2009/2/22
「Ω祖型からヴァチカンまで 」
日本に対しては属国意識を持ち、日本を米国の被保護国と呼ぶ。日本がアジアの大国になることは「不可能」であり、日本はひたすら経済成長に力を注ぎ、その経済力を国際社会に寄附し使ってもらう存在になるべきだ。
By BLACK POPE(Alias MR.Z and MR.M)
White is Black,Black is White.The Black POPE is invisible eighth man at the table.But there exists 2Black POPE not elected by Jesuit.First Black POPE was Antonio Gramsci.
キリスト教は,シリア社会に属していた人々を先祖とする民俗からきたものである。シリア世界の一半を形づくっていたイランは,ミトラ教を提供した。イシス崇拝は,エジプト世界の征服された北半分から来たものである。アナトリアの大母神キュペレの崇拝は,多分,当時,宗教を除く他のすべての社会的活動の面において,死滅してからすでに久しい時を経ていた,ヒッタイト(Hittite)社会からもたらされたものとみなされる〜〜〜もっとも,この大母神の究極の起源を探ってゆくと,アナトリアのペシヌス(ガラテア地方の都市)でキュベレーとなり,ヒエラポリス(シリアの北部の町)でシリア女神De Dea Syraとなり,あるいはまた,遠く離れた北海やバルト海の聖なる島の森の中で,ゲルマン語を話す人々に崇拝される地母神となる以前に,元来シュメール世界においてイシュタル↑の名で知られていた女神であることが判明する。(Study of Historyサマヴェル縮小版より)
『父なる神と同様にキリスト(子)と聖霊が同じ「神性」を持つという「三位一体」の教説は、現代の知性にとっては単なる詭弁以外の何ものでもないものとして捉えられるであろう。実際問題キリストの「人性」を否定して(例えば人の子イエスを)神と同列視する(ないしは、それに準じたものとして看做す)カトリックの教説は、神秘主義の世界観においては一定の真理を伝えるものであるとは言えようが、イエスが人間であったからこそ彼に降り掛かった受難に意味があるという本質を損なうものだとも言える。また三位一体の教説こそ、人間が文明を構成する以上、文明を象徴する<徴>に惹き起こる受難、言い換えれば文明そのものに降り掛かる受難がそのまま人類の受難を意味することを想起すればこそ、現世を肉体を持って生きる人々にとって重大な<普遍的人間>の指し示す象徴の本質的意味を骨抜きにするものとなる。すなわち、このカトリックが最終的に採用した教説は、そうした欺瞞的な「神秘主義」の意図の潜むものである。だがそのためにこそこの教説は、複層的かつ韜晦な神学論のヴェールによって神秘化: mystifyされなければならなかった。こうした神秘化は「霊的真理」というものに対する批判精神を欠いたご都合的な世界観を許容し、さらには結局その信仰が人類を救わないという事実からわれわれの注意を引き離し、それへの無反省な「信仰」と「救済の欺瞞」は、今後われわれに降り掛かってくる事態についての責任という認識を容易に忘却させるのである。
仮にわれわれの人生というものが、全く逆説的な意味で、そうした「神秘的な真理」の<実現到来>によって最終的に「救済」されるにしても、現世を生きる人間の実質的苦悩を相殺することはないばかりか、その真実認識はさらに深い懊悩をもたらすのである。そしてその冷厳な事実こそ宗教のメッセージが重大でありうる唯一の理由であったにも関わらず、「イエスの聖化:脱俗化」の実行によって、現世を生きるわれわれの罪過まで免罪されるという欺瞞を惹起させた。そしてその生き方を変更することの無き「免罪された人類」こそが、次なる歴史時代の終焉を決定付けるのである』以上”3”の時代・ENTEE MEMOより引用
過去における他者の死が未来におけるあなたの贖罪になる理由から一部転載 ENTEE MEMOより
『イエスがみずからの身を十字架にかけることにより「贖罪(罪をあがなうこと)」を全人類のために果たしてくれたから、とキリスト教では教えているというキリスト教の中核ともいうべき(だが大胆な)教義の記述についての解釈論である。
過去に行なわれたキリストの十字架上の刑死が、未来の人間であるわれわれの罪を消し去る「贖罪 しょくざい」であったという考えはどのように成立しうるのだろうか? そのようなことが論理的に成立するのかと言えば、どうしても否と言う誘惑を感じないわけには行かない。。だが、こうした不可解もキリスト者にとっては当然のこととして躊躇いなく受け入れている部分のようである。そもそもどうして過去の聖者の自ら選んだ死が、未来の人間の過ちまで含んでそれらを消し去ることに通じ得るのか?
