診察が間が開いたせいか、鬱状態の期間があったせいか、ひざが痛いせいか、大きなパニックが3回もあった。
行く時から、バスの道が混んでて、全然バスが動かない。
確実に遅刻だ、と思った時には、なんかの糸が切れた状態になっていた。
やっぱりどんなに走っても、どんなに電車に飛び乗っても、20分遅刻した。
遅刻と言うとんでもない私にとってのハプニングは、病院側もビックリで「どうしたの?」とまず言われた。
とにかくオムツを交換してもらい、ひざの様子を見てもらおうとしていたら、K先生が待ち構えていて、手招きしていた。
「どうでしたか?」と言われて「先生はどうでしたか?」と聞くと「僕は・・・あんまりです・・・」とすごく元気がない。
前にも増して元気がない。
本当に鬱状態なんじゃないですか?
いつもの勢いはなく、16日にケアKの移動支援を入れたいから、診察は18日にしてもいいですか?と聞いても「いいですよ。その考え(S先生が考えた)を自分で提案出来るようになるといいですね」と言われた。
K先生が休みに入る頃、ひどい鬱状態になった話をすると「風の便りに聞きました」と言われた。
でもどう脱出できたのかも話した。
ひざはすでに情報が行っていて「見せて」と言われたので、処置室に行って診てもらった。
看護師さんと二人で、じゅくじゅくした傷を見ながら「汚いですね」と言い合っている。
いくら自分の怪我だとは言え、私の膝を見て「汚いですね」は傷付いた。
「これは外科でしょう」とすぐに連絡を取ってくれた。
でも外科が4人待ちだと言うので、私は入院していた病棟に遊びに行った。
ピンポーン。
鳴らして出てきた看護師さんの第一声「出た!ゆこたん!!!」
その看護師Mさんは「僕もADHD代表として、アスペの会の見学に行きたかったんだけどねぇ・・・」と言っていた。
そんなに看護師中で話は広まっているのか??
でもTさんがいなかったので、仕事も忙しいだろうし「また、手紙を書いてきます」と言って、去った。
外科に呼ばれた。
足は、やっぱり処置が必要だったらしく「ひざをつかないように」と言われた。
大丈夫だろうと思っていた左足も、腫れていて良くないそうだ。
消毒されて、抗生物質を塗られ、ガーゼでしっかりとめられた。
何故か、痔の診察はスルーされた。
覚悟を決めていたのに、こういう時に限って肛門鏡を入れられない。
外科には「一人で来たの?」と驚かれ、自慢げだった。
でも軟膏の塗り方は説明が分からず、紙に書いてもらった。
外科からの帰り、トイレ!やばい!と思った。
看護師さんを捕まえていたら間に合わないと思ったので、なるべく目立たない所で漏らしてしまった。
でもイスから床に滴り、通りすがる人の目線が怖い。
どうしよう・・・。
動けずにいると、誰かから通報を受けたのか、看護師さんが来た。
「ゆこたん、どこか近くのお部屋に入ろうか」と優しく説得されたけど、フリーズしていて、ガクガクしだした。
その内、パニックになった。
うわーーーーー!!!!という叫び声で、人が集まってきた。
男性患者さんは、私のプチ裸体に釘付けである。
どこをどう通ったのか、処置室へ運ばれた。
髪パンツを半分はいた状態で寝かされ、うつぶせに寝ていたら、今度は痙攣が来た。
痙攣が来ると、自然に失禁する。
きっとその時に失禁したんだろうけど、覚醒して気付いた時、タオルケットもスカートもビショビショなのがショックで、タオルケットを頭から被り、そろそろと処置室を出て行こうとすると、また連行された。
