1.
麻生政権は、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)がミサイルまたは人工衛星を発射した場合、朝鮮総連の財産の凍結処分を行う方針を固めたという。 http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090306/plc0903060120000-n1.htm この件に関しては、吉田康彦が早くにコメントを出し、「在日朝鮮人の生活と人権のさらに圧迫する非人道的措置」として批判している。だが、どうせ大多数の日本の左派は黙認するだけだろう。 http://www.yoshida-yasuhiko.com/ それにしても、ついにここまで来たか、というのが第一報を聞いた感想である。朝鮮総連が何か犯罪を犯したから、という理由ですらなく、外交関係上の「国益」の観点から、資産を凍結するというのだ。在日朝鮮人の「人権」は、はじめから考慮の対象にすらなっていない。さらに言えば、これは吉田が指摘するように、北朝鮮への「圧力」になることすら疑問とされる措置であり、本当に、外交上の必要からの措置として行なわれるものなのか、それ自体も怪しいと思う。 私は朝鮮総連を支持しないが、「朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)がミサイルまたは人工衛星を発射した場合、朝鮮総連の財産の凍結処分を行う」などという方針は、国籍を問わず、在日朝鮮人の財産権、結社の権利という基本的人権の真っ向からの否定であって、全面的に反対せざるを得ない。 ましてや、朝鮮総連が数多くの在日朝鮮人から構成されており、民族学校の生徒や保護者、関係者をはじめ、朝鮮総連と関係を持つ在日朝鮮人が数多く存在することは客観的な事実であり、民団などその他の民族団体が大衆レベルでまともに機能していない以上、そうならざるを得ないだろう(このことは以前にも書いた)。現実に、数多くの在日朝鮮人によって構成され、数多くの在日朝鮮人の生活に関わる団体の財産を、単なる外交上の観点からのみ凍結するというのであるから、恐るべき暴挙であると言わざるを得ない。 こうした、対象の「人権」を全く考慮に入れない、「国益」の観点からのみの弾圧が、外国人一般に対しても許されるべきでないことは明白であるが、ましてや、在日朝鮮人は、日本の植民地支配による朝鮮の農村経済の崩壊、朝鮮の近代国家化の挫折の結果、日本で食べていかざるを得なくなった朝鮮人およびその子孫であって、日本に定住する権利を持つ(「日本で生まれて日本で育ったから」、「地域社会の住民だから」定住する権利を持つ、と言っているのではない)。財産権を含めた、日本国民と同等の基本的人権の享受が否定されること自体が、不当である。 そして、今回下されるらしい政府の措置は、何らかの犯罪的行為を理由としたものですらなく、ひたすら外交関係上の「国益」の観点からのみ行われているのであるから、その人権侵害の度合いはより一層激しい。 日本人の(それも左派の)中には、朝鮮総連から被害を受けた在日朝鮮人の声を持ち上げて、朝鮮総連への日本政府の弾圧を正当化・容認するような議論も散見される。そうしたケースで、被害者に対して朝鮮総連の責任が問われるのは当然であるが、そのことと、日本政府が在日朝鮮人の財産権、結社の自由といった基本的人権を否定することとは、次元が全く異なる。そうした議論は、在日朝鮮人の自己決定権の否定が前提となっているのだ。 現在の論壇で、こうした、外交上の「国益」の観点からの朝鮮総連への弾圧を最も積極的に唱えている人間が、私の論文やブログをお読みの方ならお分かりかと思うが、佐藤優である。「<佐藤優現象>批判」の一節を、改めて引用しておこう。 「佐藤は、「在日団体への法適用で拉致問題動く」として、「日本政府が朝鮮総連の経済活動に対し「現行法の厳格な適用」で圧力を加えたことに北朝鮮が逆ギレして悲鳴をあげたのだ。「敵の嫌がることを進んでやる」のはインテリジェンス工作の定石だ。/政府が「現行法の厳格な適用」により北朝鮮ビジネスで利益を得ている勢力を牽制することが拉致問題解決のための環境を整える」と述べている。同趣旨の主張は、別のところでも述べている。「国益」の論理の下、在日朝鮮人の「人権」は考慮すらされてない。 漆間巌警察庁長官(当時)は、今年の一月一八日の会見で、「北朝鮮が困る事件の摘発が拉致問題を解決に近づける。