昨日の夜は、寝る気満々だった。
だって今日は、朝モーニングに起こされるし、彼と久しぶりのデートだったから、体力つけないと、寝不足でフラフラなんてあり得ないと思ったから。
でも、寝る前にたまたまつけてしまったテレビで「スィング・ガールズ」というのをやっていた。
ちょっと見だしたら、続きが見たくなるもの。
ついに終わりまで見てしまった。
23時をとうに回っていた。
そこで素直に安眠できればいいのだけど、やってきたのがフラッシュバック。
「スィング・ガールズ」というのが、高校生の話。
しかも私が高校生のときに入っていたバトン部で踊っていた曲が流れていた。
ベットに入っても、高校時代のことが甦ってしまって、誰かに伝えたくても遅い時間で無理なことで、どうしても寝るしかなかった。
でも無理。
封印してた記憶まで甦ってきた。
バトン部は、高3の文化祭まで活躍する。
文化祭が終わると、勉強に集中する。
本当はもっと早くやらなくちゃいけないんだけど、付属の大学に行く人が多いから、結構悠長だった。
でも付属の大学は、文科系しかなく、理系クラスにいた私のクラスの人は、部活をやっている私をあざ笑っていたかもしれない。
そうでなくても不登校の私。
部活だけは出ていたけど、3年生になると、病院から学校に通っていたので、部活動もままならなくなっていた。
3年生部員7人の内、1人は推薦入試を狙っていたので、勉強を早くから始めなくてはいけないため、文化祭は引退した。
私は・・・。
出たかったけど、協調性がなく、みんなと合わせる事が苦手な上(当時は理由が分からなかった)、部活動に出られない日々が続き、みんなよりどんどん遅れていった。
たまに出ると、私に教えるのに時間がかかり、踊りの創作活動まで出来なくなっていた。
主治医の勧めもあり、引退することにした。
それでも不登校の私。
部活動だけのために学校へ行っていたのに、生き甲斐もなくし、同じ部員の活動を眺めていることしか出来なくなった。
病院でも「あなたは学校に行かなくてはいけないのだから」と病院での行事に出させてもらえなかった。
切羽詰ってどんどん悪化していった。
勿論勉強どころではない。
でも勉強しなきゃ、卒業しなきゃ、と焦って、自傷行為ばかりしていた。
あの頃は、一番苦しかったかも。
文化祭当日。
部員の舞台発表を、舞台の袖からしか見ることが出来なかった。
泣きながら、部員の舞台裏での着替えとかを手伝ってた。
下手だけど・・・舞台に立ちたかった。最後の舞台に。
今でも、バトン部の関東大会で踊った曲「sing sing sing」や「白鳥の湖」を聴くだけで涙が出てしまう。
なんで自分は、みんなと同じように踊れないんだろう?
バトンの技が身に付かないんだろう?
悩んでも悩んでも、顧問の先生に「出来るようになるまで休むな」と言われる。
「お前一人で迷惑かけてる」と言われても、部活に出てた。
でも卒業舞台には立てなかった。
それを思い出してしまって、もうダメだ・・・。
今日、彼に相談と言うか、話そうと思ったけど、そういう暗い話はやめておこうと思った。
「過去のことは忘れろ」と言われるに決まっているから。
でもフラッシュバックって恐ろしいもので、何かが引き金で、辛いことばかり思い出してしまう。
忘れられるものではない。
というか、忘れようと言う自らの心から封印してたのに、出てきた。
芋づる式に。
勿論、何時間も眠れなかった。
悔しいのか、悲しいのか、辛いのか、分からない重圧に苦しんで、苦しみ疲れて眠ってしまった感じ。
それでなくても昨日は、昼間から矛先がSちゃんに向かっていた。
「知的の4度の人は、交通機関で同伴者は半額にならないし、障害年金ももらえない」とネットや人に聞いた話で知ったため、Sちゃんはおかしいよ、と攻撃した。
今までもしつこくつきまとわれていた。
何度断っても会おうと言ってくる。
パケホーダイやめたから、メールは少なく、と言っても通じない。
手紙も数日置きに送られてくる。
突き放しても、まとわりつく。
ついに切れた。
交通機関等の話も反論してくるため、頭にきていた。
そして、今日、Sちゃんから「20歳になれば、年金もらえるよ。ちゃんと診断書もらったよ」というメールが、彼と会っている時に来た。
彼は私がふつふつと感じていた怒りを読み取っていただろうか?
