水野英子・丸山昭(元「少女クラブ」編集長)対談 メッセージトップ>>
●手塚治虫がつないだ縁

― 今回は、石ノ森章太郎先生が初期に少女マンガを描いていた頃、担当編集者だった、元「少女クラブ」編集長の丸山昭さん、そして、トキワ荘で石ノ森先生たちと親しくされ、「U.マイア」のペンネームで石ノ森先生・赤塚不二夫先生と合作の経験もある水野英子先生、お二人にお話をうかがいます。まずは丸山さんから、石ノ森先生との出会いについてお話しいただけますか。

丸山:最初にお断りしておきたいんですが、水野さんや私にとっては、石ノ森じゃなくて“石森”章太郎なんですよ。石ノ森って言うと、なんか親近感が湧かないので、今日は、“石森”で通させてください。まあ、何にしても手塚治虫が始まりになりますね。あれは、昭和30年の8月10日のことでした。

水野:日にちまで覚えてらっしゃるんですね(笑)。

丸山:手塚先生はその当時、雑司ヶ谷鬼子母神の参道のところにある並木ハウスというアパートに住んでいたんです。8畳一間の2階の角部屋で、まだ結婚される前ですから、そこが仕事部屋兼居間兼応接間でした。私はそのころ、「少女クラブ」という雑誌で手塚先生の少女ものの代表作といわれる「リボンの騎士」という作品を担当していたんですが、8月10日というと、もう〆切は当然過ぎていて私はイライラして横で待っている状態だったんですね。そのとき、コンコンとドアがノックされたので、私は「あ、来たな」と思いました。夏休みですから、子どもたちが手塚先生にサインをもらいに来るんですよ。それを入り口で追っ払うのが、居座ってる編集の仕事でした(笑)。先生を寝かさないように、それとよその社の奴が来ないように番をしていたんです。それで、ドアを開けて見たら、3人の少年というか青年がいたので、「だめ、先生はいま忙しいんだから。月末には少し暇になるからまたいらっしゃい」と言って、ぱたんと閉めたんです。それでも彼らは外でごそごそやっていて、ついに、「先生、小野寺と赤塚と長谷です」と言いだした。そしたら、手塚先生がそのままペンを放り出して、部屋に入れちゃうんです。私は、来月号は白紙で出さなきゃいけないと思って、往生しましたね。

水野:「少女クラブ」は何日発売でしたっけ。

丸山:翌月の9日発売です。活版だったら10日過ぎまで間に合いますけど、「リボンの騎士」はカラーでしたからね。そして、ぞろぞろと入ってきたのが、ニキビ面で(笑)、ワイシャツの袖まくりをした石森さん。たしか学生帽をかぶって手拭いをお尻にさげて、お土産の果物か何かを持っていました。それに、色白の優男、これが赤塚さん。もうひとり、とっちゃんボーイの長谷邦夫さん。その3人で来てマンガの話を始めました。小野寺というのが石森さんですが、手塚先生は以前に、忙しいときに石森さんを呼んで、「鉄腕アトム」を手伝ってもらったことがあるんですよ。当時、「漫画少年」というマンガ家志望者の登竜門といえる雑誌があって、手塚先生がずっとタッチしていたんです。水野さんも含めて、全国から、マンガ家になりたい人たちが投稿していましたが、石森さんは投稿者の中でも出色でした。その時はもう認められて、「二級天使」の連載を持っていたよね。

水野:もう載っていましたね。

丸山:ですから、小野寺って聞いたら、手塚先生はそれこそペンを放り投げて入れたわけです。そのとき、私はとにかくイライラしていたけど、いつの間にか話の中に入っちゃっていました。私も「漫画少年」で石森章太郎の名前は知っていましたから。石森さんたちはそのころ東日本漫画研究会という大それた名前の会で、「墨汁一滴」という同人雑誌を作っていましてね。あれだけの絵が描けて、そんな研究会を主宰して、それも驚いたことに「誰でも来い」じゃなくて、いちおう審査して入れてやるって言うんですよ。そんなこと言うくらいだから、かなりのおっさんにちがいないと思っていたんですが(笑)、それがニキビ面の、ちょっと悪い言い方だけど、将棋の駒を逆さまにしたみたいな顔した坊やが出てきたんで、仰天しました(笑)。そのときは、手塚先生もあとは調子良く、のって描いていただけたので、雑誌も白紙になることもなく済みました(笑)。結局、石森さんや赤塚さんと知り合ったのは、手塚先生のご縁ですね。