そのような捜査に全力を挙げる」「北朝鮮に日本と交渉する気にさせるのが警察庁の仕事。そのためには北朝鮮の資金源について事件化し、実態を明らかにするのが有効だ」と発言しているが、佐藤の発言はこの論理と全く同じであり、昨年末から激化を強めている総連系の機関・民族学校などへの強制捜索に理論的根拠を提供したように思われる。佐藤自身も、「法の適正執行なんていうのはね、この概念ができるうえで私が貢献したという説があるんです。『別冊正論』や『SAPIO』あたりで、国策捜査はそういうことのために使うんだと書きましたからね。」と、その可能性を認めている。」 興味深いことに、ここで名前を挙げた漆間巌は、周知のように、麻生内閣の内閣官房副長官である。今回の政府の決定も、漆間が主導しているように思われる。 念のために書いておけば、麻生政権が倒れ、民主党(主導の)政権への「政権交代」が実現しても、こうした在日朝鮮人への迫害はなくならないどころか、むしろより一層激しくなる恐れすらある。 昨年11月上旬の報道によれば、民主党の拉致問題対策本部がまとめた北朝鮮制裁案の原案には、北朝鮮関係団体の資産凍結、朝鮮総連への課税強化などと並び「在日朝鮮人の日本再入国禁止」という措置が盛り込まれている。ここでの「在日朝鮮人」が、韓国国籍の者を含むのかはよく分からないが、朝鮮籍の在日朝鮮人を対象として含むことは確実であろう(ちなみに、意外なことに、柳美里が、『週刊ポスト』の北朝鮮訪問記でこの制裁案に批判的に言及していた)。 http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/081102/plc0811022035003-n1.htm http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/081102/plc0811022035003-n2.htm http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20081106-OYT1T00103.htm この件に関しては続報があまりないので、その後の党内の審議でどうなったのかはわからないのだが、この制裁案によれば、少なくとも朝鮮籍の在日朝鮮人は、日本を一旦出国すれば日本に再入国できないことになるから、事実上、日本から外に出られないのである(より正確に言えば、朝鮮籍の在日朝鮮人の場合、再入国許可のないまま日本を出国すると、在留資格(特別永住資格)を失うことになる。朝鮮籍の在日朝鮮人は、旅券を所持していないため、その場合、保護する政府を持たない状況で、日本外に取り残されることになる。よって、事実上、日本から外に出られない、ということになる)。イスラエルにおけるパレスチナ人を連想させるこんな度を超えた人権侵害そのものの案を、次の衆議院選挙で第一党になることが有力視されている政党が保持していることに驚かざるを得ない。 だが、より驚くべきことは、「反貧困」や「格差社会の是正」を唱えて民主党(主導)政権への「政権交代」を主張しているリベラル・左派の人々が、民主党拉致問題対策本部のこの北朝鮮制裁案の「在日朝鮮人に対する再入国許可禁止」という項目について、黙認しているか、一切言及していないことである。この政党のこんな制裁案を黙認しておいて、一体、どういう神経をしていれば「人権」やら「思いやり」やら「平和」やらを語れるのか、謎である。 民主党は、格差社会の是正や、女性の社会的進出の促進など、国内問題で「左」と映りそうな政策を行うために、対外的に「右」と映る政策を公約してバランスをとり、保守的な有権者からの支持を獲得したいのだろう。格差社会の是正を唱えているから民主党(主導)政権を支持するという人々こそが、(少なくとも朝鮮籍の)在日朝鮮人の基本的人権の侵害を支えることになるのである。こうした人々は、やがて、自分たちの行為を自分自身に対して正当化するために、半ば無意識的に、在日朝鮮人に対する排外主義的感情を強めていくことになるだろう。 2. 日本の護憲運動や平和運動は、2006年7月の北朝鮮のミサイル発射からの数ヶ月間における、日本社会の、開戦前夜とでも評すべき異常な緊迫状況において、北朝鮮との戦争への反対の声を、ほとんど上げることができなかった。あの時点で、日本の護憲運動・平和運動は、一度死んだのである。