家に帰って爆発した。
Sちゃんに「ばいばい。もう会わないから」とメールした。
Sちゃんはびっくりして「何怒ってるの?おごるよ」とおごることを大前提にしてくる。
もう何を言ってきても「ばいばい。じゃあね」
そして一切私からはメールを送らなかった。
私は極端とよく言われる。
人間関係でも極端なところは、こういう場面でも表れる。
多分昨日のフラッシュバックが未消化で、不満がたまっていたのかもしれない。
それがSちゃんに向かったのかもしれない。
でもいつでも友達とはこういう別れ方をする。
すっきりばいばいじゃない。
逆に私がガツンと言われるバージョンだって少なくない。
私には大学時代は本当にあったのかってくらい、友達はゼロだし。
高校時代のクラスメートの名前も一人も知らない。
教室に入ることがまずなかったから。
でも担任教師は、毎朝私に電話をして「今からでもおいで」と言ってくれていた。
そんな担任教師も、そろそろ定年だ。
定年前に、彼と担任に会いに行きたかった。
彼は冗談で「文化祭行こうよ〜」と言っていたと思っているかもしれないけど、心からのお願いだったのだ。
もう会うこともなくなってしまうだろうから。
不登校の私を、各教科の先生に頭を下げて、卒業させてくれた先生だから。
そんな先生が大好きだったから、放課後に学校に行って、部活動には出れてたから。
ここに書かなくては、吐き出すところがなかったから書いた。
今私は、涙で前が見えない。
だって今日は、朝モーニングに起こされるし、彼と久しぶりのデートだったから、体力つけないと、寝不足でフラフラなんてあり得ないと思ったから。
でも、寝る前にたまたまつけてしまったテレビで「スィング・ガールズ」というのをやっていた。
ちょっと見だしたら、続きが見たくなるもの。
ついに終わりまで見てしまった。
23時をとうに回っていた。
そこで素直に安眠できればいいのだけど、やってきたのがフラッシュバック。
「スィング・ガールズ」というのが、高校生の話。
しかも私が高校生のときに入っていたバトン部で踊っていた曲が流れていた。
ベットに入っても、高校時代のことが甦ってしまって、誰かに伝えたくても遅い時間で無理なことで、どうしても寝るしかなかった。
でも無理。
封印してた記憶まで甦ってきた。
バトン部は、高3の文化祭まで活躍する。
文化祭が終わると、勉強に集中する。
本当はもっと早くやらなくちゃいけないんだけど、付属の大学に行く人が多いから、結構悠長だった。
でも付属の大学は、文科系しかなく、理系クラスにいた私のクラスの人は、部活をやっている私をあざ笑っていたかもしれない。
そうでなくても不登校の私。
部活だけは出ていたけど、3年生になると、病院から学校に通っていたので、部活動もままならなくなっていた。
3年生部員7人の内、1人は推薦入試を狙っていたので、勉強を早くから始めなくてはいけないため、文化祭は引退した。
私は・・・。
出たかったけど、協調性がなく、みんなと合わせる事が苦手な上(当時は理由が分からなかった)、部活動に出られない日々が続き、みんなよりどんどん遅れていった。
たまに出ると、私に教えるのに時間がかかり、踊りの創作活動まで出来なくなっていた。
主治医の勧めもあり、引退することにした。
それでも不登校の私。
部活動だけのために学校へ行っていたのに、生き甲斐もなくし、同じ部員の活動を眺めていることしか出来なくなった。
病院でも「あなたは学校に行かなくてはいけないのだから」と病院での行事に出させてもらえなかった。
切羽詰ってどんどん悪化していった。
勿論勉強どころではない。
でも勉強しなきゃ、卒業しなきゃ、と焦って、自傷行為ばかりしていた。
あの頃は、一番苦しかったかも。
文化祭当日。
部員の舞台発表を、舞台の袖からしか見ることが出来なかった。
泣きながら、部員の舞台裏での着替えとかを手伝ってた。
下手だけど・・・舞台に立ちたかった。最後の舞台に。
今でも、バトン部の関東大会で踊った曲「sing sing sing」や「白鳥の湖」を聴くだけで涙が出てしまう。
なんで自分は、みんなと同じように踊れないんだろう?
バトンの技が身に付かないんだろう?
