混沌寓話から混沌(ここでは障害者を暗示)には人間と同じ容姿,形態,機能,立ち振る舞い,生の様式,生活条件を目指す以外に混沌のまま生きていく道,人間らしさとは違う方向に向かっていく可能性があるということが明らかになった。このうち、前者については必ずしも人間らしさの諸原理を追求する支援の理論で解決不可能な訳ではない。差異の権利,そのままである権利はノーマライゼーションのような支援の理論や障害者運動でも強調はされている。しかし、後者の道についてはあまり考えられることがなかった。アブノーマライゼーションが考えなければならないのは、まさに後者の道だ。 とりかかりとして、1996年のフランス・ベルギー映画『8日目』と旧約聖書創世記第1章を取り上げてみよう。『8日目』は仕事に熱中して家族を省みなかったために妻子から別居を求められた中年男性と母と会うために施設を脱走したダウン症の少年ジョルジュの交流を描いた物語である。中年男性はジョルジュとの交流を通じて、家族との愛, 絆を取り戻していく。。。と紹介してしまうと、何かよくありがちな障害者,バリアフリー映画じゃないかという突っ込みを受けてしまいそうである。もちろん、それで感動できる読者はそれでいいのだが、少なくとも感動した時点でアブノーマライゼーションとは相容れない世界観を持っていることは間違いないだろう。 http://www.oeff.jp/article682.html 重要なのは映画の内容そのものではなくジョルジュが不慮の事故でなくなった後、家族の絆を取り戻した中年男性がジョルジュとの8日間の交流を回想するナレーションの部分だ。前半ま旧約聖書『創世記』1章1節 - 2章4節前半の要約である。 「初めに、神は天と地を創造した。地は混沌とし、水面は闇に覆われ、聖霊がうごめいていた。神は光を生み出し、昼と夜とを分けた。これが世界の始まりの1日目である。2日目に神は、水を上と下とに分け、天を造った。3日目には大地と海とを分け、植物を創った。4日目には日と月と星が創られた。5日目には水に住む生き物と鳥が創られ、6日目には家畜を含む地の獣・這うものが創られ、海の魚、空の鳥、地の全ての獣・這うものを治めさせるために人間の男と女が創られた」 旧約聖書には2つの矛盾する天地創造神話が載せられているが、有名なのはこの6日創造神話だろう。現在の1週間7日制は少なくとも新旧聖書を読む限り、神が6日間で世界を創りだし、7日目に休息を取った神話にちなんでいる。 1日目 天地と昼夜の分離(空間と時間の創造) 2日目 天の創造 3日目 植物の創造(3日目の生命) 4日目 日と月と星の創造 5日目 水に住む生き物と鳥(5日目の生命) 6日目 地の全ての獣・這う者の創造,支配者としての人間の男女の創造(6日目の生命) もちろん、現在の科学において地球の生命がこんな風に創造されたとは考えないだろう。ただし、科学と相矛盾する思考であると考えるのは誤りである。20世紀を代表するフランスの哲学者ベルクソンや人類学者レヴィ・ストロースを基に考えれば、人間には嘘であっても人間がどこから来てどこに向かっていくのか,何が起こるのか,人間がこの社会でどのように行動していけばいいのかの見通し,秩序感,解釈体系を必要とする。ある時期の人間が神話,占いやまじない,トーテミズム(陰陽五行説,干支などもこれに含まれる)などによる人間の起源の説明,未来予測,世界の解釈をしていたとしてもそれを笑うことはできない。それは現在環境問題や地震,火山噴火に不安を感じ科学的シュミレーションによって未来を予測しようとする営みと何ら変わることがない。ただ、科学予測の方が神話,占い,トーテミズムよりは正確に事実把握ができるというだけである。 さらに言えば、文字や数字は元々、神の真理を明らかにするために創り出された記号であるし、法律や政治は本来宗教と一体のものであり、政教分離が唱え始められたのは近代になってからである。民主主義思想ですら、ロックは神による証明によって正当化をしようとした。ニュートンによってはじめられた近代科学も最初の動機は神が創った世界の秩序を明らかにすることだった。 話を元に戻そう。映画では6日目の生命まで創世記に忠実な説明がなされた後、以下のような独自の神話が付け加える。 「7日目に休息された後、8日目に神は別の生命を創り出した。ジョルジュたちだ。神はこの創造物に満足なさった。」 ここで、原作者や映画の製作者たちは自分たちが事の重大さに気がつかないような発想の転換に踏み出している。障害者を6日目の生命(人間)ではなく、8日目の生命と位置づけたのだ。これはあくまで障害者もまた人間であり6日目の生命に包摂されると考える障害者支援や障害者運動の基本的理論とも真っ向から対立する。人間の世界に生まれた障害者,畸形こそが新しい生命(8日目の生命)への道を切り開くという発想だ。残念ながら、障害世界の発想では6日目の生命に後戻りすることを目指す議論が中心となってしまっている。 6日目の生命に回帰することを目指すのか?8日目の生命に向かって生きていくことを目指していくのか?本来はここから議論を出発させなければならないのだろう。アブノーマライゼーションが目指すのはあくまで8日目の生命への道ということになる。次回はこの発想を進化論の観点から追い求めていこうと思う。 (次回、「進化論と有望な怪物」) |
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ぶじこれきにん 2009/02/09 16:26 |
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