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古き良き昭和の時代へタイムトラベル。あの頃の懐かしい写真やニュースを掲載します。
レンガ造りの重厚な建物。玄関に止まっている車もレトロです。ここは東京のど真ん中の千代田区丸ノ内。撮影は昭和37(1962)年5月です。さて、この建物はどうなっているでしょうか。
答えはAの「残っている」です。この建物は1912年完成の旧東京銀行集会所で、三信ビルディングなどで知られる松井貴太郎が設計です。ただ、残っているのは外観部分などで、その背後には93年9月完成の地上20階、地下4階の「東京銀行協会ビル」がそびえ立っています。 [この場所の当時の地図をみる]
答えはAの「残っている」です。この建物は1912年完成の旧東京銀行集会所で、三信ビルディングなどで知られる松井貴太郎が設計です。ただ、残っているのは外観部分などで、その背後には93年9月完成の地上20階、地下4階の「東京銀行協会ビル」がそびえ立っています。
[この場所の当時の地図をみる]
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中央郵便局よりもマルビルが大損失。 ほとんどが外国から輸入したものでつくられた。 それに丈夫。震災にも大丈夫だった。 わたしが上京した昭和14年ごろだったが、びっくりしたのがトイレ。大きく便器に落ちそうな大きさ。それにどこの扉など丈夫。だいりせきがふんだん。立派なのに壊してしまった。立派になったがあれで多くの人があつまっただろうか。六本木のほうが有名になってしまい、いまだに人気があまりたかまらない。残っていればすばらしかったのに。東京駅とともに大切なところだったのに。更に郵便局を構想にしたらあのかんきょうはだめになる。
残っているというより、復元じゃないかな? 窓のサッシが、アルミだったと思う。 だから、重みがない感じ。
これは「残っている」と言えるのでしょうか? 外観だけ残して保存というのならば、某テーマパークのお城と大差ありません。 周囲の環境を含めて全体的に保存してこそ保存なのであって、 このような中途半端、ある意味言い訳がましい手法は百害あって一利なしだと思います。
これを「残っている」とするのは ジャーナリズムとしての意識が低いんじゃ、、、
悲しいですね.世界の先進国の中でこれほど景観よくない都会はありません.なぜそのまま残せないのか.成熟した都会、ローマ、パリ、バルセロナなどになれないのは,伝統文化が見えなくなってしまったからでしょう.せめて東京駅周辺は高層ビルやめてほしい.せっかく皇居があるのに,高層ビルは他地区に集めてたてて下さい.日本の伝統建築取り入れて下さい.歴史的建造物は保存しましょう。
これでは「残っている」と言えません。
ほんとうに、困ったものです。日本という国は全てにおいて、経済が優先で、目先の儲けしか考えておりません。先人たちの、素晴らしい文化遺産などは、めにくれません。一度壊すと、ただの空虚な風景にしかなりません。日本はどんどん、破滅の道をたどっているように思われます。ある意味地球と同じように、いや、日本の方が先かもしれません。
残っているとは言えません。建物の剥製のようなものだ。トラや獅子じゃあるまいし。
東京、いや江戸の時代より、この首都はスクラップアンドビルドの街でした。京都のような千年を越え、本当の意味での日本文化を残し、他国では絶対に存在しないような街は極力保存すべきでしょう。でも東京は「破壊し(され)、そして造る」の繰り返しの街でした。それも、その歴史は江戸開闢以来400年程度のものです。銀行協会にしろ、今、耳目を集めている中央郵便局にしろ、所詮は明治以降に建築された建造物で、それこそロンドンやパリにゴロゴロしています。こうしたものを残しながら、高層ビルも建てる・・・、反って、何かチグハグな、おかしな街に東京がなってしまわないかしらと思ってしまいます。 どうしても保存したいのなら、帝国ホテルと同様に「明治村」のような場所に移築してやればよいのではないでしょうか。
残っている……? 違うでしょ? 外壁だけ残して建て替えているわけだから、いわば「張りぼて」ではありませんか。 日比谷の第一生命館のように、その上にビルを建てたのなら、かろうじて「残っている」というのかもしれませんが、それも厳密にいえば疑問です。 天下の全国紙がそのような浅はかな解釈をしているというのは、実に残念でなりません。
これを「残っている」と言うのは、冬虫夏草を虫だと言い張るようなものではないでしょうか。
むしろ無残に思えます。
日本工業倶楽部も同じような形で「残っています」し、東京中央郵便局の改築構想もこれに似ていますね。
まもなく三菱一号館が復元されますが、あくまで消え去ってしまった建物の復元で、その代わり八重洲三菱ビルと日清生命館(大手町野村ビル)が犠牲になりました。
どこまで東京のオフィス需要は伸びるのでしょうか。要するに東京への一極集中と地方の過疎化が加速するということですよね。
八重洲ビルと一緒に取り壊されたのは古河ビルでしたね。野村ビルはやはり昔の時計塔だけ貼り付けたような感じで高層ビルに生まれ変わっています。
今日は。昭和の毎日難しい問題が多いようですが楽しみです。
残っているとは言えないですよね。 もう少し瓦屋根?の斜めの部分とか奥行きを持って残したのなら、”残っている”と言う雰囲気もですのでしょうけれども。 たとえが悪くて恐縮ですが、まるで”ディズーニーランド”よく出来た贋物にしか見えませんね。残念ですが。
これは残っていないが正解でしょう。
今あるのは、一度完全に壊して、高層建築の基壇部として、古い建物と見た目だけを似せて新しく造ったものなわけで、あまりにも薄っぺらで、ディズニーランドの建物か、映画のセットのような感じです。
それに、煉瓦の質感なども全然違いますね。
オレはこう言った復刻風景はアリだと思います。 少し関係無いかもしれないけど、浅草の仲見世だって、ほとんど焼かれてしまったんですよね?でも、今の仲見世って、昭和49年生まれのオレにはアリな風景です。オレにはオレの昭和(歴史)があるので漠然と否定するのはどうかと思います。 少しでも残ればいいじゃないですか。復刻できればいいじゃないですか。
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コメント
中央郵便局よりもマルビルが大損失。
ほとんどが外国から輸入したものでつくられた。
それに丈夫。震災にも大丈夫だった。
わたしが上京した昭和14年ごろだったが、びっくりしたのがトイレ。大きく便器に落ちそうな大きさ。それにどこの扉など丈夫。だいりせきがふんだん。立派なのに壊してしまった。立派になったがあれで多くの人があつまっただろうか。六本木のほうが有名になってしまい、いまだに人気があまりたかまらない。残っていればすばらしかったのに。東京駅とともに大切なところだったのに。更に郵便局を構想にしたらあのかんきょうはだめになる。
残っているというより、復元じゃないかな?
