19:39
▼チャコさん

どうもコメントありがとうございました。去年ぐらいまで障害限定の話題でやっていたのですが、ブログのタイトルをアブノーマライゼーションへの道
に変えてから、ちょっと趣向も変えています。もっとも、教育論,進化論,集団同一性,舞台装置論などといったテーマも元々は障害というテーマを出発点にして関心を持ち出したので、全く無関係とも言えないのですが。   時々、ここで提示している理論を障害支援や障害者運動の分野に応用して語ることはあります。(つづく)
こうもり
2008/05/30 20:33
それと、4月から新たに付け加わった障害観をちょっとだけ紹介すると、今のテーマの選択の仕方にはちょっとした理由があるんです。

「当事者に対するまなざし」というのもわたしが扱っているテーマの1つになりつつあるのですが、わたしが講演などで発言していくうちに、どうも話を聞く側が当事者を「支援と理解を求める主体」と見なす場合があることに気がついていったのです(常にそうだった訳ではありませんが)。

その当事者には、それ以外に関心分野や得意分野があるかもしれないし、支援の役に立たなくても面白い世界観や価値観があるかもしれない。しかし、
ひとたび壇上に立つと支援の推進や実践に役立つ発言ばかりを期待されてしまうことがある。で、そうなると、わたしが講演でやる話というのは現実との妥協案ばかりになってしまい、どうも自分でもやりきれないことになっていました。

そこで、基本を支援外的な話題にして、障害というテーマを扱う場合も支援外的な観点から論じていくという方向を採っているのが、弊ブログの現状ということになります。
こうもり
2008/05/30 20:54
なかなかご期待に沿えず、申し訳ありません。
こうもり
2008/05/30 20:56
こうもり氏の思いに同感。支援者側から、支援について求められるが、当事者の関心分野、得意分野には味も素っ気のない対応で、それについては興味なしという感じでいつも私は自分を含めた当事者の得意分野や、関心のある事に関心を持ってもいい。支援の役に立たない価値観や、世界観にも興味を持って欲しい。それは私を含めた当事者の無い物ねだりなのだろうか。
こうもり氏が支援の推進や、実践に役に立つ発言を求められる。もどかしい思いは共感する。支援や仕事に役に立たない世界も覗いてみると別の世界が見えて違う価値観があることを再認識するのに・・・。
ぶじこれきにん
2008/06/02 15:36
▼ぶじこれきにんさん

前回はまだ考えが未整理なままの投稿だったのですが、ようやくまとまって
きました。

この問題の最も重要なポイントはやはり「当事者に対するまなざし」。ただし、最大の問題点は支援者が当事者の支援に役に立つ情報だけに関心を示していることにあるのではありません。

そうではなく、当事者を無条件に「支援,理解,共生,社会参加,人間としての承認を求めている相手」であると見なしてしまっていることにあるのです。あるいはこれらの5つの理念を無条件に当事者に対して行う正しい行動と態度と見なしてしまっていることと言ってもいいのかもしれません。(支援者に支援以外の部分にも関心を示してほしいという議論ではない)

この問題はさらに練り上げてから、論じてみたいと思います。
こうもり
2008/06/04 20:19
この問題は私なりに練り考えてみたい。支援者に支援以外の部分に興味を示すのは立場上無理がある。
 当事者を無条件に「支援・理解・共生・社会参加・人間としての承認を求めている相手」について見ている議論はこうもり氏と同じでじっくり考えたい。これは私を含めた当事者の存在についてに関わる事であり、自分達と人との関係にも関わる根本的テーマであり、早急に結論を出せない。
 人間らしく生きるという事が自分達の為になるのか、地域への共生は定型と私達の間に越えられない溝があって可能か・・・・理解とは何なのか???何の為なのか???男女関係で障がいの理解??相手の理解は可能か???仕事をしている人の立場の理解は可能か???地域の人の理解は可能か???山積するテーマがある。人間として承認されることを求めている相手としての私を含めた当事者は保護者亡き後どう生きるべきか???こうもり氏の提言、メッセージは私なりに考えてみたい。
ぶじこれきにん
2008/06/05 13:42
今週、通信過程のレポートに追われて、ちょっとバタンキュー。今回の続きは来週ぐらいから再開します。
こうもり
2008/06/08 21:17
こうもり氏へ
通信過程のレポート制作を終えてからでいいですから、持論を述べてください。待っています。
ぶじこれきにん
2008/06/09 18:19
了解しやした〜。
こうもり
2008/06/11 18:31

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