こうした疑問は決して真新しいものではなく、キリスト教に対する懐疑の発端としては古典と言うべきものである。例えば、「贖罪【しょくざい】論 」として書かれている解説にもそうしたトーンが反映されているのを見て取ることができる。これは一読の価値がある。(管理人注:多くの聖職者はキリスト教は許しの宗教であると言う。それは過去から現世までを俯瞰して視る能力がない表れでもある)。
ある意味、これは現世を生きる人間にとって大変「便利」な教えである。現世を生きるわれわれがこれほどまでに堕落し、「間違って」いるのは、この免罪符をすでに手に入れたと考えたためではないかと思われるほど、われわれにとっていかにも有利な教えである。もし、「イエスがみずからの身を十字架にかけることにより贖罪を全人類のために果たしてくれた」と受け容れることが、キリスト者への第一歩であるとすれば、そこには信心することに付随する苦悩が存在しないように思えるではないか? 一体このような「決心」のどこが困難な修練となるのであろうか? 聖書時代から視れば、すでに未来の時を生きているわれわれの犯した(あるいはこれから犯す)罪が、過去の“聖者”による行為によってあらかじめ「消し去られている」のであれば、われわれは何をやっても良いという風にさえ、あえて解釈されはしないだろうか?(いや、現にされているのではあるまいか?)私ならそうするだろう』。
この衝撃的な本は内部告発本である。日本語版はない。次回から説明します。作者はMalachi Martin。元イエズス会でVatican's Pontifical(ローマカトリック教会)Biblical Instituteの教授であった人である。私の命を奪う者が出てくるかもしれない。
同じ作者によるもの。
ニューヨークにあるオプス・デイ本部
ローマ銀行そのぼろ儲けの秘密1〜2参照
巨大カルト・バチカン研究1〜10
ヒットラーに融資したのは?......
Vatican Infiltration
Vatican is the real spiritual Controller of the ILLUMINATI and NEW WORLD ORDER
Hitler's CONCORDAT AGREEMENT with VATICAN in 1933
Signature of the Reichskonkordat on 20 July 1933. From left to right: German Vice-Chancellor Franz von Papen, representing Germany, Giuseppe Pizzardo, Cardinal Pacelli, Alfredo Cardinal Ottaviani, German ambassador Rudolf Buttmann.
ヒットラーの両親ALOISとKLARA
ヒットラーの祖父は?
もしソロモン・ロスチャイルドが....参照
フリーメーソンなどの基礎知識
イエズス会の宣誓書はイルミナティと同じ
Ω祖型の事例
『唯一神への信仰を強要する普遍宗教の類が強調する「偶像崇拝の禁止」とは、キリスト教のイコンのような宗教的な崇拝対象物に限るものではなく、実は「あらゆる人為的創作物への崇拝の禁止」であったと考えられる論拠がある。人間が人間の手によって作り出すものを絶対のものとして崇拝することは、人間が人間の潜在能力を過信することを意味し、人間によって解決できないものはないとする人間の自己愛と自己過信へとつながっていくのである。その自己過信が、人間自身によって解決することのできない問題を人間自体が作り出すことになり、それが人間自身を一旦完膚なきまでに滅ぼすのである』<引用おわり>
伝統数秘学批判・ENTEE MEMO参照(長いですからじっくり読まれるように)
In a City called NAZARETH,彼はナザレのJESUSと呼ばれた。若者は言った。「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが,あの方は復活なさって,ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。さあ,行って,弟子達とペトロに告げなさい。あの方は,あなたがたより先にガリラヤに行かれる。かねて言われたとおり,そこでお目にかかれる」と。婦人たちは墓を出て逃げ去った。震え上がり,正気を失っていた。そして,だれにも言わなかった。恐ろしかったからである。<マルコ16:6〜8>
『新約聖書とイエスの歴史的受容の記事では、歴史的観点からみた「信仰のイエス」を描く。これは「史的イエス」とも異なり、またクリスチャンによるイエス像とも異なる。例えば、マタイがどのようにイエスを描き出しているか、そういうことが問題となる。
新約聖書とイエス
新約聖書は、伝統的にイエスの言行を弟子たちが記録したものだといわれている。彼がもたらしたさまざまな「奇跡」が、彼がキリスト教において「救世主」「神の子」とみなされる大きな理由にもなっている。
さらに、キリスト教においてかれが「救世主」と見なされ通常の預言者と一線を画するもう一つの理由は、彼が神ヤハウェ(「主」)と人々との間にかわされた「契約」を「更改」したことによる。
