アブノーマライゼーションへの道(by こうもり)

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<<   作成日時 : 2008/08/13 00:12   >>

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ちょっと、更新が遅れているので、閑話休題で9月ごろの出没情報でもアップしておきやす。何か知らんが、9月はあっちこっちを飛び回ってまいりやす。

9月6日(土)東京
http://www.autism.jp/sibu_asp.html

自閉症らしい生き方・・・。どんな生き方なんだろう?ドタバタ生きることなのか?ぬるぬる生きることなのか?へろへろ生きることなのか?のらりくらり生きることなのかう?うにょうにょ生きることなのか?にょろにょろ生きることなのか?よう分かりませんが、とにかく遊びに行ってきます〜。

9月13日(土)福島
http://asj-fukushima.com/data803.pdf

わしの本を読んだことがあって、このブログを読んだことがない人はだいぶ混乱するかも???うひゃひゃひゃひゃ

9月20日(土)徳島
http://www.ias.tokushima-u.ac.jp/social/44_nichirinshin_tokushima/44_sinri_index.html

四国に行くのはこれがはじめて。。。ひゃっほーい。しかも、何と発表するのはまだブログでも未公表のアブノーマライゼーション宣言!!どんな反応があるのか楽しみなら。

そんな訳で、9月は大忙し。8月はレジュメを作るぞ〜。

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コメント(71件)

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やっぱり、カリスマ障害者は違いますわね。

ご活躍を大喜びしています。

私は雛壇障害者、もしくは脇役障害者を目指しておりますの。
だから、近くで発達イベントがあれば、名刺をたくさん配ってますの。

あ、私、こういうところに所属していますの。
http://jiheimason.cocolog-nifty.com/blog/
ジへーメーソン。

カリスマ障害者ってどんな気持ちなんだろう。
すげー。
アスラ・セキュリ
2008/08/16 11:57
カリスマに一言。自閉症と性、恋愛。自閉症らしい恋愛、セックス、仕事を論じて欲しい。定型の支援者が考える現行の仕事と違う自閉症でもイキイキ仕事が出来るイメージを論じてほしい。
 地方を飛び回り、活動報告待っています。
ぶじこれきにん
2008/08/18 17:10
ん〜、カリスマ当事者こそ、
こうもりくんが徹底的にぶち壊そうとしている
概念なのではないかと思うのですが。。。
悪い魔女
2008/08/20 00:39
現状で定型の支援者・一般の人・親たちが耳を傾けるのは社会にいるカリスマ当事者。概念をぶち壊すと、支援しか頭にない支援者がついていかれない。
 悪い魔女さんの気持ちもわかるが、それは定型の支援者が、当事者に学ぶという謙虚な姿勢が会ってこそ、カリスマという概念のぶち壊しは可能になる。
ぶじこれきにん
2008/08/20 05:57
“カリスマ当事者”が支援者によって造られたモノだったら….
シャア・アブノーマル
2008/08/20 19:47
ぶじこれきにんさん

無論、そういうスタンスで登壇する当事者がいてもかまいませんし、
そういう戦略を採っている当事者がいてもいいかと存じます。

しかし、今問題なのは、
ぶじこれきにん様がこうもりくんの言葉を言葉通りに
受け止めていないことにございます。
ぶじこれきにんさんのような立場で登壇する当事者のことは
否定いたしませんが
こうもりくんが定型の支援者の当事者の態度を変えるために
登壇するという話を1度でもしたことがございましたか?

むしろ、逆でしょう。今までの話の流れでは

・講演に参加できているかによって当事者の価値を測ること
・当事者を理解を求めてきて当然の相手と見なすこと

を強く戒めてきたのではないでしょうか?
そうした努力を無視して、
「カリスマ当事者」などといった言葉を弄ぶことが問題だ
とあたしは申し上げているのでございます。
悪い魔女
2008/08/20 19:51
カリスマと呼ばれることがそんなにいけないことかしら?
カリスマって努力の上からも来ますでしょう。
私は、カリスマ障害者がみんな、支援者に応援されたり作り出されたものだと思いませんし、
ふじこれきにんさんも、きっとこうもり男爵の努力もわかっていますでしょうし、
私は難しいことはわかりませんが、自分で努力を重ねたカリスマ障害者も
いてもいいと思いますよ。






アスラ・セキュリ
2008/08/20 21:55
筆者のブログで論じたことを巡り、異論、反論が飛び交うが、基本的なことを抑えておきたい。私を含めた当事者は支援する学者・支援者にあらをほじくられ続けた。(このことでこうもり氏は自著でその理由を分析している)
 その私を含めた当事者も開き直り、自閉脳なりに自分らしい人生を生きる上で先達のこうもり氏にエールを送ったのだ。
 アスラ・セキュリ氏が言うようにカリスマといわれた人は当事者に限らず努力と工夫を重ねて名声と評価を得た。
 そのことは否定していない。カリスマのような人が当事者界にいて、定型に否定されがちの自閉文化開き直り、居直りの機会が必要だ。
 悪い魔女氏の言う定型の支援者の当事者の態度を変える。支援者にありがちなキメツケを変えるのは若い、中年・高齢の世代を問わず無理だと思う。そういう決め付け・固定概念が彼ら、彼女らに巣を食っていてそれで当事者を判断して、ある意味でひいきして、ある意味でバッシングする。
 そういう経験を重ねた私から言わせれば当事者を理解もとめて当然の相手幻想は私にはない。講演に参加できているかで当事者の価値を図ったこともない。
ぶじこれきにん
2008/08/21 15:57
▼アスラ様
>カリスマと呼ばれることがそんなにいけないことかしら?

