こうもり@悪戦苦闘の末、やっとネットの引越しが完了したぜです。で、引っ越したのを期にブログの方針を修正しました。(最近、本文が進まずにこればかりやっておるな)おおまかな変更点はトップページの紹介文にある通りなので、ここでは補足だけをしておきませう。 (1)タイトルの変更とその意味 「流動する怪物のブログ」から「アブノーマライゼーションへの道」へ変更しました。今までは障害何でも雑学コーナーと化していたのですが、これを期に自分のテーマに専念することにします。 アブノーマライゼーションという言葉はなじみがないかもしれませんが、まずは「人間らしさの実現」という呪縛から脱出することを目指す試みだと考えていいでしょう。障害者支援の理念は多様ですが、いずれも「人間らしさの実現」という共通目標を持つと考えられます。(「人間としての承認」「人間としての権利の獲得」「人間らしい地域生活」「人間らしい社会参加」「人間らしい立ち振る舞い,言動」「人間らしい心身機能の向上」など)。 もちろん、この方向性で満足している当事者ならば、それで大丈夫です。ノーマライゼーションやインクルージョンの理念に基づく支援は、そんなあなたの「人間らしさ」の実現に喜んで協力してくれるでしょう。ところが、ある種の感性とを持った当事者はそこに疑いの目を向けることになります。 そもそも、「人間らしさ」とは一体何なのか?なぜ当事者がそれを目指さなければならないのか?どうして、人間の仲間入りすることが無条件によいと言えるのか?自らのあり方を人間に近づけているかどうかで評価されなければならないのか?仮に人間と認められたとしても、それは人間が「おけら」や「ミミズ」や「あめんぼ」を生きものと承認しているのと同じで、周辺化された人間として承認されているだけなのではないか?ノーマライゼーションに規格化という別の意味があるように、「人間らしさ」にも何らかの規格化の意図が隠されていないのか?それを実現するために当事者がよいイメージを垂れ流すこと、行儀よく振舞うことを求められてかえって窮屈になっていないか?あるいは、人間らしい立ち振る舞いや能力だけを要求されて終わってしまうのではないか?そのために用いられるメディア戦略はプロパガンダと何ら変わらない戦略に過ぎないのではないか?メディアで流される肯定的な障害像こそ認識の暴力の最たるものなのではないか? このような疑問を少しでも持ったことのある当事者ならば、既にアブノーマライゼーションへの道の入り口に立っていると言えます。ここでは「人間らしさ」の理念やそれを実現するための手段が持つ権力性・暴力性・欺瞞性を徹底的に考えていきます。そして、時に「人間らしさ」を目指すことの不毛さ,そこから離脱していくことの必要性を説いていくでしょう。 (2)今後のテーマから除外するもの 支援に対する提言は今後一切行いません。支援そのものが「人間らしさ」を目指しているからというのもありますが、仮に支援という営みを承認するにしても、もう既に語れることは語りつくしたという思いが強いからです。 @支援において最も重要な目標は「恐怖と欠乏からの自由」である。 A欠乏に苦しむ当事者に対しては、仕事を提供するか生活保護や障害者年金を支給するかのいずれかの手段によって、必要な財やサービスにアクセスできるようにする。(所得保障) B暴力や略奪の被害に遭いそうな当事者がいれば、いじめ,ハラスメント,DVを全面的に禁止する法律を制定し、違反者には処罰と更生プログラムの受講を義務づける。(安全保障) C労働基準法などの罰則を強化して、新たに働けなくなる当事者が増えるのを防ぐ。(労働災害の防止) D当事者固有の支援や配慮については障害者差別禁止法を制定して、実施を義務づける。 @〜Dが実現するまでは、新たな提言を出す必要もないし、同じ主張を繰り返しておけばいいというのがわたしの立場です。特にAが実現できれば、あとはそれぞれの当事者が必要なサービスを購入し活動をしていけばいけばいいのですから、個々の支援や配慮について語る必要がありません。以上の理由から新しい展開は生まれてこないので、支援に関する提言は休眠することになりました。これからは自分の問題に特化して、語ってまいりたいと思います。ではでは |
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タイトル (本文) | ブログ名/日時 |
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とうとうこうもりさんも…
こうもりさんがブログのタイトルを「流動する怪物のブログ」から「アブノーマライゼーションへの道」へ変更なさいました。 いよいよはっ... ...続きを見る |
自閉症の人とそうでない人との話 2008/04/23 21:57 |
想像界に潜む「人間らしさ」という暴力。あるいは『だいにっほん、ろりりべしんでけ録』への違和感。
この記事のコメント欄と、この記事。 いろいろ考えている。 ...続きを見る |
アブラブログ 2008/09/13 14:54 |
内 容 | ニックネーム/日時 |
