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アブノーマライゼーションへの道(by こうもり)
ブログ紹介
2008年4月6日より、弊ブログはテーマを絞り込みリニューアル(脱線あるいは転落とも言う)していくことになりました。今までは障害何でも雑学コーナーと化していましたが、これからは自分のテーマに専念していくことにします。また、これまでは時々扱っていた支援に対する提言も今後は一切行いません。今後扱うことになりそうなテーマおよびキーワードは以下の通り

・舞台装置論(劇場支配制)および認識の暴力
・学術的管理および知の体系批判
・生命論および創造的進化論

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タイトル 日 時
アブノーマライゼーション序章(6) 支援理念の道徳化
ノーマライゼーション,インクルージョン,ユニヴァーサル社会,人間の安全保障など「人間らしさの実現」を目指す理念を批判的に検討する場合2つの切り口がある。1つはこれらの理念の内容を吟味することであり、もう1つはなぜこれらの理念が至高の価値として崇め奉られているのかを吟味することである。まずは後者の検討から入ってみよう。 ...続きを見る

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2009/03/07 12:24
アブノーマライゼーション序章(5) 人権および人間としての承認批判
前回予告した通り、アブノーマライゼーションが「人間らしさの実現」を目指す諸価値や理念とどの点において意見が対立するのかを明らかにしておこう。 ...続きを見る

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2009/02/28 23:10
アブノーマライゼーション序章(4) 有望な怪物
有望な怪物論については金子書房から出版したスローランナー本でも、このブログでも何度か取り上げた。しかし、どういう位置づけの理論なのかはあまり話してはこなかったので、もう少し詳しく紹介をしていきたい。そのためにはまずチャールズ・ダーウィンの淘汰説に遡らなければならない。 ...続きを見る

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2009/02/21 12:15
アブノーマライゼーション序章(3) 8日目の生命
混沌寓話から混沌(ここでは障害者を暗示)には人間と同じ容姿,形態,機能,立ち振る舞い,生の様式,生活条件を目指す以外に混沌のまま生きていく道,人間らしさとは違う方向に向かっていく可能性があるということが明らかになった。このうち、前者については必ずしも人間らしさの諸原理を追求する支援の理論で解決不可能な訳ではない。差異の権利,そのままである権利はノーマライゼーションのような支援の理論や障害者運動でも強調はされている。しかし、後者の道についてはあまり考えられることがなかった。アブノーマライゼーション... ...続きを見る

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2009/02/07 09:14
アブノーマライゼーション序章(2) 人間と混沌
考えてみれば、わたしが生まれて始めて読んだ哲学書,思想書というのは『荘子』である。その『荘子』の中でも極めて異彩を話すのが混沌寓話である。知らない人も多いと思うので、まずはその部分を引用しておこう。(ちなみにこの文章、『アスペルガー当事者が語る特別支援教育』第3章でも扱う予定だったですが、紙面の都合によりカットしておりました。) ...続きを見る

面白い ブログ気持玉 4 / トラックバック 0 / コメント 31

2009/01/12 19:24
アブノーマライゼーション序章(1) 
(寒中お見舞い申し上げます。前回述べた通り、アブノーマライゼーションの序論的な内容から再開してみようと思います。) ...続きを見る

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2009/01/01 16:34
今年もお世話様でした
各位 ...続きを見る

ガッツ(がんばれ!) ブログ気持玉 7 / トラックバック 0 / コメント 3

2008/12/31 10:14
講演情報
こうもりです。来週からいよいよ魔の4本講演。出没警報でも出しておきます。 興味のある方は是非とも、冷やかしに来てくださいませ。 ...続きを見る

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2008/11/23 15:00
新刊紹介
新刊紹介 最近、更新をさぼりすぎてしまいました。こうもりです。今回は新刊の紹介です。 この度、ぶどう社より以下の書籍が出版されることになりました。 ...続きを見る

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2008/11/21 21:07
アブノーマライゼーションとは別の活動での提言について
次にこれはアブノーマライゼーションとは全く関係のないテーマだということをはっきりお断りした上で、掲載します。 以下の文章は最近、わたしが支援や政策について意見を求められた場合に提示する基礎理論です。 ...続きを見る