少なくとも、このブログでも扱われている
こうもりくんの劇場支配性ないしは舞台装置論は、
「カリスマ当事者」なる存在を認めておらず、
徹底的に批判していたはずでございます。

従って、あたしから見れば下記のようなコメントは
こうもりくんを褒め称えているようでいて
実は彼の議論を徹底して無視した態度なのでございます。

>カリスマ障害者ってどんな気持ちなんだろう。
>すげー。
悪い魔女
2008/08/21 20:30
悪い魔女女王陛下
私、低機能だから、単純にほめたつもりですが。
それは、こうもり公爵のお考えであって、浸透させようとするお気持ちもわからんでもないですわよ。
以前はわたくしも、カリスマ障害者について、そういう存在と区別し、
単なる才能のひとかけらも見出せない、低機能ちゃんたちや、博学ではあるが、お仕事にIQを生かせなかった高機能ちゃん達は、支援に恵まれないという現実があってはならないと思っていましたが、今は、カリスマ障害者の存在を
肯定せざるおえないと思います。カリスマ障害者が出てきたり、造られたりするのは、避けられないと思います。こうもり公爵が本を出したこと、あらゆる活動を行って、頑張っていること。それもカリスマなんです。
カリスマ障害者の存在を批判する姿勢を続けていくのなら、講演に奮起している人たちに積極的に活動をしないようにしたり、ぶっちゃけ、当事者が当事者活動という活動自体をやめてしまわなければ、カリスマ障害者はずーっと存在しますわ。
アスラ・セキュリ
2008/08/21 21:09
でも、私は、カリスマ障害者という存在は批判されるべき人たちではないと思うし、そういう存在の人がいるのって自然なことだと思います。
むしろ、カリスマ障害者が増えてほしいし、頑張っていってほしいというメッセージです。しかし、私は難しいことはわかりません(低機能で、療育手帳持ちなんで。)が、頑張った成果がカリスマと呼ばれてもそれは結果であって、自然なことだと思います。これは雛壇障害者を目指している小さな地球人のわたくしの意見を書いたまでですから、わかってほしいとか、そんな恩着せがましい気持ちは毛頭もないです。ただ書いただけなので、聞き流すか読み流すか、公爵が「消しちゃえ」と思うのであれば、私のコメントは消していただいてもよろしいですわよ。




アスラ・セキュリ
2008/08/21 21:10
カリスマの活動が下手なお説教支援より、存在感が増すし、無言の説得力がある。アスラ・セキュリさんが言うようにカリスマがいるのは自然なことだし、それを目標に人生を生きる。成長するインセンティブにもなる。動機付けになる。こうもり氏は心の広い人だから、異論・共感を受け止めるのでは、こうもり氏の度量あるブログがこれだけの人にカリスマ論を論じさせるだけの物だ。ここに集い論じる人は意見の相違はあるけど、カリスマこうもりファンだろう。こうもり氏が自閉症でも恋愛できることを実現すれば、私を含めた多くの人がそれに向って努力するだろう。自分磨き、恋愛活動に頑張るだろう。就活ならぬ、恋活、結活か・・・・・。
 カリスマを批判するなら、脱カリスマ、カリスマを乗り越えるオルタナティブが必要だ。
ぶじこれきにん
2008/08/21 21:25
カリスマモデルが人間関係に不器用でへたくそな私を含めた自閉症・アスペルガーの居直り・開き直りから反転攻勢をかけて、周りにその行動を否定・バッシングされてもしなやかにしたたかに跳ね除ける、柳に風のしなやかさを私を含めた自閉症・アスペルガーは身につけるのだ。
 そして自分達が自己主張すれば、女性・アイヌ・沖縄人・世界の少数民族・性同一障がいといったマイノリティの立場を理解して連帯する事も可能なのだ。そのためにもこうもり氏のアブ・ノーマライゼーションは大事である。
ぶじこれきにん
2008/08/21 21:35
見せてもらおうか,カリスマ当事者の才能とやらを!

…って,彼はカリスマ当事者と呼ばれても嬉しくないだろ〜.
カリスマ論(?)の流れは,ある意味,面白いから「嬉しい
こと言ってくれるじゃないの」と思ってるかも知れないけどw
シャア・アブノーマル(←低機能)
2008/08/21 23:56
▼ぶじこれきにんさん,アスラさん

どうやら論点がずれ始めているようなので、
再度仕切りなおしをいたします。
ここから先は持論をまくし立てるのではなく、
慎重にあたしが申し上げていることを
お読み取りください。
まず、お二方がカリスマ当事者に対してどんな考え方を持っていようと、
それは全くかまいません。
そして、こうもりくんに対して何を期待していようと、
別にあたしが干渉することではございません。
あたしが問題にしているのは、
お二方がこのブログの根幹的なテーマになっている
アブノーマライゼーションや劇場支配性という問題提起を
きちんと理解せずに発言している点にございます。
劇場支配性における問題提起の本質を理解していれば、
彼を「カリスマ当事者」などと言って
もてはやすような真似はまずなさらないでしょう。
劇場支配性に関する議論では
まさにそれを問題にしているからです。

悪い魔女
2008/08/22 01:10
また、ぶじこれきにんさんに関しましては、
こうもりくんのアブノーマライゼーション論を
障害者運動やマイノリティー運動の一部であるかのように
誤読されていることが確認されます。
両者は出発点こそ共通してございますが、
全く別の方向を向き始めていると考えてよいでしょう。
にも関わらず、ぶじこれきにんさんがこうもりくんに要望していることは
障害者運動の次元の話になってございます。
あれこれあたしに反論を述べる前に
まずこうもりくんがブログで繰り広げている問題提起を
よくご熟読ください。
悪い魔女
2008/08/22 01:11
悪い魔女女王陛下様

>アブノーマライゼーションや劇場支配性という問題提起を
きちんと理解せずに発言している点にございます。
劇場支配性における問題提起の本質を理解していれば、
彼を「カリスマ当事者」などと言って
もてはやすような真似はまずなさらないでしょう。

本質を理解できるほど、高機能ではありませんわ。
もてはやすつもりも無かったです。
単純に「当事者が高等なレベルの提言が出来ることはすばらしい」
と思っているだけですわ。

また、文字のみで本質を理解することは、高機能の人でも無理でしょう。
本質は文字以外の非言語のメッセージがこめられていることもありましょうし、文字、文章の解釈はたくさんあると思います。

それを、どう捉えるか?まで干渉はネットでは無理な注文ですわ。

まぁ、私の文章は聞き流していただいて結構ですわ。

このブログをみて、どう捉えるか?どう感じるかは読者の自由でもありますわ。

というわけで、わたくしのコメントは終わり。
アスラ・セキュリ
2008/08/22 06:49
>このブログをみて、どう捉えるか?どう感じるかは読者の自由
>でもありますわ。

