毎晩、手首を傷付けていても、病院に行けば助けてくれる、とわらにもすがる思いで、昨日病院に行った。
OTもあったし。
臨時で横山先生の診察を入れてもらった。
手紙を書いてあったので読んでもらった。
アスペの会のことや、おもらしのことも書いてあって、そして最後に今とても辛いことを書いた。
だけど、アスペの会の話ばっかりして、今の辛い状況のことは中々触れてくれない。
手首の傷も見ているはずなのに、見ない振りをしている。
下痢をしていることについて「下剤飲んでるの?下痢をしている時は、下剤は飲んじゃダメなんだよ。分からなかったカナ。下剤と下痢は反対なんだよ」と言われた。
下剤と下痢が反対なのは分かっていたけど、飲みなさいと言われていたから飲んでいたし、先生が「飲まなくなったら、又、便秘になっちゃうかな」と言ったから、先生に「分からなかったカナ」と言われて頷いてしまった。
きっとこういう話のすれ違いって沢山沢山してきていると思う。
ジックリ聞いてもらわないと私のことは分からないと思う。
自分からも本当に思ってることって話そうとしないし。
最後に「今のちゃんまるさんは、ジェットコースターに乗ってるような気持ちなのかな。よくそういう表現方法をする人がいるんだけど」と言われて「いい時がない・・」と言って涙をこぼすと「トップの状態を目指そうとしなくていいからね。低空飛行でやっていこうね」と言われて終わった。
このままなんだ・・・変わらないんだ・・・。
ショックだった。
先生に話せば、今の状況を変えてくれると思ったから。
その状態でOTへ行った。
部屋に入っても、荷物を片付けないでボーッとしていると「ちゃんまるさん、まず荷物をロッカーに入れましょうか」の後「始まる前にトイレに行っておきましょうね」と言って、トイレに行かされた。
だけどトイレの電気がついていなかったので、中に入れなくて、トイレの前でうずくまっていたら、紺野さんが来て「ちゃんまるさん。おーー!!どした?トイレの電気ついてなきゃ入れないじゃないねぇ。はい。どうぞ」と言ってつけてくれた。
言わなくてもよく分かってくれる。
部屋に入ると、自分が今、何をしにここに来たのか、今自分はどこにいるのか、自分の立たされている状況が、全くわからなくなってしまった。
窓に向かって、展示物をいじくっていた。
ポロポロ涙が出てきた。
紺野さんが「ちゃんまるさんは、今日は折り紙やらないのかな?それをやってますか?どうする?”困ってますカード”はできたんだけど」と話しかけてくれて、現実に返った気がして、ワーワー泣き出した。
「泣いちゃったか・・・。よしよし。なんか辛いことあったかな」と言って、背中をさすってくれた。
その間にもテンションの高い患者さんがいて、そっちの方に行っている間に、私は一目散に部屋から抜け出した。
フラフラと向かった先は、精神科外来だった。
看護師さんに説明しようにも、言葉にならない。
声も出ないし、言葉にならない。
イスに座らせれて、簡単な質問をされる。
「私の声が聞こえますか?」「ここがどこだか分かりますか?」
うなずく。
処置室に連れて行かれ、「ちょっと手を見せて。これは今日やったの?昨日?分からないか」と言って、しばらく傷の具合を見ている。
私は軽く傷つけたつもりだったけど、ちょっと傷がオーバーに見える。
そんなに痛くないのに。
「ここで寝てましょう」と言われ、寝かされる。
寝ていると、横山先生が入ってきた。
「今日は、おうちの方に迎えに来てもらいますよ。面倒だとか、申し訳ないと思うかもしれないけど、状態の悪い時は仕方ないですからね。じゃあ、連絡しておきますね」と言って、電話をかけに行ってしまった。
荷物を取りに行こうと起き上がると、すかさず看護師さんが来て「どこに行くの?荷物取りに行きたいの?うーん。車椅子で行こうか」と言われ、なんで車椅子で行かなきゃいけないんだ!?とビックリした。
急に重病人扱いされてる。
横山先生が呼び出され「疲れてるんでしょう。寝てましょう」と荷物さえ取りに行かせてくれない。
「紺野さんにはお電話しておきますから」と言われた。
紺野さんと話したかったのに。
それに処置室のベットは枕が固くて、寝心地悪いから嫌いなんだ。
トイレに行く時も、一緒に看護師さんが着いてくる。
4時に紺野さんが荷物を持って来てくれた。
やっと話が出来る!!と喜んでいたら、母登場!!