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わっほーい! |
ドードーとら(=捨松) 2008/04/06 16:27 |
大佐の本、アマゾンで買いましたよ。 |
綾織 2008/04/06 19:07 |
確かに障がいという物を突き詰めると、定型と同じ生き形、思考、行動をする。こうもりのような存在にわれわれがなるという事だ。 |
ぶじこれきにん 2008/04/07 15:54 |
それに行儀良く振舞って、定型の望む障がい者市民のありようを演じたとしても、自分達と同じ仲間としてみるとは限らない。 |
ぶじこれきにん 2008/04/07 18:10 |
▼ドードーとらさん |
こうもり 2008/04/07 18:15 |
こうもりさん、私のHNはぶじこれきにんです。無事旗鼓れきにんではありません。パソコンの入力ミスだと思いますが・・・ |
ぶじこれきにん 2008/04/07 18:45 |
▼ぶじこれきにんさん |
こうもり 2008/04/07 19:19 |
ちと、むずいので、噛み砕いて私なりの解釈を。 |
綾織 2008/04/08 02:23 |
>『ワレワレ人間ハカク有ルベキダ』という基本概念を |
こうもり 2008/04/08 18:53 |
このブログの役割は、定型もどき=成長すると言う定型の支援者が押し付けた人間モデルをぶち壊して、その幻想に囚われたわれわれの常識を打ち破る。新たな脱人間観を構築する事かもしれない。 |
ぶじこれきにん 2008/04/08 20:40 |
このHNは、相方のHNに合わせて作ったものです。「ドードーとり」から一文字変えて。 |
ドードーとら 2008/04/09 05:13 |
▼ぶじこれきにんさん |
こうもり 2008/04/09 19:26 |
おもしろい方向にブログが変わりましたね。 |
あさみ 2008/04/10 11:44 |
そうですそうです。『鏡の国の〜』だったか『不思議の国の〜』だったかは忘れましたが…。ちなみに自分もまだ読んでません(苦笑)。 |
ドードーとら 2008/04/10 12:11 |
経済的支援体制は発達障がい支援年金とか、基本給を生活できる分固定給にして、能力に応じた出来高払いにする。定年まで会社が解雇せず終身雇用するなど、経済的支援をする仕組みが必要。企業に発達障がいのひとを雇用する枠を設けて、2〜3年は非正規雇用。3年経ったら正社員にする仕組みを厚生労働省が作る。従わない企業は罰金、実名公表のペナルティを課すなどの経済的支援を行政がする。 |
ぶじこれきにん 2008/04/10 15:21 |
このブログを見ている方々へ。発達障がいの人が現行のリストラで人員削減された中で1人〜3人の配置で働いて頑張り、グループホーム・生活寮で掃除・洗濯等に頑張るのは本人の負担を招き、生活の自立がしにくい状況を作る。生活の自立の観点からも発達障がいのひとが働く職場で人員配置を増員して、仕事の負担を減らす事は当人が長く仕事を続ける動機になり、生活と仕事の両立を負担なく出来るきっかけにもなる。 |
ぶじこれきにん 2008/04/10 15:28 |
>ぶじこれきにんさんへ |
綾織 2008/04/11 12:24 |
コメント遅れました〜。 |
こうもり 2008/04/12 08:46 |
大佐閣下、新天地からの更新ですね。 |
Rosamonde 2008/04/12 14:04 |
> ディズニーアニメの悪いところ |
ドードーとら 2008/04/12 16:46 |
▼Rosamondeさん |
こうもり 2008/04/12 23:36 |
あと、興味深いのはフランスの心理学や精神分析学。既に人間の認知自体がかく乱されており、人間は自己を欺く存在だというところから出発しています。人間の認知自体がいかに頼りなく、都合よくできているかを語ることによって、対抗してみるというのもありかもです。 |
こうもり 2008/04/12 23:40 |
ええ。説明のしかたはいろいろありますよ。 |
ドードーとら 2008/04/13 13:03 |
人間は自分を欺く存在としても、ドードーとらさんが言うように、その例外・盲点に位置するのがわれわれ自閉症者なのだ。 |
ぶじこれきにん 2008/04/14 12:15 |
陶芸・絵等のアートという表現を通してマジョリティの定型は自閉症を理解するのかも知れない。彼らの言葉に表れないメッセージは絵や、陶芸というアートを通して語られる。それはわれわれが持つ豊かさなのかもしれない。 |
ぶじこれきにん 2008/04/15 21:56 |
昨日、車酔いをしていたため、連絡遅れて失礼しました〜。 |
こうもり 2008/04/16 19:08 |
>ぶじこれきにんさん |
ドードーとら 2008/04/19 07:26 |
▼ドードーとらさん |
こうもり 2008/04/19 14:09 |
そういうことでしょうね。 |
ドードーとら 2008/04/19 15:44 |
障がい者アートが、われわれらしさだというのを否定する人もいる。色んな考え方があるから・・・・。 |