ん〜、誤読の自由があるのかと言えば微妙かと存じますが。。。

ま、あたしから申し上げられることは
こうもりくんの劇場支配制に関する議論では
「カリスマ障害者」「雛壇障害者」「脇役障害者」のような
当事者の序列付けははっきりと問題化していたであろう
ということだけでございます。


悪い魔女
2008/08/22 16:29
悪い魔女さんもこうもり信者で心酔しているのは事実だ。劇場の支配性について説明をしていただきたい。
 カリスマ・脇役・ひな壇と序列化することを言うのなら、役割化されることの否定だろう。
 障がい者運動のノリを悪い魔女さんは言われるが、こうもり氏の本を読むと当事者運動にありがちな同質性を否定している。
 こうもり信者なら当事者運動・障がい学について一家言あるべきでは??
アスラさんが言うとおり、文字だけで本質を理解するのは定型のブログでも無理なのに、当事者のブログで本質を文字で理解するのは無理だろう。
アスラさんいいフォローをありがとう。
 この一連の論争についてこうもり氏はどう思っているのか。意見を聞いてからみんながコメントすべきだろう。
ぶじこれきにん
2008/08/26 18:39
こうもり氏の地方講演が終わり手ごたえをつかんでから、こうもり氏もコメントを彼独特の表現でされるだろう。
 劇場支配論は支援する、されるの役割関係。仕事で上司の指示に従う、聞く。役割を演じて仕事するの関係性で顕著になる。こうもり氏はカリスマ当事者、脇役当事者、ひな壇当事者の役割性を否定していると思う。
 フリーな立場で当事者活動を論じて欲しいと思っているはずだ。
私はこうもり氏の本を誤読していない。熟読して私なりの意見を論じている。
ぶじこれきにん
2008/08/26 20:08
▼ぶじこれきにんさん

>悪い魔女さんもこうもり信者で心酔しているのは事実だ。

ん〜、こうもりくんとあたしの関係はちょっと違います。
どちらかと言えば、こうもりくんに先行して、
障害学や公共哲学みたいな領域を扱っていたのがあたし。
で、まだこうもりくんがメールアドレスをネット上に公開していた頃に
メールであたしが知っている情報を提供してみたところ、
予想以上に関心を持ってくれて、
それ以来の学問仲間ということになります。

その立場から申し上げますと、
このブログで扱っているアブノーマライゼーションや
劇場支配制あたりの方が
こうもりくん本来の発想に基づいた独創的な見解であり、
独自の議論であると伺っております。
悪い魔女
2008/08/27 00:18
>障がい者運動のノリを悪い魔女さんは言われるが、こうもり氏の本
>を読むと当事者運動にありがちな同質性を否定している。

ん〜、あたしが読む限り
あの本はアブノーマライゼーションの観点では
書かれてございません。
(どちらかと言えば、障害学と公共哲学の内容をミックスした内容)
しかし、このブログはアブノーマライゼーションの観点から
書かれてございます。
だから、両者の内容に矛盾が生じるのは当たり前でございます。

>私はこうもり氏の本を誤読していない。熟読して私なりの意見を論じてい
>る。

こうもり本の誤読ならばしていないが、
こうもり本の主旨とこのブログの主旨を混同しておられるように
お見受けいたします。



悪い魔女
2008/08/27 00:24
>劇場の支配制について説明をしていただきたい。
(中略)
>カリスマ・脇役・ひな壇と序列化することを言うのなら、役割化されること
>の否定だろう。

このブログでもこうもりくんが何度か扱っていたかと存じます。
もっとも、裏・発達障害世界というコミュにおいては
新たな見解も付け加えているので、
内容的にはブログに書かれている内容よりは難解になってございます。

そこでの彼の議論を理解する限り。。。
彼は劇場支配制については
支援業界が作り出す舞台装置も障害者運動が作り出す舞台装置も
串刺しに批判してございます。
つまり、支援業界のカリスマとして祭り上げられることも
障害者運動のカリスマとして祭り上げられることも
問題化してしまっていると申し上げても過言ではないでしょう。
それらはいずれも役割化にすぎないからでございます。

ま、詳しくはこうもりくんにでも聞いてみてくださいな。
悪い魔女
2008/08/27 00:41
ひとまず、現時点であたしが分かる範囲で
こうもりくんのアブノーマライゼーションの方向性について
要約いたしておきましょう。
(間違っていたら訂正求む<こうもりくん)

@アブノーマライゼーションの出発点には、
「人間としての承認」「共生」「理解」「支援」「社会参加」など
障害者支援や障害者運動で自明の前提とされる理念に対する
強い疑念がある。

A当然のことながら、
これらの理念に向かって邁進する運動全てが問題化される
ことになる。
そこに障害者支援の営為か、障害者運動の営為かといった
区別は存在しないであろう。

B特に多くの障害者支援や障害者運動が持つ「人間らしさの実現」
という方向性に対して
アブノーマライゼーションは真っ向から対立する。
おそらく、こうもりくんがこのような議論を始めるにあたっては
障害者支援や障害者運動のことをたくさん学んだと思われるが、
二者とは区別して考える必要がある。

C金子書房のこうもり本とアブノーマライゼーションの間には
あまり整合性はない。

参考までに
悪い魔女
2008/08/27 00:57
悪い魔女さんは、こうもり氏の理解者であることがわかった。
@は私も疑問に思っていたので共感できる。Aは運動すべてを問題化する事をこうもり氏は提言している。支援・運動の区別なく問題化している。
Bはアブ・ノーマライゼーションは支援・運動の持つ「人間らしさの実現」と対立する。この議論が自閉症らしく生きるといういかに生きていくべきかというこうもり氏の思索・実践に基づくものである。
それはこうもり氏の言葉を借りるならドタバタ、ぬるぬる、ひょろひょろ生きることなのか???こうもり氏も否定している支援・運動から学んだけれど、それと区別して一線を画して彼は議論している。
@ABCの議論を通して感じるのは、悪い魔女さんはこうもり氏の理解者で、私は一部分しか理解していない。
運動や支援そのものが役割に基づく物で、彼はラディカルに批判して乗り越えている。
 自分をカリスマ・英雄視する。ある種の役割化を彼は望んでいない。これは大事なことだろう。彼は役割化を否定している人なんだから・・・・。
Cは整合性のない議論をこうもり氏もしている。
ぶじこれきにん
2008/08/27 07:05
ただし問題意識のない当事者・支援者にはこの議論は過激な議論でしかない。議論の本質も理解しようとはしないだろう。
 こうもり氏は支援業界と立場が違うから、理解しなくて結構と思うだろうな。
 
