ジプレキサを飲んで寝逃げしようと思い、でも最後に彼にメールをと思って送信したら「なにもないよ。ゴロゴロしてただけ」
こんなこったろーとは思ってたけど。
安心したから眠れるだろうと思ってたのに、ベッドに入るなり、フラッシュバックの嵐。
ベッドに入ったら絶対に起きない、というのが自分の中の鉄則だったけど、お腹や胃は痛いし、気持ち悪いし、やっぱりどこかに捌け口がないとと思って、起き上がった。
もう今日は眠れなくてもいいや。
相談することは大切とKさんは言っていたけど、相談しても返答がないと、不安は倍増する。
どんな厳しい意見でも返して欲しい。
というわりには、怒られるのはダメなんだけど。
S先生から手紙が来てから、とても不安定。
受け入れようとは思っている。
自分が悪いんだから。
でも「実際にゆこたんが騒いだりしたからです」とかいう文章は、受け入れよう、先生の言うことは必ず守らなくちゃ、と思うたびにフラッシュバックとなり、なんであなたは迷惑ばかりかけるの!!という言葉が響いてくる。
さっきは、高校生だけど、ベッドに入ったら、小学生に遡った。
小学生の私は、飛びぬけて勉強の出来る子だった。
塾も2つ掛け持ちして、毎週日曜日は試験があり、木曜日に順位の書かれた成績表が速達で送られてくる。
試験をしている間は、親は勉強会である。
親が勉強してきた内容を1週間かけて、教えるのだ。
子どもなのに12時過ぎまで。
私は2科選択だったので、国語と算数を徹底的に学んだ。
負けず嫌いの両親に育てられ、2位では褒めてもらえない。
なにがなんでも1位じゃなきゃいけないんだ。
成績表も全部Aでないと許してもらえない。
特進コースで一番上のクラスに入り、テストで満点を取らないと「暗闇説教」というのがあった。
電気を消されて、一人ずつ呼び出されて、間違えた数だけ木刀でお尻を殴られる。
トイレでお尻を確認すると、青あざが出来ていた。
面白いのが、6年生の修学旅行で、日光へ行ったとき、お土産で真っ先に選んだのが「木刀」
しかも班長だった私は、班長会で、先生の話をどう取り違えたのか、その時来ていた台風10号で「私たちはこれから食べ物もなくなる。おやつだけが頼りになる。おやつは大事に食べないと死んでしまうかもしれない」とマジメに班の人に伝えて、泣き出す人もいた。
(そんなのありえない)
帰りはいつも終電。
酔っ払いのおじさんだらけだ。
塾の他に、英会話、スイミング、珠算、習字、あとなんだろう・・・とにかく沢山通い、遊んでる場合ではなかった。
どれも教室のトップで、珠算は1級だし、習字は7段だし、代表で大会にも出た。
横田基地に4年生にして1泊した。
暗算は5桁をやっていた。
学校で、習字で金賞を取っても、クラスで一人私立に受かっても、全然褒めてくれる担任ではなかった。
勉強はどうでもいい、生活体験だ、と言って、クラスでうさぎやアヒルを飼っていた先生だったから。
紀宮さまがいる学校を第一志望とし、学力判定でもAと出ていて、合格間違いなしだったけど、落とし穴があった。
「面接」
まず「お父さんの趣味はなんですか?」と聞かれた。
頭が真っ白になった。
パパのことなんて何も知らない。
なんて答えたかは分からない。
でも一番の決定打は、親の学歴だった。
紀宮様の学年に近いこともあり、親の学歴はかなり重視されたようだ。
実際にテスト問題は、ほぼ百点だった。
落ちた時、親の前では絶対に泣かない私が、電車の中で泣いた。
第二志望の学校に行くことになった。
中学では、規則を厳密に守った。
毎年生活委員をやり、抜き打ちで服装検査を買って出た。
膝上30cmのスカート丈も守ったし、前髪は眉より上もきちんと守った。
成績も優秀だった。
そんなだから、先輩に良い意味でも悪い意味でも目を付けられた。
