時事解説

2009年03月09日号

【政治と検察】
両者の間で緊張が走った歴史、田中角栄、金丸信、小沢一郎秘書の例、共通するのは「3人に検察に対する危機意識がなかったこと」だ。小沢は田中、金丸の例をみてきているのに、…


●小沢はみてきているのに
 私が検察ウオッチャーになってから、検察と政治の間に緊張が走り、東京地検特捜部の捜査が政局を動かしたのは造船疑獄以後、ロッキード事件、リクルート事件・金丸闇献金事件の2件だ。田中、金丸の検察に対する危機意識欠如が東京地検特捜部を政治に介入させることになり、歴史を動かしたのである。検察は「昼行灯ではないのである」そこを田中も金丸も見誤った、その2件とも、小沢氏は身近でみてきているのに…と私は思う。

●馬場義続氏が検察をリード
 昭和29年2月から始まった造船疑獄捜査は4月、犬養法相の検察庁法14条に基づく指揮権発動で終止符を打ったが、その波紋で新党が結成され。吉田内閣が鳩山内閣と交代保守合同により、自由民主党という一大保守勢力の誕生をみた。官僚内閣から党人内閣へと入れ替わったのである。財界の一部はこれで政争はなくなり、疑獄もなくなったと胸を張った。

 検察の世界も、吉田氏に重用された岸本義廣次長検事は鳩山内閣の執権、河野一郎に疎まれ、馬場義続最高検刑事部長が重用されるといった成り行きとなった。政高検低の仕組みができたのである。
馬場氏はこの後、法務省事務次官、東京高検検事長、検事総長と累進、昭和32年から42年11月までの検察をリードした。東京地検という現場は河井信太郎が動かした。馬場・河井の時代といえた。
鳩山内閣以後、石橋湛山、岸信介、池田勇人、佐藤栄作が内閣総理大臣の印綬を帯びた。
しかし、この間は政治と検察の間が緊張する事態は起きなかった。

 馬場が退官すると、馬場とは立場を異にする井本台吉が検事総長に就任、特捜より公安事件の時代が到来する。

●金権、田中角栄氏が印綬
 47年6月17日、佐藤首相が引退表明。田中角栄、福田赳夫、大平正芳、三木武夫か名乗りを上げた。三角大福戦争といわれた。
「日本列島改造」する田中か、反金権の福田かで争われたが、金権が勝ったのである。
7月5日の自民党大会で田中、福田による決選投票が行われ、田中が福田を破って自民党総裁に就任、7月7日、第一次田中内閣が発足した。
しかし、田中の金権への批判は根強いものがあり、1部には検察の不作為に対する批判も出ていた。ウオッチャーにすぎない私にさえ文句。

 田中とその一党はわが世の春を謳歌していたが、国民は期待されたほど田中を支持しなかった。それは参院選の結果が証明している。
48年7月7日、第10回参院選が実施された。自民62、社会28、公明14、共産13、民社5、無所属・諸派8、7議席差で与野党伯仲する結果だった。
同月、三木副総理が田中の政治姿勢を批判して辞任、蔵相福田赳夫、行政管理庁長官、保利茂も辞任した。
そして10月、立花隆「田中角栄研究ーその金脈と人脈」を文芸春秋11月号に掲載、急激に田中批判が高まった。
 11月、田中首相は辞意を表明。
 12月4日、自民党両院議員総会は椎名悦三郎副総裁の裁定により三木武夫を後継総裁に選任した。
 12月7日、田中内閣総辞職、三木内閣が誕生。クリーン三木を打ち出した。
 私は「田中角栄氏はやがて東京地検特捜部に逮捕される」予感がした。政高検低の仕組みが崩れたとみたすからだ。

 51年1月1日朝、私は年賀に福田邸に赴いた。新年を祝う乾杯の前に福田は国会議員マスコミ関係者数名を含む家の子郎党数十人を前に、「今年は激動の年になる。間に入ってくれる人がおり、今日、鴨川のホテルで椎名さんと会うことになっている。選挙も予想されるのでみんなそのつもりで備えてもらいたい」と挨拶、それからほどなく安部晋太郎夫妻が年賀に来た。