ぶじこれきにん
2008/08/27 07:33
補足するなら、支援業界が求めているどういう支援を当事者が必要か。聴覚過敏等の気持ちはどうか、一部のカリスマ当事者が支援業界でもてはやされる現状(矛盾するがこうもり氏もその輪の中にいる。中にいるから疑問を感じるだろうが)二批判的だから、劇場支配性というコンセプトが生まれた。
 そう私は理解している。矛盾する意見だが一部のカリスマ当事者が支援業界でもてはやされて、本を出して、行政から意見を求められたり、講演をする状況は当事者に序列と格差を持ち込むだけでいいとは私は思わない。
 カリスマを求める一方で、混乱するかもしれないけれど、カリスマ当事者発言、本や講演活動を含めた当事者活動批判する私がいる。
 カリスマ英雄当事者は要らない。みんなが自分の意見を言ってもマスゴミ(マスコミはゴミのような情報、マインドコントロールする情報を垂れ流すだけでマスゴミに過ぎない)や、支援業界が英雄視しない状況の一助になれば幸甚です。
 
 
ぶじこれきにん
2008/08/27 13:40
そして支援業界が当事者のコメントをエイリアン=人と違う存在として見る状況がある限り、アブ・ノーマライゼーションという当事者の自己主張宣言が打ち出される必然性は出てくる。
ぶじこれきにん
2008/08/27 13:42
僕は敢えてはっきり言おう。

「こうもり氏はカリスマとは認めない」ということを。

 やはりこうもり氏は一当事者です。何も権限はないということです。
 逆にこうもり氏に右に習えという当事者がおかしいではないでしょうか。

 彼は神ですか?障害者を神にしてどうするのですか?
 僕はカリスマ当事者は要らないこれだけです。
アノニマス
2008/08/28 20:52
▼ぶじこれきにん様

ちょっとだけ、ねちっこく確認作業をやっておきましょう。

>この議論が自閉症らしく生きるといういかに生きていくべきかと
>いうこうもり氏の思索・実践に基づくものである。

ん〜。自閉症らしく生きるがこうもりくん本来のテーマかというと、
少し微妙でございます。
「自閉らしく」というのだって、
見方によっては役割化(こうもりくんの言葉では役割統制)
と申し上げられなくはないでしょう?
「自閉らしく」というのは
あくまで障害者文化に属する営みでございます。
これも障害者運動の営みとしては重要でございますが、
こうもりくんが目指す方向とは若干異なるかと存じます。
悪い魔女
2008/08/29 19:34
(続き)

今までこのブログに書かれたコメントを拝読する限り、
ぶじこれきにん様が共感をしておられるのは
障害者運動(政治活動,文化活動,理論活動を含む)
なのではないかと思われます。
もちろん、それはそれで重要なことでございますし、
それに対しては極めて首尾一貫した態度でコメントを書かれておられます。

しかし、障害者運動の世界観に引きずられて、
若干こうもりくんの議論を捉え損ねている部分がなきにしも
あらずでございます。

誤解を恐れずに言うのであれば、
障害者支援も障害者運動も予め答えや目標が決まっていて
それを正当化するための理論武装や喧伝キャンペーンに
明け暮れている世界。
(それが「人間としての承認」「共生」「理解」「支援」「社会参加」
であったり、障害個性論であったり、障害文化論であったりする)
それらの前提となる価値観を疑いさらに地下にもぐっていくのが、
アブノーマライゼーションなのではないでしょうか?
悪い魔女
2008/08/29 19:52
もうひとつ。
こうもりくんの議論を読み解く上で大切なのか
それが喧伝的な内容を持つのか、思索的な内容を持つのか
という観点でございます。
別の言い方をすれば、
他者に語ってきかせることを目的にした内容なのか、
自らの問題を抉り出し探求することに特化した内容なのか
という点でございます。

あたしが知る限り、
いわゆる市販本で書いている内容のほとんどは
当事者としての前者的な内容となってございます。
ところが、ブログなどで書いている内容は
どちらかと言えば後者的な内容となってございます。

その違いも踏まえておかれると、
なぜ市販の出版物で語られている内容と
ネット上で語られる内容に違いが出てくるのかも
分かりやすくなるのではないかと存じます。
悪い魔女
2008/08/29 20:08
ところで、こうもりくんへ