リンチされたこともある。
高校に入り、1年生になりたての頃、訓練合宿というのがあった。
歩き方、前へならえの瞬間、みんなに瞬時も動かず合わせる事、団体での生活。
訓練合宿が終わって、登校しようとしたら、急に吐き気に襲われた。
頑張って途中の駅まで行っては「もう無理・・・」と言って、迎えに来てもらった。
そんなことを繰り返してたら、パパが車に無理矢理私を乗せ、学校に連れて行こうとして、ショックの余り気絶した。
そこでこれは大変だと、大きな病院の内科や神経内科、耳鼻科、小児神経科、ドクターショッピング。
でも不登校は続き、小児精神科に初めて入院した。
そこには同じような症状を持った子どもが沢山いた。
仲間が出来た。
でも暴れると、ベッド柵に紐でしばられた。
主治医は当時28歳。
今思えば、恐ろしく若い。
高校生なので、付属の養護学校の通級学級がなく、地元の学校に通うしかなかった。
入院しても登校を拒んだ。
ママが迎えに来て、登校することになった。
ママは4時に家を出ていたそうだ。
でも休日は学校がない日。
遊べる日。
保育士さんや看護師さんと、料理をしたり、体育と言って、体育館で体操の先生と遊んだり。
でもその病院は、女子病棟だったので、摂食障害が半数で、食べ吐きが普通で、リストカットも普通で、みんな「またやっちゃった」と自然に言っていた。
だから私もその手段を覚えた。
他の男子病棟に遊びに行っては、お話したり。
今思えば、思春期だねぇ。
過食が原因で、自殺した人もいる。
その子とは仲が良くて、沢山文通をして、タンスの引き出しにしまってある。
読んだら思い出して泣いてしまう。
その病院で、友達を亡くしたのは3人。
10代にして、友達を3人亡くすショックは大きい。
でもその病院の運動会とか行事があっても「ゆこたんは学校でしょ」と入れてくれなかったのが悲しかった。
当時は「精神分裂病」と言われていた。
15歳から毎日欠かさず、薬を飲む生活をしている。
薬を飲まないと、チックが起きる。
手が思うように動かなくて、頑張って力を入れると、ビクッと頭の中まで振動が起きる。
痙攣のゆっくりなやつみたいなの。
今は飲まないでいると鬱になる。
結局出した回答。
月経前症候群だ。
生理前の不安定で、いつもは気にならないことが、どうしてここまでもってくらい、悪い方へ考えてしまう。
一端収まっても、違う形で現れる。
体もほてっている。
彼が休みの日なんだからゆっくり休ませてくれよ・・・と言いたい気持ちも分かる。
でも私は今日1日耐えた。
でも音信普通に耐えられなくて、2通だけ送った。
でも反応がなかった。
何かあったのか??
嫌われたのか?
考えは巡りに巡って、過去の自分にまで遡り、S先生の手紙に過敏に反応してしまった。
疲れる。
こんなんで10日、障害者スポーツセンターに行けるのか?(ケアKの人と)
彼は私のことを「天然(ボケ)」というが、彼も負けずに天然だと思う。
こんなこったろーとは思ってたけど。
安心したから眠れるだろうと思ってたのに、ベッドに入るなり、フラッシュバックの嵐。
ベッドに入ったら絶対に起きない、というのが自分の中の鉄則だったけど、お腹や胃は痛いし、気持ち悪いし、やっぱりどこかに捌け口がないとと思って、起き上がった。
もう今日は眠れなくてもいいや。
相談することは大切とKさんは言っていたけど、相談しても返答がないと、不安は倍増する。
どんな厳しい意見でも返して欲しい。
というわりには、怒られるのはダメなんだけど。
S先生から手紙が来てから、とても不安定。
受け入れようとは思っている。
自分が悪いんだから。
でも「実際にゆこたんが騒いだりしたからです」とかいう文章は、受け入れよう、先生の言うことは必ず守らなくちゃ、と思うたびにフラッシュバックとなり、なんであなたは迷惑ばかりかけるの!!という言葉が響いてくる。