ぶじこれきにん 2008/04/21 19:38 |
>ぶじこれきにんさん |
ドードーとら 2008/04/22 01:51 |
(続き) |
ドードーとら 2008/04/22 01:53 |
何の前置きもないと戸惑う人もいるので、ドードーとらさんのレスを見て一言。われわれらしさでくくるな。人にはいろんな人がいる。障がい者アート |
ぶじこれきにん 2008/04/22 07:25 |
▼ぶじこれきにんさん |
こうもり 2008/04/23 00:57 |
という訳でちょっとだけ補足説明をしておきます。自閉者を「虚構のほころびのような存在」と捉えた場合、自閉者が取る道には以下のようなものが考えられます。 |
こうもり 2008/04/23 00:58 |
で、このブログが始まって以来、わたしがA〜Cのいずれのスタンスを取るのか迷いながら、コメントを書きなぐっていました(@はわたしが完全に敵対していた発想です)。 |
こうもり 2008/04/23 01:07 |
そこで最後に登場してきたのが、「ほころびのような存在」であるということに徹するCの立場。この立場に立つ者は「多数派文化」「障害者文化」を含めてあらゆる集団同質的な文化に違和感を抱き、身を委ねることができず、その問題点を指摘せずにはいられない道を歩んでいきます。これが、現在のわたしが辿りついた方向性ということになるでしょう。 |
こうもり 2008/04/23 01:14 |
丁寧な説明ありがとうございます。論点整理して流れが見えました。 |
ぶじこれきにん 2008/04/23 06:20 |
たとえ成長してゆく路線に乗るにせよ、そういう覚めた目線で対応していくのがいいかな。 |
ぶじこれきにん 2008/04/23 06:26 |
>こうもりさん |
ドードーとら 2008/04/23 10:20 |
反骨というと社会やマジョリティと一線を画して突っ張るみたいに思うから、アブノーマライゼーションというカタカナ語を使いふくよかな表現で自分達の主張をしなやかに、したたかに主張する。それをこうもり氏は言いたかったのか。反骨という一線を画していく主張はしたくない。 |
ぶじこれきにん 2008/04/23 13:44 |
うーん…。こうもりさんが整理してくれたものに照らすと「多様性ある文化パラダイムへの転換」を目指すのは、AやBの範疇なんですよね。 |
ドードーとら 2008/04/23 15:52 |
しかし定型文化は否定、一刀両断で圧殺する。違う宗教や、民族を否定する。圧殺する。中国人がチベット人の文化を弾圧して抹殺して、北京五輪を機会に主張するように、違う見方もある。多様性を認める。そのただの自覚から一歩進めてアブノーマライゼーションというこうもりさんが打ち出したコンセプトに自分の意見、見方を論じて活性化して基本的に当事者にとってよりよいアブノーマライゼーションを論議する。今のままだとアブノーマライゼーションはこれだという見方を当事者に押し付けるものになりかねない。それぞれのアブノーマライゼーション観をぶつけて、事実認識でも言い。反骨でもいい。色んな見方で論じていく事が大事。 |
ぶじこれきにん 2008/04/23 16:22 |
もう一つ。この見方だけが正しいとなれば、それは反骨でも反逆でもない。居直りでもない。主張でもない。定型の支援員にありがちな自分の価値観の押し付けになりがち。 |
ぶじこれきにん 2008/04/23 16:32 |
前にも言ったように成長する事への疑問、成長して何が得られるのかの問いは定型が作った虚構のある社会に身を置く私も絶えず疑問に思う。 |
ぶじこれきにん 2008/04/23 16:42 |
それが今から反骨ではない、自覚と事実認識だけだと当事者同志バッシングしている。これではいけない。お互い共通の接点、妥協を見いだして、見方の違いを認めて論じ合う。連帯する事を考えなくては発達障がいの泣き所人の気持ちになれないは乗り越えられないだろう。 |
ぶじこれきにん 2008/04/23 16:48 |
>ぶじこれきにんさん |
ドードーとら 2008/04/23 18:30 |
こうもりさんや俺が書いたものに対する、あなたの読み違え方のパターン。あなたのものの言い方のパターン。 |
ドードーとら 2008/04/23 18:30 |
「お互い共通の接点、妥協を見いだして、見方の違いを認めて論じ合う」べし、みたいなきれいごとを言う。 |
ドードーとら 2008/04/23 18:30 |
多分はじめまして、こんにちは。一介のAS当事者です。 |
三咲 2008/04/24 13:01 |
▼三咲さん |
こうもり 2008/04/25 18:42 |
お互いが当事者だというだけで、相手を信頼できる気持ちになる。悩みを打ち明ける気持ちになれる。分かり合えるつもりになる。これもまたある種の |
こうもり 2008/04/25 18:42 |
こんばんは. |
シャア・アブノーマル 2008/04/25 21:23 |
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