アブノーマライゼーションへの道(by こうもり)

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help リーダーに追加 RSS 【おまけ】前回のコメントへの質問に対する回答

<<   作成日時 : 2008/06/22 01:54   >>

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今回は少し話題から逸れて、前回質問があった内容に対する詳細な回答を行いたいと思います。

@なぜ、このブログでは障害から離れた話題をするのか?

【回答】
厳密には、全く離れたテーマとは言えません。言うなれば、特別支援教育や療育の前提になる話をしているということになるでしょう。特別支援教育も療育も、例えばフーコーの観点から見れば監獄であり規律訓練システムであり
生の管理を行う装置でしかありません。しかし、障害者支援の世界では教育が唯一の問題解決策であるかのように語られたり、当事者たちの権利保障につながるとまで考えられていることがあります。この不思議なイメージの混乱はいったい何を意味するのか?それを探っているうちに公教育を権利と考え全ての子どもに教育権を保障するという「幻想」がいつどこで生まれたのかというテーマにたどり着き、ルソーやフランスの公教育が題材となっております。従って、一般的な学校教育と障害児を対象にした教育を全くつながりのないジャンルと考えるのでなければ、両者はおおいに関係しています。

また、仮に障害から離れた話題であったとしても、もしそれが不自然と感じられるのであれば、やはりそのことは考えてみる必要があるでしょう。障害の当事者が運営するブログならば、体験談であれ、支援への提言であれ、障害者の人権問題であれ、障害者運動であれ、障害と何らかの形で結びついたテーマを扱っていてしかるべきだと考える根拠は何なのか、と。なぜ、肢体不自由者が建築バリアフリーではなく、建築の美について語っていれば不思議
なのでしょうか?なぜ、障害者が特別支援教育について語るのは不自然ではないが、教育一般について語るのは不自然だと感じられる理由は何なのでしょうか?不自然だと感じられるのであれば、そこには障害者の書き物から『障害的なもの』を取り出し、鑑賞,判断,参考材料にしようとする意志が働いていないでしょうか?少なくとも、アブノーマライゼーション観点からはそれが問題化されます。

また、これはよく講演などで質問されることなのですが、以下のような質問についてはちょっと検討が必要なのではないかと思っているのです。

「どんな支援が必要か(あるいは必要か)?」
「どんな関わりが必要か?」
「どんなことを理解して欲しいか?」
「社会参加(露骨な場合は社会適応)するためには何が必要か?」

これらの質問は決して素朴な質問ではありません。既に「当事者は支援,関わり,理解,社会参加を求めていて然るべき存在だ。そして、これらを推進していくことこそが支援にとって正しい道だ」という前提で問いを提示してしまっており、その問い自体に何か問題があるのではないかという疑問を封じてしまっています(いちおう、これらの目標は自明の前提ではなく、検討しなおされなければならない前提だと思って発言している)。そして、時には当事者の発言を支援を援護射撃するための護教論のように取り扱ってしまいます。

もちろん、わたしがここで語ったことがわたしの意図に反して、支援にとって参考になる場合はあるかもしれません。
しかし、原則的にこのブログでは支援のためになる議論はしません。支援以外のテーマも積極的に扱いますし、仮に支援というテーマを扱ったとしても、その内容は支援の役に立たない場合やむしろ有害である場合も少なからずあります。いちおうそのような出発点で表現活動が行われているブログであるという点はご了承ください。

A自立しているから、障害以外のテーマを扱っているのか?

(回答)
自立してなければ障害というテーマ以外を扱ってはならないという理由はないでしょう。むしろ、たまたま障害というテーマに関心を持つ当事者がブログ上で障害について様々な発言を繰り広げているのだと考えた方が自然です。
その当事者が何に関心を持つかと自立できているのかは全くの別問題です。

B自らが障害以外のテーマを扱うことを支援者に理解して欲しいか否か

(回答)
むしろ、「理解を求める」ということを生きる目的にしてしまうことを、このブログでは問題化しています。脳性まひ団体青い芝の会の故横塚晃一は「そんな主体性のない生き方があるでしょうか。一体どこの世に4,6時中理解して貰おうとしている人間がいるでしょうか。」という痛烈な問題提起を行っていますが、わたし自身も基本的には理解をしてもらうことに全力を注ぐことには意義を感じてはいません。理解されるか否かに関係なく、自らの問題意識に従って考え、創造し、表現するだけを考えて通常はコメントをしています。

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コメント(12件)

内 容 ニックネーム/日時
私のように今就労をしていないものに、自閉症・アスペルガー業界は就労している当事者の意見を耳を傾ける悪しき風潮がある。
 こういう中で就労してない当事者の意見を傾けていく本ブログは貴重である。支援者に都合のいい社会参加・社会生活をする事を前提にした当事者発言に疑問を持った私のようなひねくれ者の当事者向きの議論は面白い。知的冒険が出来る。
ぶじこれきにん
2008/06/23 19:27
私のように今就労をしていないものにとって前述した自立した当事者の意見を耳を傾ける自閉症・アスペルガー福祉業界の姿勢に疑問を持っていた。
 その点本ブログの支援をあえてはずす議論は面白い。支援をあえて言えば現実の応急処置になりがちで、抜本的手術になりえない。(就労支援ほどそうなる)支援に期待せずあえて取り上げないこうもり氏の姿勢に拍手、拍手
パチパチパチパチ。
ぶじこれきにん
2008/06/23 19:31
▼ぶじこれきにんさん

