私は高機能自閉症

高機能自閉症とは、対人関係の障害・コミュニケーションの障害・こだわりなどの自閉症の特徴の内、知的障害がないものです。

サマーランド

2007-07-29 16:11:47 | 病気
7/26〜7/28、彼と小旅行に行って来た。
大きかったことは2つあるかな。
1つは、サマーランドに行って来て、すごく楽しかったこと。
たくさんの水着の人がいて(当たり前だけど)、私はお腹のお肉を減らさなきゃいかん!と思った。
彼と買いに行った水着だけど、人様の水着の方が可愛く見えてきたりして。
あんなのいいな、これもいいな、と観察していた。
彼も同様だった見たい。
流れるプールが楽しくて、彼と何時間も漂っていた。
幸せな時間だった。
ウォータースライダーはかなりの時間待ったけど、1回でもすべれて私は満足だった。
待ってる間暑かったけど。
そして高校生くらいの男の子の集団がうざかったけど。
サマーランドに行った7/27は、プール日和で、水がとっても気持ちよかった。
心配していたパニックやフリーズも、プールでは起こらず、楽しさにかまけていたのかも。
でもボーリングをやって、私の恥かしい姿を見せ、カラオケをした頃から、記憶が曖昧になってきて、ホテルに向かう車の中で、激しいパニックになった。
私はかなり大声で叫んだらしい。
彼も疲れていたから、今回は2回目だし、切れた。
彼が切れるのは数えるほどしかなく、その怖さから私は益々パニックがひどくなった。
そういうときに、わたしておいたジプレキサを飲ませて欲しかったな。
対策の一つだったから。
ふと、正気に戻ったとき、彼は私の惨状を話して聞かせてくれた。
今度はフリーズしていた。
頭ではしっかりしなきゃ!って思いながら。
彼との終わりを感じた一瞬だったけど、大丈夫だったみたい。
だって話しておいたよね。
パニック・フリーズのリスクを背負って行くということ。
その日は、二人とも前日に私が眠らなかったこともあり、死んだように寝た。
日焼けして、特に彼は痛くてたまらなかったみたい。
でもその日焼けが嬉しかったりして。
二人で行った証だから。
最終日は、買い物三昧。
花火大会用の浴衣と甚平を買ったり、色んなお店に入っては買い物した。
疲れの度合いに慣れてきたのか、彼の怖さを知ったからか、パニックを起こさず済んだ。
それが意外でビックリしたりして。
でも全体的には、パニックが1回で済んだのは、私には意外だったんだけど。
楽しかったな〜。
9月に行く伊豆の旅行には、宿を予約しようと、彼からの提案。
ホテルを探してたら、私が持たないと。
申し訳ないです。
又、あそぼーね!
いっぱい思いでつくろーね!
カメラも買ったしね!(あれは衝動買いじゃないよね?)
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退院後初めての心理

2007-07-26 14:55:52 | 病院
木崎先生の方針により、心理は心理室で30分間と決められている。
佐藤先生のまず第一声「退院おめでとうございます」
20分位は楽しく話していた。
「私はどうなればいいんでしょう」という質問に佐藤先生は「疲れたときに、フリーズやパニックが少なくなれば、ご自分も周りの人も楽になると思わない?それが治療だと思ってるけど」と言われた。
その辺りから、不穏状態に陥ってきた。
30分しかないんだ、外ではお母さんが待っている、何か問題を起こしたら、木崎先生に30分よりもっと短くされてしまう、その圧迫感でいっぱいになった。
問題を起こすな!という暗示で、自分を守るためか、私はフリーズしてしまった。
何もしゃべれなくなり、やはりおしっこが漏れ始めた。
自分が怖くなり、震えながらもやっとの思いで「頭の中がグチャグチャ」とだけ言うと「今考えていることを全部止めて」と言われた。
「なんで30分なの!なんでお母さんが付いて来なくちゃいけないの!」と小さな声で叫ぶように訴えると、涙がポロポロ出てきた。
「そう、そう思ってたの。よく言えたね。そういう気持ちが言えるといいんだけどな。それを考えていたらフリーズしちゃったのね。でも木崎先生の言うことを守っていると、あなたはきっと強い人になれると思うけどな」と言った。
私はこのまま30分経ってしまうのが怖かった。
でも無常にも時間はどんどん過ぎてしまい「そろそろ終わらせる準備をしなきゃいけないんだけど」と言われたけど、私は身じろぎも出来ない。
「自分で立てないと、誰か助けを呼ばなきゃいけないんだよ。こうやってると、次の人が来ちゃうんだよ。立って!」と佐藤先生の口調も段々強くなってきた。
看護師さんや、お母さんを呼ばれたらたまらない。
私は全身の力を振り絞って、歩き出した。
「会計まで付いて行くね」と佐藤先生は言う。
お母さんにこの姿を見られるのが怖かったから、一人で帰りたかったんだけど、佐藤先生は私を支えるように会計に向かって歩き出した。
お母さんの後姿をすぐに見つけた。
見付からないように・・・と祈っていたけど、お母さんは佐藤先生に挨拶し始めた。
なんで、こんな偽りの姿しか見せられないお母さんと、週に2回も通院しなきゃいけないの?
彼の前でパニックを起こしたことも話せずにいるんだよ。
移動支援で他人に任せたほうがずっと安心して通院できる。
お母さんも好きなことが出来る。
やだやだ。

