遊夢で「お琴と尺八の調べ」があった。
お琴は小学校1年生から、高校2年生まで、11年間やっていたので、やっぱり興味がある。
しかも私と同じ流派の「生田流」だったので尚更だ。
会場に早めに着いてしまったので、会場設定を手伝った。
草むらの人たちが15人ほど集まった。
途中から聞きに来たおばあさんは、お琴の奏でる音色を聞いて「戦時中を思い出す」と言って、涙を流していた。
大師範と名乗る割りには、そんなに達人技とは思えなかったけど、やっぱりお琴はいいなぁ〜って思った。
私のときは、18歳以上にならないと、師範の免許取得の試験を受けられないことになっていたのだけど、今日の先生に聞いて見たら「そういうことはないと思いますよ。先生の方針だったんではないでしょうか」とのことだった。
だったら欲しかったな。師範の免許。
私は助教授しか持ってないから。
「六段」「春の海」「千鳥の曲」など、どれも懐かしかった。
あんな弾き方もあったっけ、などと思い出しては、いい思い出と、高校時代の辛かった思い出がだぶり、複雑な心境になっていた。
そんな時に、隣に座っていたMさんのお母さんが「シャンソンのコンサートがあるの。お友達を誘って来てね」と言ってきて、(私には誘えるようなお友達はいないんだ・・・)って悲しくなった。
「病名が変わったんですよ」という話もサラッとしたら「あら。良かったじゃない」と言われ、(良かったのかな。発達障害なのに。治らないのに。一生付き合わなければならないのに。ガン宣告と同じ感じなのに)って思った。
こういうことを思うと、人には気安く話しかけられない思いがした。
みんなそれぞれ事情があるだろうから。
私の言った一言が、相手をどんなに傷つけるか分からないから、私は話をするのが怖くなってしまった。
だから人と接するのも怖いんだ。
本当は人が好きなのに、怖いんだ。
お琴は小学校1年生から、高校2年生まで、11年間やっていたので、やっぱり興味がある。
しかも私と同じ流派の「生田流」だったので尚更だ。
会場に早めに着いてしまったので、会場設定を手伝った。
草むらの人たちが15人ほど集まった。
途中から聞きに来たおばあさんは、お琴の奏でる音色を聞いて「戦時中を思い出す」と言って、涙を流していた。
大師範と名乗る割りには、そんなに達人技とは思えなかったけど、やっぱりお琴はいいなぁ〜って思った。
私のときは、18歳以上にならないと、師範の免許取得の試験を受けられないことになっていたのだけど、今日の先生に聞いて見たら「そういうことはないと思いますよ。先生の方針だったんではないでしょうか」とのことだった。
だったら欲しかったな。師範の免許。
私は助教授しか持ってないから。
「六段」「春の海」「千鳥の曲」など、どれも懐かしかった。
あんな弾き方もあったっけ、などと思い出しては、いい思い出と、高校時代の辛かった思い出がだぶり、複雑な心境になっていた。
そんな時に、隣に座っていたMさんのお母さんが「シャンソンのコンサートがあるの。お友達を誘って来てね」と言ってきて、(私には誘えるようなお友達はいないんだ・・・)って悲しくなった。
「病名が変わったんですよ」という話もサラッとしたら「あら。良かったじゃない」と言われ、(良かったのかな。発達障害なのに。治らないのに。一生付き合わなければならないのに。ガン宣告と同じ感じなのに)って思った。
こういうことを思うと、人には気安く話しかけられない思いがした。
みんなそれぞれ事情があるだろうから。
私の言った一言が、相手をどんなに傷つけるか分からないから、私は話をするのが怖くなってしまった。
だから人と接するのも怖いんだ。
本当は人が好きなのに、怖いんだ。
辛いでしょうね...。
でも,貴女はそのままの貴女で良いのでは
ないでしょうか^^?
病気(前の診断名の。)であったなら,
きっと治すことがゴールだったでしょう。
今は,その障害と仲良く付き合う事が,貴女
にとっての『生きる』と言う事のような気
がします。
生きる意味があるのか,...障害が無くても
考える事はあります^^
生きる意味,生まれた意味を捜し求めるこ
とそのものが『生きる』と言う事なのかも
しれませんね。
奇麗事ばかりでごめんなさいね^^
最近「生きることの意味」ばかり考えては悩んでいます。
本当に私は生きていていいの?
こんな出来損ないは生きていてもいいの?
生きていると迷惑かけるだけだよ?
本当はみんなは「うざい」「邪魔」「消えてくれ」って思ってるんじゃないの?
前の診断名のときは、それこそ我儘だからとか、人間そのものの存在を疑われるようなことばかり言われ続けてきました。
「あの人、ボーダーなんだって」
「じゃあ仕方ないか。ボーダーじゃ終わりだね。関わらないほうがいいよ」
こういうことをずっと言われて、自分はやっぱり迷惑な人間なんだな・・・って感じていました。
でも、このボーダーは、二次障害でした。
アスペルガーという障害を受け入れて対処してもらわなかったがために受けた二次障害です。
今、私は、両方の病気(障害)と闘わなければならなくなりました。
アスペルガーだと入所施設は利用できません。
知的障害を伴わないからです。
でも私は知的障害の方と同等の扱いを受けなければ出来ないことも沢山あるのが現状です。
「発達障害者支援法」が2005年に改定されました。
そうしてやっと私の障害が発見され、見直されるようになってきました。
「でももう遅いよ・・・」
私の本音です。