ユダヤ教においては律法を守ることが絶対視されるが、キリスト教では律法を守れなかった者にも罪からの救いがあるとされる。これはイエスがみずからの身を十字架にかけることにより「贖罪(罪をあがなうこと)」を全人類のために果たしてくれたから、とキリスト教では教えているのである。そしてキリスト教では、「律法」の書であるユダヤ教の「聖書」を『旧約聖書』と呼び、イエスの「贖罪の業」を記した新しい契約の書を『新約聖書』と呼んでいる。
なお、結果的に彼の弟子達はユダヤ教から離れ独自の宗教を起こすことになるが、イエスは自身をユダヤ教徒であると認識しており、真正のユダヤ教徒として当時の保守化・教条化したユダヤ教を批判していたのであって新たな宗教を起こす意図はなかったとされている。
ヨハネとマリアが幼少のイエスを連れて水汲みをしたとされるナザレの井戸
イエス伝承
四福音書からのイエスの伝記の再構成は、19世紀間に様々に議論された問題だが、今日では、文書の記述の齟齬・矛盾から、少なくとも詳細なそれは不可能であるとされている。たとえば、マリアの懐胎とイエスの降誕・幼少期は、マタイによる福音書とルカによる福音書のみに記述されているが、父ヨセフの出身地や受胎告知の地も、そして天使の顕現の様も双方で異なり、またエジプト逃避や続く嬰児虐殺も、マタイ伝には記述があるがルカ伝にはなく、後者ではベツレヘムを発ち、ただちにガリラヤに移住したとされている。このように、イエス伝の詳細な記述は誤解を生むだけなので、ここではその素描をするに留める。各エピソードの詳細は、それぞれ独立の項目で扱うことにする。
ヨセフの許婚であったマリアは、ヨセフを知る以前に聖霊により身ごもった(受胎告知、処女懐胎)。ヨセフはマリアを娶り、男の子が生まれ、その子をイエスと名づける(降誕、三博士の礼拝、 神殿奉献)。イエスはガリラヤ地方のナザレで育つ。ルカ伝によれば、大変聡明な子であったという(イエスの幼少時代)。
『イエスが幼少の時,両親(ヨセフとマリア)はイエスを見失ってしまった場所。「イエスが道連れの中にいるものと思い,一日分の道のりを行ってしまい,それから,親類や知人の間を探し回ったが,見つからなかったので,捜しながらエルサレムに引き返した。三日の後,イエスが神殿の境内で学者たちの真ん中に座り,話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた........。両親はイエスを見て驚き,母が言った。なぜこんなことをしてくれたのです。お父さんもわたしも心配して捜していたのです。すると,イエスは言われた。<どうしてわたしを捜したのですか?わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを,知らなかったのですか>
しかし両親はイエスの言葉の意味が分からなかった。それからイエスは一緒に下って行き,ナザレに帰り、両親に仕えてお暮らしになった。母はこれらのことすべて心に納めていた。イエスは知恵が増し,背丈も伸び,神と人とに愛された。<ルカ2:44〜52>
Monument erected to PETER,Pastor of CHRIST'S FLOCK.ヴァチカアンはミトラ(MITHRA)聖地跡に最初はコンスタンティヌス皇帝によって紀元326年に建てられ,15世紀から17世紀にかけて改修された。中央には12宮黄道が見られる。つまりバチカンは宗教とはVernal Equinox Precession(春分点歳差)であることを伝えているのである。ドームはミケランジェロによる』。
勝利の陶酔参照
その頃、洗礼者ヨハネがヨルダン川のほとりで改悛を説き、そのしるしとして洗礼(またはバプテスマ)を施していた。イエスはそこに赴き、ヨハネから洗礼(またはバプテスマ)を受ける(キリストの受洗)。そののち、霊によって荒れ野に送り出され、そこで四十日間断食し、また悪魔の誘惑を受けた(荒野の誘惑)。
荒野での試練を終えた後、イエスは、ガリラヤで宣教をはじめた。宣教活動のなかで、弟子を集め、ルカによれば、そのなかでも優れた12人の弟子を選び、特権を与えた。かれらは十二使徒と呼ばれる(山上の垂訓)。様々の地域で布教活動をした後、エルサレムに赴く。受難と復活を予言し、弟子たちに自らの栄光を示す(主イエスの変容)。
神の子を自称したとされ、最高法院の裁判にかけられた後、ローマ帝国側に引き渡されて、反逆者として磔刑に処せられた(最後の晩餐、キリストの磔刑)。その後、十字架からおろされて埋葬されたが(キリストの墓)3日後に弟子たちの前に現れた(キリストの復活)。40日間、地上にあったイエスは弟子たちの前で天に昇っていった(キリストの昇天)。
イエスの位置付け
「イエス」と「キリスト」は、キリスト教成立以前の時代には別個の概念であった。
日本語の「イエス」(「イエズス」「イイスス」とも)に相当する古典ギリシア語のイエースース(Ίησοῦς, Iēsūs)は当時のユダヤ社会では普通に見られた固有名である。イエースースはアラム語イェーシューア(ישוע, Yeshua)、ヘブライ語のイェホーシューア(יְהוֹשֻׁעַ, Yehoshua、日本語ではヨシュアと音訳)のギリシア語音訳である。『旧約聖書』にも「ヌンの子ヨシュア」および「シラの子イエス」などの名前が見え、また同時代資料にもナザレのイエス以外の何人かの「イエス」についての言及がある。