今回のような、在日朝鮮人の基本的人権を考慮に入れない、朝鮮総連への弾圧を黙認するという事実それ自体が、「北朝鮮」や「拉致問題」を出せば何も言えない(または対外強硬論を唱える)という「空気」をそれだけ強めることになる。こうした人権侵害に反対し、2006年後半の沈黙への反省がない限り、護憲運動・平和運動は、対北朝鮮武力行使、対テロ戦争にまともに反対することはできないだろう。少なくとも、「2006年には、北朝鮮の核実験という危機の高まりがありながらも、韓日両国の平和運動の力は、軍事的解決の方策を、それぞれの国の政府にはとらせなかった」(小森陽一「「韓日、連帯21」の役割と課題」(小森陽一・崔元植・朴裕河・金哲『東アジア歴史認識論争のメタヒストリー』青弓社、2008年11月)といった自己欺瞞そのものの文章が流通しているのを見る限り、そう思わざるを得ない。 和田春樹は、『世界』2009年4月号(3月8日売)掲載の論文「韓国併合100年と日本――何をなすべきか」で、2006年の北朝鮮ミサイル実験以降の、朝鮮総連への政治弾圧を、「法律の厳密適用という名のもとでの在日朝鮮人、朝鮮人団体に対する圧迫とハラスメント」だとし、日本の「拉致問題至上主義政策」を批判する。和田の姿勢は、自分たち左翼の日本社会での「立ち位置」にしか関心がなさそうな、太田昌国(和田への批判者でもある。太田の『拉致異論』という本は、要するに、左翼のアリバイづくりの本である)その他の大多数の左翼よりも、はるかにマシである。 だが、和田のように、「拉致問題至上主義政策」に対して、「この地域の最重要な課題と言えば、核問題、ミサイル問題である」として対抗しようとしても、「在日朝鮮人、朝鮮人団体に対する圧迫とハラスメント」が終わるとは言えないだろう。「核問題、ミサイル問題」は、むしろ「拉致問題」よりも日本の「国益」に密接に関わるテーマであり、「在日朝鮮人、朝鮮人団体に対する圧迫とハラスメント」が北朝鮮への圧力として合理的であると認識されれば、それが行われることを止める論理はないからである。「拉致問題至上主義政策」と「核問題、ミサイル問題」を中心に置く政策が、対立するものではない。和田が、佐藤と親密な関係にあることも、そのことを示唆している。 和田の主張は、外務省のラインである。「拉致問題至上主義政策」が付随させる排外主義に対して、日朝平壌宣言で対抗しようとしても、対抗できないか、排外主義を伴った形での日朝平壌宣言ラインでの主張に転化するか、のどちらかであろう。現実の言説状況と政治過程が、それを裏付けている。 日朝交渉においては、日本側が過去の植民地支配とその下での非人道的施策への清算を、みずから果たす責任があり、そのことが両国間の中心的課題である(もちろん、「拉致問題」に関する交渉も並行して進める)という立場に立たない限り、「拉致問題至上主義政策」にまともに対抗することはできないだろう。私の言っていることは、今の日本ではあまりにも突飛に響くだろうが、そもそも、日朝交渉のスタートラインにおける、日朝交渉に関する安江良介や和田春樹らの「朝鮮政策の改善を求める会」の主張は、「日朝関係の不正常さをみずから正す」ことを主張し、「日朝関係の歴史と現状に照らして肝要なこと」として、「日本政府が植民地支配の清算を果たすことを明確に掲げること」と、「日朝関係の改善は、日本側から、具体的に行うべきこと」の二点を挙げるものだった(「声明・政府に朝鮮政策の転換を求める」1989年3月。朝鮮政策の改善を求める会『提言・日本の朝鮮政策』岩波ブックレット、1989年3月。強調は引用者)。「拉致問題」の浮上があったとしても、揺らぐのはおかしい、歴史的立場である。こうした主張から、「みずから正す」という姿勢を棄て、換骨奪胎して「国益」論的に変質したものが、90年代以降の和田の立場(日朝平壌宣言)である。 また、日本の周辺アジア諸国の民衆から見れば、こうした立場の方がむしろ当たり前の認識である。日本は、植民地支配を行ない、しかも、強制連行や「慰安婦」制度等の、非人道的措置の被害者を輩出させた相手国に対して、戦後一貫して謝罪と賠償を拒絶してきているのであるから、日本側が、従来の姿勢をみずから正す、という姿勢で日朝交渉に臨まない限り、日本側の主張は奇異に響かざるを得ないだろう(世界の各国の民衆は、日本が、植民地支配とその下での非人道的措置について、まともに取り組んで来なかったし、これからも取り組み気はないであろうことを、日本の左派よりも正確に理解している。「慰安婦」問題への日本政府の誠実な取組みを求める決議が、世界の各国で議決されていることも、そのことを示している)。