竹宮惠子 インタビュー(第3回) メッセージトップ>>
●私の言葉をほんとに受け取ってくれた大人でした
― 永井豪さんもおっしゃっていましたが、仕事中にはあまりしゃべってくれなくて、寡黙な方だったとうかがっています。お話はいろいろされましたか?

竹宮:あんまりしゃべらない人ではあったと思います。車に一緒に乗っていても、ずっとしゃべらないでいるタイプだったんですけど、私も同じだから全然気にならなくて(笑)。わりと気持ちよく一緒にいられますね。私も今でこそ大学なんかで教えていますけど、あれも訓練で、やってないと言葉って出てこないですね。私もアシスタントには、昔は寡黙ですごくミステリアスな感じだったって言われるんです。今はこんな感じになっちゃいましたけど(笑)。

― 石ノ森先生の影響もあるのかもしれませんが、もともと持っていた性格が近かったんでしょうか。

竹宮:質が似ているのかもしれませんね。私はむしろ、新人の頃、ドライな感じと言われたんですよ。それは、人間というものを入れ込んで考えないから、なんとなくさばさばとしてしまうという、話もそういう扱い方になってしまうし、感情のやりとりとかも、涙々になったりしないタイプで、人物には泣かせているんだけど、描いているほうは全然泣いてないという(笑)。そういう感じの話になってしまうんです。

― 石ノ森先生の作品も、そういう傾向はありますよね。

竹宮:そういった意味で、質的に似てるのかな。私なんかは、親との縁が薄いとか、全然自分では思っていないんですが、占いすると「薄いですね」って出るんですよ。あんまり執着がないみたいです。

― そういう客観的な、ドライな視線というのは、SFなんかをお描きになるときに大事なんじゃないでしょうか。

竹宮:それはそうだと思います。それでいて、すごく大きな世界では、ものすごくロマンチストなんですね。それは石ノ森先生と同じで。宇宙の世界に行ってしまったところではすごいロマンチストだと思うんですが、地表にある人間の感情についてはすごくさばさばしているんじゃないかな。たまたまここに生まれ落ちて、この人を親にもっているけど、それはただの偶然みたいな気持ちがある。だから、ほんとに自分をわかる人というのに出会うと、すごくべたべたになっちゃうところがあるんですけど、ほとんどいないので(笑)。寺山(修司)さんにもそれと似た感じを受けました。

― 石ノ森先生と竹宮さんの共通するところとして、SFに思い入れがあってSF作品をお描きになっているという部分がありますが、石ノ森作品のSFの部分はどのようにご覧になっていますか。

竹宮:石ノ森先生の作品は、SFなんですけど、結局いつも人間の話になるという感じで受け止めていました。そういうことであればSFというものを描けるのかなと、先生の作品から思いました。私はSF読みじゃないので、SF作品をほんとに読まないSF作家なんですよ。石ノ森先生はほんとに(SFの)影響下にあるから、たくさん読まれていたと思うんですけど。石ノ森先生のSFというのは、いわゆる設定の大きさとかそういうものを感じさせるというよりは、たまたまサイボーグみたいな存在が生まれてしまって、でも人間だから、ちょっと特殊な存在になってしまった人の話という感じで、いつもミュータントとかが登場しますよね。まあ、あの当時だったら、SFをそんなに難しくしちゃったら誰も読んでくれないと思うので、仕方ない部分もあったのかもしれません。

― 現実世界の中に、少し普通の人間と違う特殊な人がいるという状況が多いですね。

竹宮:それを作ることができるのがSFなんだと、私は石ノ森作品から受け止めました。

― 竹宮さんに限って言えば、SF作品をお描きになっていても、描きたいのがSFだというよりも、たとえば現実世界にぽつんといる異端の人を描きたいがためのSFということになるでしょうか。

竹宮:それはほんとにそうだと思います。「サイボーグ009」にしてもそうですけど、差別というものを描くためにあのシチュエーションが役に立っているわけですよね。そういうことをするために、私もSFというシチュエーションを使っています。現実の世界をそのままやったら描かせてもらえないですからね(笑)。

― SF作家の方々も、そういうことをおっしゃいますね。SFだからこそ描けるシチュエーションがある、と。

竹宮:そうですね。そういうタイプと、そうじゃなくて、剣と魔法の世界を描きたいからということで、SF設定なんだけどファンタジーみたいな話を描きたがる人もいますよね。