悩んでも悩んでも、顧問の先生に「出来るようになるまで休むな」と言われる。
「お前一人で迷惑かけてる」と言われても、部活に出てた。
でも卒業舞台には立てなかった。
それを思い出してしまって、もうダメだ・・・。
今日、彼に相談と言うか、話そうと思ったけど、そういう暗い話はやめておこうと思った。
「過去のことは忘れろ」と言われるに決まっているから。
でもフラッシュバックって恐ろしいもので、何かが引き金で、辛いことばかり思い出してしまう。
忘れられるものではない。
というか、忘れようと言う自らの心から封印してたのに、出てきた。
芋づる式に。
勿論、何時間も眠れなかった。
悔しいのか、悲しいのか、辛いのか、分からない重圧に苦しんで、苦しみ疲れて眠ってしまった感じ。
それでなくても昨日は、昼間から矛先がSちゃんに向かっていた。
「知的の4度の人は、交通機関で同伴者は半額にならないし、障害年金ももらえない」とネットや人に聞いた話で知ったため、Sちゃんはおかしいよ、と攻撃した。
今までもしつこくつきまとわれていた。
何度断っても会おうと言ってくる。
パケホーダイやめたから、メールは少なく、と言っても通じない。
手紙も数日置きに送られてくる。
突き放しても、まとわりつく。
ついに切れた。
交通機関等の話も反論してくるため、頭にきていた。
そして、今日、Sちゃんから「20歳になれば、年金もらえるよ。ちゃんと診断書もらったよ」というメールが、彼と会っている時に来た。
彼は私がふつふつと感じていた怒りを読み取っていただろうか?
家に帰って爆発した。
Sちゃんに「ばいばい。もう会わないから」とメールした。
Sちゃんはびっくりして「何怒ってるの?おごるよ」とおごることを大前提にしてくる。
もう何を言ってきても「ばいばい。じゃあね」
そして一切私からはメールを送らなかった。
私は極端とよく言われる。
人間関係でも極端なところは、こういう場面でも表れる。
多分昨日のフラッシュバックが未消化で、不満がたまっていたのかもしれない。
それがSちゃんに向かったのかもしれない。
でもいつでも友達とはこういう別れ方をする。
すっきりばいばいじゃない。
逆に私がガツンと言われるバージョンだって少なくない。
私には大学時代は本当にあったのかってくらい、友達はゼロだし。
高校時代のクラスメートの名前も一人も知らない。
教室に入ることがまずなかったから。
でも担任教師は、毎朝私に電話をして「今からでもおいで」と言ってくれていた。
そんな担任教師も、そろそろ定年だ。
定年前に、彼と担任に会いに行きたかった。
彼は冗談で「文化祭行こうよ〜」と言っていたと思っているかもしれないけど、心からのお願いだったのだ。
もう会うこともなくなってしまうだろうから。
不登校の私を、各教科の先生に頭を下げて、卒業させてくれた先生だから。
そんな先生が大好きだったから、放課後に学校に行って、部活動には出れてたから。
ここに書かなくては、吐き出すところがなかったから書いた。
今私は、涙で前が見えない。
私にも、こちらから一方的に絶交した人がいます。絶交したことに悔いは感じていないよ。本当に自己中な人で、裏表のある人だったから、もう二度と友達づきあいはしたくない。でも、ひとつだけ残念だったことは、どうして私が彼女と絶交するに至ったのか、彼女にはっきり言わなかったこと。これじゃ、彼女は一生自分のどこが悪かったのか悟れないだろうな。自分で悟れるような人だったら、こんなことになっていないだろうけど。絶交したのはもう数年も前のことだけど、今だに言いたくて言えなかったことの数々が悔しい〜!今さら電話したら変よね。「ハ〜イ! お元気? ところで、五年前に私があなたと絶交したのはね、あなたのこういう行為が許せなかったからなの。あんなこともこんなこともあったよね。あ、あのことは十年前か・・。あ、別に、またおつきあいしたいわけじゃないからね。じゃ〜ねぇ!お達者で!バイビー!!」って、相当変だよな。向こうもいろんないきさつをすっかり忘れちゃってるだろうから、反省の材料にもならんだろうな・・・。
私は心から絶交したくなかったです。
普通の友達としてだったら、いい関係でいられたと思います。
でも私の思いが伝わらなくて、第三者的には、私が悪者になってるし、主治医に「Sちゃんがおごらなくては関係が続かないと思っている間は、K先生を悪者にしていいから会うのはやめなさい。携帯も拒否しなさい」というから、強い言い方になってしまって、結局喧嘩別れみたいになってしまって、後味悪いです。
悪いことって重なるんですね。
でも明日は、サンシャインだぁ!!
雨だけど・・・。