「ちゃんまるの母ですが」
ゲッ!!なんで今来るの!!
紺野さんと短い挨拶を交わして、紺野さんはさっさと行ってしまった。
玄関を出て、ずっと私のことを監視している母。
それなのに一言も声はかけない。
さっさとバス停まで歩いていき、時刻表を見ていると「ちゃんまるちゃん、帰るよ」と母に言われた。
「私は迎えに来てなんて頼んでない!!一人で帰るからいい!!」と怒鳴ると「あっそう」と言って、行ってしまった。
しばらくOKストアーをうろついてから、それでももしかして待っててくれてるかもしれない・・・と思い、病院の駐車場に引き返した。
でもどんなに探しても、我が家の車はなかった。
その時、完全に見放された気持ちになり、ものすごい寂しさで気が狂いそうになった。
我慢してもどんどん涙が出てくる。
とっくに5時を過ぎていて、病院は閉まっている。
OTセンターも閉まっていた。
夜間受付から勝手に中に入り、外来に行くと真っ暗だった。
絶望的になりながらも、心理室に足は向いていた。
心理室の前まで行くと、市川先生と佐藤先生の笑い声が聞こえてきた。
安心感で心が満たされていくのが分かる。
でももう5時半近い。
佐藤先生を頼れる時間ではない。
でもどうしてもこのまま帰れなかった。
しばらくドアの前でたたずんでいると、隣の部屋から看護師さんが「誰かに用事?」と声をかけてくれた。
「トントンして」と言うと、その人がノックしてくれて「すみません。この子がなんか用事あるみたいなんですけど分かります?」と言ってくれた。
佐藤先生が出てきてくれて「どうしたの?今日は何かあったの?」と言ってくれた。
何から話せばいいのか分からない。
口だけパクパクさせていると「あーー。呼吸が出来てないよ。そこ座ってごらん」と言われ、廊下のイスに座った。
途端にものすごい勢いで泣き始めた。
佐藤先生もこんな姿は始めてらしく、手首の傷も発見して「辛かったのね。すごく辛かったのね。我慢してたのね。もう我慢しなくていいからね。もっともっと泣かないと苦しいよ。ほら。ちゃんと泣かないと窒息しちゃうよ」と言って、目と鼻を拭ってくれながら、手を触って「手が冷たいなぁ。ちゃんと息出来てないからだよ。死んじゃうよ。血の巡りが悪くなってるから」
「ちょっと触るよ」と言ってから、佐藤先生の胸に私の体を引き寄せてくれた。
「泣いていいよ」と言ってくれ、ワーワー泣いた。
ひとしきり泣いてから「ちょっと待っててね。ここで待ってるんだよ」と言って、心理室の中に入って行った。
横山先生に電話をかけていたらしい。
「今、横山先生に簡単に事情は聞きました。今日、診察も受けて、ベットで寝てたんだってね。その時は、お話できたの?OTが原因で不調になってるんではないのね。今までの家でのことが積み重なって、耐え切れなくなっちゃったのね。私は、このままの状態では木曜日まで無理だと思って、点滴か注射をしたほうがいいと思ったんだけど、外来は閉まっちゃってるよね。横山先生も会議中で抜け出せないらしいの。だとすると、帰る方向で考えようと思います」と言って、警備室の方に歩き出した。
「お母さんとお話したいんだけど。来てるんだよね?」と言われ、一端泣き止んだのに、又泣き出して「お母さん、帰っちゃったの。もういないの」と単語を繋ぎ合わせて、先生は事情を掴んだらしく「自分で帰しちゃったんだよ。分かるね?」と言ってから「じゃあ、お母さんにお手紙書こうかな」と言って、書く内容を二人で相談した。
ちゃんまるさんのお母さんへ
ちゃんまるさんと少しお話をして、帰宅してもらうことにしました。
木曜の外来受診までの間に、お母様に援助してほしいお願い事をメモしますのでどうぞご理解くださいますように。
・ちゃんまるさんはこのところ、調子が悪く、外出するのも怖いが、自室にいるのも怖いと言うような不安な状態です。それでもなんとかお部屋の中で過ごすようつとめていらっしゃるようです。
・今日帰宅したら、不調のことについても質問はせず、自室で過ごさせて下さい。