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2008/10/04 13:28
アブノーマライゼーション宣言
そういえば、このブログ「アブノーマライゼーション」をテーマにすると言っておきながら、アブノーマライゼーション宣言を1度も公開したことがなかったのでした。そこで、現時点でのアブノーマライゼーション宣言を1度アップしておきたいと思います。むろん、宣言の内容はわたしの世界観の変化とともに変わることをご了承くださいませ。 ...続きを見る

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2008/10/04 12:59
【お知らせ】こうもり出没情報(9月版)
ちょっと、更新が遅れているので、閑話休題で9月ごろの出没情報でもアップしておきやす。何か知らんが、9月はあっちこっちを飛び回ってまいりやす。 ...続きを見る

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2008/08/13 00:12
ルソーの教育論18 教育論の特色
フランス革命期の公教育論の検討を通じて、この時期の啓蒙思想の野望が明らかになった。キリスト教に代わる国民の道徳原理ないしは行動原理となることである。その結果として啓蒙思想はルソーの『エミール』に見られるように教育に対して積極的な提案を行っていく。啓蒙思想自らが理想とする原理を教えることがその目的だが、この目的を実現することによって、啓蒙思想は自らだけは疑われることのない絶対的な権利として君臨することが可能に なる。 ...続きを見る

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2008/07/21 12:08
【おまけ】前回のコメントへの質問に対する回答
今回は少し話題から逸れて、前回質問があった内容に対する詳細な回答を行いたいと思います。 ...続きを見る

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2008/06/22 01:54
ルソーの教育論17 暦と言語と2 
フランス革命政府がひとたび権力を握ると、それまでキリスト教などが担っていた教育に関する権限を一気に政府が掌握しようとした。キリスト教に代わる新しい時代の規範(社会,精神諸科学。今で言う公民分野)を国民教育で教えようとしたのもその一貫であるし、前回話題になった共和暦の採用もその一環であろう。現在のように政府がラジオ,テレビ,インターネットなどを通じてプロパガンダ(宣伝戦略)を展開することができる時代ならばそんなことをする必要はなかったかもしれない。しかし、それがなかった時代には「神の祝日」に代わっ... ...続きを見る

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2008/05/24 01:45
ルソーの教育論16 暦と言語と1
国民教育論が公教育論から細胞分裂するように派生して誕生してきたことが明らかになった。両者とも全ての人に教育の権利を与えるとともに、教育の管轄下に置こうとしている点では共通している。両者の異なる点は ...続きを見る

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2008/05/19 01:55
ルソーの教育論15 公教育への道4 そして国民教育の誕生へ
公教育の理念と方向性はフランス革命期、コンドルセによっていちおうの完成を見た。その後の民主主義を標榜する社会では障害児に対する教育についてのものを含めて様々な理念が提示されてきたが、基本的にはコンドルセ案に沿った理念と言っても過言ではないだろう。それは、公教育が民主主義を標榜する社会の教育と一見矛盾しないものに変貌していく過程でもあった。その過程で公教育こそ新しい社会にはそぐわないとするルソーの観点は忘れられていくことになる。 ...続きを見る

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2008/05/04 14:07
ルソーの教育論M 公教育への道B
(このブログを読んでいる数少ない読者の皆様へ。本日は内容が長くなってしまったため、内容を2つに分けて投稿しています。このコメントはそのうちの後半部分にあたります。SNSからブログにジャンプして読んでいる場合、同じ日にニ連続投稿すると、後半部分しかSNSには記録されない可能性があります。前半部分から読まないと内容がつながってこないので、必ず前半部分からお読みになるようにお願いいたします。) ...続きを見る

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2008/04/26 13:10
ルソーの教育論L 公教育への道A
1791年のコンドルセ案以降、それまでどちらかと言えば国家主義的な教育とみなされていた公教育は民主主義的な意味づけと装いをして再び教育論の世界に復活した。しかし、それが公権力によって実現するものである以上、教育に政治的介入をもたらすことは避けられないように思える。そこで、コンドルセは政治,宗教からの教育の独立を主張したのだが、具体的にはどのように実現しようとしたのだろうか?ここから話を再開しよう。 ...続きを見る

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2008/04/26 10:59
ルソーの教育論K  公教育への道@
「公教育はもはや存在しないし、存在しえないだろう。なぜなら祖国のないところでは市民は存在しえないからである。」 ...続きを見る

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2008/04/21 23:00

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