念のため、ブログにコメント書いた人のIPアドレス
チェックしておいた方がいいんでないかい?
夏ぐらいから時々気になる投稿者名やコメントが
増えているような気がいたします。
悪い魔女
2008/08/29 20:13
色々、コメントをいただいていたのに、お返事できなくて申し訳ございませんです。このブログの主旨についてはだいたい師匠の方でレクチャーしてくれた通りでやんす。
新しい当事者の役割統制のあり方は、スティグマでも、犯罪者予備軍でも、無能者としての扱いではなく、「人間としての承認」「共生」「理解」「支援」「社会参加」のような障害者支援,運動に普遍的な原理のみならず、「早期発見,早期対応」「自立」のような支援の目標を目指しそのために努力をしていて当然の相手という当事者像の押しつけにあります。そして、これらを推進していくことが当事者の生きる目標,そのための取り組みが当事者の役割になっていくこと(劇場統制),当事者がそれらの価値観に束縛され枠にはまったような考え方しかできなくなること。この辺りの打破がアブノーマライゼーション論の目標ということになります。
こうもり
2008/08/30 15:29
当事者を植物に喩えるならば、畸形の花(当事者)を市場で販売できるように既存の市場でもてはやされるような花に育てていこうとするのが障害者支援,畸形の花のまま市場に参入することを求めていくのが障害者運動,畸形の花(当事者)をいまだかつてなかったような根,芽,茎を伸ばし見たことのないような花を咲かせる道を目指し、市場に参入するとは別の道を目指していくのが、アブノーマライゼーションということになります。
こうもり
2008/08/30 15:29
上記のこうもりさんのご説明を踏まえ…私は、アブノーマライゼーションを支持します。
当事者の一部には、「社会的適応」あるいは「健常者と変わらぬ査定・評価」というキーワードにて、アブノーマライゼーションを「非現実的」あるいは「理想論」と片付ける方もおられるようですが、私はむしろ、当事者から沸き起こった「憲章」として、理解しております。
夏椿
2008/08/30 21:50
上記コメントを補足します。
「むしろ当事者から沸き起こった憲章」…についてですが、「(私のような)当事者から」ということです。
具体的には、「理解」という「印籠」に追い詰められた状況下で、「ひとりひとり違う」などと耳障りの良い言葉を使いながら、実際には、スポットライトを浴びた特定の人物が繰り広げる「当事者本・当事者話」がステレオタイプ化し、結果、その他の当事者を混乱させ、苦しめているという「本末転倒な情勢」に対する、私自身の抗議の表明です。
夏椿
2008/08/30 22:13
週末論議されたことは私にとっていい勉強になった。
 こうもり氏、悪い魔女氏の議論は定型支援者が押し付ける当事者像に対して枠にはまった見方しか出来ない。そのアンチテーゼとしてアブ・ノーマライゼーションというのは理解できた。
 私を含めた当事者は、定型支援者の考える当事者像にマインドコントロールされている。その枠からの脱皮、自分なりの個性・生き方で花を咲かせる。独自のアートを主張するこうもり氏の意見はなるほど。畸形の花を販売しやすいように育てていくのが障がい者支援はなるほど。資本に都合のいい労働者を言い方は悪いが商品と販売するのが、就労支援の本質だろう。
 畸形の花のまま市場に参入させるのが障がい者運動。
畸形の個性をそのまま、ありのままに見たことのないめちゃくちゃな花を咲かせる。究極の受容交流療法それが、アブ・ノーマライゼーション。反支援、反運動、それと対極のわが道を行くアブ・ノーマライゼーション
ぶじこれきにん
2008/09/01 12:19
悪い魔女氏が言うように、支援の価値観を疑うことから始めるのがいいかもしれない。定型世界の価値観がすべて正しいと思わないのは、運動・支援賛美の私でもその彼らの価値観押し付けのやり方に疑問を持っていた私でも共感できる。
 こうもり氏が自らの興味あるフランス公教育論に特化しているのは良くわかる。本は定型向けに自分の言いたい事を書いたのだろう。
 又このコメントで議論されるんだろうな。
ぶじこれきにん
2008/09/01 12:26
それは支援の目標は何??何の為生活の糧にして私生活を犠牲にしてまで障がい者支援を支援者はするのか??
 支援する事で僕らにプラスになるのか???何を僕らは得るのだろう??支援者、既成社会に都合のいい当事者を作り出すためか???
そのためにカリスマ当事者が作られて、支援者に都合のいい支援を当事者が語るのか???このブログで論じる当事者はそういう運動・支援のありように疑問を持つ人たちの集まりで、その疑問と、こうもり氏の自己主張に共感するんだろう。私のスタンスを悪い魔女さんが理解している。
 こうもり氏言う劇場統制は支援者や既成社会に都合のいい言葉しか語れない当事者を作り出す。親や支援者の都合のいい当事者。企業に都合のいい当事者。企業にリストラされても文句言わない当事者を製造しているような気がする。そんな疑問点をこうもり氏は論理化、文章化した。
 ただ定型が作ったルールとは言え、日本国憲法で定められている言論の自由で色んな立場からアブ・ノーマライゼーションは論議されないと、定型の言う価値観の押し付けの二の舞になるような気が私にはする。
ぶじこれきにん
2008/09/01 13:11
正そう言う私でも、支援者の価値観で裁かれて判断して、現実の行動を受け容れないのは抵抗がある。
 現実の既成社会の価値観で上司や、支援者が裁くことには疑いがある。既成社会の価値観はそんなに絶対的で偉いものなのか???自閉文化で育った私達を受け容れるに値するものなのか???
 障がい文化論を否定したり、障がい個性論を否定したりする論調が目立つが、それらを含めた開き直り、居直りも大事だが、アブ・ノーマライゼーションというわが道を市場に都合のいい人間作りと別に生きる。独自の歩みをしていく。人はより取り見取りの花を咲かせる。具体的にデモ行動に自閉症が参加するとかそういう形で、その人しかない生き方をする。(少なくとも私はそういう行動・生き方をしている。従来の自閉症地域で仕事して、生活して、余暇を楽しむからかけ離れている)その生き方を可能にするには経済的充実も欠かせない。年金の拡大も不可欠だと思う。仕事が個人のライフスタイルに合わせた仕事・休暇のとり方も不可欠だ。
ぶじこれきにん
2008/09/01 17:19
>こうもり氏、悪い魔女氏の議論は定型支援者が押し付ける当事者像に対し
>て枠にはまった見方しか出来ない。そのアンチテーゼとしてアブ・ノーマラ>イゼーションというのは理解できた。

こうもりくんとあたしの立場は同一視なされないようにお願いいたします。
うちらの間でも、
集団同一性を巡る意見の対立というのがあり、
必ずしも意見が一致している訳ではございません。

また、定型発達者の枠組みに対するアンチテーゼと述べておられますが、
アブノーマライゼーションの問題提起の矛先はおそらく
障害者文化の担い手となる当事者にも向けられているでしょう。
少なくとも定型文化VS非定型文化という枠組みでは考えていないと
思われます。
悪い魔女
2008/09/01 22:48
>ただ定型が作ったルールとは言え、日本国憲法で定められている言論
>の自由で色んな立場からアブ・ノーマライゼーションは論議されないと
>、定型の言う価値観の押し付けの二の舞になるような気が私にはする。