これに対し、「キリスト(Χριστός, Khristos)」はユダヤ教の王・祭司、転じて救済者を表すメシア(原義・香油を注がれた者)をギリシア語に意訳した語で、本来は称号である。(詳細はイエス・キリストを参照)。
(注)ローマ時代のモザイクでできた魚。魚座の象徴はイエス・キリストなのである。たとえば聖ペテロはイエスに出会う前の名前はシモンであるがガリラヤ湖には聖ペテロというスズメダイに属する魚がいる。学名は「Chromis simonis」という。
紀元前1600年頃クノックスで描かれたイルカと思われる(魚)の壁画。次の時代は魚座と暗示している。イエスの時代は魚座(PISCES)。
イエスがペテロに与えた権威は、後継者としての権威ではなく、「天の国」すなわちイエス集団における祭司の権威なのである。
したがって、両者が結合した「イエス・キリスト」とは「救済者としてのイエス」を意味することとなる。これは厳密にはキリストの救済を信じる信者にのみ意味をなす言葉である。しかしながらキリスト教の成立と並行して「キリスト」は「イエス」の別称として用いられており、キリスト教徒だけでなく、非キリスト教徒であるタキトゥスやスエトニウスら古代ローマの歴史家たちは、「キリスト」に相当するラテン語名クリストゥス(Christus)をナザレのイエスと同義の固有名として用いている。
なお西方教会ではイエスの神性が強く意識されたためか、イエスおよびキリストが個人名に用いられることは少ない。これに対して東方教会、特に地中海世界に属するギリシャ、シリアなどでは「イエースース」(イーサー)や「クリストス」はごく普通に個人名として用いられる。
キリスト教ではイエスをキリストであると考えるが、イエスの神性を巡る位置づけに対しては、教派によって考えが異なる。多くのキリスト教会では、三位一体説を支持し、「父なる神」「子なるキリスト」、「聖霊」の三位格は本質において同一のものであると考えるが、三位一体説を退け、キリストに神性を認めない教会もある。
イエスは、キリスト教の他にいくつかの宗教においても、なんらかの役割を果たしている。
ユダヤ教の主流派では、イエスをメシア(=キリスト)とは認めておらず、また預言者でもないとする。メシアはまだ現れていないとし、その来臨を待望している。しかし少数派であるがメシアニック・ジュダイズムのユダヤ教徒はイエスをメシアと受け入れている。
キリスト教と同じく起源をユダヤ教に持つイスラム教では、イエスは偉大な預言者の一人になっており、処女降誕も神のおこなった奇跡のひとつとして認められている。しかし、神の子としては認められていない。唯一神教であるイスラム教においては、神は絶対にただ一つであり、キリスト教の三位一体の教義(前述)は唯一神教を逸脱しており、偶像崇拝と非難される。イエス・キリストに神性を認めず、イエスを預言者(ナビー、神の言葉を預かった人)とする。イスラム教における預言者とはあくまでも人間であり、崇拝の対象ではない。崇拝すべきなのは神だけであるとする(したがって、預言者ムハンマドを崇拝することも許されない)。
インドを起源とする宗教関係の一部では、イエスを光明を得た存在の一人として扱っている場合がある。紀元前数千年の以前から光明を得るための実験や実践がなされてきた。インドのヒンドゥー教につながる伝統では、誰でもが光明を得る可能性があるとしている。この場合、仏教のゴータマ・シッダッタ、ジャイナ教のマハヴィーラなども光明を得た存在の一人とされる。
ニューエイジの一部でも、同様にイエスを光明を得た存在として他の光明を得た存在と同じレベルで扱う場合もある』。<Wikipediaより引用・編集>
四隅を埋めるもの参照・英文。
図はパリ・ノートルダム寺院入口上部にあるキリストと四隅を埋める生き物たち。
「四人の福音書家」(Book of Kells, ca. 800)
『人、獅子、牡牛、鷹の象徴はそれぞれ福音書家マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネに相当する。
evangelist
c.1175, "Matthew, Mark, Luke or John," from L.L. evangelista, from Gk. evangelistes "preacher of the gospel," lit. "bringer of good news," from evangelizesthai "bring good news," from eu- "good" + angellein "announce," from angelos "messenger." In early Gk. Christian texts, the word was used of the four supposed authors of the narrative gospels. Meaning "itinerant preacher" was another early Church usage, revived in M.E. (1382). Evangelical as a school or branch of Protestantism is from 1747.