わたしが期待に添える活動ができているのかどうかは分かりませんが、この問題を考えるにあたり故横塚晃一の議論はとても参考になりました。以下に参考文献を挙げておきます。

横塚晃一『母よ!殺すな』(2007年に生活書院より再刊)

働けている当事者の働けていない当事者に対する差別感情や優越感,社会参加や理解を得ることに狂奔し自らを失っていく当事者たちを問題化した最初の作品だと思います。

機会があれば読んでみることをお勧めします。
こうもり
2008/06/24 20:38
横塚の本手に入れました。最初の書き出しで親に対するありようの批判は、横塚没後30年の今テでも通じる新鮮な感動です。
 熟読した上でレスします。しばらくお待ちください。
ぶじこれきにん
2008/07/03 13:56
3分割して論じます。
 @パソコンもインターネットもない時代にガリ版刷りで手書きで脳性まひのハンディしょってメッセージを書いた横塚の勇気に敬服します。
 横塚が言った障がいの開き直り、居直りはこのブログの議論に通じる。
私がここで論じた事と重なる。それを見て横塚の本を読んだほうがいいとアドバイスしたこうもり氏の慧眼に驚きます。
 横塚の42年の人生、障がい者も地域に出るべき、グループホームを提案した慧眼に驚きます。まだまだ語りたい事があるのですが、コメント500時の制約なのでこれで失礼します。
ぶじこれきにん
2008/07/03 20:21
Aこれは私達にも言えることですが、横塚は障がいの独自性を主張すると他人の立場になれる。
 これは発達障がいという他人の気持ちになりにくい障がいを支援する支援者・学者・親・親の会・ボランティアも言っていないメッセージを横塚は説いていた。それは私を含めた発達障がいのひとにも言える本質的議論です。
 身体・知的・発達・精神を問わずすべての障がいを背負う人(中途含無)にも言える本質的なテーマを横塚は訴えていた。没後30年になるが今でも充分通用する。
ぶじこれきにん
2008/07/03 20:32
▼ぶじこれきにんさん

きちんと読んでいてくださったんですね。

故横塚の活動については賛否両論がありますが、少なくとも今わたしが考えているテーマの源流になる問題提起をしているのは彼だと言って過言ではないでしょう。

また、現代の障害者運動でも欧米の事情に通じていて、欧米の理論から日本の障害者支援の問題点を語る論者はいますが、自分の頭で全て考え抜き、独自の理論を練り出したのは彼と相棒の横田大ぐらいでしょう。わたし自身は
特に故横塚の障害者に対するまなざしへの批判や理解を得るための努力に対する問題提起には驚かされました。

こうもり
2008/07/03 21:00
故横塚は支援者も当事者に学べ!!お互い学びあうべきだ。施設利用者は職員の顔色伺うな!!今でも通じるメッセージを放ち訴えていた。セックスの話、動かす事も仕事だという生産性第一主義に対するアンチテーゼは今でも通用する。今で言えば日本国から後期高齢者とレッテル貼られた認知症の人にも当てはまるスローガンだ。
 横塚は運動の傍ら定型の子と、障がいの子を混じったサークルを地域で作り地域市民として活動していた。
 横塚の生き様に感動した学者がこの名著を復刻・再刊させた。その営みに感謝します。
ぶじこれきにん
2008/07/07 11:58
横塚の恩師は人は、誰でも迷惑をかけるという。私は人間の存在が資本主義で浪費・生産に励んで、動物や、植物に迷惑をかけるから、地球が悲鳴を上げて温暖化になってしまった。
 人間というエゴイズムの動物が地球に迷惑をかけた。(その中に私を含めた障がいの人も入る)そのツケが地球の環境破壊につながる。
 私達を含めた障がいをある人が迷惑かけたのではない。
話は元に戻し、定型と、障がいの共生について述べます。(横塚のメッセージから私が感じたことについて)
ぶじこれきにん
2008/07/07 12:03
私は以前施設にいました。その頃感じたことと、横塚が施設について放つメッセージは同感です。施設利用者が職員の顔色を伺っている。施設職員がまじめになればなるほど、利用者の抑圧に手を貸している。それは自分自身の実感と重なり合い共感できます。
 私は横塚のようにラディカルに実践できないけど、同じ思いを抱いています。
 没後30年、彼と行動を共にした人々がその死を残念がる思いは共有します。こうもり氏も横塚の思いに共感するするから、私にこの本を薦めているのでしょう。読み応えのある本でした。その節はどうもありがとうございました。
ぶじこれきにん
2008/07/07 12:08
雇用にせよ、当事者で欧州モデルをベースに議論する人はいる。こうもり氏が言うように、自分の頭で考えて戦略を練り障がい者運動を展開したのは横塚と相棒の横田ぐらいでしょう。
 横田はテレビで受身の若い人に苦言を呈していて高齢になってもその辛口は健在でした。横塚の遺志を私を含めた当事者は受け継ぐべきでしょう。
 横塚死後バス等の交通機関はバリアフリーになった。施設は隔離を辞めて、地域に生活するようになった。横塚と青い芝の面々の当事者ゆえのメッセージは届いた。
ぶじこれきにん
2008/07/07 21:07
横塚と青い芝の面々が社会に訴えたメッセージは社会に届いて改善された。横塚の功績は大きい。
ぶじこれきにん
2008/07/07 21:09

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