長谷邦夫の日記

2009-03-07 「コメント・ノート」作り

専門学校新学期<2年マンガ・コース>の授業では、

1年次に描いた同人誌「マイロード」の諸作品の検討を

行いたい。

井上雄彦ニュース

スラムダンク」や「バガボンド」で知られるマンガ家井上雄彦さん(42)が

文化庁芸術選奨メディア芸術」部門で文部科学大臣新人賞を受賞した。

 同賞は芸術分野で優れた業績を上げた人に贈られるもので、井上さんは昨年5〜7月に開いた

井上雄彦最後のマンガ展」(東京上野の森美術館)が評価された。文化庁では選出理由を

美術館空間の全体を活用してのダイナミックな画面表現行為は画期的であり、マンガ展のあり方

に新しい次元を切り拓いた。マンガの持つ可能性と、そのパワーを体験させたこの展示のメディア芸術

への貢献は顕著」としている。

●買い物のついでに「週刊少年サンデー」14号を購入。

週刊少年サンデー 創刊物語が、マンガ版で掲載!

読んでみると、マガジンよりも早く<豊田氏>が、週刊誌

企画していた!????!という出だしになっていた。

非常にギモンである。

サンデー側が追いかけて、同時発売になったと言われてきた〜からだ。

発売は、おそらく<頂上会談>だったのではないか?

発効日に日付のみが、たしかマガジンが早いのはそのせいだろうと

ぼくは考える。

ぼくが、昨年書いた『マンガ家夢十夜』の、赤塚の項で

小学館側が、講談社企画に気がつく!そこで急遽!!!

豊田氏が社長を口説く!という<フィクション・夢>を

書いてみている。

この小説が刊行OKとなった暁(来るのであろうか…??)には

その辺のカケヒキを読んでもらいたいものである。

●●『「奇」の発想』(内田勝)によれば〜野間省一社長が大久保房男

(初代「週刊現代編集長に就任)と牧野武朗(初代「週刊少年マガジン」に就任)

の二人を呼んで、二誌の創刊を命じたのは、昭和34年の1月30日だったそうだ。

今回のサンデー創刊の話も34年から始まっているが、まだ決心のつかない社長を、

初代「サンデー編集長になる豊田氏が説得にかかる描写になっている。

しかし、これが1月とは思えない。(特定していない)

2誌を出す!とした野間社長は、33年の暮れに創刊を決意していた!のは、部下に

命じた時期を考えれば、マチガイ無いように思えてきます。

どうであろうか?!

シナリオを返送したT君から電話

あす、午後早めに会うことにした。