私には耐えられないフラッシュバックがいくつかある。
1グループ目は、田舎でのこと。
まだまだ私も弟も幼い頃のこと。
私は従妹たちとやるゲームに負けるのが悔しくて、ゲーム(ボードゲームやブロックのようなもの)を汲み取り式のトイレに落としていた。
でもそれは弟がやっていることになっていた。
幼すぎる弟は、自分に罪がなすりつけられていることも分からず、ヘラヘラしていたので、罪確定になっていた。
でもそれでよし、と思っていた私でもなかった。
私はすごく悪い奴だ、と思っていた。
でも「弟が捨てているのを見た」発言は撤回できなかった。
一度”そういうもの”とされてしまっていると、「実は私がやりました・・・」とはとても言えなくなる。
その罪の意識のフラッシュバック。
それから、中学1年の私と、小学3年の弟2人が田舎に残された時のこと。
親は2人とも東京に戻っていた。
そんな時に限って、子どもは病気になったりする。
元々弟は、水が変わるとすぐに体を壊す虚弱体質だった。
田舎の家には、従妹と私たち子供しかいなかった。
弟が「ゆこたん、すごく頭が痛いよ」と言ってきた。
従妹と考えて、頭痛薬を引っ張り出してきて、飲ませた。
しかし従妹は、小学3年の弟に「大人の分量」を飲ませた。
飲んですぐ異変が現れた弟。
「ゆこたん、気持ち悪い・・・」と言ったと思うと、その場で吐いた。
その頃の私は、吐く=死ぬ と思っていた。
だからものすごいパニックになった。
吐いた物を片づけるより、真っ先に東京のママに電話をした。
「弟が吐いて、死んじゃうから今すぐ来て」と滅多に親に泣き言を言わない私が、ママに泣きついた。
従妹は平然と汚物を片付け、弟は吐いてすっきりした顔をしていた。
私一人がパニクっていた。
どうしようどうしよう・・・。
だから今でも吐くことは怖いのである。
これも田舎でのこと。
地域でカラオケ大会があった。
田舎だから地域での出し物が活発である。
夏休みだから、どこどこの〜〜さんのお子さん、みたいな感じで紹介されていて、家族みたいなものだった。
私たち従妹同士は、朝から夜のカラオケ大会のために一生懸命練習をしていた。
「静かな湖畔の森の陰から・・・・♪」の輪唱。
特訓を積んだ。
でも優勝は逃した。
参加賞で、子どもたちにはジャポニカ学習長が1冊ずつ配られ、大人には洗濯物のピンチが配られた。
私はそれが不満でたまらなく、一生懸命練習したのに、たかがノート1冊で済まされたのが気に食わなかった。
「こんなのいらない!!」と叫び、拗ねた。
おばさんたちは「じゃあ、この洗濯物のピンチは?」と色々声をかけてくるが、優しくされるほど、怒りや不満がたまってきて、暴れまくった。
そして布団に寝込んでしまった。
ママは周りの人に散々謝り、私の所へ来て堰を切ったように泣いた。
どうしようもない感情のやり場がなく、自分も辛かった。
私は人と比べられるのが嫌なのに、いつも同学年の従妹と比べられてきた。
「〜〜ちゃんは、もう何が出来るようになった」
いつも言われていた。
私自身を見ないで、〜〜ちゃんと比べるみんなの目が嫌いだった。
「でもゆこたんは、〜〜を頑張ってるのよ」とは言ってくれなかった。
いつも誰からも勝っていなければいけなかった。
中学が私立に決まった時、勝ったと思った。
でももう片方の父方の従妹は、私の中学より上のレベルに合格した。
一生分のダメ烙印を押された気がした。
「ゆこたんは○○中学だって」
「でも〜〜ちゃんは××中学よ」
大人は絶対に嫌いだ。
大人にはなりたくないって思った。
今は従妹に会いたいと思わない。
嫌な思い出しか残っていない。
私に同情してくれているみたいだけど、そういう感情を抱くこと自体大嫌い。
どうせ私は落ちこぼれだ。
あと、もう1グループのフラッシュバック。
高校を私だけ卒業できない、という現実ではない夢。
この夢にうなされる。
自分だけ何故かみんなと違う制服。
そして私だけ、卒業式の日に名前を呼ばれない。
みんなが遠ざかっていく。
「待って・・・待って・・・」
手も声も届かない。
今日は本当は彼と出掛けたかった。
彼は休みの日にしたいらしい。
でももしかしたら、誘ってくれるかもしれない・・・
そんな期待を抱いていたけど、時間ばかりが虚しく去って行く。
彼は約束の時間にもメールをくれない。
私はフラッシュバックに襲われる。
しつこくすると嫌われる。
だからもうメールは出来ない。
彼から来るのを待つしかない。
「朝食が終わったらメールする」と言っていたのに、どうしてくれないの?
