みうらじゅん インタビュー(第1回) メッセージトップ>>
●人生を変えた「怪獣画報」と「マンガ家入門」
― 今回は、マンガ家、イラストレーター、その他さまざまなジャンルでアーティストとしてご活躍中の、みうらじゅんさんにお話をうかがいます。みうらじゅんさんが、石ノ森作品に出会った最初の本は何だったんでしょうか。

みうら:私が、のちに石ノ森章太郎さんになりましたけど、石森章太郎さんに触れたのは、この「マンガ家入門」という本です。当時、小学2年生か3年生の頃にマンガ家を目指して買った320円、秋田書店の本です。ちょっと自慢させてもらいますけど、後に出た本とは違って、初版はこういうカバーに入っていました。もうずいぶんボロくなって値打ちないかもしれませんけど、“三浦蔵書”とちゃんとハンコまで押して、人に取られないようにしています。
(注:後の版の「マンガ家入門」では箱と表紙の絵柄は同じで、マンガ家の周りをキャラクターが囲んでいるというものだったが、みうら氏所蔵の初版では箱の絵が表紙と違い、格子状に区切られた一つ一つの四角の中にキャラクターの顔が並んでいるものだった)

― その頃すでに、本気でマンガ家を目指していらっしゃいましたか。

みうら:きっとマンガ家を目指して買ったんだと思うんですよ、このシリーズ(注:「マンガ家入門」と「続・マンガ家入門」)。秋田書店のでもう1冊、手塚治虫さんの「漫画のかきかた」っていうのがあって、その2つ、けっこうバイブルだったんですけどね。この中にマンガも何編か載っていて、「龍神沼」というマンガをこの本で初めて知って、「千の目先生」はたしか「続」のほうに載っていて知りました。それで読んだ気になって、「千の目先生」って短編だと思ってたけど、ほんとは分厚かったんですね。自分はマンガを描くのはとても好きだったんですけども、絵が上手くないという最大の欠点を持っていて、それでももう一回一からちゃんとやり直せば立派なマンガ家になれると思って、一生懸命読んだ思い出があります。この中に、背景の描き方とか構図の取り方とか心理描写とか、小学三年生くらいにしてはかなり高度なことがたくさん載っていて、あとはマンガ家の生活とか健康に気をつけろとかそんなところまで心配していただいて、最終的にマンガ賞についての話が載っているという、小学三年生にはほど遠いことが平気で載っていた、初めて子どもながら大人の本を読んだような気がしたのが、この「マンガ家入門」だったような気がします。僕は、大学の時に「ガロ」というマンガ雑誌に持ち込みしてマンガ家としてデビューさせていただきました。それも、この本に持ち込みというのが書いてあったからです。いまだに「ガロ」出身というのが僕の履歴に載っているんですけど、「学生街の喫茶店」を歌っていたと間違えられております(笑)。僕が描いたのはマンガ雑誌の「ガロ」で、フォークグループのガロではないということをはっきりさせとかなきゃならないんですけども。だからこれで僕が学んだのは、Gペンでも丸ペンでもなくて、持ち込みってのがあるということですね。それを小さい頃から刷り込まれていて、大学の時にイラストをやりたかったんだけどイラストの持ち込みというのはよくわからなかったんで、持ち込みできるものと思ってマンガを描いて、いちおうマンガ家でデビューしたから、この「マンガ家入門」の影響は大きかったですよね。

― 石ノ森先生の作品で、ほかに影響を受けたものはありますか。

みうら:石森章太郎さんのは、あといろいろ、「ジュン」とか「サイボーグ009」とか持ってたけど、絵が上手い人で、横顔もちゃんと描こうとか言う人だったんで、しょっぱなから挫折して、赤塚(不二夫)さんのほうに行ったんですよ。正面か後ろしか描かない人のほうが向いてると思ったんですけどね(笑)。(石森さんは)とてもマンガ家然としてマンガが上手い人のイメージあったから、「マンガ家入門」にはハマったけど、石森さんのマンガにはまったく影響を受けずに、じゃなくて、受けられずに、手塚治虫さんのマンガにもまったく受けられずに、独自の道を歩むということになってしまいました。まず、横顔が描けないっていうことが最大の欠点で、「アイデン&ティティ」というマンガを見てもらうとわかるんですけど、ほとんど横顔がございません。ほとんど左向きでございます。それをどうごまかしていくかというのは、のちにヘタウマのマンガ家の方から学んだことで、この本にはそんなことは一切書かれていませんので、マンガ家がこれ以降、二手に分かれたということが言えるでしょう。石森さんとかトキワ荘で育てられた正統マンガ家の方と、それ以外の人、ということで(笑)。僕、その“以外”の人でした。

