蛇行する道の先にバスが遠ざかっていきます。道の左側にある建物はよく見るとホテルのようです。右側の土手の上にはドーム型の建物があり、何かの施設のようです。撮影は昭和37年11月。今、この近くに日本を代表する放送局があることで有名です。さて、ここはどこでしょう?
答えはBの渋谷です。右手の土手の部分は米軍兵士・家族用住居「ワシントンハイツ」で、今はNHK放送センターの西玄関があり、多くの芸能人たちが出入りしています。この道路は井ノ頭通りですが、カーブの部分が切り取られて直線道路になっています。ホテルは「WASHINGTON HOTEL」とあり、今は「ホテルニューワシントン」があります。
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現在の写真と比較して何が違うかと言えば、空の広さでしょう。写真右の土手の上にあったという、ワシントンハイツ。昭和30年代の憧れのアメリカ、白いペイントのハウス、緑の芝生、広い空。そしてガラガラの道路。この現代の写真だと、ガッカリするほどに、渋谷方面の道が渋滞しています。この先は一通の出口ですから、左折して、公園通りまで坂を上る事になります。
上の写真のような昭和の時代に戻って、”パブリカ”か何かで、このすいた道をスイスイ走りたいですね。
ワシントンハイツ前の井の頭通り、懐かしい写真です。当時は学生アルバイト先のテレビ局(日本教育テレビ=現テレビ朝日)へ向かうために杉山公園(杉並)から渋谷まで、この道をとおって通っていました。渋谷から六本木までは都電に乗っていた事を思い出しました。
懐かしいです、ワシントンハイツのかまぼこ宿舎、一般の兵隊さんが住んでました
すぐ隣には一戸建ての将校の建物、今でも代々木公園の一部に保存されてます。
ワシントンホテルはふた観光系列のホテルと同名で裁判になって負けて?ニューが付いたと聞いてます。中学時代はこの右側の柵のなかと外のギャップに、いつも疑問を持ってました。
中に明治クラブという将校専用のクラブや見たことも無いお菓子が並んだPXが、子供同士仲良くなって、遊びに行きました。
でもアメリカ人の子供が日本語で遊んでいたので、英語の必要性を感じず未だに日本語しか使えません
昭和30年代、まだ小さい頃にワシントンハイツの近くに住んでいました。懐かしい思い出がいっぱいです。代々木公園になる前までは荒れ野原だったのをよく覚えています。家で飼っていた犬と散歩に行ったときに、突然ワシントンハイツの敷地に吸い込まれるように走り出して行方がわからなくなり、そのまま戻ってこなかったことがありました。そうそう、ワシントンハイツの周辺だけが、あの頃水洗のトイレだったと両親から聞かされたことを覚えています。東京で生まれ育ったとはいえ、私の記憶にある昭和30年代の東京は、ドブと壊れかかった家、舗装されていない道路、そして汲み取り式のトイレかしら。