期待してはいけない。
でも期待してしまった分、悲しくなってしまった。
M市のアウトレットに行きたいな、大きな本屋さんに行きたいな、色々想像を膨らましていたけど、もう萎んでしまった。
涙が流れてくる。
私はいつまで待てばいいの?
待っていれば叶えてくれるの?
フラッシュバックが起こった分、ネガティブになる。
それに、目の前の家が工事中だ。
音に弱い私が、退院してまず待ち構えていた難題は、工事中の音だった。
叫びたくなる。
我慢しているのに、ママが何か言って来ると、押し倒して殺してしまいそうになる。
やめてよ、もう・・・。
フラッシュバックを告白すれば、乗り越えられると思ってた。
でも辛い部分が、浮き彫りにされてしまった。
彼・・・。
もう朝食じゃなくて、昼食の時間になってるよ。
何が起こっているのか分からない。
今日も無駄に過ごしてしまった。
死んでしまいたいと思う瞬間。
1グループ目は、田舎でのこと。
まだまだ私も弟も幼い頃のこと。
私は従妹たちとやるゲームに負けるのが悔しくて、ゲーム(ボードゲームやブロックのようなもの)を汲み取り式のトイレに落としていた。
でもそれは弟がやっていることになっていた。
幼すぎる弟は、自分に罪がなすりつけられていることも分からず、ヘラヘラしていたので、罪確定になっていた。
でもそれでよし、と思っていた私でもなかった。
私はすごく悪い奴だ、と思っていた。
でも「弟が捨てているのを見た」発言は撤回できなかった。
一度”そういうもの”とされてしまっていると、「実は私がやりました・・・」とはとても言えなくなる。
その罪の意識のフラッシュバック。
それから、中学1年の私と、小学3年の弟2人が田舎に残された時のこと。
親は2人とも東京に戻っていた。
そんな時に限って、子どもは病気になったりする。
元々弟は、水が変わるとすぐに体を壊す虚弱体質だった。
田舎の家には、従妹と私たち子供しかいなかった。
弟が「ゆこたん、すごく頭が痛いよ」と言ってきた。
従妹と考えて、頭痛薬を引っ張り出してきて、飲ませた。
しかし従妹は、小学3年の弟に「大人の分量」を飲ませた。
飲んですぐ異変が現れた弟。
「ゆこたん、気持ち悪い・・・」と言ったと思うと、その場で吐いた。
その頃の私は、吐く=死ぬ と思っていた。
だからものすごいパニックになった。
吐いた物を片づけるより、真っ先に東京のママに電話をした。
「弟が吐いて、死んじゃうから今すぐ来て」と滅多に親に泣き言を言わない私が、ママに泣きついた。
従妹は平然と汚物を片付け、弟は吐いてすっきりした顔をしていた。
私一人がパニクっていた。
どうしようどうしよう・・・。
だから今でも吐くことは怖いのである。
これも田舎でのこと。
地域でカラオケ大会があった。
田舎だから地域での出し物が活発である。
夏休みだから、どこどこの〜〜さんのお子さん、みたいな感じで紹介されていて、家族みたいなものだった。
私たち従妹同士は、朝から夜のカラオケ大会のために一生懸命練習をしていた。
「静かな湖畔の森の陰から・・・・♪」の輪唱。
特訓を積んだ。
でも優勝は逃した。
参加賞で、子どもたちにはジャポニカ学習長が1冊ずつ配られ、大人には洗濯物のピンチが配られた。
私はそれが不満でたまらなく、一生懸命練習したのに、たかがノート1冊で済まされたのが気に食わなかった。
「こんなのいらない!!」と叫び、拗ねた。
おばさんたちは「じゃあ、この洗濯物のピンチは?」と色々声をかけてくるが、優しくされるほど、怒りや不満がたまってきて、暴れまくった。
そして布団に寝込んでしまった。
ママは周りの人に散々謝り、私の所へ来て堰を切ったように泣いた。
どうしようもない感情のやり場がなく、自分も辛かった。
私は人と比べられるのが嫌なのに、いつも同学年の従妹と比べられてきた。
「〜〜ちゃんは、もう何が出来るようになった」
いつも言われていた。
私自身を見ないで、〜〜ちゃんと比べるみんなの目が嫌いだった。
「でもゆこたんは、〜〜を頑張ってるのよ」とは言ってくれなかった。
いつも誰からも勝っていなければいけなかった。
中学が私立に決まった時、勝ったと思った。
でももう片方の父方の従妹は、私の中学より上のレベルに合格した。
一生分のダメ烙印を押された気がした。
「ゆこたんは○○中学だって」
「でも〜〜ちゃんは××中学よ」
大人は絶対に嫌いだ。
大人にはなりたくないって思った。
今は従妹に会いたいと思わない。
嫌な思い出しか残っていない。
私に同情してくれているみたいだけど、そういう感情を抱くこと自体大嫌い。
どうせ私は落ちこぼれだ。
あと、もう1グループのフラッシュバック。
高校を私だけ卒業できない、という現実ではない夢。
この夢にうなされる。
自分だけ何故かみんなと違う制服。
そして私だけ、卒業式の日に名前を呼ばれない。
みんなが遠ざかっていく。
「待って・・・待って・・・」
手も声も届かない。
今日は本当は彼と出掛けたかった。
彼は休みの日にしたいらしい。
でももしかしたら、誘ってくれるかもしれない・・・
そんな期待を抱いていたけど、時間ばかりが虚しく去って行く。
彼は約束の時間にもメールをくれない。
私はフラッシュバックに襲われる。
しつこくすると嫌われる。
だからもうメールは出来ない。
彼から来るのを待つしかない。
「朝食が終わったらメールする」と言っていたのに、どうしてくれないの?