●ロッキード事件
 福田が予言したとおり、米上院多国籍企業小委員会は2月4日、ロッキード社の日本政府高官への贈賄を公表、問題化した。東京地検特捜部は24日、警視庁、東京国税局の協力を得て、児玉誉士夫氏邸、丸紅本社など27カ所の捜索差押を実施。私は空前絶後の疑獄事件に発展すると読んだ。
特捜部は児玉ルート、丸紅ルート、全日空ルートの3ルートに分け、解明を積極的に進めた。政治家の大物は丸紅ルートと読んだ。
 6月22日、議院証言法違反と贈賄で、大久保利春丸紅前専務(62)が、7月2日は伊藤宏丸紅前専務(49)が、7月13日、檜山広丸紅前会長(66)が逮捕された、
 大久保逮捕から35日目、伊藤逮捕から25日目、檜山逮捕から14日目の7月27日、東京地検特捜部は田中角栄前首相を外為法違反容疑で逮捕した。5億円の授受がうらづけられたからだ。
以後、田中は長い裁判闘争に入るが、62年7月29日の控訴棄却が事実上終わりだと私は思う。勿論、上告した。
造船疑獄から22年目の出来事であった。
私は田中の検察に対する危機意識のなさ、には呆れる思いだった。榎本秘書官も秘書官だ。総理在任中、ロッキード社の5億円など手を出してはいけないことくらい常識である。田中は明らかにやりすぎた。

●リクルート事件
 平成になってから、特捜部の捜査が政局を動かしたのは竹下内閣を退陣に追い込んだロ事件から14年目のことである。
 竹下はリクルート事件で立件対象にはなっていないが、金庫番で右腕でもあった青木伊平が竹下の退陣表明の99年4月24日、自殺した。私は青木が何故、自殺しなければならなかった、に深い疑問を抱いた。

●青木伊平氏自殺の要因
 04年9月22日、青木自殺の要因となった、いわゆる竹下元首相のほめ殺し事件が発覚した。特別背任罪で起訴された渡辺広康元社長の初公判で、検察側か竹下派と石井進稲川会会長との結びつきを暴露したからだ。

 87年の自民党総裁選で竹下が立候補した時に、右翼団体・日本皇民党は「金儲けの上手な竹下さんを総理にしよう」という街宣活動をやった。この時は安部晋太郎、宮沢喜一も名乗りを上げた。
 中曽根首相は竹下に善処を求めた。困った竹下は、竹下派の会長である金丸信副総裁に相談、金丸に頼ったということは竹下が金丸なら話をつけられると踏んでいたからだ。
金丸は、東京佐川急便の渡辺広康社長に皇民党の活動を中止するよう依頼。渡辺社長は、稲川会の石井会長に相談した。
 この依頼は金丸が渡辺と石井の関係を知っていなければできないことであった。 
石井前会長は、皇民党の稲本虎翁総裁に面会、街宣活動の中止を要請、日本皇民党の竹下に対する街宣活動は止まった。
竹下内閣総理大臣の印綬をおびた。私は青木の自殺はこれと関係がある、と今でも思っている。
石井会長の力を借り首相の座についたのである。波紋は予測できることではないか。
私は竹下首相に宰相としての資格なし、との感想を抱く。検察もヤクザの力まで借りて首相の座に着く竹下を理想の首相とは思っていないと思う。ここが、検察と竹下を支持する人との間には大きな食い違いがあるのだ。

●金丸は政界のドンに
 竹下内閣を作った金丸に人と金が集中的に集まるようになったことはいうまでもない。金丸は政界のドンと呼ばれる無二の存在となる。私はリクルート事件と金丸の事件を一体とみる。
04年8月22日、その金丸信自民党副総裁が東京佐川急便から5億円の闇献金を受けていたことを朝日新聞が暴いた。
 8月27日、金丸は、自民党副総裁を辞任。
 