― 「マンガ家入門」は、マンガ家の方々みなさんがお読みになったとおっしゃっていますね。

みうら:それまでなかったしね。手塚治虫さんのとこれしかなかったと思います。小学校の時って、だいたい学校の成績の悪い人はマンガ家を目指してて(笑)、僕もご多分に漏れず成績が悪かったんでマンガばっかり描いてたんですけど、これで模造紙とかケント紙というものも学んだし、それまで藁半紙の裏表にマンガ本のように描いていたけども、裏には描かないんだということも知りました。書いてあった三種の神器みたいなものも買って、ベレー帽は買えなかったけども、机の上にはいちおう羽根ぼうきとインクとペンと、っていうスタイルはこれで学びましたね。……でもなんか、こういう(表紙の絵のような)自分が真ん中にいて自分のキャラクターに囲まれてる、ディズニーのような絵ばっかり描いてました。全然周りのキャラクター有名じゃないのに(笑)。もう自分が「マンガ家入門」出すような勢いで描いてましたわ。それまでけっこう自信満々だったけど、この本を読んで、マンガ家ってやっぱり絵が上手い人がなるものだというので、きびすをただすというか、ちょっと落ち込みましたけどね。マンガ家への道は遠いなって思いましたね。

― でも、続けて「続・マンガ家入門」のほうも買われたんですよね。

みうら:まだ夢があったんでしょうね。小学六年生の時の卒業文集に、将来の夢に「マンガ家になりたい。でも現実はそんなに甘くないから、親の家業を継ぐと思います」みたいなこと書いて、よく考えたらうちはサラリーマンで継ぐことも何もなかったのに(笑)、ちょっと大きくウソを書きました。なんかそういうことを言ってみたかったんじゃないかな。

― マンガのテクニックもやはりこの本から学びましたか?

みうら:テクニックは全く学ばなかったですね(笑)。マンガ家になるためのグッズなり、要素なりは学んだかもしれないけど、テクニックは全く学べず、のちにヘタウマのマンガ家の方の影響で、俺もできるんじゃないかと再び思ったんです。これ読んで、自分は正統マンガ家ではないなとはわかりましたけどね。

― この本はもちろんテクニックだけではなくて、さっきお話にありました、持ち込みなどの実践的なことにまで触れていましたね。

みうら:そういうことを村上龍より前に書いていたから、とっても大人っぽい感じはしましたね。ハウツー本のハシリみたいなものですよね、これって。こういう発想が、最終的に「不倫学入門」とか「日本経済入門」とかになる、石森先生の「入門」シリーズのハシリですよね。後半ものすごく手を広げられて、自分のテリトリー外もやったということですよね(笑)。……この本を(影響を受けた本に)挙げてる人は多いんじゃないですか。

― たしかにそうですね。

みうら:これ、インパクトあったもんな。「マンガ家入門」は、人生の中でも10冊に入るな。それが正しく影響受けたかどうかはわからないけども、これと、「怪獣画報」っていう秋田書店の円谷英二監修の本にはすごく影響受けたなあ。「怪獣画報」も皇太子が買ってもらったかなんかで話題になって、すごい売れたんですよ。その頃の秋田書店の勢いってすごかったということだよね、やっぱり。(巻末の広告ページを見ながら)俺、この(入門百科)シリーズでけっこう「ゼロ戦入門」とか「ゼロ戦と戦艦大和」とか「忍者画報」とかも買ったし、この「世界のスリラー」っていうシリーズも全部持ってた、全6巻。「ハトと小鳥のかいかた」も「たのしい切手」も買ったな。秋田書店すごいなやっぱり。「ボクシングファン」も買ったな、意味もなく(笑)。すげー買ってもらってる。入門編の本って、わりと親が買ってくれやすいんですよね、ためになると思って。

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