― その頃の石森先生は、16、17歳くらいでしょうか。

丸山:高校三年生くらいでしたね。水野さんとの出会いはまた、別の話になるんですが……。ちょっと話がそれますが、手塚先生という人は、映像で記憶できる人なんです。物を見ると、それがそのまま写真に写したように頭の中に記憶されるんでしょう。それから、たとえば16ページのマンガを描くときには、16ページ分の構図から何から全部自分の頭の中でできちゃうんですね。ですから、描くとき、何ページのどこからでも描けるんです。さらに、手塚先生の場合は、ペン入れになるとほとんど機械作業なので、頭の中では別のことを考えられる。他社の原稿を描いている間に、私に「ネーム取ろうか」と言って、私のほうの連載のネームを言い始めるんです。藁半紙を用意させて、「4段に割ってくれ」って。4段に割って待ってると、「いちばん上の段、左3分の1、右3分の2。右の上に、『お父さん』、行替え。……あ、その字はゴチにしてください」って、描きながら言うんですよ(一同笑)。たとえば「アトム」を描きながら、「リボンの騎士」のネームをそらで言うわけです。そういう芸当ができる。今から描くものの構図が頭の中にできているだけじゃなくて、今まで描いたものも、どこの何月号の何ページ目にどういうものを描いたかというのが映像で残ってるわけです。で、そこまでが前置きで(笑)。先生が何かの原稿を描いているときに、私に「押入の上の天袋に原稿が放り込んであるんだけど、先々月号の原稿の何ページ目にこういう絵があるから、それを出してくれ」と言うんです。探して持ってくると、それを切り取って、原稿に貼るんですよ。忙しいときはときどきそうしていました。何月号のどこに、ここにぴったりはまる絵を描いたということがわかるんですね。そうして探した原稿を、元通りに包んで天袋に収めてみたら、紙の包みがひとつ残っていたんです。それが、先生の原稿じゃない。「なんですか、これ」って聞いたら、「それね、下関の水野英子っていう中学生の描いた原稿なんだけど、良くできてるんだよ。丸さんのとこで育てたら」って言われたんですよ。それで原稿を見たら、本人を前にして言うのもなんですが(笑)、びっくりしました。可愛いんですよ。今の水野さんの絵とはかなり違いましたね。

水野:そうですね。かなり手塚先生の影響を受けていましたから。

丸山:ちょっと幼年向きの感じで、可愛らしいんです。その当時は、少女マンガを描くマンガ家はみんな男でした。そのとき「少女クラブ」には、7〜8本のマンガがあったけれど、横山隆一とか、小野寺秋風とか、松下井知夫とか戦前派の人たちで、たったひとりいた女性が長谷川町子さんという時代でした。やっぱり、おじさんが描く女の子ですから、可愛いわけがないんです(笑)。要するに、少年マンガの主人公が女の子に変わっただけで、可愛らしい女の子が描ける人って、いないわけです。それで、「これだ!」と思って、すぐに水野さんのところに手紙を書いたんです。それが水野さんや石森さんたちと知り合った最初で、みんな手塚先生のご縁でした。

― 水野先生は、石森先生がトキワ荘にいらっしゃる前から、お名前はご存じだったんですか?

水野:ええ。手塚先生が「ジャングル大帝」を連載されていたので、毎月「漫画少年」を読んでいました。唯一、そこで新人マンガ家募集というのがあって、しかも手塚先生が審査をしていらっしゃる。だからもうここしかないと思って、投稿し始めたんですけれど、佳作くらいまでは行って名前が載るんですが、なかなか載せてもらえるまではいかなかったんです。そこで石森さんはすでに「二級天使」の連載を始めていましたからね。

─ その後、丸山さんは石森先生に少女マンガを依頼することになるわけですね。当時、男性マンガ家が描いていたという少女マンガの世界で、石森先生はどういう存在だったんでしょうか。

丸山:それは非常に言いにくいところもありますが(笑)、あれだけ絵がうまい人だけど、やっぱり女の子はね……。そりゃそうでしょう、田舎の高校生で、女の子を主人公に漫画を描くなんてことは想定してなかったわけでしょう。石森さんは「漫画少年」をあてにして上京してきたのに、はからずもそれが廃刊になってしまったんで、どうしようと思ったところに、手塚先生のところで会ったぼくのことを思い出したんでしょうね。「東京に出てきたらぼくのところに来なさい」と言っておいたので、赤塚さんとふたりで、下駄ばきで講談社に現れたんです。編集者にとっての財産というのは、情報網をどれだけ持てるか、それからもうひとつ、自分とツーカーで仕事のできる作家を何人持っているかということなんです。ところがぼくは「少女クラブ」に入ったばっかりでしたから、手持ちの作家なんて当然いないわけですよ。だいたい作家はぼくより年上なんですけど、石森さんは年が下だし、あれだけの才能のある人だし、こりゃいいや、と思ってつかまえたわけですね(笑)。そしたら石森さん、「いやあ、私は女の子描けません」(笑)。私も少女もののことに詳しくないし、石森さんも少女ものを描くつもりはなかったから、ふたりで路頭に迷ったあげくにやったのが、ミステリものやSFものでした。少女マンガで当時、そんなことは誰もやらなかったですよ。最初がコナン・ドイルのホームズもので、「まだらのひも」。それが面白かったので、次の号では、ポーの「黒猫」をマンガにしました。