その時は、ものすごく暴れて、手が付けられず、K先生が呼ばれた。
「おしっこが・・・」とか説明している。
師長もいた。
遠くの方から「ゆこたん、大丈夫だよ。力抜こうね」という声が聞こえた。
きっとK先生。
白衣が見えたから。
ジプレキサを私のカバンの中から探している。
いつも定位置に入れていたのだけど、最近余り飲まないから、探しても分からないような場所に入れていた。
でもみんなで探している。
「ちょっと僕に探させて」と僕は知っている、とばかりにあさっている。
そこじゃない、っていうことを言い表したいから、手を伸ばすと「力入れないで。また痙攣になっちゃうから」と言われて、手を押さえられる。
やっとポーチが出てきたとき、チャックを指差して、一斉に「ここかぁ」と安堵のため息。
そして飲まされる。
後からIさんい聞いた話だと「K先生はいいポジションにいただけよ。みんなで一斉に抑えてるのに、”ゆこたん、ゆこたん”とポンポン叩いてるだけなんだから」と不満そうに言っていた。
でもK先生、やつれてたから。
どうも、2週間休んだ分の穴埋めが、この1〜2日に集中して、かえって疲れてしまったそうだ。
もう17時近くなっていて、自分から起きて会計に行った。
今度は信頼しているIさんも一緒に。
でも濡れているスカートが気になって、まくりあげてはタオルでふいていたら「それじゃあ、私、心配で帰れないよ。電車やバスの中で、それやっちゃダメだからね」と言われた。
薬局で呼ばれた。
長い説明をタラタラとされているうちに、眩暈がしてぼーっとしてきた。
何十分もその姿だったらしく、薬局からK先生に連絡を入れたらしい。
K先生は「自分の世界に入ってしまっているから、出てくるのを待っていて下さい」と言い残したそうで、来てもくれない!と怒っていた。
その内、薬局から飛び出し、正門前のクリスマスツリーのピカピカに釘付けになった。
だけどそこは駐車場入り口。
ダメだと言われたから、どこうと思って走り出すと、車に体当たりしそうになり、とても危ない状態と言われた。
でもずーっとピカピカに見入っていた。
看護師さんたちが帰るところだった。
時々、座り込んでる私を見て「ゆこたんじゃない?」と言われるけど、その声は届かない。
いつまでも座っていたら、18時になってしまった。
さすがに移動させられるが、体を張っての抵抗。
それでも何人もに引きずられ、まゆちゃんサンダルはボロボロになり、夜間救急に連れて行かれるが、当直のB先生の声は聞こえず、抑えようとする力に全身で逆らって、すごい暴れた。
私はシャツから汗がしぼりだせるくらいになっていた。
「薬を飲んで」と言われてもイヤ。
「一人で帰れそうもないから、親を呼ぶよ」と言われてもイヤ。
とにかく「帰る!!」と言って、自分の意志を通した。
少しパニックが収まったので、帰してもらえたけど、今度は携帯の裏のカバーが外れて無くなっていることに気付いた。
大声で泣きながら病院に戻ると、当直のB先生と看護師さんと警備のおじさんが、歩いた所をライトを照らしながら探してくれた。
それでも無くて、B先生に「こういう時はどうしてるの?」と聞かれて「見付かるまで探す」と言った。
諦めることが出来ない。
もはやこだわりになっていた。
20時まで一人で探した。
病院の玄関は、夜間のほうも閉まってしまった。
ずっと外で一人で探し続けること3時間。
駐車場の入り口を探していたら、パパとママが車で来た!!