さっきは、高校生だけど、ベッドに入ったら、小学生に遡った。
小学生の私は、飛びぬけて勉強の出来る子だった。
塾も2つ掛け持ちして、毎週日曜日は試験があり、木曜日に順位の書かれた成績表が速達で送られてくる。
試験をしている間は、親は勉強会である。
親が勉強してきた内容を1週間かけて、教えるのだ。
子どもなのに12時過ぎまで。
私は2科選択だったので、国語と算数を徹底的に学んだ。
負けず嫌いの両親に育てられ、2位では褒めてもらえない。
なにがなんでも1位じゃなきゃいけないんだ。
成績表も全部Aでないと許してもらえない。
特進コースで一番上のクラスに入り、テストで満点を取らないと「暗闇説教」というのがあった。
電気を消されて、一人ずつ呼び出されて、間違えた数だけ木刀でお尻を殴られる。
トイレでお尻を確認すると、青あざが出来ていた。
面白いのが、6年生の修学旅行で、日光へ行ったとき、お土産で真っ先に選んだのが「木刀」
しかも班長だった私は、班長会で、先生の話をどう取り違えたのか、その時来ていた台風10号で「私たちはこれから食べ物もなくなる。おやつだけが頼りになる。おやつは大事に食べないと死んでしまうかもしれない」とマジメに班の人に伝えて、泣き出す人もいた。
(そんなのありえない)
帰りはいつも終電。
酔っ払いのおじさんだらけだ。
塾の他に、英会話、スイミング、珠算、習字、あとなんだろう・・・とにかく沢山通い、遊んでる場合ではなかった。
どれも教室のトップで、珠算は1級だし、習字は7段だし、代表で大会にも出た。
横田基地に4年生にして1泊した。
暗算は5桁をやっていた。
学校で、習字で金賞を取っても、クラスで一人私立に受かっても、全然褒めてくれる担任ではなかった。
勉強はどうでもいい、生活体験だ、と言って、クラスでうさぎやアヒルを飼っていた先生だったから。
紀宮さまがいる学校を第一志望とし、学力判定でもAと出ていて、合格間違いなしだったけど、落とし穴があった。
「面接」
まず「お父さんの趣味はなんですか?」と聞かれた。
頭が真っ白になった。
パパのことなんて何も知らない。
なんて答えたかは分からない。
でも一番の決定打は、親の学歴だった。
紀宮様の学年に近いこともあり、親の学歴はかなり重視されたようだ。
実際にテスト問題は、ほぼ百点だった。
落ちた時、親の前では絶対に泣かない私が、電車の中で泣いた。
第二志望の学校に行くことになった。
中学では、規則を厳密に守った。
毎年生活委員をやり、抜き打ちで服装検査を買って出た。
膝上30cmのスカート丈も守ったし、前髪は眉より上もきちんと守った。
成績も優秀だった。
そんなだから、先輩に良い意味でも悪い意味でも目を付けられた。
リンチされたこともある。
高校に入り、1年生になりたての頃、訓練合宿というのがあった。
歩き方、前へならえの瞬間、みんなに瞬時も動かず合わせる事、団体での生活。
訓練合宿が終わって、登校しようとしたら、急に吐き気に襲われた。
頑張って途中の駅まで行っては「もう無理・・・」と言って、迎えに来てもらった。
そんなことを繰り返してたら、パパが車に無理矢理私を乗せ、学校に連れて行こうとして、ショックの余り気絶した。
そこでこれは大変だと、大きな病院の内科や神経内科、耳鼻科、小児神経科、ドクターショッピング。
でも不登校は続き、小児精神科に初めて入院した。
そこには同じような症状を持った子どもが沢山いた。
仲間が出来た。
でも暴れると、ベッド柵に紐でしばられた。
主治医は当時28歳。
今思えば、恐ろしく若い。
高校生なので、付属の養護学校の通級学級がなく、地元の学校に通うしかなかった。
