水野英子・丸山昭(元「少女クラブ」編集長)対談(第2回) メッセージトップ>>
●誕生、謎の作家U.マイア

― そろそろ、U.マイアの誕生のいきさつを教えていただけますか。

丸山:水野さんは最初、カットから始まって、1ページの生活ユーモアマンガなどを描いてもらっていましたが、そろそろ長いストーリーものを、と思って、16ページを頼みました。また可愛らしいものが出てくるかなと思っていたら、これがカウガールの出てくる西部劇(笑)。これは驚きましたね。

水野:私はメロメロのお涙頂戴のものが大嫌いで、兄が西部劇やターザン映画が来るとよく連れて行ってくれたので、西部劇が大好きだったんですよ。だってかっこいいでしょう?(笑) とにかく16ページいただいたからには、張り切って西部劇を描きました。

丸山:水野さんはそれから順調にいって、まだ18歳になる前かな、緑川圭子さん原作の「銀の花びら」という連載を描いてもらうことになったんです。手塚先生が、「リボンの騎士」のあと、「漫画少年」の廃刊で中断していた「火の鳥」を描きたいとおっしゃったのでそれを描いていただいて、その連載も終わったときに、次を誰に継がせるか、という問題になりました。「少女クラブ」は、極端なことを言えば、手塚先生の名前でもっていた雑誌でしたし、手塚先生が持っているような、新しい少女マンガを継げる人がなかなかいなかったんですよ。ところが、はたと見たら、水野英子がいるじゃないか、と(笑)。それで、水野さんに任せちゃおうということになったんです。手塚先生の連載が終わってすぐでしたよね。

水野:いえ、「火の鳥」のラストと私のスタートが同じ12月号でした。

丸山:そうだ。ちょうどバトンタッチするような感じだったんだね。

水野:バトンタッチさせていただいたというのは、あとからうかがいまして、これは、光栄のいったりきたりでした(笑)。丸山さん、何十年もあとにおっしゃるんだもん。

― ご本人にはそういう意識はなかったんですね。

水野:まったく。そのころは、新連載ということで、いかに描きこなそうかというだけで手一杯でしたよ。

丸山:やっぱり、既成の作家じゃ継げないと思ったんですよ。

― そのころ水野さんはまだ下関にお住まいでしたが、丸山さんは、トキワ荘に足しげく通っていたそうですね。

丸山:特に石森さんたちが住むようになってからは、何かにつけてトキワ荘に行ってました。もちろん連載もあるし、そのほかに、誰それの原稿が落ちそうだと言うと、「ちょっと8ページ頼むわ」と、落ちたときに入れる原稿を頼んでいました。当時は、戦後の新しい教育を受けて、子どもの考え方や興味がどんどん変わっていって、親が追いつけなくなってきていたんです。そうすると、戦前派のおじいさんお父さんの世代の作家が、子どもや孫の読者に描いて読ませるのでは、波長が合わなくなってきちゃった。読者と同じ波長で同じ言葉をしゃべる作家のもののほうに、子どもはずっと共感を持てる。やはり自分たちのおじいさんの世代じゃなくて、お兄さんお姉さんの世代が必要になってきたんです。ちょうどトキワ荘に、その世代、20歳前後のかなりの力を持ってる連中がごろごろいましたから。そのタイミングでトキワ荘の人たちが檜舞台に出てきたというのには、そういう時代背景があったんです。それから、「少女クラブ」には、お正月と夏休みに増刊号というのがあって、そのころ本誌は、8割方が活字でマンガは2割ぐらいでしたが、増刊号は逆に8割方マンガなんですよ。そういうこともあって、どうしてもタレント不足になってしまう。すると、トキワ荘に行って、ページを埋める。それでもまだ空いちゃうから、石森さんと赤塚さんに「もっと描けない?」って頼んだけど、まさか1冊の中に同じ作家が2本も3本も載せるわけにはいかないから、石森・赤塚で合作して、「いずみあすか」というペンネームをつけました。だいたい〆切間際にどん詰まりになって、入る原稿が「今日か明日か」って言ってたから、泉鏡花からもじって「いずみあすか」になったんです(笑)。やってみたら、面白い作品がかなりありまして。それではずみがついて、どうせならここに水野英子を入れたらどうだろう、と思いついたんです。石森さんにその話をしたら「面白い、やろう」ということになって、3人合作になりました。水野さんは、もちろん石森さんたちと一緒に描くというのはうれしいだろうけど、石森さんにとっても、水野さんの絵というのは、自分にないものですから、すごく注目していましたね。

水野:今じゃ考えられないような合作ですね。

丸山:今考えても贅沢ですよね。当時はまだみんな駆け出しだし、石森さんは人のやったことのないことなら何でもやりたいという人ですから。それで、話を何にしようかと考えて、水野さんが入るとすればやっぱり西洋ものの王女様ものがいい。石森さんがストーリーを考えて、構成をやって、アタリ(コンテ)までやるとなると、やっぱりスペクタクルなものがいい。最初は歌劇にしようって言ってたんです。それで、歌劇の資料をいろいろ探して、だいたいこんなもんで行こうかなと考えてたら、そのときに、石森さんがセシル・B・デミル監督の映画「サムソンとデリラ」を見て、これでいこうと決めちゃったんです。