まず、議論に関して言えば、
色々な立場からご意見を出されるというのは大いに結構。
ただし、以下の4つのことが要求されることになるでしょう。

・単にその当事者が著名だという理由で、
述べていること全てを高く採点したり礼賛したりしないこと

・自らの立ち位置を明確にした上で意見を述べること

・他人の見解は可能な限り精確に理解し、
自分の意見と他人の意見をきちんと区別した上で
発言なさること。

・明らかに異なる意見に対して賛意を表したり、
捻じ曲げて解釈した上でご自身に都合のよい解釈をつけたり
しないこと。

なお、言論の自由をご自身の意見の根拠に上げられておりますが、
人権というテーマもアブノーマライゼーションの重要なテーマに
なっていたはずでございます。
悪い魔女
2008/09/01 23:04
>その生き方を可能にするには経済的充実も欠かせない。年金の拡大
>も不可欠だと思う。仕事が個人のライフスタイルに合わせた仕事・
>休暇のとり方も不可欠だ。

これらのテーマはノーマライゼーションでも扱われてございますし、
障害者支援や障害者運動できちんと議論されてきております。
(じっさいに実現できているかどうかは別にしても)
アブノーマライゼーションの射程範囲とは申し上げられず、
既存の障害者支援や障害者運動の枠組みで
十分に議論は可能なのではないでしょうか?
悪い魔女
2008/09/01 23:23
こちらがどう取り組むか。こちらも厳しく精査されるのが、アブ・ノーマライゼーション。当事者の人権も問われる。こちらが他人の意見をどう汲み取り、区分けをするか。きちんとこちら側の立ち位置も問われる。厳しい物だ。アブ・ノーマライゼーションを問う側も意見対立があるなどいろいろな意見がある。悪い魔女氏の意見を拝聴して今後に生かしたい。金銭的問題、休暇の問題は、本論の本筋とは別問題で、運動・支援の側の課題であり、議論すべき問題であることがわかった。当事者を高名だというだけで礼賛してはいけない。異なる意見を賛美したり、自分に都合のいい解釈をしない。そういうこちら側の厳しい態度が求められるのが、アブ・ノーマライゼーションの本質だ。
ぶじこれきにん
2008/09/02 06:04
それと定型の他人から笑われたり、彼ら、彼女らの価値観で裁かれたりして嫌な思いをした当事者ほどアブ・ノーマライゼーションという当事者が編み出した自分らしく生きる。といってもこうもり氏が本で言うように発達迷宮は多様である。
 その多様な営みの中で以前に述べた当事者の自己主張であると同時に、当事者の人権を大事にする。(当事者の人権を大事にするということは、定型の人権を大事にする事につながっていく。)定型支援者が当然と教えた価値観を疑うことで、自閉しか歩めない生き方、自閉だからこそ、出来る生き方をアブ・ノーマライゼーションというコンセプトで批判されがちな当事者の開き直り、居直りの考え。それが私の考えるアブ・ノーマライゼーション。
ぶじこれきにん
2008/09/02 13:54
それを編みだしたこうもり氏に敬服する。そして定型からすればカリスマ当事者なのに、自らの立場を否定して、みんなと同じ土俵に立とうとしたこうもり氏の勇気と営為に私は感激した。
 悪い魔女さんの助言を元にして考えると、運動とも、支援とも違う以前にも述べた独特の花。それも十人十色の花を咲かせて人生を楽しもう。
四国での講演でどんなアブ・ノーマライゼーションの価値観を提示するのか楽しみだ。
 こうもり氏は当事者活動にありがちな当事者同志のコミニュケーションのつたなさ。会場取り等事務連絡の煩雑さ。それこそ支援がないと出来ない運動の限界を悟り、アブ・ノーマライゼーションという自閉しかなしえない。支援でもない、運動でもない第三のやり方を考えた。実践されたのではないか???
ぶじこれきにん
2008/09/02 14:00
ぶじこれきにんさん

私の理解では、アブノーマライゼーションは「当事者の開き直り、居直りの考え」とは違います。定型VS非定型文化論でもありません。むしろ、こうした「解釈」が違和感なく導入(採用)されてしまうことについて、私個人は考えたいのですが。
夏椿
2008/09/03 09:51
では夏椿さんが考えるアブ・ノーマライゼーションとは何ですか??
ぶじこれきにん
2008/09/03 13:29
>こちらがどう取り組むか。こちらも厳しく精査されるのが、
>アブ・ノーマライゼーション。

ん〜、これはアブノーマライゼーションの議論に限らず、
他人の理論,思想,哲学を論じる際には不可欠な態度でございます。
相手の前提,解釈,理論に賛成するかしないかは全くの自由。
しかし、間違った解釈をしたまま
賞賛したり批判したりするというのはやはり問題なんでございます。
悪い魔女
2008/09/03 20:23
>その多様な営みの中で以前に述べた当事者の自己主張であると同時に、当
>事者の人権を大事にする。(当事者の人権を大事にするということは、定
>型の人権を大事にする事につながっていく。)定型支援者が当然と教えた
>価値観を疑うことで、自閉しか歩めない生き方、自閉だからこそ、出来る
>生き方をアブ・ノーマライゼーションというコンセプトで批判されがちな当>事者の開き直り、居直りの考え。それが私の考えるアブ・ノーマライゼー
>ション。

ん〜。これ自体はひとつの確立された立場ですが、
どちらかと言えば障害者運動の立場かと存じ上げます。
発達障害で言えば、
ニキリンコさんが日本に紹介されている
「神経学的少数派」の立場に近いのではないか、と。
(詳細はニキさんのサイト参照)

悪い魔女
2008/09/03 20:42
いわゆるこうもりくんのアブノーマライゼーションの場合ならば、
まず「定型発達VS非定型発達」のような異文化モデル自体が
問題化されるのではないかと思われます。
また、障害者文化のような集団同一性に基づく文化に対しては
むしろ警鐘を鳴らすでしょう。
ついでに言えば、
障害者が自らの活動や生き方を肯定したり
自己正当化したり、理論武装するための議論でもないでしょう。

