「共同提言 対北政策の転換を」を批判する④――日韓条約と日本の責任 [2009-02-21 03:52 by kscykscy]
閑話休題 外務省見解と世界「提言」の論理 [2009-02-19 20:45 by kscykscy] 筑紫哲也の反テロ戦争的「情」について [2009-02-12 02:58 by kscykscy] 植民地支配の清算こそ国益、という発想の危険性 [2009-02-05 07:33 by kscykscy]
少し間が空いてしまったが、世界「提言」の批判に戻ろう。前回、「提言」が戦後日本の対アジア諸国外交を極めて高く評価していること、そして「大韓民国との清算が曲がりなりにも果たされた」とされる日韓共同宣言が、実質的に日韓条約への高い評価を打ち出していることを指摘した。日韓条約の問題は非常に重要なので、もう少し検討を続けよう。
日韓交渉における論点の一つに「管轄権問題」というものがある。朝鮮が分断状態にあるなかで、韓国政府の管轄権の範囲をどこまでとみなすのかという問題である。これに関連して「提言」は「3 これまでの国交正常化の努力の評価」の項目で次のように説明している。 「韓国政府は大韓民国が朝鮮半島における唯一の正統政府だと主張したが、日本政府は、ついに同調せず、大韓民国を休戦線の南のみを有効支配している国家であると認めるにとどめた。つまり休戦線の北側には別の国家があると日本は認識していたのである。ただし、その国家とは外交関係をもたないと決めていた。」(128頁) 下線部は非常に不可解な書き方をしている。なぜ不可解なのかというと、この一文は、韓国の朝鮮半島における唯一の正統政府との主張に日本は同調しなかった、と書いているわけだが、そうなると韓国を朝鮮半島における唯一の正統政府と認めるかどうかが、ここでの争点であったということになってしまうからだ。だが管轄権問題について少し勉強したことのある人ならば誰でも知っていることだが、そんなことは一度も日韓交渉で問題になってはいない。問題になっていたのは、韓国の主権が全朝鮮半島に及ぶのか、あるいは南半部だけに及ぶのかである。韓国が朝鮮半島における唯一の政府であることについて、日韓間での意見の対立は無かったはずである。 実際、締結された日韓条約第三条には「大韓民国政府は、国際連合総会決議第百九十五号(III)に明らかに示されているとおりの朝鮮にある唯一の合法的な政府であることが確認される」と記されている。ここで引用されている国連総会決議では、国連臨時朝鮮委員会が観察した地域(つまり38度線以南)において「有効な支配と管轄権を及ぼす合法な政府(大韓民国政府)が樹立されたこと」、同地域における「選挙民の自由意思の有効な表明」により韓国政府が選出されたこと、そして「この政府が朝鮮における唯一のこの種の政府であること」が宣言されている。どう読んでも、朝鮮における政府は韓国政府のみであることが謳われていると解釈するのが妥当だろう。 これだけを見ても、日韓共に韓国政府が朝鮮における「唯一の合法的な政府」であることについては認めていたのであり、日韓条約にもそう記されていることは歴然としている。ただ、日本側は朝鮮半島に「唯一の合法的な政府」の支配の及ばない地域が存在すると主張していただけだ。 さらに続けて「提言」は「休戦線の北側には別の国家があると日本は認識していた」と書いているが、これも意味不明だ。日韓条約第三条が記しているのは、朝鮮半島にある合法的な政府は韓国だけであるということであって、「休戦線の北側」には「別の国家」があるとはどこにも書いていない。日韓条約第三条に書いてあるのは、国連朝鮮臨時委員会が観察した地域(「休戦線」ではない)にある政府だけが合法的な政府である、つまり、その地域以外に仮に政府があるとしてもそれは非合法的な政府である、ということだ。 なぜこんなわかりきった間違いを書くのだろうか。おそらくその理由は続く一文にある。引用した段落では続けて次のように記す。 「大韓民国も朝鮮民主主義人民共和国もそれぞれ自らが朝鮮半島における唯一の正統政府だと主張していたので、韓国と国交をもつ日本が北朝鮮と国交をもつことは不可能であった」(128頁) 二つの引用文をつなげて読むと、日本としては韓国の「唯一の正統政府」だとの主張には同調しなかったが、朝鮮では南北がそれぞれ「唯一の正統政府だと主張していた」、だから日本は朝鮮民主主義人民共和国と国交をもつことが不可能であった、という物語が出来上がる。つまり日本が朝鮮民主主義人民共和国と国交を結べなかった原因は、朝鮮の南北がそれぞれ「唯一の正統政府だと主張していた」から、ということになる。 