この四人のエヴァンジェリスト(福音書家)であるマタイ: Matthew,マルコ: Mark,ルカ: Luke,ヨハネ: John,と四人の大天使 (Michael, Gabriel, Rafael, Uriel) との間に存する呼応関係は、エソテリズムの世界において十分に知識として共有されるところでもある。ここにある四大福音書と四大天使との間にある興味深い共通性について言えば「ヨハネによる福音書」について言及しないわけにはいかない。「ヨハネによる福音書」は、とりわけ現状の新約聖書に収録されている福音書中、比較的グノーシス思想の影響の濃く見られることはすでに知られていることである。「正統」を決定するキリスト教成立時代の初期において、すでにさまざまな福音書が「異端的」として「偽典(外典)・偽書」の類として除外され破壊された中で、この「異端的」な福音書が新約聖書の中に残ったことは、正統としての聖書そのものを内的に相対化する(裏切る)役割を、「ヨハネの福音書」という体裁を通じて組み込まれたと考える余地がある。
四大天使において「堕天使」として認知されることになったユリエルが、その性格にも関わらず、「天使のグループ」の中に組み込まれている事情は、単に偶然的な呼応性があるというよりは、まさに四大福音書の選択と構成にも反映しようという意図があったと視る一定の根拠があるのである』< ”4”の時代より引用>
黄色いこまうぐいす参照
歴史学者のカマール・サリビーなどは,パレスティナ(旧約聖書ではカナンと呼ばれ現在中近東東北部地域)は聖書の歴史に結びつく,はっきりした証拠は考古学的には何ひとつあがっていない。そして旧約の舞台はパレスティナではなく,アラビア半島西部説をあげ,もしそうであるとするなら,聖地そのものが間違っていると言っている。(管理人注:長谷川三千子氏は和辻哲郎賞を受賞した「バベルの謎」の中でこう指摘している。「カナンの地」は,イスラエルの民にとって,故郷と呼ぶべき類の地ではなく,そもそも,それは事実の上から言っても,彼らの故郷ではなく,それは,カナンの人々(注:現在のパレスティナ)が住みつき,根づいた土地なのである)。
イスラエルの民の「カナンの地」との関係は,徹頭徹尾ヤハウエ神に依っている。この地はヤハウェ神によって示され,命じられ、約束されたことによってのみイスラエルの民と結びついているのであり,それ以外の形で結びついてはならないのである。......ヤハウイストの生きていた時代と推定される起源前十世紀頃という時代は,ティグリス川上流の二ムロデやコルサバードに発掘されたジグラドは,ちょうど紀元前十世紀,九世紀ごろに新築または再興されている。広い意味では,ヤハウイストはまさにジグラトと同時代の人間だったのである」
つまりこういうことだろう。なぜキリスト教は,ユダヤ教の,神は愛であるという洞察を承認し,宣言した後に,それと相容れない,ユダヤ教のねたむ神の概念をふたたび取り入れるようになったのか。それ以来絶えずキリスト教に大きな精神的損害を与えてきたこの逆行は,キリスト教がカイサル崇拝との生死にかかわる争いにおいて勝利を得るために支払った代価であった。教会の勝利によって平和が回復されたのちも,互いに相容れないヤーウエとキリストとの結びつきは解消するどころか,かえって一層強化された。勝利の瞬間に,キリスト教殉教者の非妥協的態度が,異教や異端を迫害するキリスト教会の不寛容に移行したのである
山本七平氏著「聖書の常識」によると,<たとえばヨシュア記第十一章の,ヨシュアによるハゾル攻略記事の「その時ヨシュアは引き返してハゾルを取り,剣をもって,その王を撃った。ハゾルは昔,これらすべての国々の盟主だったからである。
ただし丘の上に立っている町々をイスラエルは焼かなかった。ヨシュアはただハゾルだけを焼いた。」という記述が実に正確であることが,有名な考古学者イガエル・ヤディンのハゾルの発掘で明らかにされている。さらに下がってダビデ王時代ともなると,彼がエルサレム攻略の時利用した水汲み用の杭がそのまま残されており,またヒゼキア王の水道には,今も清々と水が流れ,聖書の記述の通りなのである>
山本七平さんは聖書の中の最初の歴史書である旧約聖書のサムエル記と列王記をよく読んだほうがよいとアドバイスしています。山本さんは平成三年十二月十日に亡くなっていますが,考えが比較的近い歴史学者のHG・ウエルズは「今日のパレスティナは当時のカナンの地であり,カナン人と呼ばれるセム系民族が住んでおり,彼等はチレやシドンを建設したフェニキア人の近縁であり,ハムラビのもとにバビロンを奪い,最初のバビロニア帝国を建てたアモル人にも近いものであった。−−−創世記のうちには,このイサクとのちにイスラエルと名を変えたヤコブの生涯や,イスラエルの十二人の子供のことや,大飢饉の日が来て,彼らがエジプトに隠れていったことも述べられているのである」
モーゼ率いるエジプト脱出の旅の途中で,シナイの山に登ったモーゼはエホバの神より十戒を授かる。ウェルズは言う<イスラエルの子供達がエジプトに定住して奴隷となった物語には,やや曖昧な点がある。ラムヤス二世の記録では,ゴシェンのの地にいくつかのセム族が定住していたことや,彼らが食物の不足のためにエジプトに隠れていたことを述べているが,モーゼの生活やその行動はエジプトの記録には全くないのである。
それにエジプトでの悪疫や,紅海で溺れたという神人王のことも見当たらない。とにかくモーゼの物語にはかなり作り事めいたものが漂っており,そのもっとも著しい挿話の一つに,モーゼが母のため葦の箱舟に匿されるところがあるが(出エジプト記第二章第三節)これは古代シュメールの伝説にも見出されるものである。
