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【日本よ】石原慎太郎 果断な措置なくして再生はない

2009.3.2 02:37
このニュースのトピックス金融危機

 経済不況、異常気象の深刻化に、国会運営のかけひきによる国会の混乱停滞を合わせて、国民の閉塞(へいそく)感はますます高まってきている。その間にも政治家たちのあきれた様々な醜態の露呈が続き、国政は前代未聞の末期症状に陥ってしまった。

 極度にルーティン化した国会運営の形式主義は、喫緊焦眉(しょうび)の問題にどう対処も出来ずにいる。景気刺激を狙う定額給付金にしても、折角いい出したのだから何らか策を講じて前倒ししてでもやってしまえば少なくともプラスの効果はあろうが、この今におよんでも国会がやってることは、痙攣(けいれん)を起こしている重症の患者に打つべきカンフルの注射をその前に注射器を洗うだの取り替えるだのと、給付される側の国民からすればただいらいらさせられるばかりだ。

 かつての日本における金融危機の際、銀行救済のために公金を注入して危機を脱しようと、野党議員も参加しての提言を政策新人類と呼ばれたグループが強く主張したが、大蔵省出身の先輩政治家たちが反対して潰(つぶ)してしまった。しかし結局はそれしかないということで間を置いて実現はしたが、その間金融機関の傷は深まり当初に比べて公金の支出はかさんでしまった。 当時同じ問題をかかえていたスエーデンは日本に比べて早々に銀行救済の手を打ち危機からの脱出に成功した。比べて日本は躊躇(ちゅうちょ)足踏みして時期を逸し、結果は「失われた十年」となった。この経験が改めて教えた政策運営の原理とは、政策の有効性の是非についての細かい議論よりも、政策をいつ行うかというタイミングの方が重要ということだ。策の実施が遅れれば遅れるほど事態は悪化していく。

 当時の日本の政府が銀行の公金による支援での不良債権処理を始めたのは危機が顕在化してからなんと五年後のことで、この遅れが結局「失われた十年」を招いたのだった。一方スエーデンは素早い対応によって銀行が当座の現金を得るために優良な資産を売却することを防いだ。比べて日本は泥棒に追い銭を与えるような様となった。

 故にも、かつての日本のむざむざ「失われた十年」に鑑みてアメリカが多少乱暴でもことを急いでというのは理に適(かな)った話だが、比べて近い過去に苦い経験をしたはずの日本はまた同じ愚を犯そうとしているように見える。

 日本の国政を実質牛耳っている国家官僚の通弊は、思い切りが出来ず、すべきことを名目面だけにちびちび行うしかないところにある。そしてそれを脅してでも迅速に強行せしめる政治家が少なくなってしまった。

 国家の官僚たちが自負している彼等の特性はコンテュニティ(継続性)とコンスティテュエンスィ(一貫性)ということで、この変化の激しい時代にそんなことを信条としていたら現実に適応出来る訳がない。

 早い話、彼等が一番忌み嫌うのは「朝令暮改」ということだが、例えば数年前に文科省がいい出した「ゆとり教育」なるものが、日本の教育水準をいかに損なったかはたちまち自明のこととなったのに、彼等はまだ正式にそれを取りやめるとは明言していない。

                   ◇

 いずれにせよいつの時代、何の世界、いかなる事態においても指導者には思い切りが必要なのだ。特に政治家は場合によっては官僚を脅してでもことを行わなくてはなるまい。

 功を誇るつもりはないが、現在進行中で間もなく完成する首都東京の玄関口である羽田空港の四本目の滑走路は、私と親友の亀井静香が、彼が自民党の政調会長の折互いに計って、当時の運輸省をほとんど脅して、わずか十五分の交渉で調査費をつけさせ着手に持ちこんだものだった。

 世界が時間的空間的に狭小なものとなってきたこの国際化の時代に、空からのアクセスが国力の維持に絶対に必要なことは誰にとっても自明なことで官僚とて自覚していることだが、要はどこから強い声がかかり、その声の主の責任でことが行われることになるかということだ。

 今日の経済不況への梃子(てこ)入れについてさまざま論があるが、時折聞こえてくる無利子の国債発行も付帯される条件によっては起死回生の案ともなりえよう。

 無利子の国債だが、それを買って例えば五年以上保持していた者にはその分の相続税を免除するということにすれば、土地を所有していてその分の相続税負担について怯(おび)えている者は安んじて土地を手放し、土地の価格も下がって土地は流動し住宅の建設も進むはずだ。

 といえば財務省は相続税の収入が減るとして反対するだろうが、そもそも日本の相続税なるものは理不尽に高すぎる。ちなみにヨーロッパの先進国の多くには相続税なるものは存在しない。オーストラリアにしてもそうだ。

 私は議員時代に親しかった大蔵省の高官何人かに、相続税に関して同じ質問をしてみたが同じ答えが返ってきたのには驚かされた。

 彼等が公然としていうには、日本は自由経済社会であるから私財の蓄積は当然認めるが、それがその後継者、子孫たちにペナルティ無しにそのまま相続されていくのは社会的に公正とはいえません。初代の努力の蓄積は三代後にゼロとなるのが妥当だと心得ています、と。

 聞いて驚いたがどうやらこの国の相続に関する税の制度は、共産主義国家の中国やかつてのソヴィエト・ロシアにも存在しまい哲学?に依るものらしい。

 日本の国民の抱えている個人資産は他国に比して膨大なもので、その三分の一は預金、さらに三分の一は株券、そして残る三分の一は不動産という。その膨大な国民の資産を流通に乗せることで住宅の建設など新しい消費は進み景気のための大きな刺激になると思われるが、この案に関しても必ず、国債購買者の相続税がただというのは行き過ぎだという声が特に官僚から出るには違いない。

 しかしこの底の見えぬ経済危機からの再生のためには、当面の税収といった局部的な問題に囚(とら)われず、ことを行った後の複合的波及効果を考えての決断が必要に違いない。

 国債を発行するにせよ、その購買を促進するための思い切った付帯条件を政治家こそが決断して行わなくては、傾きかけた船はますます傾いて沈みかねない。

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