多くの車やオートバイが行き交う広い道路を線路がまたいでいます。線路の奥には学校のような大きな建物が建っています。撮影は昭和37(1962)年6月。さて、ここはどこでしょう?ちなみに、現在はさまざまな娯楽の“聖地”となっています。
答えはAの水道橋です。白山通りの水道橋交差点(文京区後楽1丁目)から南方向を見ています。大きな建物は、昭和4(1929)年完工の東京歯科大の校舎で、現在は建て替えられています。水道橋は、プロレスやボクシングが行われる「後楽園ホール」、巨人の本拠地「東京ドーム」、巨大な場外馬券売り場などがあり、多くの娯楽の“聖地”となっています。【乗峯滋人】
コメント
市電が時代を感じさせますなぁ。
でも電車が変わっても今でも色々な人がいろんな夢を持って降りているんでしょうね。
白山通りの水道橋電停で客扱い中の都電の姿です。白山通りも都電のメーンルートの一つで、2:三田―白山曙町、17:池袋駅―数寄屋橋、18:志村坂上―神田橋、35:巣鴨車庫―田村町一丁目の4系統が走り、写真手前の交差点を横切る外堀通りには13:新宿駅―秋葉原駅(後に水天宮前まで延長)が通っていて賑やかでした。神田は学生の街でしたから、安い都電がよく利用されていました。なお、写真の左、神田川の岸辺には清掃局の船積み場があって、都内からトラックで集めた下肥(昭和30年代には下水道や水洗式トイレが普及しておらず、便所は汲み取り式がほとんどだった)を専用船に積み替えていました。その作業中は水道橋一帯に猛烈な異臭が漂い、それはそれはタイヘンでした。船は東京湾の外へ出て太平洋に下肥を捨てていたのですが、今ならとても出来ないことですね。
物心ついた頃から風邪をひくといつも高熱を出していた私は、将にこの昭和37年6月に、東京歯科大学病院で扁桃腺除去手術を受けました。子供心にとって苦しく痛かった手術でしたので、その後しばらく総武線の窓からこの病院を見るのが嫌でした。