モーゼの五書について,これらを頭にいれて旧約聖書を読んでゆくと比較的理解しやすい。初期キリスト教の歴史は,ナザレ人イエスの真の教えと精神と,ガリラヤから彼(イエス)を慕い,これに従ってきた弟子たちのこれにたいする誇張や,誤解との間における苦闘の物語である。−−−
彼らによって伝えられた「福音書」と「使途行伝」とは,つぎはぎのむらだらけの記録であり,いくつかの問題があるとしても,全体としては極めて偽りのない初期の記録になりうるものである。これらはイエスの教えの信奉者たちはナザレ人と呼ばれているが,初期の頃から一方はイエスの教えをそのまま信じる者と,他方は使徒の解釈に従う者との二つの傾向が混ぜ合わさっていて,その間に大きな混乱をみせるようになって行った。
しかししばらくの間は,彼らも自我の完全な克服というイエスの訓戒を守っており,その財産を共有にして愛だけが彼らを結びつけていた。しかしやがて彼等はその信仰をイエスの復活とか,不思議な昇天とか,再臨の物語のうえに築くようになると,自我の否定自体がその報酬であり,それ自体が天国である,ということを理解する者は殆どいなくなってしまった。
自我の否定をやがてくるべき再臨の日に,力と支配を報酬として与えられる資格のための犠牲とみなすようになったのである。彼等はいまやイエスをユダヤ人たちが長い事待ち受けていた「救世主」というメシア,すなわち約束されたキリストと全く同一のものとするようになった。
そして彼等は預言者のうちに十字架の受難の預言を見つけだしたのである。マタイ伝はとくにこれらの預言者の預言を主張している。こうしたいくつかの希望によって活気ずき,多数の信徒の新鮮で純潔な生活によって力ずけられて,このナザレ人の教養はユダヤとシリアとに燎原のように拡がっていった。
ヨルダン川
以下は ”2”の時代〜元型的月曜日より
『「信仰と信仰への殉死」を身を以て提示したその教祖について伝えられた記述の内容からすれば、その後の布教活動や十字軍派遣は、文字通り暴力的と言う他ない結果を周囲諸民族にもたらし、またその<徴>が侵略者の徴として周囲に記憶されたのである。つまり、無条件・無私の愛と自己犠牲を説き、この世ならぬものの実在を示唆し、「人を押しのけてまで現世における生を貫くことにどんな意味があるのか」と問い続けた犠牲的ヒーローの教説とは全く相反する現実を世界にもたらしたと言うこともでき、そのことはきわめて象徴的であり、まさに歴史の皮肉ともいうべき宗教の逆説的がここにはある。
だが、断じてその<徴>は、その教父自らが死んだ場所・原因・方法と結びつけられることによって世界によって記憶された。
その<徴>、十字架は、ひとを磔けて刑死させるための道具の形状として当時の帝国ローマによって採用された。身体構造的には、両手を水平に伸ばし、胸を開き、直立するその姿勢は、無抵抗の徴であり、身内や仲間を身を呈して守ると同時に、自己犠牲への用意を進んで示す象徴的体勢でもある。
かくして、原初の世界において<一本の棒>であった祖型的数性は、「両腕」を水平に伸長させたことで、分裂・成長し<二本の棒>となった。二本の棒によって描かれる最も単純な幾何学図像は「十文字」である。十字架はたった2本の棒を組み合わせることで出来上がる縦軸と横軸の「二次元」的な広がりを作り出し祖型的ドラマの始まり(再開)を告げる「人類史」の最初の契機である。すなわち「終わり」を伴う「始まり」のサインである。
だが、この<徴>が今日、疑いなくキリスト教的なシンボル(ロゴマーク)であることを認定した上でも、この<徴>は彼らが初めて着想したものでなく、今回の歴史における本格的採用に先立って存在した秘教的知識を裏付けるものである事実に変わりはないのである。
その証拠の一つは、数的象徴物が三度反復され配列されることにも求められる。民衆が見上げることのできる象徴的舞台である「ゴルゴタの丘」において磔刑に遭ったのはイエスひとりではなかった。彼は他のふたりの「罪人*」と供に三人で、木でできた十字の象徴物の上に、その身体を以て、文字通り「十字状の体勢」で、世界の頂点において高く掲げられなければならなかった。その丘の上に顕現されたこの象徴的図像は、この歴史の中で、「222」という数字の配列をこれ以外にないというほど完璧且つ露骨な形で世界に提示したものであった。
したがって、イエスが盗賊の聖ディスマスとゲスタスと共に磔刑に遭ったことは、象徴の要請する形状の実現の意味があったのである。ここで、イエス自身の登場や、こうしたイエス磔刑のイベントが歴史的に実在した事件であったかどうかは、この際重要ではない。そのような形でそれが行われたという記述と、それを信じた一群の信仰者の存在と、それが世界宗教へと格上げされていったという歴史的事実こそが重要なのである』<引用おわり>。
ヤハウェ神が地と天を作ったとき,地上にはまだ野の潅木が存在せず,野に草も生えていなかった。ヤハウェ神がまだ地表に雨を降らさず,土を耕す人も存在しなかったからである。ただ,地下水が大地から湧き上がって地表全体を潤していた。ヤハウェ神は土から取った塵で人を形造り,彼の鼻に命の息を吹きいれた。すると人は生き物になった。それからヤハウェ神は,東方のエデンに一つの園を植え,そこに彼が形造った人を置いた。そしてヤハウェ神は,土から,見るに好ましく食べるに良いあらゆる木々を,しかしまた園の中央には命の樹を,そして(善と悪の)知識の樹をも生えださせた。