「なんで来るんだよ!!!一人で探すんだよ!!」と大声で喚いて、逃げた。
隠れながら、彼と電話で話した。
「ママの所へ戻りなさい。風邪引くよ」と促され、一番利いた言葉が「そんなに僕を心配させたいの?」だった。
「戻る・・・」と言って、一緒に探してくれていた両親の元へ行き、車に入った。
脱力感。
もうないよ・・・。
なくなっちゃった・・・。
それに親にも迎えに来てもらっちゃった・・・。
病院にも迷惑かけた・・・。
苦しくて、寒くて、しばらく動けなかった。
「家に着くまで待ってるよ」と言っていた彼も寝てしまった。
家に着いたのは、23時を回っていた。
それからパパとママは夕食を食べていた。
私はとても食べる気分になれなかった。
行く時から、バスの道が混んでて、全然バスが動かない。
確実に遅刻だ、と思った時には、なんかの糸が切れた状態になっていた。
やっぱりどんなに走っても、どんなに電車に飛び乗っても、20分遅刻した。
遅刻と言うとんでもない私にとってのハプニングは、病院側もビックリで「どうしたの?」とまず言われた。
とにかくオムツを交換してもらい、ひざの様子を見てもらおうとしていたら、K先生が待ち構えていて、手招きしていた。
「どうでしたか?」と言われて「先生はどうでしたか?」と聞くと「僕は・・・あんまりです・・・」とすごく元気がない。
前にも増して元気がない。
本当に鬱状態なんじゃないですか?
いつもの勢いはなく、16日にケアKの移動支援を入れたいから、診察は18日にしてもいいですか?と聞いても「いいですよ。その考え(S先生が考えた)を自分で提案出来るようになるといいですね」と言われた。
K先生が休みに入る頃、ひどい鬱状態になった話をすると「風の便りに聞きました」と言われた。
でもどう脱出できたのかも話した。
ひざはすでに情報が行っていて「見せて」と言われたので、処置室に行って診てもらった。
看護師さんと二人で、じゅくじゅくした傷を見ながら「汚いですね」と言い合っている。
いくら自分の怪我だとは言え、私の膝を見て「汚いですね」は傷付いた。
「これは外科でしょう」とすぐに連絡を取ってくれた。
でも外科が4人待ちだと言うので、私は入院していた病棟に遊びに行った。
ピンポーン。
鳴らして出てきた看護師さんの第一声「出た!ゆこたん!!!」
その看護師Mさんは「僕もADHD代表として、アスペの会の見学に行きたかったんだけどねぇ・・・」と言っていた。
そんなに看護師中で話は広まっているのか??
でもTさんがいなかったので、仕事も忙しいだろうし「また、手紙を書いてきます」と言って、去った。
外科に呼ばれた。
足は、やっぱり処置が必要だったらしく「ひざをつかないように」と言われた。
大丈夫だろうと思っていた左足も、腫れていて良くないそうだ。
消毒されて、抗生物質を塗られ、ガーゼでしっかりとめられた。
何故か、痔の診察はスルーされた。
覚悟を決めていたのに、こういう時に限って肛門鏡を入れられない。
外科には「一人で来たの?」と驚かれ、自慢げだった。
でも軟膏の塗り方は説明が分からず、紙に書いてもらった。
外科からの帰り、トイレ!やばい!と思った。
看護師さんを捕まえていたら間に合わないと思ったので、なるべく目立たない所で漏らしてしまった。
でもイスから床に滴り、通りすがる人の目線が怖い。
どうしよう・・・。
動けずにいると、誰かから通報を受けたのか、看護師さんが来た。
「ゆこたん、どこか近くのお部屋に入ろうか」と優しく説得されたけど、フリーズしていて、ガクガクしだした。
その内、パニックになった。
うわーーーーー!!!!という叫び声で、人が集まってきた。
男性患者さんは、私のプチ裸体に釘付けである。
どこをどう通ったのか、処置室へ運ばれた。
髪パンツを半分はいた状態で寝かされ、うつぶせに寝ていたら、今度は痙攣が来た。
痙攣が来ると、自然に失禁する。
きっとその時に失禁したんだろうけど、覚醒して気付いた時、タオルケットもスカートもビショビショなのがショックで、タオルケットを頭から被り、そろそろと処置室を出て行こうとすると、また連行された。
