しなくちゃいけないこと、出来るようにならなくちゃいけないことが沢山ある。
生活面での基礎である、食事、排泄、清潔、そういったこいとも満足に出来ない。
社会に出れば、他の人と違った行動を取り、変な目で見られたり、怒られたり、除外されたりする。
私だってみんなのように出来ればって、ずっとずっと思ってる。
思って生きてきた。
でもどうしても土壇場に来ると、大騒ぎしてしまったり、怒鳴ってしまったり、迷惑な行動を取ってしまう。
「どうして普通に出来ないの?」
そんなことはずっと言われ続けてきた。
「お願いだから人と同じことをして」
同じように振舞う努力はした。
勉強も頑張った。
でも落ち着きのなさ、思い立ったらすぐに行動してしまう、先が読めない、自分の世界に入ってしまう、そして怒られる、どんどん自己評価が下がり、ついには鬱病だと言われる。
自殺を図らないように監視される。
境界性人格障害だとも言われて、あぁいう人とはやっていけないよね、と更に友達との関係のやりにくさに拍車をかける。
ほら来た、フラッシュバック。
私は高校生に戻ってしまった。
教室に入れない。
みんなと一緒に授業が受けられない。
「教室に入れない奴には試験を受ける資格がない」
保健室でも受けさせてくれない。
学校がやだ。
でも大学に行かない奴は落ちこぼれ。
世間体が立たない。
大学。
また学校に行かなければならない。
学校が終わったら就職だ。
みんなと合わせられない私は、就職先さえない。
バイトをしても、変な目で見られる。
もう働くのも嫌だ。
行き着いた所は、やはり精神病院だった。
居心地良かった。
青春時代真っ只中、2年も3年も同じ病院に入院させられた。
今では考えられない、保護室に2人入れられて、カギを閉められた。
1日に7回お尻に注射は当たり前で「北斗七星が出来た」といつも言っていた。
決まった時間に食堂に並んで行き、決まった時間に寝る。
そんな生活、当たり前だと思ってた。
レコ大も紅白も見れず、曜日の感覚なく、部屋の下から入れられる食事を受け取り、窓の隙間からコップに水をもらい、それで口を注ぐ。
それが囚人の生活に似ているなんてことも知らなかった。
ベゲタミンAは、囚人の私たちからは「赤玉」と恐れられ、誰かさんが電気ショック療法を受けてバカになったらしい、と情報を得る。
次は自分か、と怖がる。
そんな生活だもん、社会性なんて身につかない。
世間を知らないのだから。
それが長引き、30代に入った。
人生に終止符をつけようと、ダイビング。
不成功に終わり、腰椎圧迫骨折、両足骨折、左手骨折。
両親は「恥さらしだ」と救急車も呼んでくれなかった。
今の病院に来て「入院は長くて3ヶ月です」という言葉に衝撃。
3年はありえても、3ヶ月の入院なんてしたことない。
体の自由がない私は、老人が沢山いる部屋に入れられた。
今まで若者の病院しか経験なかった私は、老人の取る様々な行動に驚かされた。
そして入院しながらでも、散歩があるんだって知った。
そうして今の病院に馴染んで行っている。
今の病院で発達障害だと分かった。
児童精神科の経験豊かな先生だったから、発見できた。
今はその先生は他の病院に移ってしまった。
初めて言われた発達障害という言葉は、知的障害と言われている気分だった。
でも症状が顕著であり、今まで「集団に合わせる事」にずっとずっと頑張ってきたのに「個性を生かしていきましょう」と言われても、じゃあ勝手にやっていいんですか?って思った。
でも安心した。
私は生まれながらの障害であり、もう治らないから、この障害を受け止めて、障害に向き合って、生活しやすくしていきましょう、と言われてほっとした。
それからは、自閉症の施設などの見学に行くようになり、今は精神障害、知的障害、発達障害全部兼ね合わせたようにして生きてる。
はぁ、ここに書くことで、フラッシュバックから抜け出せた。
よく言われる。
「自伝、書きなよ」
やる気になれば、本当に書き出してしまいそうだけど、きっと寝食忘れて書くことに没頭しそうだから、やめておく。
それにどこの病院にいたかばれたら、きっと違法で捕まる。
私が取り乱す時。
彼から連絡がない時。
でも後になって「携帯がなくなった」とか「寝てた」とか、おとぼけな言葉で力が抜けていく。
きっと今回もそんなであろう。
何事もありませんように。
私は書くことで冷静になることもある。
