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2009年2月

2009年2月26日 (木)

続X17 週刊新潮に援護される岩波書店『世界』 佐藤優という泥沼 

金光翔氏が佐藤優に公開質問状を突きつけたようだ。

金光翔 「佐藤優氏への公開質問状」
http://gskim.blog102.fc2.com/blog-entry-16.html

以下、公開質問状から一部抜粋

質問1−18.『週刊新潮』の上記記事に関して『実話ナックルズRARE』第1号(2008年10月売)は、佐藤様 が、懇意の『週刊新潮』の記者(私にメールを送ってきた、荻原信也記者だと思われますが)に書かせた旨を、佐藤様を知るというマスコミ関係者の発言を引きながら報じています。また、『中央ジャーナル』203号(2008年11月25日発行)の「佐藤優が岩波書店社員を恫喝」なる記事でも、『週刊新潮』の上 記記事について「佐藤が「なじみの『週刊新潮』記者を使い、コメントを装って「岩波にも責任がある」と恫喝」したと書かれています。

 また、『インパクション』の深田編集長からも、『週刊新潮』の同記事は、佐藤様が『週刊新潮』のご友人の記者に、「<佐藤優現象>批判」の著者である私が岩 波書店社員であることなどを、ある岩波書店社員から佐藤様が聞かれた話として、お伝えされたことが発端であったらしいと伺っています。深田編集長は、このことを、佐藤様ご自身から聞いたとのことです。

 『週刊新潮』の同記事で、記者に初めに情報を提供したのが佐藤様であるという、上記の報道および証言は、事実でしょうか。

質問1−19.『週刊新潮』の上記記事は、私が「首都圏労働組合特設ブログ」で指摘しているように、私の名誉を毀損する虚偽の記述を含んでいます。『週刊新潮』の記者に初め に情報を提供したのが佐藤様であるという、前問で挙げた報道および証言が事実であるならば、佐藤様にそうした情報を伝えた岩波書店関係者とは、具体的に誰 (もしくは誰々)でしょうか。当人に直接確認したいので、氏名をお答えください。

 この週刊新潮の言論テロ記事は、佐藤優ー週刊新潮ー岩波書店の3者の合作によって創られたものと考えられる。http://electric-heel.cocolog-nifty.com/blog/cat30506491/index.html
おそらく、この公開質問状で窮地に立たされるのは佐藤と週刊新潮に自社社員のスキャンダルをでっち上げて言論封殺をそそのかした岩波書店にちがいない。

これまで佐藤は一度足りとまともに回答したことがない。きっといつものように汚い手段で金氏を潰しに掛かるだろう。

佐藤がどうでるか注視したい。

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2009年2月20日 (金)

村上春樹 エルサレム賞受賞スピーチ 現実逃避の茶番

 「村上春樹がガザ侵攻を批判」とメディアで大々的に報道され、ネット上でもそれを賞賛する声で溢れている。しかし彼らが参照した現地新聞などを読んでも日本のメディアで報道されるような「ガザ侵攻批判」は見つけることができない。言い訳けしながらエルサレム賞を受賞する村上春樹とそのスピーチを「感動した」などと絶賛する人達との「茶番劇」に対して、前回「これがイスラエル批判?」と書いた。今回はその続き。

 ネット上に村上春樹の署名付き全文と日本語訳がアップされていた。
特にエルサレムポストには欠けていた「戦闘」に関連して言及している箇所の日本語訳を引用させてもらう。http://d.hatena.ne.jp/sho_ta/20090218/1234913290 からの引用

これは僕がフィクションを紡ぐ時、常に心に留めていることです。僕はそれを一枚の紙切れに書いて壁にはっておくというよりもむしろ、僕の「心の壁」に彫りつけられていること……それはこういうことです。
 「高く、固い“壁”と、それにぶつかると割れてしまう“卵”があるとき、僕はいつも卵のそばにいる」
 ええ、どんなに「壁」が正しく、どんなに「卵」が間違っていようとも、僕は「卵」のそばに居続けます。どこかの誰かが「何が正しくて、何が間違っているのか」を決めるとき、それはおそらく時間と歴史が決めるのでしょう。けれどもし、どのような理由があろうとも、壁のそばに立って仕事をする小説家がいたとしたならば、その作品にはどんな価値があるというのでしょうか?