窓のサッシが、アルミだったと思う。
だから、重みがない感じ。
これは「残っている」と言えるのでしょうか?
外観だけ残して保存というのならば、某テーマパークのお城と大差ありません。
周囲の環境を含めて全体的に保存してこそ保存なのであって、
このような中途半端、ある意味言い訳がましい手法は百害あって一利なしだと思います。
これを「残っている」とするのは
ジャーナリズムとしての意識が低いんじゃ、、、
悲しいですね.世界の先進国の中でこれほど景観よくない都会はありません.なぜそのまま残せないのか.成熟した都会、ローマ、パリ、バルセロナなどになれないのは,伝統文化が見えなくなってしまったからでしょう.せめて東京駅周辺は高層ビルやめてほしい.せっかく皇居があるのに,高層ビルは他地区に集めてたてて下さい.日本の伝統建築取り入れて下さい.歴史的建造物は保存しましょう。
これでは「残っている」と言えません。
ほんとうに、困ったものです。日本という国は全てにおいて、経済が優先で、目先の儲けしか考えておりません。先人たちの、素晴らしい文化遺産などは、めにくれません。一度壊すと、ただの空虚な風景にしかなりません。日本はどんどん、破滅の道をたどっているように思われます。ある意味地球と同じように、いや、日本の方が先かもしれません。
残っているとは言えません。建物の剥製のようなものだ。トラや獅子じゃあるまいし。
東京、いや江戸の時代より、この首都はスクラップアンドビルドの街でした。京都のような千年を越え、本当の意味での日本文化を残し、他国では絶対に存在しないような街は極力保存すべきでしょう。でも東京は「破壊し(され)、そして造る」の繰り返しの街でした。それも、その歴史は江戸開闢以来400年程度のものです。銀行協会にしろ、今、耳目を集めている中央郵便局にしろ、所詮は明治以降に建築された建造物で、それこそロンドンやパリにゴロゴロしています。こうしたものを残しながら、高層ビルも建てる・・・、反って、何かチグハグな、おかしな街に東京がなってしまわないかしらと思ってしまいます。
どうしても保存したいのなら、帝国ホテルと同様に「明治村」のような場所に移築してやればよいのではないでしょうか。
残っている……? 違うでしょ?
外壁だけ残して建て替えているわけだから、いわば「張りぼて」ではありませんか。
日比谷の第一生命館のように、その上にビルを建てたのなら、かろうじて「残っている」というのかもしれませんが、それも厳密にいえば疑問です。
天下の全国紙がそのような浅はかな解釈をしているというのは、実に残念でなりません。
これを「残っている」と言うのは、冬虫夏草を虫だと言い張るようなものではないでしょうか。
むしろ無残に思えます。
日本工業倶楽部も同じような形で「残っています」し、東京中央郵便局の改築構想もこれに似ていますね。
まもなく三菱一号館が復元されますが、あくまで消え去ってしまった建物の復元で、その代わり八重洲三菱ビルと日清生命館(大手町野村ビル)が犠牲になりました。
どこまで東京のオフィス需要は伸びるのでしょうか。要するに東京への一極集中と地方の過疎化が加速するということですよね。
八重洲ビルと一緒に取り壊されたのは古河ビルでしたね。野村ビルはやはり昔の時計塔だけ貼り付けたような感じで高層ビルに生まれ変わっています。
今日は。昭和の毎日難しい問題が多いようですが楽しみです。
残っているとは言えないですよね。
もう少し瓦屋根?の斜めの部分とか奥行きを持って残したのなら、”残っている”と言う雰囲気もですのでしょうけれども。
たとえが悪くて恐縮ですが、まるで”ディズーニーランド”よく出来た贋物にしか見えませんね。残念ですが。
これは残っていないが正解でしょう。
今あるのは、一度完全に壊して、高層建築の基壇部として、古い建物と見た目だけを似せて新しく造ったものなわけで、あまりにも薄っぺらで、ディズニーランドの建物か、映画のセットのような感じです。
それに、煉瓦の質感なども全然違いますね。
オレはこう言った復刻風景はアリだと思います。
少し関係無いかもしれないけど、浅草の仲見世だって、ほとんど焼かれてしまったんですよね?でも、今の仲見世って、昭和49年生まれのオレにはアリな風景です。オレにはオレの昭和(歴史)があるので漠然と否定するのはどうかと思います。
少しでも残ればいいじゃないですか。復刻できればいいじゃないですか。