もうジプレキサを加えて寝逃げしよう。
生活面での基礎である、食事、排泄、清潔、そういったこいとも満足に出来ない。
社会に出れば、他の人と違った行動を取り、変な目で見られたり、怒られたり、除外されたりする。
私だってみんなのように出来ればって、ずっとずっと思ってる。
思って生きてきた。
でもどうしても土壇場に来ると、大騒ぎしてしまったり、怒鳴ってしまったり、迷惑な行動を取ってしまう。
「どうして普通に出来ないの?」
そんなことはずっと言われ続けてきた。
「お願いだから人と同じことをして」
同じように振舞う努力はした。
勉強も頑張った。
でも落ち着きのなさ、思い立ったらすぐに行動してしまう、先が読めない、自分の世界に入ってしまう、そして怒られる、どんどん自己評価が下がり、ついには鬱病だと言われる。
自殺を図らないように監視される。
境界性人格障害だとも言われて、あぁいう人とはやっていけないよね、と更に友達との関係のやりにくさに拍車をかける。
ほら来た、フラッシュバック。
私は高校生に戻ってしまった。
教室に入れない。
みんなと一緒に授業が受けられない。
「教室に入れない奴には試験を受ける資格がない」
保健室でも受けさせてくれない。
学校がやだ。
でも大学に行かない奴は落ちこぼれ。
世間体が立たない。
大学。
また学校に行かなければならない。
学校が終わったら就職だ。
みんなと合わせられない私は、就職先さえない。
バイトをしても、変な目で見られる。
もう働くのも嫌だ。
行き着いた所は、やはり精神病院だった。
居心地良かった。
青春時代真っ只中、2年も3年も同じ病院に入院させられた。
今では考えられない、保護室に2人入れられて、カギを閉められた。
1日に7回お尻に注射は当たり前で「北斗七星が出来た」といつも言っていた。
決まった時間に食堂に並んで行き、決まった時間に寝る。
そんな生活、当たり前だと思ってた。
レコ大も紅白も見れず、曜日の感覚なく、部屋の下から入れられる食事を受け取り、窓の隙間からコップに水をもらい、それで口を注ぐ。
それが囚人の生活に似ているなんてことも知らなかった。
ベゲタミンAは、囚人の私たちからは「赤玉」と恐れられ、誰かさんが電気ショック療法を受けてバカになったらしい、と情報を得る。
次は自分か、と怖がる。
そんな生活だもん、社会性なんて身につかない。
世間を知らないのだから。
それが長引き、30代に入った。
人生に終止符をつけようと、ダイビング。
不成功に終わり、腰椎圧迫骨折、両足骨折、左手骨折。
両親は「恥さらしだ」と救急車も呼んでくれなかった。
今の病院に来て「入院は長くて3ヶ月です」という言葉に衝撃。
3年はありえても、3ヶ月の入院なんてしたことない。
体の自由がない私は、老人が沢山いる部屋に入れられた。
今まで若者の病院しか経験なかった私は、老人の取る様々な行動に驚かされた。
そして入院しながらでも、散歩があるんだって知った。
そうして今の病院に馴染んで行っている。
今の病院で発達障害だと分かった。
児童精神科の経験豊かな先生だったから、発見できた。
今はその先生は他の病院に移ってしまった。
初めて言われた発達障害という言葉は、知的障害と言われている気分だった。
でも症状が顕著であり、今まで「集団に合わせる事」にずっとずっと頑張ってきたのに「個性を生かしていきましょう」と言われても、じゃあ勝手にやっていいんですか?って思った。
でも安心した。
私は生まれながらの障害であり、もう治らないから、この障害を受け止めて、障害に向き合って、生活しやすくしていきましょう、と言われてほっとした。
それからは、自閉症の施設などの見学に行くようになり、今は精神障害、知的障害、発達障害全部兼ね合わせたようにして生きてる。
はぁ、ここに書くことで、フラッシュバックから抜け出せた。
よく言われる。
「自伝、書きなよ」
やる気になれば、本当に書き出してしまいそうだけど、きっと寝食忘れて書くことに没頭しそうだから、やめておく。
それにどこの病院にいたかばれたら、きっと違法で捕まる。
私が取り乱す時。
彼から連絡がない時。
でも後になって「携帯がなくなった」とか「寝てた」とか、おとぼけな言葉で力が抜けていく。
きっと今回もそんなであろう。
何事もありませんように。
私は書くことで冷静になることもある。
もうジプレキサを加えて寝逃げしよう。