 このメタファー(暗喩)はいったい何を意味しているのでしょうか? それはいくつかの場合において、とてもクリアで単純です。高く固い「壁」とは、爆撃機であり、戦車であり、ロケット砲であり、白リン弾です。そして「卵」とは、それらに壊され、燃やされ、撃たれる非武装市民……、これがその暗喩が意味することのひとつです。

 

 日本の新聞などで「村上春樹、ガザ侵攻を批判」と見出しになったのはこの部分だろう。これを読んでも、イスラエル批判というのは読み過ぎだ。

 村上は「爆撃機や戦車や、ロケット弾によって壊され、燃やされ、撃たれる非武装市民の側に立つ」と、とってつけたような下手な暗喩を用い、その暗喩の解釈を解説して(なら、暗喩なんて使うなよ)自分の立場を言明している。
だが、結局、村上は発言に一般性への含みをもたせることで、善悪の判断から逃げた。
 そもそも村上が言い訳がましい前振りをしたのは、日本の世論からエルサレム賞を受賞することが、非武装市民を撃つ側(村上の言う「壁」側)であるイスラエル側に立つことになるという批判の声が上がったのが発端ではないか。それならば、そこにいてエルサレム賞を受賞している「僕」は「卵」の側にいるのだろうか?
「卵」の比喩を無理に当てはめたのは、曖昧にして読者がかってに都合の良く解釈されることを狙ったのだろう。
 
「壁のそばに立って仕事をする小説家がいたとしたならば、その作品にはどんな価値があるというのでしょうか?」などと言う村上は、図らずもイスラエルーパレスチナ問題という政治的なリアルな問題に直面し、自分自身を小説の主人公として現実逃避させてしまった。現実の自分が「壁のそばに立って」いるのに。

笑顔で自分を讃えて歓迎してくれる者に向かって現実の戦争や侵略への言及など彼には到底できないことなのだろう。

もう一つ、
これはスピーチ原稿らしいのだが、前もって日本のマスコミに配られていたのではないのか?先に出たエルサレムポストとAPによるスピーチ要旨では、肝心な戦争への言及部分にはまったく触れられていなかった。そんなことはあり得る話なのだが、日本のメディアが大きく取りあげたようにハイライトな部分だけに疑問を感じる。それと、『壁』と『卵』を、「爆撃機、戦車、ロケット弾」と「壊され、撃たれる市民」の比喩とするのは、変だ。「爆撃機・・・」と「"それに"撃たれる市民」との関係性が「壁」と「卵」では当てはめることができない。きっと、「壁」と「卵」の前段の解釈部分は後から無理にこじつけたものものではないか?

どうせ薄っぺらい小説家なんだからどうでもいいけど、センスなさ過ぎ。

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2009年2月18日 (水)

村上春樹 エルサレム賞受賞スピーチ これがイスラエル批判?

 小説なんてほとんど読まないし、偽物の匂いがプンプンする村上春樹に興味もないけれど。

イスラエルでの彼のスピーチは、彼がイスラエルの賞を受賞することに勝手な思いこみで反対圧力をかける人達を意識しての単なる言い訳に読める。売文屋らしくイメージを損ないたくないという思惑だけで、本音から出たものじゃないから、表面上それらし読めるけど実際は何も言ってない。どこにガザ攻撃批判、イスラエル批判があるのか。
これはエルサレム賞のテーマである「社会における個人の自由」をベタになぞっただけの発言じゃないか。ただ比喩に「壁」という思わせぶりな言葉を使ったことで、読者に都合のいいように解釈させただけだ。これのどこがイスラエル批判なんだ?批判どころかありがたく受賞して、丁寧に感謝までしているじゃないか。ばかばかしい。

