『新・あつい壁』映画と講演のつどいで秋田を訪れた 映画監督・中山 節夫さん

●この映画を製作したきっかけは。
 「私は熊本県菊池郡合志町で生まれましたが、ここには国立療養所『恵楓園』があります。私たちは、この施設を差別の対象として育ってきました。このような差別や偏見を無くさなければ思い、40年近く前に、ハンセン病患者を親に持つ子どもたちの小学校拒否問題を題材にした映画『あつい壁』を撮りました。しばらくしたある時、この映画を見た牧師さんから、50数年前にハンセン病とされた青年が殺人犯とされ無実を訴えながらも死刑とされた事件について、当時裁判にかかわった書記官が『(偏見により)みんなでその青年をボロ雑巾のように死に追いやった』と証言していたという話を聞きました。またその後も、らい予防法が廃止され、強制隔離政策が間違いであったことを国が認め謝罪したにもかかわらず、ハンセン病患者の温泉宿泊拒否事件後、療養所自治会への陰湿な中傷や嫌がらせがあるなど、未だに偏見や差別意識は払拭されていません。そこで、映画『新・あつい壁』で、ハンセン病患者であることを理由に法の前の平等を踏みにじられた50年以上前の事件を通して、それを許した当時の社会の意識が今どのように変わってきたのか、何が変わらないのかを撮りました。今回の映画は、らい予防法廃止10周年記念、ハンセン病国賠訴訟勝訴5周年記念映画として、また文部科学省特別推薦映画となっています」。

●あらすじは。     
 「まだ駆け出しのルポライターが、取材で知り合ったホームレスの男から55年前に熊本で起った殺人事件を聞かされる。『俺はその犯人のせいにして盗みを働いたが、その人が死刑になったという話を聞いた。無実かもしれないという話も』。そこでこのルポライターは、事件のことを調べようと現地に行き、当時の事件や裁判について詳細を聞かされる。取材を終えて知り合いの編集長に記事にしてくれるよう頼みに行く。そこでさらに新しい事実を知ることになる…という内容です。事件の不合理さはもちろんのこと、ハンセン病差別の現実が決して過去の問題ではないこと、日本の誤ったハンセン病政策の中でその家族や親類がいかに悩んでいたのか、それらの人々の思いや願いを一人ひとりが知ることによってハンセン病差別のあつい壁を超える力ができればと思います」。 

●映画を通して伝えたいことは。
 「誰にでも差別や偏見の被害者になる可能性があるだけでなく自分が気付かないうちに差別者になっている場合があります。東北には差別がないという方もいますが、秋田県はハンセン病患者の隔離を強烈に進めた県です。ですから秋田の皆さんには、ぜひこの映画を観てもらいたいと。そして、この映画を通して、この機会に差別や偏見について向き合って、それぞれが自らの問題として考えてもらえたらと思います。今回は2月26日の秋田市文化会館で開催された映画と講演の集いで秋田を訪れましたが、3月9日に明徳館高校で行われる『新・あつい壁』映画上映と講演のつどいで再び来秋しますので、よろしくお願いします」。

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