・お食事のお世話はしてくださるようお願いします。
・ちゃんまるさんにも重大なことになるような自傷はしないよう約束してもらいましたので、顛末については問わないでいただいて、又、お母様の方からちゃんまるさんのお部屋を訪ねることもとりあえず次の受診まではなさらないようにしていただいたほうが、落ち着けるものと思います。
以上の内容だ。
心理室の電話番号も書いてあり「いつでもお母さんに電話していいですよって伝えてね」と言ってくれた。
これを書いてくれて、安心して帰宅できた。
昨夜はリスカしなくて済んだ。
今日は3時過ぎまで起きられなかったけど、食欲も全くないけど、それほど辛くはない。
外がどんな天気かも分からないのだけど。
木曜日、横山先生と入院の話もするそうだ。
入院じゃなくても、点滴などは必要かも、と言われた。
でも私は点滴は嫌い。
何時間もチューブにつながれて束縛されるほど嫌なものはない。
スポーツクラブは退会した。
OTもあったし。
臨時で横山先生の診察を入れてもらった。
手紙を書いてあったので読んでもらった。
アスペの会のことや、おもらしのことも書いてあって、そして最後に今とても辛いことを書いた。
だけど、アスペの会の話ばっかりして、今の辛い状況のことは中々触れてくれない。
手首の傷も見ているはずなのに、見ない振りをしている。
下痢をしていることについて「下剤飲んでるの?下痢をしている時は、下剤は飲んじゃダメなんだよ。分からなかったカナ。下剤と下痢は反対なんだよ」と言われた。
下剤と下痢が反対なのは分かっていたけど、飲みなさいと言われていたから飲んでいたし、先生が「飲まなくなったら、又、便秘になっちゃうかな」と言ったから、先生に「分からなかったカナ」と言われて頷いてしまった。
きっとこういう話のすれ違いって沢山沢山してきていると思う。
ジックリ聞いてもらわないと私のことは分からないと思う。
自分からも本当に思ってることって話そうとしないし。
最後に「今のちゃんまるさんは、ジェットコースターに乗ってるような気持ちなのかな。よくそういう表現方法をする人がいるんだけど」と言われて「いい時がない・・」と言って涙をこぼすと「トップの状態を目指そうとしなくていいからね。低空飛行でやっていこうね」と言われて終わった。
このままなんだ・・・変わらないんだ・・・。
ショックだった。
先生に話せば、今の状況を変えてくれると思ったから。
その状態でOTへ行った。
部屋に入っても、荷物を片付けないでボーッとしていると「ちゃんまるさん、まず荷物をロッカーに入れましょうか」の後「始まる前にトイレに行っておきましょうね」と言って、トイレに行かされた。
だけどトイレの電気がついていなかったので、中に入れなくて、トイレの前でうずくまっていたら、紺野さんが来て「ちゃんまるさん。おーー!!どした?トイレの電気ついてなきゃ入れないじゃないねぇ。はい。どうぞ」と言ってつけてくれた。
言わなくてもよく分かってくれる。
部屋に入ると、自分が今、何をしにここに来たのか、今自分はどこにいるのか、自分の立たされている状況が、全くわからなくなってしまった。
窓に向かって、展示物をいじくっていた。
ポロポロ涙が出てきた。
紺野さんが「ちゃんまるさんは、今日は折り紙やらないのかな?それをやってますか?どうする?”困ってますカード”はできたんだけど」と話しかけてくれて、現実に返った気がして、ワーワー泣き出した。
「泣いちゃったか・・・。よしよし。なんか辛いことあったかな」と言って、背中をさすってくれた。
その間にもテンションの高い患者さんがいて、そっちの方に行っている間に、私は一目散に部屋から抜け出した。
フラフラと向かった先は、精神科外来だった。
看護師さんに説明しようにも、言葉にならない。
声も出ないし、言葉にならない。
イスに座らせれて、簡単な質問をされる。
「私の声が聞こえますか?」「ここがどこだか分かりますか?」