 彼に表現者としての誠実さがあるのなら、「私はただの売文屋ですから、政治
的な事には関わりません」と言って堂々と賞をもらうか、わざわざ回りくどい言
い方をせず、イスラエルのパレスチナへの非道に厳しい抗議をするとともに賞を
蹴るべきだろう。もちろん村上は後者を選択する気はもうとう無いし、誠実さもない。

こんなので、「感動した」なんて言う人がいるのにビックリだ。バカじゃないの
か。村上春樹の読者なんて、やっぱりこの程度のものなんだろう。

ネットで拾ったスピーチの一部

So I have come to Jerusalem. I have a come as a novelist, that is - a spinner of lies.

Novelists aren't the only ones who tell lies - politicians do (sorry, Mr. President) - and diplomats, too. But something distinguishes the novelists from the others. We aren't prosecuted for our lies: we are praised. And the bigger the lie, the more praise we get.

The difference between our lies and their lies is that our lies help bring out the truth. It's hard to grasp the truth in its entirety - so we transfer it to the fictional realm. But first, we have to clarify where the truth lies within ourselves.

Today, I will tell the truth. There are only a few days a year when I do not engage in telling lies. Today is one of them.

When I was asked to accept this award, I was warned from coming here because of the fighting in Gaza. I asked myself: Is visiting Israel the proper thing to do? Will I be supporting one side?

I gave it some thought. And I decided to come. Like most novelists, I like to do exactly the opposite of what I'm told. It's in my nature as a novelist. Novelists can't trust anything they haven't seen with their own eyes or touched with their own hands. So I chose to see. I chose to speak here rather than say nothing.
So here is what I have come to say.

If there is a hard, high wall and an egg that breaks against it, no matter how right the wall or how wrong the egg, I will stand on the side of the egg.

Why? Because each of us is an egg, a unique soul enclosed in a fragile egg. Each of us is confronting a high wall. The high wall is the system which forces us to do the things we would not ordinarily see fit to do as individuals.

I have only one purpose in writing novels, that is to draw out the unique divinity of the individual. To gratify uniqueness. To keep the system from tangling us. So - I write stories of life, love. Make people laugh and cry.

We are all human beings, individuals, fragile eggs. We have no hope against the wall: it's too high, too dark, too cold. To fight the wall, we must join our souls together for warmth, strength. We must not let the system control us - create who we are. It is we who created the system.

I am grateful to you, Israelis, for reading my books. I hope we are sharing something meaningful. You are the biggest reason why I am here.

http://www.jpost.com/servlet/Satellite?cid=1233304788868&pagename=JPost/JPArticle/ShowFull

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2009年2月14日 (土)

『週刊金曜日』北村編集長の天皇制擁護論

右翼番組の『チャンネル桜』に出演した『週刊金曜日』編集長が、自らの天皇制擁護論を主張して右翼の歓心を買っていたことを書いたが、これがこの時初めてではなく、2年前にも同番組に出演して同じ天皇制護持論を主張していた。これは『週刊金曜日』の集会で皇室を揶揄したパフォーマンスを批判した記事が週刊新潮に載り、右翼の抗議に対する説明の中で語られている。

「週間金曜日」北村編集長に訊く 8−5(H18.12.14)
http://www.youtube.com/watch?v=FnRbHdN2oUs&feature=related

5分30秒あたりから

北村は「これだけ長い間日本に天皇制が残ってきている。天皇制、皇室、皇族は円の中心である。円の中心があるから市民平等である。中心があるから日本というものが成立している。だからこれを無くしてしまえということがこれまでなかった。」と主張する。