エデンでは一つの川が湧き出し,この園を潤した。それは,そこから先で四本の支流に分かれている。第一の川の名はピションであり,金を産するハビラの地全体を取り巻いている。その地の金は良質である。そこにはまた,ぺドラハ(樹脂)とショーハム石もある。第二の川の名はギホンであり,これはクシュの地全体を取り巻くものである。第三の川の名はヒデケルであり,これはアッシュルの裏側を流れている。第四の川はユーフラテスである。
ヤハウェ神は人を連れて来て,彼をエデンの園に置いた。それを耕させ,見張らせるためである。それからヤハウェ神は人に命じて言われた。「園のどの樹からも,お前は好きなだけ食べてよい。しかし(善と悪の)知識の樹からは,お前は決して食べてはならない。お前がそれから食べる日に,お前は必ず死ななければならない」
それからヤハウェ神は言った。「人が一人でいるのは良くない。私は彼にふさわしい助け手を作ろう」そこでヤハウェ神は,土ですべての野の獣,すべての空の鳥を形造り,それらを人のところに連れてきた。彼が彼らをどのように名付けるか,見るためである。人が彼らに名付けると,それが彼らの名となるのであった。そこで人はすべての家畜,すべての鳥,すべての野の獣に名を与えた。しかし人にとって,彼にふさわしい助け手は見当たらなかった。
そこでヤハウェ神が人の上に深い眠りを下らせたので,彼は眠り込んだ。彼は彼から肋骨の一つを取り出し,その箇所を肉で塞いだ。そしてヤハウェ神は,彼が人から取り出した肋骨を女に組み立て,彼女を人のところに連れてきた。すると人は言った。「これこそ,ついに私の骨からの骨,私の肉からの肉だ。これを「をんな(イッシャー)と名付けよう。これは「をとこ(イーシェ)から取られたのだから」
ヤハウェ神が作った野の生き物たちの中で,蛇が最も狡猾であった。それは女に言った。「おやおや,神は園のどの樹からも食べてはならない,などと言われたのですか?」そこで女は蛇に言った。「私たちは園の樹を食べてもよいのです。ただ,園の中央にある樹の実については,神は,それらは食べてはならない。それに触れてもならない。あなたたちが死なないためだ,と言われました」すると蛇は女に言った.........。
蛇は、口から川の水のように水を女の後ろに吐き出して、女を押し流そうとした。しかし、大地は女を助け、口を開けて、竜が口から吐き出した川を飲み干した。竜は女に対して激しく怒り、その子孫の残りの者たち、すなわち、神の掟を守り、イエスの証しを守りとおしている者たちと戦おうとして出て行った。そして、竜は海辺の砂の上に立った。(ヨハネの黙示録12:15-18)
Ouroboros(ウロボロス)の環の上で瞑想するヴィシュヌ。脇にはべるのはその妃である繁栄の女神・ラクシュミー。ヴィシュヌとは広がる,行き渡る,遍満するという言葉を語源とする。ヴィシュ神は亀に変身して海底深くもぐり,須弥山(SUMERUあるいはチベット語でカン・リン・ボ・チェ)を支える。曼荼羅とは須弥山の断面図である。<絵はアジアのコスモス・マンダラより>
Ouroboros(ウロボロス)とは、自分の尾を噛んで環を作る蛇または竜で表現されるシンボルをいいます。
始めと終わりがないことから、自己の消尽と更新を繰り返す永劫回帰や無限、真理と知識の合体、創造など幅広い意味を持っています。
だからと言っては何ですが「神によって始められ神によって終焉する」という『私はアルファでありオメガである。最初の者にして最後の者の初めであり終わりである』<黙示録22:13>が出てきました。ギリシャ語のαは最初の文字であり最後はΩである意味です。
アウグスティヌスはマニ教徒であった
「歴史」の原初に出現する蛇
”1”(”8”)の時代〜元型日曜日参照
原初の蛇(大蛇/龍)は歴史時代の開始と関連がある。少なくとも時の初めが語られる際に関連づけられるほどに古い象徴である。
蛇は例えばアメリカ合州国の独立以前から独立戦争に至る期間存在した「国旗(植民州旗)」にも見出される(厳密にはまだ国ではなかったので国旗というのは不適当なのだが)。それは旗に書き込まれたまさに「Don't tread on me ドント・トレッド・オン・ミー: 我を蹂躙するなかれ」という言葉と共に現れるもので、時の初め(この場合、国の初め)に出現し、殺害されんとする大蛇の図像なのである。また「1本の細長い徴」を用いた数性を表す記号なのである。言うまでもなく、アメリカ建国は比較的最近の歴史的エポックであるが、この建国期(アメリカという国の「建国神話」の発生期)に、蛇が登場するということには、「蛇」と「原初」というものの明らかな関連があるからである。「秘教大国」としてのアメリカ合州国の象徴主義は、このように建国以前に遡れる徴にも顕われていることを想起することは無駄ではあるまい。
参考:カッパドキアのキリスト教徒たち
Vaticanという言葉は「diving serpent」でありVatis=Diviner and Can=Serpent(蛇)から由来している。カトリック聖書(ドウエイ版)verse18にはこう書かれている。666〜the numeral letters of his name shall make up his number.So let us take his name that is given to this MAN -the Pope of Rome。ローマのPopeは「VICARIUS FILII DEI」(Representative of the SON of GOD)であり,GODとはSATAN/LUCIFERのことである。以下のようにヘブライ語数字変換すると.....
