― 「マンガ家入門」に触れて以降、みうらさんのマンガ道はどうなりましたか?
(みうら氏、少年時代の数々の作品を取り出して解説を始める)
みうら:(これを読んで)ケント紙とかに描いて、マンガ家を目指していろんな出版社に持ち込みしたり、送ったりした方は正統なマンガ家になったんだろうけども、自分はこれ読んだ次の年くらいに、マンガ家で勝負できないもんで雑誌を作ろうと、もう編集長になって「少年ラッキー」っていう雑誌を作りまして、模造紙にマンガを描いて、中には小説もちゃんとついています。いろんなことをやりましたわ。結局、自分で綴じて自分の本棚に並べるだけで、読者が一向に増えないということに疑問があったんですが(笑)、入り込むと一生懸命やるタイプなんで、一生懸命やりました。中学に入った時に、(チャールズ・)ブロンソンが流行っていたんでしょう。マンダムのコマーシャルの写真に顔を貼って、自分のキャラクターでマカロニウェスタンのマンガを描いたりもしました。これは、講談社のKCコミックスのパロディなんですよ。本の装丁のほうに懲りすぎて、マンガがおろそかになってますね(笑)。これは、石ノ森章太郎さんののちに白土三平さんというマンガ家も知って、忍者ものを描いたもので、「三浦純選集2」って書いてあります。こういう本を増やすのだけが好きで、結局、親父に買ってもらった万年筆でブルーのインクでマンガ描いてました。マカロニウェスタンが好きなもんで、「流血の用心棒―復讐は終った―」なんていうマンガも、中三の時に二か月かかって、まだこういう藁半紙みたいなもので描いていました(笑)。でも、石森章太郎さんの「マンガ家入門」で迫力のある構図というのを学んだし、この、悪者が逃げて後ろにガンマンが2人立ってる構図の脇に、なんか染みのようなものがたくさんあるのがわかりますか。これ、「流血の用心棒」っていうタイトルなんで、自分の手をカッターで切って血をつけてリアリティを出しました。「マンガ家入門」にもリアリティのことが書いてありましたので、ずいぶんそういうことを学んで、体まで傷つけてマンガ家を目指してたんですけども、結局、発表するようなマンガでもなく、自己中心で終わってしまったマンガ家でした。
― でも、そのままは終わらなかったわけですね。
みうら:まあのちに大学の時、自分の絵を人様にお見せしたいと思った時に、この「マンガ家入門」のことを思い出しまして、持ち込みというのがあるのがマンガ家であるということだったんで、出版社に何社も持ち込んで何社も断られました。最初に「ガロ」というマンガ雑誌に持って行って断られ、次に双葉社というところに行ったら、「こんなマンガはガロに持って行きなさい」って言われて(笑)、先ほど「ガロ」に断られたばっかりなのに、もうどこに持って行っていいのかわからずやっていた、暗中模索なマンガ家でした。でも、昔のことを考えてみると、やっぱり「マンガ家入門」と出会ったことで、より自分がマンガ家になりたいっていう気持ちが現実化したというか、マンガ家の厳しさとかもよく知りました。さすがに最近はもう目は通さないですけども、こういう機会なのでもう一度読み返して、今までの自分のマンガ家人生を反省したいと思います。ということで、天国の石ノ森章太郎さんに、とても影響を受けたかったけど、とても絵がお上手だったんで自分は受けられなかったけども、感性だけは引き継いでやっていると思いますので、安心してお眠りくださいませ。って僕のような者が言ってもしょうがないかもしれないけど(笑)。
― このマカロニウェスタンのマンガはすごいですね。斬新な構図ですし、しっかり描き込まれているじゃないですか。
みうら:鉛筆で藁半紙に描くのがすごい得意になったんですよ。「マンガ家入門」に書いてあった、模造紙とかインク壺とか買ってやったら全然上手く描けなくて、断念したんですよね。溝引き定規で上手く引けなくて、定規を取ったらインクがざーっと(紙に)ついちゃって、それで「あーっ!」ってなってもうやめちゃったんですけどね。
― それで、鉛筆描きでばしばしとやるようになったんですね。
みうら:中三までこんなことやってましたからね。でもこれ、残ってるからみんな「へーっ」って言うけど、中三にしては下手だと思うんだよね。俺もずっと、絵はヘタウマいみたいに言われてたし、上手く描けないっていうことにすごいコンプレックス持ってたけど、まあ、岡本太郎さんの発想で“芸術”と考えれば上手くなっているんじゃないかと。俺、発想はすごくあったんだけど、それを絵に上手く表現できなかったっていうのがあって、のちに原作の人とマンガの人がタッグを組むということはあったけど、昔はやっぱりマンガも上手くてお話も上手く作れる人が真のマンガ家だったんで、これ読んでもうダメだと思って断念したんですけどね。でも、つくづく、夢はあったんでしょうね。キャラクター生むのが好きで、キャラクターいっぱい描いてたけど、全部真似だっていうことに気がつかなくて(笑)、10年ぐらいしてからやっと気がついたくらいでしたね。
― その頃は、赤塚不二夫先生とかの影響が大きかったんですか?
みうら:赤塚さんの真似もすごいしてたし、まあ、(藤子不二雄A先生の)「まんが道」の話じゃないけども、アイディアが浮かばないと必ず満賀道雄は映画を見に行って、その次の日にそっくりなマンガを描いていて、それは盗作じゃねえかなって思ったけど、インスパイアされるっていうことでいいんだ(笑)ということは、当時のトキワ荘の人たちに学びましたけどね。だから、「ライオンキング」の問題もそうだけど、誰がパクったとかじゃなくて、いろいろ影響し合っているものだから、その頃のマンガって、オリジナルというのはありそうでないかもなとは思いますね。
― 石ノ森先生も、映画からいろいろ着想を得ていたようですからね。
みうら:そうですよね。黒澤明の「七人の侍」があって、「7」という数を使う人はけっこういたけど、「009」みたいに9人でやる人って珍しかったような気はするね。まず、9人を描き分けするのが邪魔くさいんで、すごいなあとは思ったけどね。……自分はさすがに説教しない人間だと思ってたけど、年を重ねると若い人と飲むことがあって、三軒目で確実に説教が出てくるようになって、「サイボーグ009」になるんだっていう話をよくするらしいんですよ。ひとりひとり違う才能がある異能戦士が集まって、「サイボーグ009」が揃えばすごいことができるんだっていうことを、一生懸命言ってるらしいんだけど、「サイボーグ009」を知らない人がもうちらほら出てきてて(笑)、あんまり説得力がないですけどね。
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