敗戦によって国家体制は民主主義に改められた。明治以来、北村流に言えば円の中心と言われてきた皇室は現在の体制ではもはや円の中心ではない。日本人のメンタリティー上の中心でもない。「法の下の平等」が憲法に定められているにもかかわらず、皇室だけは例外とされているのは矛盾するはずだ。敗戦前のイデオロギーをそのままに、天皇制擁護論を主張するのは右翼とどこが違うのか?北村編集長にとって右翼との違いは皇室への敬意があるかないかだけのようだ。
彼は「左翼」と呼ばれることに抵抗があるようだが、まぁ当然だろう。王族という身分を認めて堂々と左翼を名乗るわけにもいかないだろう。

北村編集長がこんな考えなら、天皇制擁護者の佐藤優とまったく違いはない。北村編集長が佐藤に感化されたのか、たまたま同じ考えだったのかわからない。佐藤は天皇制永久保持の為に憲法九条改正に反対と訳のわからない理屈で言っているが、天皇制に反対でないのなら、こんな馬鹿な屁理屈も説得力をもつのかもしれない。

右翼だけに自身の天皇制擁護の考えを説明するのではなく、天皇制反対論者がほとんどと思われる読者にきちんと説明しなければいけないだろう。

今日買った『週刊金曜日』(2/13)の辺見庸氏のインタビューに関連する発言があった。

 私は憲法擁護論者で、とりわけ九条については一歩も譲れないという人間ではあります。でも反面、すでに憲法は相当程度壊されていると認識しています。が、その中で、憲法の天皇条項だけは揺るぎない。これがどうして憲法の中心軸なのか。憲法第一章に対する根本の問いというものを、左翼をふくめて出してこなかった。
・・・
天皇制をなくしてこの国はやっていけないのかーーこれは、マスコミ、思想界が故意にさぼり、自己規制してきた重大テーマです。
・・・
我々の個、自我が発する論理のプロセスには、天皇制という見えない非言語系の縛りと心的規制が常に災いしている。それが世間というものをつくっていく。そのプロセスに共同的幻想として天皇制がある。そこから見えない身分制も派生する。とりわけ敗戦国であるこの国は天皇制を倫理的な土台として利用しながら朝鮮を支配し、中国侵略をしてきたことに対する歴史的な反省を、アカデミズムの世界もマスメディアの世界も怠ってきた。天皇制については共産党も社会党も同様に熾烈な議論を避けてきたと思いますよ。そこの戦後民主主義の虚妄の根源があると思いますね。

辺見庸氏の批判にも値しない天皇制論を持つ北村編集長は、このインタビューを読んでどう感じたのだろう。

 

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2009年2月 6日 (金)

佐藤優現象を広める「フォーラム神保町」の工作

1月25日の田原総一郎の番組「サンデープロジェクト」に佐藤優がTV初出演した。

http://www.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&v=mo4GXIAP3II
http://www.youtube.com/watch?v=B3dPqtkQMUY&feature=related

出版メディア支配を達成した後、次はTVメディアに進出しようということなのだろう。佐藤が手始めに選んだのがTV芸者と言われる田原総一朗のサンデープロジェクトだというのは至極当然だろう。ここで田原に佐藤得意のやらせ対談で宣伝させ持ち上げられれば、岩波書店や週刊金曜日の支援で権威に成り上がった以上の効果を期待できる。
同じ田原が進行役をしている”朝生”ではやらせ工作ができないから、佐藤は出演しない。佐藤は八百長以外は絶対やらない。