入院しても登校を拒んだ。
ママが迎えに来て、登校することになった。
ママは4時に家を出ていたそうだ。
でも休日は学校がない日。
遊べる日。
保育士さんや看護師さんと、料理をしたり、体育と言って、体育館で体操の先生と遊んだり。
でもその病院は、女子病棟だったので、摂食障害が半数で、食べ吐きが普通で、リストカットも普通で、みんな「またやっちゃった」と自然に言っていた。
だから私もその手段を覚えた。
他の男子病棟に遊びに行っては、お話したり。
今思えば、思春期だねぇ。
過食が原因で、自殺した人もいる。
その子とは仲が良くて、沢山文通をして、タンスの引き出しにしまってある。
読んだら思い出して泣いてしまう。
その病院で、友達を亡くしたのは3人。
10代にして、友達を3人亡くすショックは大きい。
でもその病院の運動会とか行事があっても「ゆこたんは学校でしょ」と入れてくれなかったのが悲しかった。
当時は「精神分裂病」と言われていた。
15歳から毎日欠かさず、薬を飲む生活をしている。
薬を飲まないと、チックが起きる。
手が思うように動かなくて、頑張って力を入れると、ビクッと頭の中まで振動が起きる。
痙攣のゆっくりなやつみたいなの。
今は飲まないでいると鬱になる。
結局出した回答。
月経前症候群だ。
生理前の不安定で、いつもは気にならないことが、どうしてここまでもってくらい、悪い方へ考えてしまう。
一端収まっても、違う形で現れる。
体もほてっている。
彼が休みの日なんだからゆっくり休ませてくれよ・・・と言いたい気持ちも分かる。
でも私は今日1日耐えた。
でも音信普通に耐えられなくて、2通だけ送った。
でも反応がなかった。
何かあったのか??
嫌われたのか?
考えは巡りに巡って、過去の自分にまで遡り、S先生の手紙に過敏に反応してしまった。
疲れる。
こんなんで10日、障害者スポーツセンターに行けるのか?(ケアKの人と)
彼は私のことを「天然(ボケ)」というが、彼も負けずに天然だと思う。
今となれば意味が分かるのが、くやしいね。
もっと早く、ゆこたんの深いところ(障害)に気づいてもらえるきっかけがあったら、囚人にだってなる必要はなかったはずなのに。。。
ゆこたんのいままでの人生の苦労は、これからの幸せに充分以上に値するよ。
ただ、ゆこたんは、S先生やK先生の誠意に甘えてばかりではいけないよね。K先生に「最終警告」された時、ゆこたんは自分でも気づいたよね。自分は病院に「癒し」に行ってたんだ。これじゃいけないって。ゆこたんがそれに気づいたことは、本当にすごいことなんだよ。
一番だいじなのは、そうやってせっかく気づいたことを、これからの行動にどうやって活かしていくかっていうことだと思う。ゆこたんは、公共のものに本来の目的以外の目的でさわってはいけないということを学んだんだよね。それから、仕事以外の目的でベッドより高いところに上ってはいけないということも。そういうことを肝に銘じて、真剣に治療に取り組むつもりで通院すれば、きっとまたいい方向に進めると思うよ。
S先生もK先生も、心からゆこたんのことを応援してるはず。それは、ゆこたんんが書いてくれる内容からはっきり分かります。でも、ものごとには何でも限度っていうものがあるからね。もし、ゆこたんが、今までに学んだことを活かせなくて、同じ過ちを繰り返してしまうようだと、いくらS先生やK先生がゆこたんを助けたいと思っても、病院としてゆこたんを受け入れられなくなってしまうかもしれない。そんなことにはならないように、気をつけようね。ゆこたんなら、きっとできるよ。私も応援してるからね。
でも今振り返れば、自閉傾向丸出しだったなって思います。
規則は守らなければいけないんだ、とか。
今は反逆児?