プロテスタントはカトリックのDOUAY Bibleを知らない。DOUAY BibleにはPOPEは神の代理であると実にはっきりと明記してある。米国でCisco Wheeler女史が言ったことは今でもはっきりと記憶にある。それは「the total papal structure had been built on the supposition that the POPE is the VICARIUS FILII DEL and when the POPE is crowned ,the cardinal who places the TIARA(教皇冠) on his head pronounces him to be VICARIUS FILII DEI」と。ではなぜそうなったのか?答えは『神の名の正義によって脅迫し服従させ略奪・殺戮行為を正当化するためである』
その源はヘーゲルの正・反・合の弁証法,すなわち『Thesis+Anti-Thesis=a defact SYN-Thesis』となる。資本主義+共産主義=世界統一政府(NEW WORLD ORDER)である。弁証法の父である「ヘラクレイトス」がキリスト教の開祖者であると断定してもいいだろう。今日残っているパリサイ・ファリサイ派の中でも敬虔主義者のエノク書,ソロモン詩篇,モーセ被昇天はいずれも旧約外典となったが特にエノク書が外典になったため聖書はダヴィデ崇拝となってしまった。
I,Jesus,have sent my angel to give you this testimony fot the churches.I am the Root and the OFFSPRING of DAVID,and the bright Morning Star
「わたし,イエスは使いを遣わし,諸教会のために以上のことをあなたがたに証した。わたしは,ダヴィデのひこばえ,その一族,輝く明けの明星である」<黙示録:最終章>ダヴィデはウリヤの妻によって,ソロモンをもうけた。明けの明星とは「LUCIFER」のことである。アブラハムから数えてイエスは42代目となっているが実際は41代目であるのは不思議だ。
[シオンの議定書・第二十四プロトコール]より
ダビデ王家の確立、王の準備、直系継承者の廃止
ここで、世界の終焉まで続くダビデ王朝の子孫の確定方法に移る。 われわれの用いる方法は、今日まで「世界の統帥」をシオン賢人たちに確保したのと同一の方法であり、われわれの望み通りの方向に人間を計画的に教育する方法である。 -----
ただこれらの選ばれた者のみがわれわれの諸計画の実行に当たるべきで、われわれが幾世紀にわたる経験を比較研究して、政治経済上の運用、社会学上の観察などを集めた結果が、そのさいに彼らに役立てられるであろう。 一言でいえば、彼らは自然みずからが人間相互の関係を調整するために確定した諸原則の精神を吸収して、わがものとするであろう。 -----
王の現在の行動、計画、ことに将来の企図は、その側近でさえ知ることはない。 将来のことを知っているのは、王と王にあらゆる秘密を教えこんだ三人の賢者だけである。 -----
王の知識は、そのなかに含まれている統治の大計画に相当する。 それゆえにいかなる王も、わが賢人たちによってその精神的能力が吟味されなければ、王位に就くことはできない。 -----
ユダヤ王は決して情熱に左右されてはならない。 とくに彼は情欲を抑制しなければならない。 -----
これでどうしてキリスト教の正典であった第一エノク書(エチオピア語)と第二エノク書(スラブ語)が二ケア公会議で偽典となったかお分かりでしょう。聖書とはダヴィデ賛歌なのです。
参考記事:フィリップ・ロスチャイルドの書かせた本
GOOGLE VIDEO・Who infiltrated USA?
American Concentration Camp
実際にこの目で見てきてそれは夢ではないことに気がついた。
ユートピアの表面的なゴールは人類に世界的な幸福を与えるというものです。しかし彼らの裏に潜んだ意図は違います。
闇は真の光に対抗するために、光を偽装して戦力を集めようとする。しかし、見極める目を養えば、真の光と、光を偽装する闇とを区別することは可能である。
このブログの読者が、見えざる糸をつかみとり、巧妙な光の偽装の背後に隠された真実に目を開かれることを念願している。
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