番組を見れば佐藤が番組出演の目的がわかる。オバマ新政権で米国がどう変わるかトンチンカンな分析を一くさりした後、日米関係は歴史認識問題が持ち上がれば、日本側が不利な立場になるとそこらのバカウヨレベルの危機感を披露。
唐突に田原から田母神論文について質問がなされる(もちろんシナリオ通り)。それに対して佐藤は「よく議論するべきだ」「F22を入手するのが国益だ」「(米国従属の)タブーに踏み込んだ」と論文の歴史認識問題そのものを避けて日米関係を論じ、国益論をからませながら上げたり下げたり曖昧で距離を置いたコメントをしている。
どうでもいいようなこの場面で、佐藤は得意の国益論で問題のすり替えをして視聴者に右からも左からも受け入れられる国際情勢分析の専門家という立場を印象づけたかったのだ。あえて「田母神論文」を話題に出したのは、「田母神論文」がAPAの代表・元谷外志雄の本『報道されない近現代史』を記念して行われた『真の近現代史観』懸賞論文に応募したもので、田母神論文と歴史観を同じくするそのトンデモ本を絶賛する推薦文を佐藤が書いたことを、なんとか言い逃れようとしているのだ。とても他人事のように振る舞える立場ではなく、ほぼ選考委員の渡部昇一と同じ当事者と言ってもよいくらい言い逃れできない立場なのだ。
http://www.apa.co.jp/outline/outline07.html

これまで佐藤優はいくらあからさまな二枚舌を使おうが、影響力のある言論人を手なずけることで批判を表に出ることを抑えてきた。TV初出演でも田原を使って同様の工作を仕込んできたわけだ。

Yahoo!掲示板 ”ふざけるな!拉致議連、救う会、家族会”に以下の投稿があった。


Re: 高杉良に失望     2009/ 1/28 10:15 [ No.34314 ]

このブログを読んでいたら、
≪佐高信ほど、自分の言葉に責任を持たない人間は居ない≫ようです。

「田原総一朗ノンフィクション賞」を「紙クソ」と罵倒しているけれど、
選考委員に佐藤優がいます。

佐藤優はVIP扱いで<別格>のつもりなのか、
それとも、
「スポーツ新聞の読者は(佐高信自身が社長を務めている)『週刊金曜日』なんか読んでいないだろう」と、鷹をくくって(あなどって)いるのでしょうか?

2009-01-27 22:03:59
satakaの投稿
東スポ「マンデー激論」−田原総一朗は紙クソ&佐高信政治塾
http://ameblo.jp/sataka/entry-10198929251.html

しかも、【主催】 フォーラム神保町 (『金曜日』関係者も参加している)

(上記は2つの連続した投稿をまとめています。)

なるほど。田原総一朗は佐藤優と深い関係のジャーナリストが集まる研究会「フォーラム神保町」の主催の「田原総一朗ノンフィクション賞」創設というエサで釣られ、その見返りとして1月25日の番組の佐藤優の印象操作を演出したのだ。そしてどうやら田原総一朗も「フォーラム神保町」のメンバーになったようだ。

同じく、Yahoo!掲示板 ”ふざけるな!拉致議連、救う会、家族会”から、


去年見た時には「田原総一朗」の名は無かったと思いますので、
彼が入ったのは最近のことでしょう。

フォーラム神保町会員規約
http://www.forum-j.com/agreement.html
第4条(世話人) 本会の世話人は以下の者である。
青木理、伊田浩之、伊東乾、魚住昭、乙骨正生、香山リカ、小林健治、佐藤優、多井みゆき、田原総一朗、東郷和彦、二木啓孝、宮崎学、山口二郎、山田聡(50音順)

しかし、佐藤に対する疑問は深まるばかりだ。
佐藤優の知的能力は、彼の文章を読んでも並の下程度のもので、国際情勢分析もほとんどデタラメなので国際インテリジェンスのプロだとかは、幼稚なハッタリでしかないだろう。たとえ佐藤の言うようにモサドだの外国の諜報機関と関係があるとして、佐藤優が他国の諜報機関が収集した情報の受け手になることは完全にあり得ない。ありえるのは諜報機関が自国に有利になる(当然)情報操作を佐藤を協力者として流す場合だけだ。
だけど、佐藤が他国の諜報機関との関係があると言えば、それは他国にコントロールされたスパイであると表明していることになるから、そんな間抜けな工作員がいるとは思えなし、外交官がスパイとなればもっと大騒ぎになっているはずとも考えられるが、ロシアやイスラエルのスパイと言われながらも、佐藤の発言力は日増しに大きくなっているのだから、結果的に工作は成功していることになる。