そういう意見、考え方、冷静になれば分かるけど、私の一番苦手な夜になると、ネガティブになってしまうんです。
S先生も本当だったら、見放していいと思う。
それでも診てくれてるんだから、ありがたいです。
今までだったら、追い出されてました。
今までの経験から学んで、やっぱり自分が変わろうとしなければいけないと思いました。
だから本当に、本が出来てしまうくらいの人生です。
自閉症って分かるまで、なんでこんなに時間がかかるんでしょうね。
育てられる環境の中で、親御さんは成績に価値を置く一方で、担任は生活体験を評価する。でもね、どちらも評価に値するのよ。でも不幸にも、どちらもゆこたんのよさに注目しきれなかったのね。私は、小学生だったときのゆこたんをたくさん褒めたいです。
精神科はね、まだまだその人を尊重する余地がある領域ですね。この世に生を受けた以上、どんな人でも認められ、大切にされる権利があるのだから。
でも小さいころ普通に勉強もできたし学習障害もなくいろんなことをこなしてたことを聞くと、自閉症って感じがしないですね。
自閉症って生まれつきの障害ですよね?
大人になってからなるものではないですよね?ちょっとそこだけ気になっちゃいました。
まぁ自閉症にしても、自閉症じゃないにしても、これだけ大変な思いをしてきたあなたが、幸せになれればいいなあと思います。
私は両者の圧迫に耐え切れなくなって、高校生で撃沈しました。
それまでは、頑張ることで評価されようとしてたんですね。
それが糸が切れたようにプチンと。
精神科のすごさは、すごいです。
今の所は、恵まれています。
私からすれば。
赤ちゃん扱いされたり、ちょっと叫べば注射されたり、今思うとすごいことされてたなぁって思います。
今まで知的に高い人は、自閉症と判断されることは余りなく、精神障害者と見られてました。
私は大人になってから、自閉症になったのではありません。
小さい頃、勉強は出来たかもしれないけど、じっとしていられなかったり、黒板の文字を写せなかったり、友達と遊べなかったり、自閉症的要素は沢山ありました。
学習障害というか分かりませんが、暗記力はすごいので、中学生までの丸暗記で通用する学習はクリアー出来ていたのです。
勿論、小さい頃の話を、母親から聞いた上での、高機能自閉症の診断結果です。
小さい頃からもう兆候というか、疾患は現れていたんですが、その頃の時代背景で気付かなかったのです。
今でも「知的に高いんだから、自閉症じゃない」と言う人はいます。
ちゃんとした情報が、世間に知れてないんでしょうね。
名無しさんのコメントで、現実を知り、悲しくなりました。
でも幸せになりたいです。
義母はのんびりしている性格なので、大人しくて手のかからない子だから、都合がいい、くらいに思っていたそうです。中耳炎で耳が相当痛んでいたはずの時も、「痛い」とは言わず、ただただ耳を拳骨でごしごしやっていたとか。後でさすがにおかしいと思って医者に連れて行ったときに、「何でこんなになるまで放っておいたんだ!」と義母が叱られたそうです。今でもその影響で、夫は片耳が遠いです。
高機能自閉症は、なまじ勉強ができてしまうために、逆に「何でこんな常識的なことが分からないの?」「どうしてこんな当たり前のことが出来ないんだ?」「頭いいんだから、知らないわけないだろ!」と言われてしまって辛いよね。
高機能自閉症がより多くの人に理解してもらえる日が早くやってくるといいね。
mimie さんのような方に頑張ってもらいたいです!
個性はあっても、やっぱり共通するところってあるんですね。
私自身、中学は私立だったし、成績も悪くないから、自閉症のはずがないと思っていました。
でも現代の情報を知ると、なんか私って自閉症?って診断される前から予感はしてました。
私は小さい頃、どこかに行くとすぐにいなくなってしまう子で(今もその兆候は残ってますが・・・)、ママは必死に探し回っても、本人の私はケロリとして、遊んでいたとか。
「なんでこんなことが分からないの!!」は、生活用語でありました。
私は今は学習面ではかなり劣って来ましたが、記憶力とか健在です。
1歳の頃の話とかすると、親の方が驚いて「そんなこと、あったっけ?」と言います。
自閉症=知的に低い子 と結び付けないで、コミュニケーションが苦手だったり、他の面で苦労している人がいることを知って欲しいです。
でもきっと高機能自閉症が、世の中に浸透する頃には、私はもう高齢になってる気がします。