これから彼と夜8時に待ち合わせて、サマーランドへ行く。
木崎先生は「パニックやフリーズは、必ず起きると思いますよ。流れるプールでフリーズしたら、命に危険があることも考えて下さい。もっと大丈夫だという実績を積んでから行った方が、彼とも楽しく行って来れると思うと言ってたと、木崎が言ってたと彼に伝えて下さい」と言っていたので、彼に話したところ「そんなこと言ってたら、30うん才の夏はもう二度とやってこないんだよな!」と言って、私の気持ちを汲んで連れて行ってくれるみたい。
確かにバテバテになって、パニックを起こすと思うけど、佐藤先生に万全の対策を練っていけば大丈夫だと思う、と言われているので、すでに万全の対策を練っているし、そんなに怖がらないで行って来ようと思う。
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入院してました

2007-07-24 17:07:44 | 病院
4/21〜7/19の期間、外来先の病院に入院してました。
措置入院になるところだったけど、措置入院になると、通院先の病院に搬送されるとは限らないので、両親が反対し、4/21の朝一番に横山先生に診ていただき、即入院になりました。
その時の様子は、自分では何もすることが出来ず、主治医の先生曰く「神経衰弱状態」だったそうですが、自分の頭も支えることが出来ず、口元からはよだれをダラダラ流し、目を開いたまま放心状態。
先生が脳波を撮ろうとしたけど、測定することが出来ず、車椅子でE−3病棟(スーパー救急病棟)の保護室まで運ばれ、そこで3ヶ月過ごすことになった。
病棟の担当の先生に主治医が変わり、木崎先生になる。
すぐに点滴が刺され、徐脈だったらしく、心電図モニターが設置された。
散々暴れたし、しばらくお風呂に入っていなかったので、髪の毛が束になって固まり、ゴワゴワになっていた。
おむつを当てられ、勝手に替えて行った。
食事も介助してもらって食べた。
4日目くらいに病室から出ることが出来るようになり、それからは色々なことが許可されていったけど、他の患者さんとの交流は難しく、常に一匹おうかみに看護師さんがプラスされてる感じ。
お風呂も介助だった。
でも病棟内のOTに参加できるようになってくると、いきいきしてきた。
でも病棟OTでも、OTRの方をかなりてこずらせていた。
「迷惑行為があったら、次の日のOTは参加できない」というきまりまで出来てしまい、私は必死だった。
OTが大好きだったから。
大声もかなり出したし、あらゆる物を食べてしまい、落ち着かなくてさ迷い歩いたり、食器を投げたことも何度もあった。
看護師さんに暴言を吐いたこともあったし、人格が変わってしまったと自分では言っていた。
でも私の楽しみは、彼に電話することと、折り紙の作品を作り上げ、ナースルームに展示していくことだった。
途中、やっぱり食べられなくなる期間、飲み込みが悪くなる期間があり、ソフト食や高カロリー飲料になった時もあったが、自分ではダイエット入院だと思い、たいして気に留めていなかった。
それより、薬の副作用で、体の隅々までガタガタ震えること、目が上に上がることのほうが辛かったので、薬を替えてもらったら、フラフラと倒れるようになり、これは退院まで続いた。
途中で、横山先生が朝から現れたかと思ったら、横山先生が7月に辞めて、クリニックを開設することを話され、自分はそのクリニックまでついていける距離ではないし、横山先生と離れてしまうことを実感し、一日中泣いていた。
木崎先生は心配してずっと見守ってくれていた。
その木崎先生が、新しい主治医となった。
たくさんの看護師さんに助けられ、愛情を注いでもらって、その分入院費はバカにならず、畑を売り、両親は不機嫌になり、私もどうしたものかと思いながら、木崎先生の入院期間3ヶ月を満期使って、徹底的に調子を戻す、という考え方は変わらず、意志の強い先生で、逆に言えば頑固者で、これから付き合っていくのにどういう手段でいけばいいのか悩むところだ。
退院する時に、入院の振り返りを看護師さんとしていて「私みたいな患者さんはいなかったでしょう?」と聞いたら「いなかったわよ!本当に大変だった。でも我々は勉強させてもらったね」と言ってくれた。
数々のエピソードを残したけど、ちゃんと病棟に留まらせてくれ、強制入院なんてことにもならず、かえって「大変だったね。無事でよかった」といつも私の見方になってくれて、とても心強かった。
絶対に一方的に責めるということはしなかった。
私は本当に手のかかる患者だったと思うけど、悪口を私に向かって言うこともなかった。
失禁とかしても「替えればいいだけ」ととても前向きなのには助かった。
ただ・・・入院費が100万は高すぎますよ・・・!!
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