その時は、ものすごく暴れて、手が付けられず、K先生が呼ばれた。
「おしっこが・・・」とか説明している。
師長もいた。
遠くの方から「ゆこたん、大丈夫だよ。力抜こうね」という声が聞こえた。
きっとK先生。
白衣が見えたから。
ジプレキサを私のカバンの中から探している。
いつも定位置に入れていたのだけど、最近余り飲まないから、探しても分からないような場所に入れていた。
でもみんなで探している。
「ちょっと僕に探させて」と僕は知っている、とばかりにあさっている。
そこじゃない、っていうことを言い表したいから、手を伸ばすと「力入れないで。また痙攣になっちゃうから」と言われて、手を押さえられる。
やっとポーチが出てきたとき、チャックを指差して、一斉に「ここかぁ」と安堵のため息。
そして飲まされる。
後からIさんい聞いた話だと「K先生はいいポジションにいただけよ。みんなで一斉に抑えてるのに、”ゆこたん、ゆこたん”とポンポン叩いてるだけなんだから」と不満そうに言っていた。
でもK先生、やつれてたから。
どうも、2週間休んだ分の穴埋めが、この1〜2日に集中して、かえって疲れてしまったそうだ。
もう17時近くなっていて、自分から起きて会計に行った。
今度は信頼しているIさんも一緒に。
でも濡れているスカートが気になって、まくりあげてはタオルでふいていたら「それじゃあ、私、心配で帰れないよ。電車やバスの中で、それやっちゃダメだからね」と言われた。
薬局で呼ばれた。
長い説明をタラタラとされているうちに、眩暈がしてぼーっとしてきた。
何十分もその姿だったらしく、薬局からK先生に連絡を入れたらしい。
K先生は「自分の世界に入ってしまっているから、出てくるのを待っていて下さい」と言い残したそうで、来てもくれない!と怒っていた。
その内、薬局から飛び出し、正門前のクリスマスツリーのピカピカに釘付けになった。
だけどそこは駐車場入り口。
ダメだと言われたから、どこうと思って走り出すと、車に体当たりしそうになり、とても危ない状態と言われた。
でもずーっとピカピカに見入っていた。
看護師さんたちが帰るところだった。
時々、座り込んでる私を見て「ゆこたんじゃない?」と言われるけど、その声は届かない。
いつまでも座っていたら、18時になってしまった。
さすがに移動させられるが、体を張っての抵抗。
それでも何人もに引きずられ、まゆちゃんサンダルはボロボロになり、夜間救急に連れて行かれるが、当直のB先生の声は聞こえず、抑えようとする力に全身で逆らって、すごい暴れた。
私はシャツから汗がしぼりだせるくらいになっていた。
「薬を飲んで」と言われてもイヤ。
「一人で帰れそうもないから、親を呼ぶよ」と言われてもイヤ。
とにかく「帰る!!」と言って、自分の意志を通した。
少しパニックが収まったので、帰してもらえたけど、今度は携帯の裏のカバーが外れて無くなっていることに気付いた。
大声で泣きながら病院に戻ると、当直のB先生と看護師さんと警備のおじさんが、歩いた所をライトを照らしながら探してくれた。
それでも無くて、B先生に「こういう時はどうしてるの?」と聞かれて「見付かるまで探す」と言った。
諦めることが出来ない。
もはやこだわりになっていた。
20時まで一人で探した。
病院の玄関は、夜間のほうも閉まってしまった。
ずっと外で一人で探し続けること3時間。
駐車場の入り口を探していたら、パパとママが車で来た!!
「なんで来るんだよ!!!一人で探すんだよ!!」と大声で喚いて、逃げた。
隠れながら、彼と電話で話した。
「ママの所へ戻りなさい。風邪引くよ」と促され、一番利いた言葉が「そんなに僕を心配させたいの?」だった。
「戻る・・・」と言って、一緒に探してくれていた両親の元へ行き、車に入った。
脱力感。
もうないよ・・・。
なくなっちゃった・・・。
それに親にも迎えに来てもらっちゃった・・・。
病院にも迷惑かけた・・・。
苦しくて、寒くて、しばらく動けなかった。
「家に着くまで待ってるよ」と言っていた彼も寝てしまった。
家に着いたのは、23時を回っていた。
それからパパとママは夕食を食べていた。
私はとても食べる気分になれなかった。