ぶじこれきにんさんが神経学少数派や障害者文化論の立ち位置で
発達障害について論ずるのは素晴らしいことだと思いますし、
アブノーマライゼーションは当事者の百家争鳴的な状況を
意見が違っていてもむしろ歓迎するでしょう。
しかし、それはあくまでアブノーマライゼーション論とは
異なる立ち位置であり、
勝手に「これもアブノーマライゼーションの一部だ」と
名乗るのはいかがなもんかという話でございます。

あくまでぶじこれきにんさんは
アブノーマライゼーションを名乗らず
障害文化論の立ち位置を維持したまま
論じられた方がいいのではないかと思います。
悪い魔女
2008/09/03 20:44
ご忠告と丁寧な分析ありがとう。確かに私はリンコさんの本を愛読しているし、障がい者運動の本を愛読している。運動に傾斜している。アブ・ノーマライゼーションと対極の障がい個性論に立脚している。
 アブ・ノーマライゼーションと対極の障がい文化論の立場で、アブ・ノーマライゼーションを論じる。こうもり氏が言う定型文化VS非定型文化という枠組みは私という障がい文化、障がい個性論の立場の者からしても他者を理解する上で大事なポイントであり、キーワードだ。
 異文化としての定型・仕事・地域社会としてみる。その枠組みで他者や、支援者、当事者を理解している。
 障がい文化の立ち位置で、非定型文化VS定型文化を論じる。
開き直りからとかくマイナスに見られたり、差別・偏見の目にさらされている自閉の生き様を見せることを言いたくて、あのスローランナーのすすめで私の思いを代弁したこうもり氏に共感して本を買い、ブログに投稿している。
 ここでの論争は知的刺激になって言い。共感していく。自分と同じ接点を見いだす。孤立しがちな自閉当事者が運動に共感を求めていく姿勢の人もいることをご理解いただきたい。
 
ぶじこれきにん
2008/09/03 22:13
確かに、支援や、運動に疑問を持ち第三の選択肢を求める。非定型文化VS定型文化の枠組みで見て、障がい者運動の同質性に疑問を持つ人たちがいることは私も認めよう。
 それが少数派でもそういう考え・理念で行動・思索をする人たちがいる。
立ち位置は別でも論争していこうではありませんか。
 アブ・ノーマライゼーション論争はいい勉強になった。自分が精査されていくのは論争がある限り、定型・障がい問わずあることなんだと感じた。
ぶじこれきにん
2008/09/03 22:18
こうもり氏の過去ログを見た。自閉当事者似合った中間労働、自閉当事者でもわかりえるルール論など当事者として、立ち位置が運動=障がい文化論、障がい個性論の立場の者でも納得の行く論理展開、構成で旧来の定型男性中心の長時間労働。終わり亡きゴールの労働にくたびれた者でも、なるほど、自分達に必要な労働システムだと思った。
 ルールも定型に理解できるルールではなく、自閉当事者にでも納得の行くルール論だった。
 私達の目線で論じる男があえてノーマライゼーションと対極のアブ・ノーマライゼーションを論じるのは私の解釈が間違っていたら、ごめんだが、支援でもない。運動でもない。わが道を行く。自分たちにあったやり方で、その人なりに十人十色の花を咲かせる。自閉症・アスペルガーを含めた発達障がいにとって一回きりしかない人生を自分なりに楽しむ。生をまっとうする。これは本質的なことだが人生生きてて良かった幸せをその人なりに得る。人がなんと言おうと自分なりの人生を歩んで、自分達にあったやり方ルール・働き方で、畸形の野菜でもいい。曲がったキュウリなりに生きていく。
 
ぶじこれきにん
2008/09/04 15:00
だけど運動は曲がったキュウリでも、市場という社会で出していこう(青い芝の会の主張がこれにあたる。)というのが私が立脚する運動。
 ただし当事者同志の運動は私にも経験があるが、前述した事務連絡、場所、当事者同志のコミニュケーションの未熟さで失敗した。
 こうもり氏が運動で当事者同志分かり合えるという同質性の幻想を抱金井のはこの辺にもある。
 企業という長時間働くことが善の社会で苦労された方なら、実感されるだろうが、企業ほど同質性社会では、人と異なる行動、思考を排斥する。
これに状況倫理=空気を読むという私を含めた自閉当事者苦手のことも加わり、ハードルが高くなる。
 この企業論はいずれ述べるとして本題に戻そう。
ぶじこれきにん
2008/09/04 15:08
企業・地域社会という同質性は、人と違う行動をする自閉当事者を排斥する。この中でたくましく生きていくには、自分を含めた自閉当事者がある種のコンセプトで生きていく。強烈な理念が必要だ。
 立場は異なるかもしれない。
過去ログを見る限りこうもり氏の福祉作業所体験・実践・思索からつむぎ取られたアブ・ノーマライゼーションが魅力的なものだったのは事実だ。
 本音を言えば支援者すら提示できないコンセプト。当事者の立場に立ったものだから私も賛同した。
 読者諸氏の厳しいご意見を承りたい。こうもり氏も本とこのブログで会話の苦手な当事者がPCで文章化すると自分を語れると述べています。
これは私に限らず、ここに投稿する当事者の方々にも言えることではないでしょうか。
ぶじこれきにん
2008/09/04 15:17
参考の為、こうもり氏の四国での講演レジメを拝見した。読む限り私は悪い魔女さんがご指摘になるように大いなる勘違いをしていた。
 アブ・ノーマライゼーションは障がい者支援・運動の前提条件人間を真っ向から否定して、エイリアン、自閉圏に生きるものとして独自の道を行く。
イメージとすれば猫的存在。猫はマイペースに生きて食べて、寝る。散歩する。自閉という猫的存在もマイペースに自閉脳なりの生き方をする。
 人間社会で「人間」と摩擦を起こす自閉によく定番の文句「人に迷惑をかける。」も猫的存在の自閉にはありえない。
 それらを超越している一種の猫的存在の生き方。サブ・カルチャーという人間社会の概念を超えている革命的コンセプト。
ぶじこれきにん
2008/09/04 19:16
それはこうもりが考えて練って実践している。本で提唱したスローランナーは人間向けに打ち出されたコンセプト。
 本音は畸形の植物が市場(人間社会のコンセプト)を否定して猫的存在なりに生きやすい知恵と工夫に満ち溢れたものだ。
 自閉は本来は猫的存在だが、支援によって市場向きの人間さんにさせられた。そういう例は多い。(人間社会向きの人間にさせられた)私の知る自閉は人間社会に参入しながら猫的存在の部分を残していて、人間社会との摩擦にあえいでいる。
 恋愛・セックス・結婚といった人間社会にありがちなものをすべて否定してラジカルに生きる。このコンセプトを編み出して人間社会でブログで発信するこうもり氏に私は改めて驚く。カリスマ当事者という人間社会、支援業界が作り出した概念の否定に行き着くには多くの矛盾、失敗から得た教訓、概念があっただろう。そこに至るプロセスがあるから、人間社会が求める成長も否定して、猫的存在として生きる。猫がもてはやされるのも、かわいいのもあるが、人間も猫のようにマイペースに生きたい願望が潜在意識にあるのだろう。