うなずく。
処置室に連れて行かれ、「ちょっと手を見せて。これは今日やったの?昨日?分からないか」と言って、しばらく傷の具合を見ている。
私は軽く傷つけたつもりだったけど、ちょっと傷がオーバーに見える。
そんなに痛くないのに。
「ここで寝てましょう」と言われ、寝かされる。
寝ていると、横山先生が入ってきた。
「今日は、おうちの方に迎えに来てもらいますよ。面倒だとか、申し訳ないと思うかもしれないけど、状態の悪い時は仕方ないですからね。じゃあ、連絡しておきますね」と言って、電話をかけに行ってしまった。
荷物を取りに行こうと起き上がると、すかさず看護師さんが来て「どこに行くの?荷物取りに行きたいの?うーん。車椅子で行こうか」と言われ、なんで車椅子で行かなきゃいけないんだ!?とビックリした。
急に重病人扱いされてる。
横山先生が呼び出され「疲れてるんでしょう。寝てましょう」と荷物さえ取りに行かせてくれない。
「紺野さんにはお電話しておきますから」と言われた。
紺野さんと話したかったのに。
それに処置室のベットは枕が固くて、寝心地悪いから嫌いなんだ。
トイレに行く時も、一緒に看護師さんが着いてくる。
4時に紺野さんが荷物を持って来てくれた。
やっと話が出来る!!と喜んでいたら、母登場!!
「ちゃんまるの母ですが」
ゲッ!!なんで今来るの!!
紺野さんと短い挨拶を交わして、紺野さんはさっさと行ってしまった。
玄関を出て、ずっと私のことを監視している母。
それなのに一言も声はかけない。
さっさとバス停まで歩いていき、時刻表を見ていると「ちゃんまるちゃん、帰るよ」と母に言われた。
「私は迎えに来てなんて頼んでない!!一人で帰るからいい!!」と怒鳴ると「あっそう」と言って、行ってしまった。
しばらくOKストアーをうろついてから、それでももしかして待っててくれてるかもしれない・・・と思い、病院の駐車場に引き返した。
でもどんなに探しても、我が家の車はなかった。
その時、完全に見放された気持ちになり、ものすごい寂しさで気が狂いそうになった。
我慢してもどんどん涙が出てくる。
とっくに5時を過ぎていて、病院は閉まっている。
OTセンターも閉まっていた。
夜間受付から勝手に中に入り、外来に行くと真っ暗だった。
絶望的になりながらも、心理室に足は向いていた。
心理室の前まで行くと、市川先生と佐藤先生の笑い声が聞こえてきた。
安心感で心が満たされていくのが分かる。
でももう5時半近い。
佐藤先生を頼れる時間ではない。
でもどうしてもこのまま帰れなかった。
しばらくドアの前でたたずんでいると、隣の部屋から看護師さんが「誰かに用事?」と声をかけてくれた。
「トントンして」と言うと、その人がノックしてくれて「すみません。この子がなんか用事あるみたいなんですけど分かります?」と言ってくれた。
佐藤先生が出てきてくれて「どうしたの?今日は何かあったの?」と言ってくれた。
何から話せばいいのか分からない。
口だけパクパクさせていると「あーー。呼吸が出来てないよ。そこ座ってごらん」と言われ、廊下のイスに座った。
途端にものすごい勢いで泣き始めた。
佐藤先生もこんな姿は始めてらしく、手首の傷も発見して「辛かったのね。すごく辛かったのね。我慢してたのね。もう我慢しなくていいからね。もっともっと泣かないと苦しいよ。ほら。ちゃんと泣かないと窒息しちゃうよ」と言って、目と鼻を拭ってくれながら、手を触って「手が冷たいなぁ。ちゃんと息出来てないからだよ。死んじゃうよ。血の巡りが悪くなってるから」
「ちょっと触るよ」と言ってから、佐藤先生の胸に私の体を引き寄せてくれた。
「泣いていいよ」と言ってくれ、ワーワー泣いた。
ひとしきり泣いてから「ちょっと待っててね。ここで待ってるんだよ」と言って、心理室の中に入って行った。
横山先生に電話をかけていたらしい。