だがこれは滅茶苦茶な話である。日本と朝鮮民主主義人民共和国の国交交渉が全く進まなかったのは、日本が韓国を「唯一の合法的な政府」として承認したからであって、南北の両政府が互いに「唯一の正統政府」だと主張し合っていたからではない。この段落を一読すると、あたかも日本側は朝鮮民主主義人民共和国との国交交渉の余地を賢明にも残していたかのような印象を受けるが、これは驚くべき事実の捏造であり、問題のすりかえである。 しかも、日本側が韓国の管轄権を南半部に限定したのも、別に「国交正常化の努力」のためではない。 確かに交渉の最終局面において、全朝鮮に主権が及ぶことを主張する韓国と、朝鮮南半部のみとする日本の見解は対立していた。だが、すでに吉澤文寿が指摘しているが、1951年11月7日の国会答弁で西村熊雄条約局長は「北鮮〔ママ〕にある日本の財産の問題も大韓民国政府相手の交渉の内容をなす結果になる」と答えているのである(吉澤『戦後日韓関係』48頁。なお同答弁についてはここで全文閲覧できる)。 つまり、日本は自らの「財産」を請求する際には、韓国の管轄権に朝鮮半島全域を含ませようとしていたのである。逆に、交渉の最終段階では、韓国側が北半部の分も対日請求権を持っていると主張していたため、日本側は対日請求権を値切るために管轄権を限定した。別に日本による朝鮮民主主義人民共和国との「国交正常化の努力」として肯定的に評価できるようなものではない。 世界「提言」は、事実を捻じ曲げ、問題をすりかえ、朝鮮側に責任をなすりつけてまで、戦後日本外交を肯定したいのだろうか。驚くべき破廉恥さである。
外務省HPの「外交政策Q&A」のページには「北朝鮮との国交正常化は本当に日本の国益となるのでしょうか」という問いへの外務省の回答が載っている。日付は平壌宣言調印前の2001年4月である。
この外務省による回答をさらに要約するならば、 ・植民地支配をした地域との関係を正常化することは歴史的・道義的な課題である。 ・国連加盟国中、北朝鮮とだけ国交がない。隣国なのに国交がないのは不正常だ。 ・国交を結べば北東アジア地域に安全をもたらし、日本の安全保障を高められる。 ・対話を進めることで「拉致問題などの人道問題」などの解決の糸口が見つかる。 ・以上の諸点をふまえた国交正常化は国益に資する。 といったところになるだろうか。 一読してわかるように、この外務省の論理は世界「提言」の言っていることと全く同じである。というよりも、世界「提言」が外務省と同じことを言っているのである。もちろん、国交正常化すべし、という結論が一緒だと言っているのではない。そこにいたる論理が同じなのである。大の大人が集まって政府見解と同じことを政府に「提言」したというわけだ。そういうのを果たして「提言」というのだろうか。
筑紫哲也の訃報を聞いて「9.17」直後に彼が書いたコラムを思い出した。改めて読み直してみると、当時は気づかなかったのだが、その後の左派の推移を予言するような、ある徴候的な醜悪さがあることに気づいた。
その文章というのは、2002年10月18日付『週刊金曜日』(特集は「それでもやっぱり日朝の正常化を」)に書いた「せめて「狂乱の場」を」というコラムである。筑紫はここで、「週刊金曜日」は拉致問題を取り上げることを避けているのでは、という読者からの疑問を紹介して「そういう印象を与えたとしたら、誌面に「理」が勝ちすぎて「情」に欠けるからではないか。そして今週号はもう「それでもやっぱり日朝の正常化を」(特集タイトル)である」と揶揄しつつ(筑紫は編集委員のはずだが)、続けて次のように記す。 「他の週刊誌がこぞって露骨な反北朝鮮キャンペーンを張っているなかで、それは"栄光ある少数派"のひとつの立場であろう。感情的でなく理性的にも映る。だが、少数派が真に栄光を獲得するためには、説得力を持とうとするきびしい自己点検が欠かせない。それなくしては知的自己顕示とアリバイ証明でしかない。人間が「情」と「理」の間を揺れ動きながら生きていることへの洞察力、そして「理」を「情」の上位価値に据えることが常に正しいとは限らぬことへの警戒心なくしては、「私の心に打ち勝つ」ことはできない。」 さて、では筑紫のいう、人間が「理」よりも上位価値に据えがちな「情」の内容とは何か。筑紫は続ける。 「「強制連行、「従軍慰安婦」が比較にならぬほどの規模と残酷さであったことを「理」ではわかっても目前の拉致被害者に涙してしまう「情」。近くはイラク戦争準備まで、アメリカの自己目的的な世界政策がテロを誘発していることは「理」でわかっていても、テロ犠牲者を悼む「情」。