こんな状態で、「拉致問題への国際的理解を得る」と言っても、どうやってそんなことができるのか。特定の政治勢力以外の「国際的理解」は得られないだろう。 念のために言っておくが、安倍晋三や中川昭一のような右派政治家や、「つくる会」のような歴史修正主義勢力の影響力が低下すればよい(戦後補償運動を行なっている一部の人間も、このように考えているようである)というのではなく、戦後民主主義勢力も含めた、戦後の日本社会が、植民地支配とその下での非人道的措置に対して、一貫して無関心だったのである。以前にも指摘したように、現在のリベラル・左派の論調は、「保守派を含めた、「戦後社会」の「平和」を肯定する勢力の結集」を志向するものになっている(そうした心性が、<佐藤優現象>を支える基盤である)から、「戦後社会」そのものが現実には植民地支配とその下での非人道的措置には一貫して無関心で、潜在的な排外主義と骨がらみであった以上、「北朝鮮」や「拉致問題」を掲げる右派の攻勢に対しては、対抗できないか、自らも排外主義を伴った形でのものに変質するしかないだろう。 総連資産の凍結は、以前にも書いたが、総連の前身である朝連の解散と、そのことへの当時の日本の左派の無関心を連想させる。結局、戦後60年間、何も変わっていなかった、ということである。 3. それにしても、本当に不思議なのだが、イスラエルのパレスチナ人への蛮行を批判したり、憂慮したりしている人々は、目の前の、朝鮮総連や在日朝鮮人への嫌がらせに対し、どう考えているのだろうか。北朝鮮の軍事的脅威や拉致の脅威を掲げて弾圧を正当化、または容認しようとする人々の主張は、イスラエルがハマスのテロの脅威を訴えて、パレスチナ人の人権を抑圧するのと驚くほど似ている。 ましてや、朝鮮総連が拉致に関与したことも法的に確定した形では示されておらず、北朝鮮政府は拉致について謝罪している。恐らく真剣にテロに恐怖を感じている人々も多いであろう、イスラエルの状況に比べて、総連弾圧を主張したり容認したりしている人々が、本気で、総連が拉致かテロ活動を再びやると考えているとも思えないのである。 また、軍事的脅威の話をすれば、日米同盟や韓米同盟は、北朝鮮や中国に対する軍事的脅威そのものであろう。米英主導のイラク侵略を擁護する軍事評論家の小川和久すら、以下のように、述べている。 「ノドン・ミサイルを最大200基配備する北朝鮮が、それを日本に向けて撃てば、大量のトマホークのお返しを覚悟しなければなりません。それでも足りなければ、アメリカは核弾頭型トマホーク数十発(威力は長崎型原爆の数千倍)以上を北朝鮮に撃ち込む用意があるのです。/ということですから、北朝鮮が暴走し、万が一にも日本にミサイルを撃ち込めば、金正日体制の崩壊どころではありません。それは、北朝鮮という国家の消滅を意味します。逆に北朝鮮の立場からこちら側(日米同盟)を見れば、ビビらないほうが不思議なほどです。彼らは日米同盟に本気で反撃されたら一巻の終わりだと知っているのです。」(小川和久『日本の戦争力』アスコム、2005年12月、236頁。強調は引用者) 北朝鮮の軍事的脅威に対して、総連弾圧など行動をエスカレートさせるのは、もともと在日朝鮮人の人権を全く考慮しない右派だけではない。「日本は戦後、平和憲法のお陰で、戦争に巻き込まれなかった」とする護憲派や、日本の戦後社会を肯定する人々も、日米安保体制の下、日本が戦後一貫して、北朝鮮や中国への軍事的脅威であったごく当たり前の事実をまともに認識していないから、「軍事的脅威」が煽られれば、「北朝鮮」や「拉致問題」を掲げた排外主義を容易に支持するようになる。 繰り返し言っておくが、朝鮮総連を支持するか支持しないかは、今回の朝鮮総連の資産凍結に反対することと関係がない。パレスチナの例に準えれば、ハマスを支持することと、パレスチナ人がハマスを選ぶ自己決定権を持っているのを認めることが、全く別のことであるのと同じだ(ただ、この比喩は、現実の朝鮮総連が、ハマスのような軍事組織と抵抗精神を持っていないという意味で、不当ではあるが)。 日本のリベラル・左派は、イスラエルのパレスチナ人抑圧は非難しておきながら、目の前の同質の問題には、国民としての政治的責任をはるかに負っているにもかかわらず、頬かむりをするか容認するわけである(それどころか、そうした弾圧の扇動者である佐藤優を重用する)。今のリベラル・左派論壇に、読むに値する文章がほとんど現れないのも、当たり前だろう。
|