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古き良き昭和の時代へタイムトラベル。あの頃の懐かしい写真やニュースを掲載します。
中央分離帯もある整備された広い道路を路面電車が走り、その向こうには重厚で巨大な建物が鎮座しています。建物には時計もあり、多くの人が行き交っています。撮影は昭和38(1963)年1月。さて、ここはどこでしょう?
答えはBの上野です。正面に見えているのは昭和7(1932)年しゅん工の上野駅の駅舎で、現在もほぼ同じ外観です。上野駅は、北の“玄関口”としてにぎわい、集団就職が盛んなころは、出迎えののぼりでホームが埋まりました。【乗峯滋人】 [この場所の当時の地図をみる]
答えはBの上野です。正面に見えているのは昭和7(1932)年しゅん工の上野駅の駅舎で、現在もほぼ同じ外観です。上野駅は、北の“玄関口”としてにぎわい、集団就職が盛んなころは、出迎えののぼりでホームが埋まりました。【乗峯滋人】
[この場所の当時の地図をみる]
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信州や東北方面への東京の玄関口として何度となく利用した駅です。また集団就職が盛んだった頃、北の国から初めてやってきた若い人達にとって最初に見る東京の風景として忘れることの出来ない場所だとも言われます。 後で知ったのですが、かつて日本が中国大陸にたった十数年しか存在しなかった満州国を作った時に大連という街の駅が全く同じデザインで造られたそうです(今も現存)。 今はなくなってしまったようですが鉄骨を複雑な曲線で組み上げた上野駅のホームとホールの天井のアーチは子供心にも重厚で優美な素晴らしい感動的なデザインでした。
駅の周りや内部はだいぶ変わりましたが、駅舎本体の外観は、ほとんど変わっていませんね。そういえば何年か前に、あの駅舎を改築して駅上部に高層ビルを建て、ホテル・デパート・オフィス等が入る高層をJRが示していたような記憶がありますが、あの件は、その後どうなったのでしょう?
今は上野駅を利用する事は、あまりなくなりましたが、1970年頃はスキーに行くのによく利用しました。 駅のそばの「じゅらく」と言う大きなお店で時間待ちをして寝台で出かけたものです。大きなリュックとスキー板を持った人で駅構内は大変混雑していましたが、のどかな雰囲気だったような気がします。
私は現在関西在住ですが、1963年台東区の生まれで、見た瞬間にわかりました。本当になつかしいです。電車が大好きで、たまに親といっしょに行ったものです。その当時は、まだ蒸気機関車が上野駅に入線していて、京浜東北線は木造茶色、駅前に写っているように都電も健在でした。駅前では終戦の傷跡も生々しく、腕や足を戦争で無くした人たちがアコーディオンを演奏したり、ハーモニカを吹いていた、そういう時代です。
上野中学卒業。懐かしさ一杯です。東京駅に比べ上野はローカルの感じですが人間味溢れる駅です。
最初は、WING側から見た品川駅かと思いましたが、すぐ上野だと分かりましたね。ただ、こんなに広々として見えるのは、車が無いからでしょうか?1980年代初めの頃、よく会津若松まで、在来線の急行に揺られてました。その後です、大宮駅まで東北新幹線が開通したのは。
昭和35年に上京したとき降り立ったのがこの駅でした。仙台の大学に通い、司法試験の口述試験を受けに東京に来たのが初めてでした。当時は仙台から上野まで6時間くらいかかったのではなかったでしょうか。ようやくホームに下りると、あまりの人ごみに、縁日でもやっているのだろうかと思ったことが思い出されます。今も上野駅はにぎやかですが、当時のほうが活気があったように思います。高度成長を直前に控え、人々の気持ちも高揚していたのでしょう。私はその年の試験には落ちてしまい、高揚どころではありませんでしたが。
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信州や東北方面への東京の玄関口として何度となく利用した駅です。また集団就職が盛んだった頃、北の国から初めてやってきた若い人達にとって最初に見る東京の風景として忘れることの出来ない場所だとも言われます。
後で知ったのですが、かつて日本が中国大陸にたった十数年しか存在しなかった満州国を作った時に大連という街の駅が全く同じデザインで造られたそうです(今も現存)。
今はなくなってしまったようですが鉄骨を複雑な曲線で組み上げた上野駅のホームとホールの天井のアーチは子供心にも重厚で優美な素晴らしい感動的なデザインでした。
駅の周りや内部はだいぶ変わりましたが、駅舎本体の外観は、ほとんど変わっていませんね。そういえば何年か前に、あの駅舎を改築して駅上部に高層ビルを建て、ホテル・デパート・オフィス等が入る高層をJRが示していたような記憶がありますが、あの件は、その後どうなったのでしょう?
今は上野駅を利用する事は、あまりなくなりましたが、1970年頃はスキーに行くのによく利用しました。 駅のそばの「じゅらく」と言う大きなお店で時間待ちをして寝台で出かけたものです。大きなリュックとスキー板を持った人で駅構内は大変混雑していましたが、のどかな雰囲気だったような気がします。
私は現在関西在住ですが、1963年台東区の生まれで、見た瞬間にわかりました。本当になつかしいです。電車が大好きで、たまに親といっしょに行ったものです。その当時は、まだ蒸気機関車が上野駅に入線していて、京浜東北線は木造茶色、駅前に写っているように都電も健在でした。駅前では終戦の傷跡も生々しく、腕や足を戦争で無くした人たちがアコーディオンを演奏したり、ハーモニカを吹いていた、そういう時代です。
上野中学卒業。懐かしさ一杯です。東京駅に比べ上野はローカルの感じですが人間味溢れる駅です。
最初は、WING側から見た品川駅かと思いましたが、すぐ上野だと分かりましたね。ただ、こんなに広々として見えるのは、車が無いからでしょうか?1980年代初めの頃、よく会津若松まで、在来線の急行に揺られてました。その後です、大宮駅まで東北新幹線が開通したのは。
昭和35年に上京したとき降り立ったのがこの駅でした。仙台の大学に通い、司法試験の口述試験を受けに東京に来たのが初めてでした。当時は仙台から上野まで6時間くらいかかったのではなかったでしょうか。ようやくホームに下りると、あまりの人ごみに、縁日でもやっているのだろうかと思ったことが思い出されます。今も上野駅はにぎやかですが、当時のほうが活気があったように思います。高度成長を直前に控え、人々の気持ちも高揚していたのでしょう。私はその年の試験には落ちてしまい、高揚どころではありませんでしたが。