それに立ち向かうには生半可な理性では太刀討ちできない。早い話が、「それでも国交正常化を」と言う「理性」は、「11人の命よりそれが大事」と言い放った外務省幹部の「国家理性」とどこがちがうのか。「拉致事件のようなことを起こさないためにそれが必要だ」と言う小泉首相の論証不十分な大義名分を鵜呑みにする気なのかをまず説得的に説明する必要がある。」 目前の拉致被害者への「情」に加えて、なぜか「テロ犠牲者」を悼む「情」まで自明視されている。ここでの「情」はもちろん「人間」一般の被害への「情」などではなく、それどころかナショナルな感情ですらない。いずれも米国や日本が戦争や経済制裁の正当化のために持ち出す「被害」の「情」という点で共通している。「反テロ戦争的『情』」、とでも言うべきものだろう。 筑紫はこうした「情」が存在することを仮定し、そして巧妙に自分はその「情」に共感しているのかどうかをこの時点ではまだ明言していない。歴史認識問題を議論しているときによく見かける言い訳の一つに、「私は同意しないんだけど、確かにそれに納得しない感情はあるから、戦略的に語る必要がある」云々というものがある。自分が「理」の側にいると見せかけて、他人に「冷静」に語ることを強要したりする傲慢な言い草なわけだが、筑紫の言い回しはそれに似ている。ほとんどの場合、そういう人間は実は「納得しない感情」に自分も「理」のレベルで納得しているのだが、筑紫はどうだろうか。続く文章を読んでみよう。 「理性の行使がもっとも求められるのは国交正常化そのものである。それは目的なのか、手段なのか。目的だとしたら、当然、経済援助という名の賠償を払わねばならないが、それで一息ついた相手が再び拉致、工作船をふくむ軍事的脅威にならぬ保証はどこにあるのか。そうならないために、あの国を開放的にし、民主主義と自由を導入するための手段として国交正常化をとらえるとしよう。相当に内政干渉の疑いのあるアプローチだが、それを別としても、そういう方向に導いていく外交的能力がこの国に果たして備わっているのか。 私たちが見聞してきたこの国の外交とは利権まみれのODAとあの外務省の姿ぐらいしかない。またそれに任せる「お人好し」と理性的判断とはどう折り合いが付くのか。」 あえて解説する必要も無いかと思うが、筑紫は「経済援助という名の賠償」(おかしな表現だが)は、国交正常化を「目的」と考えるものとして退ける一方、「理性の行使」の一例として、朝鮮民主主義人民共和国を「開放的にし、民主主義と自由を導入するための手段として国交正常化をとらえる」ことを提案している。以前、『世界』の提言を「介入の論理」として批判したが、ここでもその論理を確認できる。 しかも、前段の「情」との関係でいえば、明らかに筑紫は「反テロ戦争的『情』」に納得してもらうために、「民主主義と自由を導入するための手段として国交正常化をとらえ」ることを提案していることがわかる。筑紫は「それに立ち向かうには生半可な理性では太刀討ちできない」などと言っているが、別に彼は「情」に「立ち向かう」ために、「情」に反したとしても、「理」を駆使するといっているのではない。彼はただ「情」が納得しやすいような理屈をこしらえて、「情」に擦り寄っているだけだ。そして、擦り寄るさまを「理」なる言葉を用いて粉飾しているのである。 そして、次の一行で筑紫はこのコラムを締めくくる。 「理」を語る前に少しは「狂乱」があってよい。 私がこのコラムを読んだ際、深い戦慄を覚えたことをよく記憶している。9.17直後といえば、朝鮮人に対する物理的暴力や威嚇が吹き荒れていた時期であるし、明らかにメディアはそうした暴力を唆していた。筑紫も知らないわけではない。そういうことをよく知っていながらの、「少しは『狂乱』があってよい」の一言である。私は、筑紫は煽っている、と思った。いま「冷静」「沈着」の代名詞として振り返られる筑紫は、「9.17」直後に自らの編集する雑誌で、「狂乱」を煽ったのである。この事実を歴史に刻み込んでおかねばならない。 しかも恐ろしいのは、その「狂乱」の後に語られる「理」の内容が、「民主主義と自由を導入するための手段として国交正常化」だということだ。「反テロ戦争的『情』」におもねり、その「狂乱」を発散させた後で、その「情」に基づいて朝鮮民主主義人民共和国に「民主主義と自由を導入する」というわけだ。 冒頭に「徴候的な醜悪さ」と書いたが、その後の六年半を見ると、筑紫の「煽り」通りに事態は推移している。散々「狂乱」した挙句、「介入の論理」が最左派の議論として持ち出されている。「反テロ戦争的『情』」に立ち向かうふりをしながら、擦り寄っている。筑紫の示した模範にみな従っているのである。そう考えてみると、この一文は単なる排外主義の文章というだけでなく、その後の左派の行動規範を示した記念すべき文章なのかもしれない。
