とうとうと流れる広い川に、丈夫そうな橋が架かっています。写真右側には、大規模な工場のようなものもあります。写真が撮影されたのは、昭和37(1962)年2月で、今、ここは東京名所の一つになっています。さて、ここはどこでしょう。
答えはAの浅草です。川は隅田川で、水上バスから吾妻橋とアサヒビールの吾妻橋工場を撮影しています。この工場跡地に89年、奇抜なオブジェで有名な22階建ての「アサヒビールタワー」がしゅん工しました。同社HPによると、このオブジェは「炎のオブジェ」で「躍進するアサヒビールの象徴」ということです。【乗峯滋人】
コメント
たまたまネットを見ていたら、この写真を発見しました。
私は昭和38年生まれなので、当時の記憶があまり無いのですが、既に他界した父が、このアサヒビール工場脇にあったビアホールに私を連れて飲みにきていました。確か木製の開き戸を開けて中に入ると、煉瓦作りの壁でがっしりとした木製のテーブルと椅子。薄暗い照明の中で大人たちがワイワイガヤガヤ
騒いでいて、子供心にどきどきしながら食事をした記憶があります。当時近所にも洋食屋はありましたが、あのビアホール独特の猥雑な雰囲気は
今でも記憶に残っています。
浅草の川向こうは浅草とは言いません。アサヒビール側は墨田区で浅草は台東区です。訂正お願い致します。
高橋清子様
昭和毎日にコメントを投稿していただき、ありがとうございます。
ご指摘の通り、隅田川の向こう岸は墨田区です。ただ、この写真は浅草側から隅田川を写したものであり、またこの写真を掲載している池田信氏の写真集「1960年代の東京」でもこの写真は「浅草」に分類されているため、「浅草」と表現させていただきました。ご了承下さい。
今後とも、昭和毎日をご愛顧いただきますよう、よろしくお願い申し上げます。
当時祖母が画面左手奥の浅草観音裏に住んでいて、年に2回だけ六本木駅から地下鉄に乗り銀座で銀座線に乗り換えては遊びに来ていました。
気が付くと祖母は成長期の僕のために何度かハッピを新調して置いてくれて、それを着せて孫の僕を三社祭に送り出すのが唯一の楽しみだったようです。
昭和42年の夏、大好きだったお婆さんが亡くなってからは、三社祭も隅田川の花火大会も傍らにあの心優しい彼女が浴衣を着て団扇を片手ににこやかに立っている気がしてつい涙で眼が滲んでしまい行けなくなってしまいました。