期待してはいけない。
でも期待してしまった分、悲しくなってしまった。
M市のアウトレットに行きたいな、大きな本屋さんに行きたいな、色々想像を膨らましていたけど、もう萎んでしまった。
涙が流れてくる。
私はいつまで待てばいいの?
待っていれば叶えてくれるの?
フラッシュバックが起こった分、ネガティブになる。
それに、目の前の家が工事中だ。
音に弱い私が、退院してまず待ち構えていた難題は、工事中の音だった。
叫びたくなる。
我慢しているのに、ママが何か言って来ると、押し倒して殺してしまいそうになる。
やめてよ、もう・・・。
フラッシュバックを告白すれば、乗り越えられると思ってた。
でも辛い部分が、浮き彫りにされてしまった。
彼・・・。
もう朝食じゃなくて、昼食の時間になってるよ。
何が起こっているのか分からない。
今日も無駄に過ごしてしまった。
死んでしまいたいと思う瞬間。
みんなそれぞれ、体験は違うかもしれないけど、何かしらあるんじゃないかな。フラッシュバック・・・。でも、だからといって、ゆこたんの苦しみを軽んじているわけではないからね。
私は、時々激しい怒りに襲われて、だれかをぶんなぐりたくなる。そういうときは、頭の中でだれかをぶん殴るところを想像するの。そうすると、少しはいいみたい。こんな想像をしている自分を、だれにも見せたくないよ・・・。特に愛する夫には・・・。
今、措置入院の危機に襲われています。
フラッシュバックのせいで。
小さな不安のせいで。
ちゃこさんは、ちゃんと乗り越えてるのに、ちゃんとではないかもしれないけど、私は殴るところを想像できず、本当に殴ってしまった。
家具を壊してしまった。
ゆこたんは壊れた。
ここに来て、気持ちを落ち着かせようとしているけど、私のしたことは取り返しがつかないんだ。
高齢のママは、もう心がズタズタだと思う。
一層のこと、私を見切って欲しい。
もう面倒見切れないって言って欲しい。
私は社会のゴミだ。
いったい何があった???
彼も忙しくてゆこたんのメールどころではないかも・・・・・・。それと不安だから過去のトラウマがよみがえる。退院後10日で不安定になる。ガラスのような人だと思った。
彼にも「ゆこたんの心は弱すぎる!」と言われました。
これから気持ちをブログに書きます。
彼から連絡ありました。
このブログを読んだ上で。
半ば呆れていました。
今私は、落ち着いているというか、闘いに朽ち果てたみたいな感じです。
私は五年前にアスペルガーの診断。
病気して入院生活で、激痛と戦ってるまる一ヶ月間がありまして、
病院はつねに工事中の電気ドリルの凄まじい騒音!地獄絵巻まんまだった。
そして同部屋の年寄りはストーカーみたいに、ずっと話しかけては人の情報をすべて知り尽くさないと気が済まない、細木×子みたいな老人!で。
家族や見舞人の間にまでカーテンごしから話しに割り込む異様ぶり… キガクルイました。
入院が逆にまったく安静できず、病院変えました。
病院は家庭みたいな構図で、
男(医師、父)はざっと病気だけみて終わり、
女(看護婦、母)は患者の世話や不満を聞いたり現場(家、病室)の事情も把握して知っている。
男はまったく、現場でいつのまに何がどう変わってるかなんて、まったく見えないんだなあ。
病院は看護婦が運営して牛耳ってるんかも、ってダウンタウンの正月番組「 絶対に笑ってはいけない病院」のエンディング曲でも同じ事言ってたんだよ。
入院してらしたんですね。
私もついこの間まで。
病院で工事は耐えられませんね。
私は個室(というか、保護室)だったので、患者さんとの接触がない分、楽でした。
みかさんは、ユーモアのある方ですね。
もしかしたら私の寿命は40才かもしれないという。
ちょうどいい感じだったりして。
差し支えなければ大体でも教えて下さい。
寿命が40くらいと言われても、私には分かりません。
私はもうすぐ40ですけど。
でも私は40よりもっと生きたいな。
こんな奴ですが。