水野:それがものすごく衝撃的で、印象的でした。雰囲気が、今までにないものだったんです。

丸山:おじさんの作家にはああいうものはできない。タレント不足だったってこともあるんですが、どうしてもあの世代の作家が欲しかったんです。石森さんは器用だから、なんでも来いだし、あの人は、人のやったことのないものを持っていくと、すぐ飛びつくんですよ。

― 水野先生の受けた衝撃というのは、具体的にはどういうものだったんでしょうか。

水野:どう言ったらいいんだろう。とにかく初めて見る、絵柄なり、ストーリー展開なり。非常に独特なあの雰囲気。ハードなんだけど、どこかに叙情性がある、見たことのない世界ですね。

丸山:当時「少女クラブ」もかなりお金に困っていて(笑)、別冊がふつうのサイズじゃなくて、1冊分を半分に割った縦長のものだったんです。そのサイズを実にうまく使ったんですよ。「まだらのひも」では、ヘビが上からずるずるとおりてくるところとかね。

水野:画面構成はバツグンでしたね。

丸山:次の「黒猫」でも、最後に壁をコンコンと叩くと中から猫の鳴き声がするあたりの鬼気迫るところも、うまかったですね。私はそれまでずっと「少年クラブ」という雑誌で少年ものをやっていて、そこからぽんと「少女クラブ」に来たものですから、そんなに異様にも思わなかったんだけど、少女雑誌のほうから見れば、異端だったんでしょうね、きっと。

― それは、丸山さんが少女マンガをあまり知らなかったからこそできたことでもあるんでしょうね。

丸山:そうなんです。石森さんもどこかに書いていました。「少女マンガを知らない丸山さんと、少女マンガの描けない俺と(笑)、二人で苦しまぎれにやったのがあれだ。新しいジャンルを切り拓いたみたいなことを言われるけど、そうじゃなくて、けがの功名みたいなものだ」って。

― でもそれは、石森先生に新しいものに挑戦したいという気持ちがあってのことですね。

丸山:それはあったでしょうね。そして、そういうものをこなせる力があったからですね。

水野:たぶん丸山さんも、だからこそ使いたいという意欲を燃やされたんじゃないかと思いますよ。ちょっとほかの人たちと違うところがありましたね。

丸山:そのすぐあとで、3作目からは連載を起こしました。これはもうまったく破格のことでして、新人がのっけから連載を起こすなんてことはまず考えられない。

水野:それが「幽霊少女」ですね。

丸山:これがまたすごいですよね。少女マンガで、SFもの、四次元ものですからね。

― これは当時にしては難解といっていい作品ではないでしょうか。

丸山:というか、めちゃくちゃですよ(笑)。あれを誉めてくれたのは、水野さんと里中(満智子)さんくらい(笑)。里中さんは、あれを見て、「こんなのあり?」って思ったと言ってた。「少女クラブ」というのは、その当時でもう40年近く続いていた雑誌ですから、ある先輩から呼ばれましてね、「きみね、少女クラブっていうのは、上品な雑誌なんだから、変なもの持ちこんで雑誌を汚さないでくれ」と言われました。私も、そういえばちょっとどぎついかなとは思ったんですけど。当時の編集長がよく許してくれたと思います。

水野:それがとてもすごいことでしたね。

― そういう要素が入ってくることによって、少女マンガの枠を広げることになるわけですよね。

丸山:結果としてそういうことになりますね。

水野:私はもう「二級天使」から、ダイナミックさが印象的だったので、ずっと見ていましたから、私と同じ「少女クラブ」に載りはじめたとき、うれしかったですよ。私はダイナミックなものが非常に好きで、とにかく見たこともないような雰囲気というのが出てくると、すごくうれしくなるたちでして、石森さんは、モロにそういう作品を描かれる方でしたからね。

丸山:水野さんもそうでした。水野さんの絵を見て、当時の読者は仰天したでしょうね。ぼくも仰天しました。最初は可愛らしさから入ったんですが、それがどんどん変わっていったんですよ。

水野:もともと、ダイナミックなもののほうが好きだったわけで、なぜあのころ可愛らしい絵が描けたのかな、と思いますね。

― 水野先生の中では、可愛らしく描こうという意識はなかったんですか。

水野:意識は特にはなかったんですけど、ただ、いやみな絵は描きたくなかった。それだけですね。とにかく手塚先生の可愛い絵が、それは好きでした。手塚先生の絵はエレガントですから、私もいやな絵は描きたくなかったし、スケールの大きいものを描きたかった。そこらへんが、石森さんと同じ嗜好だったんでしょうね。

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