2009-03-10 20:12:35

私をうんざりさせた作家 山崎朋子さん

テーマ:ブログ

あなたは某月刊誌において「アジア女性交流史・昭和期篇」の中で、私のことを
とりあげていますが、私のことを書くのは自由ですが、私を誹謗したいが
ために小倉みえさんと全編を通して比較することはないのはないでしょうか。
私は小倉みえさんのことを、 つい最近知りました。
とても素晴らしい方だと思います。


私が仰天したのは私を非難したいがためだけに畏れ多くも皇后陛下まで
引き合いに出して比較していることです。
あなたは何を考えていらっしゃるのですか。 不敬にも程があります。


私は美智子様が皇太子様とご婚約なさった時から、ずぅーっと今日まで心より
敬い続けて参りました。 
美智子皇后様のような、ある意味では超人的な方はいないと思っております。


私はあなたに自分のことを何と書かれようと誤解されようと痛くも痒くも

ありません。
畏れ多くも皇后様と比較なんて、とんでもないことです。


あなたは私に元大統領夫人として人生を全うすべきところ、
全うしていないという事で私を誹謗、非難、攻撃、侮辱し続けていますが、
私は30才で未亡人になったのです。
私が50才、60才で未亡人となっていたら、そうした生き方をした

かもしれません。
しかしながら私は19才で既に名誉、地位、権力、財力を持った完成された

男性のもとに居たのです。そして普通ではない生活を送っていました。


たった1人でインドネシアという誰一人知らない国へ行って、インドネシア語を
身につけることから、国民に全力を尽くして愛される努力をし、
全身全霊を持ってスカルノ大統領に仕えながら、政変に遭い、国を追われて、
乳飲み子を抱えてパリへの亡命生活、その私が生まれた子供に父にかわる

存在を与えながら、共に協力し合って人生を築く伴侶を得たい、と思っても、
誰が私を責めることが出来ますでしょうか。


まだ、30才の若さだったのです。
かのジャックリーヌ・ケネディさえも、この若さで亡き大統領の未亡人として
化石化するのはごめんです、と言ってアリストテレス・オナシス

(ギリシャ大富豪)と再婚いたしました。


山崎朋子さん、あなたはおかしいのではないですか。 
私を責めたい、攻撃したい、誹謗したいのなら、どうぞご勝手に。 
こともあろうか日本の皇后陛下を何故もちだしてくるのですか。


あなたが“思っているような大統領の未亡人”として余生を暮らさなかった

ことに、誰が期待外れだとか失望したとか言う人が、この世にいますか。
私に、そもそもそんな期待はかけられていません。


あなたは、そもそも、私のことを書くにあたり昔書かれた捏造記事を

ひっぱり出してきて私を誹謗中傷しようとしましたね。
それも40年前に書かれ私に告訴され処分済みのものをあたかも事実のように

紹介し、私が提訴するとおどかしたら、書きようがなくなり、
今度は私を誹謗するにあたり、美智子皇后様まで引き合いに出して

比べるとは、あきれた人です。
何と非常識で非礼、下劣で悪趣味な作家でしょう。 山崎朋子という人は。


今、私は40年間の外国生活から日本へ戻ってきて子供の頃からしたかった

穏やかな生活をしています。 私は絵を描くことが好きで画家になりたかった、
母は貧しい中に内職をしてまで私に絵を習わせてくれました。
また舞台女優をめざして日本初の国際俳優である早川雪州主宰の東芸プロに
入っていました。
童謡歌手の近藤圭子さんや浅丘ルリ子さん主演のTVにも出させて
頂いたこともありました。
日舞も習い、初舞台は1959年5月16日(写真)三越劇場での「藤娘」でした。


デヴィ夫人オフィシャルブログ「デヴィの独り言 独断と偏見」by Ameba-藤娘

スカルノ大統領との運命の出会いは、この1ケ月後でした。



今、私が日本のTVに出ていることすらあなたにとっては面白くないこと

なのですね。
それを非難するのにあたり延々とTV番組について書かれていましたね。
あなたは本当におかしな人ですね。
それも全て私を非難するためなのですから、驚きです。


ほとんどの大統領夫人は夫の死後 世の中から消えていっています。
私の場合、今でも外国の新聞で Dewi というタイトルだけで書かれても、
誰のことなのか何らの説明不要なくらい知名度を高くしております。


私は100才までは生きたいので105才を目標にしています。
政変後、一命を失わずに生きてこれました。 
死ぬとき思い残すことはなく死にたいのです。
残りの人生は賜物と思っています。


私は何にでも好奇心をもち、探究心旺盛、何でも経験して、
何でも味わってみたいのです。
どこにでも行ってみたいのです。
私は今 自由を得ています。


それは精神的、物理的、経済的にかけがえのない独立を得ていることだと

思います。
私は「自由」という贅沢を得ている数少ない人の一人だと思っています。


あなたは写真集のことでケンケンガクガク言っておりますが、
回教徒のインドネシアの方から言われるならともかく、
あなたから言われる筋合いはありません。
私は自分をアーティストだと思っているのです。


50才になった時、TVで100才を越えた人が4500人いる事を知りました。
今は2万人以上います。でも、その時は電撃に触れたようでした。
もうあと50年も生きられるのならまったく生まれ変わって
違った50年を生きてみたいという欲望にかられました。
私はしたい事をして、たった1度の人生を生きぬきたいのです。
ほとんど多くの人々は毎日を“生活”している、私は毎日を“生きて”います。
これからも楽しく生きぬくつもりでいます。


私は色々なことを創作したいのです。
自分がなれなかった才能あるオペラ歌手やポップ歌手、そしてピアニスト達を
応援したいのです。
時間のある時には、好きな絵を描いて、犬に囲まれて、盆栽をめで、

お花を愛し、女友達と楽しい時間を分かち合って、私はそれで良いのです。


あなたは信じられない人ですね。
なぜ普通にアジア女性史を書けないのですか。
なぜ畏れ多くも皇后様と比べたりするのですか。
私は自由なアーティストです。

どこかの国では外交官として自由自在に生きることが出来なくてご病気に
なった方もいます。