これほど効率よく日本の言論人と言われる人たちが(その中身は空っぽだとしても)次々と籠絡されていくのは、やはりなにか佐藤を操る別の力が働いているのかと思ったりもする。




 

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2009年2月 1日 (日)

『週刊金曜日』編集長、極右TVに出演

Yahoo!掲示板 「ふざけるな!拉致議連、救う会、家族会」に書き込まれた情報をいくつか紹介する。

『金曜日』編集長「桜」に出演

「桜プロジェクト」というのは極右のネットテレビ「ちゃんねる桜」の番組
『金曜日』北村肇編集長が出演。極右との相互乗り入れか。

「文化」的な天皇制なら維持してもよいといってるようだ。
極右に天皇制支持の言質を与えてしまうことになるという政治効果。
敵側が主権在民を公然否定する改憲案から攻めてくるわけがないのに。
どのようなヒドイ国家でも(サウジアラビアのような神政国家は別だろうが)「主権在民」を掲げている。

http://jp.youtube.com/watch?v=hKY0dDSiWeo

まったく同感だ。言質を与えてしまうというより、左派からの天皇制の根源的な問いそのものが存在しないという白旗表明。北村「読者は怒るだろうが・・・」そりゃそうだ、これは裏切りそのものだ。
北村編集長の意見は天皇制は日本文化の語り部(?)なので天皇制の存在は不動であり、天皇制の問題というものは軍服を着た「悪利用された」ことにあるということらしい。

更に、あきれたことに「天皇制があることによって市民平等であるとするならば、皇室を悪利用するのを防がなければならない」と言い切る。「あるとするならば」と仮定形を使っているが、これは少しばかり遠慮したか、頑迷な読者からの批判に逃げ道を作った表現ととるべきだろう。北村編集長は、皇室が悪利用されることを現実的な問題として発言している以上、市民平等が天皇制によってもたらされていると考えている。まぁ、仮定であろうが天皇制があることによって市民平等があるなんて、そんな馬鹿げたことを週刊金曜日読者は万が一でもあると思っているのだろうか。

なるほど、矛盾とその場しのぎの言い逃れに満ちた佐藤の詐欺的文章を『週刊金曜日』がありがたがるのも分かる。北村編集長の主張は佐藤の言説とデタラメさがそっくりなのだから。日の丸を掲げた自由の女神という愚劣なポスターを作ったのも、何かの間違いとかではなく本心から出てきたもので、批判されるとも思っていないほど<佐藤優現象>に汚染された結果だったのだ。
それに対して批判の一つもあげない読者も相当イカれている。

「チャンネル桜」に北村編集長が出演した頃、チベット暴動問題で中国は国際的に批判を受けていた。「チベット問題」は、ダライ・ラマらの亡命チベット人と反共勢力が 北京オリンピック開催直前の微妙な時期にチベット人弾圧の欺瞞情報を流し、反共主義者だけではなく、リベラル勢力の中からも亡命政府のプロパガンダに踊ら された。
その頃『週刊金曜日』も保守派の反中国ジャーナリストの連載記事が不自然に掲載されていた。これは何かあると思っていたが、このとき、すでに『週刊金曜日』はリベラルの仮面を被った、保守派の影響要員に成り下がっていたのかもしれない。「両論併記」などと理由をつけて、無批判に保守派のプロパガンダを少しずつ流し、左派の読者に右派勢力へのアレルギーを失わせ上で、「チベット暴動」の様に、「象徴天皇」の様になし崩しに右派との協調を認めさせようとしたのではないだろ うか。佐高の言動一つとっても、怪しい。鈴木宗男を評して「ダーティーなハト派」とは、とても正常とは思えない。

これが考え過ぎになるかは、『週刊金曜日』が「計画的に」気づかれないように方向性を変えていると認めることができるかどうかだ。

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