●金丸5億円の闇献金事件
 9月28日、東京地検は、政治資金規正法違反で、金丸を略式起訴。罰金20万円の略式命令。起訴状によれば金丸信は衆院議員であるが、法定の除外事由がないのに、自己の秘書・生原正久と共謀のうえ、90年1月中旬ころ、東京都千代田区永田町2の9の8、パレロワイヤル永田町605号室の金丸信事務所において、東京佐川急便代表取締役、渡辺広康から、公職の候補者である被告人の政治活動に関する寄付として、現金5億円の供与を受け、もって同年中において同一の者に対してなされる150万円を超える政治活動に関する寄付を受けたものである。
 10月14日、金丸は、議員を辞職。

 金丸事件は波紋を広げる。12月18日、金丸会長の後継人事をめぐって、竹下派には内紛が起きた。羽田派と小渕派に割れたのである。
 羽田派は小沢一郎・羽田孜・渡部恒三・奥田敬和ら衆院35人・参院9人、改革フォラムを立ち上げた。小渕派は小渕恵三・橋本龍太郎・梶山静六ら衆院32人・参院34人。。

●金丸の巨額脱税事件
 東京地検特捜部は東京国税局の協力を得て、金丸に追い討ちをかける。
東京地検特捜部は04年3月6日、金丸を所得税法違反(脱税)容疑で逮捕、13、27日、所得隠し額合計18億4800万余円、脱税額は合計10億4100万余円の脱税で起訴した。
 3月27日、検察首脳会議が了承した追起訴の起訴事実の要旨は次の通り。
  1. 金丸被告は、自己の所得税を免れようと企て、雑所得となるべき収入を除外して簿外資産を蓄積するなどの方法により1988年分の所得9億9842万円を秘匿したうえ、所轄の甲府税務署長に対し、虚偽過少の所得税確定申告書を提出し、同年分の所得税5億9790万円を免れた。
  2. 両被告(金丸・生原正久秘書)は、共謀のうえ、金丸被告の所得税を免れようと企て、同様の方法により89年分の所得6億5000万円を秘匿したうえ、所轄の甲府税務署長に対し、虚偽過少の所得税確定申告書を提出し、金丸被告の同年分の所得税3億2479万円を免れた。
 注: 《13日に起訴の87年分と合わせ、金丸被告の所得隠し額は18億4842万円、脱税額10億4100円。》

 金丸の検察に対する危機意識の欠如にはあきれてものがいえない。竹下の依頼を石井によって実現したことも、東京佐川から5億円の献金を受けたことも、巨額の脱税をしたことも、あきらかにやりすぎたった。

●非自民政権誕生
 1993年6月18日、野党から宮沢内閣不信任案が上程され、羽田・小沢派ら自民党議員39名が賛成、16名が欠席する造反により不信任案は255対220で可決された。宮沢内閣は衆議院を解散した(嘘つき解散)。同年6月21日に武村正義らが自民党を離党(新党さきがけを結党。羽田・小沢派は6月23日、新生党を結成した。

7月18日、第40回衆院選において自民党は過半数割れし、新生党、日本新党、新党さきがけの3新党は躍進した。宮沢内閣は総辞職した(後任の自民党総裁に河野洋平が選出)。

8月9日、8党派連立の細川内閣が成立した。小沢が細川政権誕生の立役者で影の実力者であったことはいうまでもない。

●東京地検特捜部
 小沢が仕えた、田中は外国の5億円を受領した、金丸はヤクザを使って竹下を総理にしたことも、渡辺から5億円の献金を受けたことも、巨額の蓄財をしたことも政界きっての実力者である驕りのしからしめた結果である。しかし、いずれもやりすぎである。
東京地検特捜部は日ごろ「昼行灯」であっても、「やりすぎ、目立ちすぎ、儲けすぎ」は相手が誰であっても検察権を発動する。やらなければこの国の経済秩序が維持できないからだ。この役割は検察が担っていることを知らないか、とぼけている人があまりに多い。
今回は逮捕されたのは小沢の秘書だ。しかし、もう田中、金丸といった大物が逮捕されることはない。秘書でも個人的なわるさなら別だが、そうでなければ本人とかわらない批判を受ける時代だ。

小沢は田中、金丸の例をみてきたのだが、…。小沢の秘書逮捕は02年の金丸巨額脱税事件以来、20年に1度の政局を揺るがす事件となるであろう。(敬称略)

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