ぶじこれきにん
2008/09/04 19:27
そこにいたるまで多くの失敗・挫折から教訓を得て自閉に向く生き方は何か、働き方、ルールの認知に思索、実践をされたこうもり氏の努力と営為に私は感激する。
 私はそこまでいたらないが、これからの立ち位置はその実践を温かく見守りたい。(人間社会の概念だが)
ぶじこれきにん
2008/09/04 19:30
ぶじこれきにんさん

>では夏椿さんが考えるアブ・ノーマライゼーションとは何ですか??

お返事おそくなりました。
私は、こうもりさんの文章に限らず、できるかぎり文字表現に忠実に理解しようと心がけております。(他者の文章を)歪曲したり、まったく別の価値観を自身の都合良く盛り込んで結合させる等々のことは避けたいという考えです。
ご質問についてですが、「アブノーマライゼーションについての私(夏椿)の考え」と「私(夏椿)の考えるアブノーマラーぜーション」は(私には)まったく別の意味合いであり、私はこれを分けて考えております。前者については既にコメントしており、後者は私個人の問題と考えております。これにて、おいとまさせていただきます。
夏椿
2008/09/05 09:29
夏椿さん丁寧な回答ありがとうございました。
 夏椿さんの過去ログを拝見したところ、アブ・ノーマライゼーションは憲章といっていましたが、障がい文化論、障がい個性論の私でも四国宣言、こうもり氏の過去ログからつむぎだされたメッセージを見る限り、自閉脳の自己主張宣言です。
 そして考えは固定されるものでなく流動化する。人間として生きる。働く。生活する。すべてを否定していきながら猫のようにその場、その状況で人間と対応する。猫は好物の魚や、えさをくれる人間に刷り寄るけれど、いやな人間にはそっぽ向く。
 猫的存在として人間が否定する被差別者・貧困者のいる空間で前人未踏の生活を営む。こうもり氏の言葉を借りれば異邦人や、変異体なりの生き方・生活空間を営む。猫がまったり寝て、まったり散歩するように・・・・
ぶじこれきにん
2008/09/10 19:23
それは四国でこうもり氏が高らかに宣言するので、未熟者の私はこの自己主張宣言を評価すると同時に、過去のこうもり氏の過去ログから流動する考えを検証すると、女性当事者・ルール・恋愛・結婚・セックス・地球環境と当事者・劇場支配論で論じられる舞台装置の役者達・・・・。
 タイトルを見るだけで、彼が当事者としてこういう問題にこだわり掘り下げて、論じていた。当事者発言ひとつ掘り下げてニーチェといった哲学者の論を引用して語った彼のインテリジェンスぶりに感激しました。
ぶじこれきにん
2008/09/10 19:28
悪い魔女さんご指摘の通り、私は障がい運動・文化・個性論からでしか理解してなくて、彼の論理展開を誤解していた。わが身の不徳を恥じる次第です。
 そして私のレスに対して、こいつは考えもスタンスも違うけど、私の考えを理解するにふさわしい相手として対応したこうもり氏・悪い魔女さんに頭が下がります。
 私ごときの問いに答えてくれたことに感謝します。
私自身こうもり氏の深い考察を読むと、支援者には理解不能な内容です。これを支援者の前で語れば私は変人呼ばわりされるだろう。
でも当事者としてスタンスは違うけど、経験と直感で理解できるところはあります。労働に対する過剰な労働の本質。拡大成長する業務に伴う仕事の要求、やるべきことの拡大で当事者が疲弊したのは私にも就労経験があるから、理解できます。郡山の講演。徳島での宣言のレジメを作っている最中、NPO役員としてお忙しいと思いますが、感想はこれにて失礼します。
 このブログの過去ログ熟読してこうもり氏のメッセージを理解したいと思います。(そのときのこうもり氏の論調)
ぶじこれきにん
2008/09/10 19:39
管理人です。

どんな意見であれ、ニックネームに「匿名(アノニマス)」「通りすがり」「名無し」などのニックネームを使用することは禁止です。今後は断りなくコメントを削除し、アクセス禁止にしますのでご了承ください。
こうもり
2008/09/11 20:54
ちなみに最近、勤務先の障害者施設が満杯になったため、民間委託施設の新設があり、そちらの方の採用試験を受けています。とりあえず、本日一次試験通過のお知らせがあり、来週のはじめに二次試験を受けることとあいなりました。という訳でブログ更新はちょっと待ってちょん。
こうもり
2008/09/17 21:15
こうもりさんへ。
転職ですか?
応援していまーす♪
ファンより
アスラ・セキュリ
2008/09/24 05:10
徳島の旅 お疲れ様でした(^o^)
学会、おもしろかったですネ。
あっと言う間に終了時刻になってしまいました〜。
Ryooooo
2008/09/25 18:38
ALL

色々なコメントありがとうございました。ひとまず、採用試験もシンポジウムも終わり、少しゆっくり休めそうです。
こうもり
2008/09/26 19:57
こうもりさん採用試験ご苦労様でした。新たな展開のブログ期待しています。
ぶじこれきにん
2008/09/29 11:54
▼ぶじこれきにんさん

へ〜い。もうしばらくお待ちを
こうもり
2008/10/02 18:13

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