― それが、第1作「赤い火と黒かみ」ですね。

丸山:石森さんがざっとアタリをやって、下関の水野さんに送って、水野さんが主人公とヒロインのキャラクターを描いて、石森さんがキャラクターを足して、赤塚さんがまとめるという手はずでやりました。

水野:そのお話が来たときには、びっくりしましたし、ものすごくうれしかったし、みなさんの作品はずっと知ってましたから、そんな方たちと合作できるなんて、夢のような話だったので非常に喜びました。ただ、石森さんの送ってきた原稿が、忙しくて描くことができなかったから、丸三角のてるてる坊主みたいなんです(笑)。それと台詞のネームだけでした。石森さんがあちらから電話してきて、このページは誰が何しているって、口頭で教えてくれるんですよ。それを私はメモしたんですけど、言ってくれたにしても数が多いですし、やっぱり丸三角じゃわかりにくいことはなはだだしい(笑)。だから、話の流れとネームなどからだいたい推測して、ここは何をやっているんだろうということを判断して、男女二人の主人公を描いて、送り返して、あちらで仕上げていただく、という作業をしていました。私は、できあがった絵を見てびっくりしましたね。たとえば冒頭のライオンとの格闘シーン、私は男女二人を描いて、ライオンはあとから石森さんが描いてるんですが、ちゃんと殴ってるしちゃんと投げてるんですよね。タイトル扉のところでも、ライオンを担いでいますね。私はこの人物しか描いていません。ライオンは別に描いてるんですが、ちゃんと担いでるんですよ。さすが石森さんだと思いました。

丸山:私も驚きました。こんなにぴったりうまくいくものかと。

― まったく違和感がないですね。

水野:これは面白かったですね。これぞ合作。ぴたっとかみ合いましたね。

丸山:ふつう、どうしてもちょっとバランスが欠けるところが出てくるものですよ。隣で描いてるんじゃないんですから。それから、名前をどうしようということになって、考えたのは、みんなワーグナーが好きなんですよ。それでドイツ名にしようってことで、マイヤーという名前を考えていたら、ドイツ読みではUはウーだから、「うまいやー」でいいじゃないということで「U.マイア」。ぼくはドイツ語らしく“MEYER”とかにしようと思ってたら、それを“MIA”にしたのは石森さん。水野・石森・赤塚の頭文字が入るんですよ。これは実に「うまいやー」ということでペンネームになったんです。だから、いっそのこと、全部外国仕立てにしようということになって、タイトル扉に「FIRE AND HAIR」と英題を入れたりしました。これも石森さんなんですけど、韻を合わせたタイトルもうまいなあと思いました。載せてからは、「U.マイアって誰だ?」とよく聞かれましたね。そして、この作品には、怪談が一つあるんです。最後、大神像がガーッと倒れるシーンがあって、石森さんはここが描きたくてこの作品に決めたんじゃないかって私は思うんですけどね。この間、水野さんが、石森さんがこのシーンを描いてるのを後ろから見てたって言うんですよ。水野さんはそのとき、下関にいたはずなのに。

水野:てっきり私は、見てたと思ってたんですよ。石森さんの例のトキワ荘の部屋で、窓の前に机があって、これを描いているのを後ろからのぞき込んで、「うわ、すごいねー」って言ったら、石森さんが「すごいだろう」って、悦に入って斜線を入れてるところを、見てたんですよ、なぜか。

― この原稿を描いている時点では、まだ石森先生にはお会いになってなかったんですよね?

水野:会っていません。あとで考えてみたらね。でも、ほかの絵じゃなくて絶対この絵だったんですよ。この間、このことに気がついて、丸山さんに電話で聞いたら、「(水野さんは)いないよ」って。しかもこれはトキワ荘じゃなくて、講談社の別館に石森さんと赤塚さんを缶詰にして描いたから、絶対これを見てるはずはないって言われたんです。なんで私は何十年もそう思ってたのか。描いてるところも、しっかり覚えてるんですよ。ここらあたりの影を入れてたって。とにかくこの神像を楽しげに描いてたんです。

― それだけこの場面の印象が強かったということでしょうか……。

丸山:幽体離脱したんですよ、きっと(笑)。

水野:このシーンがおそらく私の印象に強く残ってたんでしょうね。原稿を見ると、ものすごく迫力ありますよね。……階段を人間にしたのってどこでしたっけ?

丸山:たしか、手すりの柱を水野さんが間違えて主人公として描いちゃったんだよね(笑)。

水野:だって、同じ丸三角が描いてあるんです。手すりも人間も(笑)。それで、「赤い火と黒かみ」の巻の石森さんのあとがきで、ちょっと間違いがあって”ヒーローもボクが描いた”とあるけど、主人公の男女は水野の担当です。たしかに何か所か彼も描いていますが部分的。”赤塚さんもヒーロー、ヒロインを描いたらしい”というのも間違いで、彼は描いていない。石森さんのキャラを描いてるところはあります。石森さん、すごく忙しい人だったから記憶の混同があるみたい。

水野英子・丸山昭(元「少女クラブ」編集長)対談動画(2)

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