ずいぶん古い文章になるが、2001年6月付で掲載されている日本の戦争責任資料センター代表・荒井信一氏の「戦争責任・植民地支配の清算こそ国益」という文章を読んで驚いた。荒井は比較的早くから日本の戦争責任問題を歴史研究の対象に据えてきた学者で、ここでも「反日度」★三つつけられている(ただし小倉智昭も★三つなのであてにならないのだが)。韓国併合については不法論の立場に立つため、植民地支配責任の問題を考える際に、私もその仕事から多くを学んでいたつもりだった。
だがこの文章には少し驚いた。サイト運営者がつけたタイトルかとも思ったのだが、本文を読んでみると確かに「直接的には日朝交渉、国交正常化とかかわりますが、植民地支配の責任を清算することが、日本の国益にとって非常に重要だということをもっと強調していく必要があります」と書いてある。私はこういったレトリック、つまり責任を取った方が日本の得になる、という論法には、相当深刻な問題があると思う。 荒井氏は続く文章でこの点をさらに展開しており、ここでの論理にも相当な問題があるのだがそれは後述する。まずは基本的認識のレベルを問題にしたい。私は、植民地支配責任に応じることと、「日本の国益」の増大云々をリンクさせて論じるべきではないと考えている。植民地支配責任に応じることは、「日本の国益」の増大云々とは無関係に考慮されなければいけないことだからだ。仮にそれが「日本の国益」を著しく損なうことになるとしても、植民地支配責任を果たさねばならない。 なお、ここでいう「国益」には、国家の利益、現政権の利益のみならず、国民の利益も含まれていると考えるべきだ(荒井氏も後者の用法を含めていると思う)。つまり、仮に「植民地支配の責任を清算することが、日本国民の利益にとって非常に重要」と記していたとしても、同様に私は問題があると考える。 というよりもむしろ、植民地支配責任に応じるということは、進んで「日本の国益」を損なうということなのではないのだろうか。こう書くと右翼と同じことを言っているようだが、多分私は事実認識に関しては同じことを言っているのだと思う。 例えば日本が第二次大戦に敗北を前後して連合国が構想し、一部実施された賠償案では、日本の生産水準を日本に侵略された他の東アジア諸国以下に引き下げることが目的とされていた。具体的には工場施設などを日本からそれら諸国に移転するというもので、確か朝鮮にも機関車何台かが運ばれたと記憶している。 結局、中国革命に対応するために米国が日本の経済復興と基地化を急いだため、ほとんどこの賠償案は骨抜きになったのだが、私はこの賠償は徹底されるべきだったと考えている。日本敗戦直後の一般国民の窮乏は相当に深刻であったし、在日朝鮮人の状況はそれに輪をかけてひどい状態だった。だがそうであったとしても、日本の生産水準を他の東アジア諸国以下に引き下げるという発想は、非常に重要かつ絶対に実行されるべき最低限の賠償だったと思う(もちろん、それだけでは不十分だが)。 だがこれは日本の支配層のみならず、窮乏状態にあった国民からも相当な反発を受けただろう。ある意味当然である。少なくともこの賠償方法は、「日本の国益」増大云々とは無関係であったし、むしろそれを封じ込めるためのものだったからだ。だから、責任を取った方が日本の得になる、という論法はそもそも誤っているし、こうした論法は必ずや広範な国民的な責任回避願望の前に、自らの修正を余儀なくされる。日韓条約をめぐる論議のなかで、革新勢力が「朴(ボク)にやるなら僕(ボク)にくれ」という醜悪極まりないスローガンを作り出したのは有名な話だが、こういった平等主義的な分配要求を偽装した排外的責任回避論に、責任を取った方が日本の得になる、という論法は絶対に勝ち得ない。なぜなら、得にならないからだ。 現在の格差社会論の趨勢を見ていると、日朝交渉が進み始めたとき、左派が「あんな独裁国家に金をやるなら貧困救済しろ」と言い出すのではないかという危惧を禁じえない。もしかしたら「朴にやるなら僕にくれ」以上の最低なスローガンすら作り出すかもしれない。そうした人々を前に、荒井氏のような論法はいかほどの力を持てるだろうか。はなはだ心もとない。
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