「今、横山先生に簡単に事情は聞きました。今日、診察も受けて、ベットで寝てたんだってね。その時は、お話できたの?OTが原因で不調になってるんではないのね。今までの家でのことが積み重なって、耐え切れなくなっちゃったのね。私は、このままの状態では木曜日まで無理だと思って、点滴か注射をしたほうがいいと思ったんだけど、外来は閉まっちゃってるよね。横山先生も会議中で抜け出せないらしいの。だとすると、帰る方向で考えようと思います」と言って、警備室の方に歩き出した。
「お母さんとお話したいんだけど。来てるんだよね?」と言われ、一端泣き止んだのに、又泣き出して「お母さん、帰っちゃったの。もういないの」と単語を繋ぎ合わせて、先生は事情を掴んだらしく「自分で帰しちゃったんだよ。分かるね?」と言ってから「じゃあ、お母さんにお手紙書こうかな」と言って、書く内容を二人で相談した。
ちゃんまるさんのお母さんへ
ちゃんまるさんと少しお話をして、帰宅してもらうことにしました。
木曜の外来受診までの間に、お母様に援助してほしいお願い事をメモしますのでどうぞご理解くださいますように。
・ちゃんまるさんはこのところ、調子が悪く、外出するのも怖いが、自室にいるのも怖いと言うような不安な状態です。それでもなんとかお部屋の中で過ごすようつとめていらっしゃるようです。
・今日帰宅したら、不調のことについても質問はせず、自室で過ごさせて下さい。
・お食事のお世話はしてくださるようお願いします。
・ちゃんまるさんにも重大なことになるような自傷はしないよう約束してもらいましたので、顛末については問わないでいただいて、又、お母様の方からちゃんまるさんのお部屋を訪ねることもとりあえず次の受診まではなさらないようにしていただいたほうが、落ち着けるものと思います。
以上の内容だ。
心理室の電話番号も書いてあり「いつでもお母さんに電話していいですよって伝えてね」と言ってくれた。
これを書いてくれて、安心して帰宅できた。
昨夜はリスカしなくて済んだ。
今日は3時過ぎまで起きられなかったけど、食欲も全くないけど、それほど辛くはない。
外がどんな天気かも分からないのだけど。
木曜日、横山先生と入院の話もするそうだ。
入院じゃなくても、点滴などは必要かも、と言われた。
でも私は点滴は嫌い。
何時間もチューブにつながれて束縛されるほど嫌なものはない。
スポーツクラブは退会した。
壊れたものにこだわる必要ない。
壊れたものの一部だけを育ててもいいし。
自分を理解して欲しいのかな。
家族に理解してもらえないのは一番辛いですね。
理解してくれる人は、100人中1人かも知れ
ないけど、その1人を大事にすればいいんじゃ
ないかな。
自分から突っぱねてるくせに、本当は誰かを求めさまよって、寂しくてたまらないんです。
100人中1人でもいい。
誰かそばにいて欲しい。
そんな人がいたら、すごく大事にします。
もうすでに私の周りには支えてくれる人たちがいるけれど、近いようで遠い存在なんです。
今日は一睡も出来ませんでした。
入院をお願いしようかと思っています。
大切にケアし続けるって意味。
決して、その人に頼りきりになるということ
じゃない。
もちろん寄りかかることがあってもいいけど、
全体重を預けるようなことはしない。
そんな人間関係は長続きしない。
太く短くじゃ無くて、細くてもいいから長い人
間関係を二、三本か創っておく。
何かのときに支えてくれるロープが二、三本あ
れば。
決して一つに寄りかかるんじゃないってこと。
歩くことを支える軸はあくまで自分だから。
takaさんの言っている事は分かるような気がします。
私も余り濃厚な関係は、心に重すぎてかえって負担になります。
本当に助けてもらいたい時に、さっと手を差し延べてくれるような気楽さと、本当の意味での大切な人がいるのといないのとでは違いますよね。
うまく言えませんが、細く長くっていう言葉は適切だと思います。
寄りかかるのも、寄りかかられるのも好きじゃないです。
あくまでも自分自身の人生なんですものね!
いつもありがとうございます。