― ありえない世界を描くことに喜びを見出すタイプということですね。

竹宮:ええ。私は一度も現実から足を抜くことのできない人間なので、そういうのはまた違うかなと思いますね。ファンタジーと銘打ってマンガを描くのはすごくイヤで、ファンタジーが流行りそうだから描きましょうよと言われて、描き始めたのはいいんですが、もう何でもアリじゃないですか、ファンタジーになると。それが、逆につまらないんですよ。

― だから、ちゃんとしたファンタジーというのは難しいですよね。世界の作り方から考えないといけないですからね。

竹宮:難しいですね。あまりにも考えることが多すぎて、主人公を動かすどころじゃないと言いますか。それがイヤなんです。でも、描けと言われたら描くんですけど(笑)。そのへんは、石ノ森先生からの直伝なので。描き始めたらちゃんと終えなきゃと思っています。

― 石ノ森先生とは、漫画家・作家として、どういう存在だったんでしょうか。

竹宮:私にとってはほんとに「灯台」でした。ああいうふうになるんだと、少女マンガの世界でそれぐらいのところに行きたいという。ひとりで描いていない、先生がいて、アシスタントを使って、仲間内で描いているという状態の気持ちよさみたいなものを、石ノ森先生のところで感じたんだと思うんです。それで、ひとりで描くのは嫌いで(笑)、誰かいないとイヤみたいなところがずっとありますね。ネームができないときも、ひとりになるより、何か話しているうちに転がり始めたりすることがあります。無駄話しているだけなんですけど。しーんとして誰もいないと、眠くなるだけなので(笑)。

― 実際に先生のアシスタントをなさっていたわけではないですが、石ノ森先生のことを師匠と思っていらっしゃるんですね。それは、マンガを学んだというより、漫画家としての生き方を学んだということでしょうか。

竹宮:はい。それはもちろん。私としては、そばで仕事の仕方を学んだりはできないので、ほんとに、気持ちで師匠と呼ばせてもらっていました。

― 先生が亡くなって7年ほど経ちますが、先生の遺してきたものというのは、竹宮さんにとってどういうものでしょうか。

竹宮:石ノ森先生の大量のマンガは、テレビとかも巻き込んで、無理矢理マンガの舞台を広げてくれたと思うんです。マンガというものがマイナーな分野だったのを、石ノ森先生自身が無自覚的にというか、ほかの分野にまで広げたんじゃないかなと思います。誰よりも多い枚数をこなして、それで無理された部分もあると思うんですけど、そうやってマンガの間口をどんどん広げた、そういう場を残してくれたということですね。ひとつの作品がどうとか、作品の出来が良いとか悪いとか、ということじゃないんです。

― ひとつの作品を丹誠こめて練り上げるというよりは、もっと別のものを目指していたということですか。

竹宮:とにかくできることはなんでもして、広げるだけ広げたというところがありますね。

― かつて竹宮さんが出したお手紙に石ノ森先生が答え、そこからお二人の出会いがあったわけですが、その、石ノ森先生とのご縁というものを、竹宮さんはどういうふうに感じていたのでしょうか。もちろん、石ノ森先生がお好きだったという強い動機がありましたが、それでも出会えない場合もあるわけで、何がお二人を引き合わせることになったとお考えですか。

竹宮:それは、いちばん最初に私が仲間が欲しいと言ったことを、ほんとに受け取ってくれた、というところです。みんなそういうことを言ったと思うんですよ。なぜ私のを受け取ってくれたんだろう、と。たまたまそのときそれを渡す相手がいたということもあるとは思うんです。私は、仲間がいなくて残念だということを、素直に書いたんですよ。それをほんとに、そうなんだ、と思ってくれたんです。そういうことを常に、石ノ森先生には感じてきました。どんなに言葉少なに話していても、自分の言ったことがちゃんと受け取られている感じがありました。私もそんなに数多くの人と器用につきあうタイプじゃないので、そう思うことは少ないんですが、石ノ森先生と寺山修司先生はそういうことを感じさせる人です。私が言った言葉を、そのまますっと入れてくれる、通じているという感じです。同じ言葉を使っているのに、私の言葉は通じているけど、ほかの人が言った同じ言葉は全然通じていないということもあるじゃないですか。そういう意味で「通じる」ということは、あまりあることじゃないですね。

― 先生の感性が少し違っていたら、その出会いはなかったかもしれないということですね。

竹宮:いただく手紙にはほんとに、同じような内容なのに、気が向くものとそうじゃないものがあって、なぜこの人には返事しようと思うんだろうということがあるんですよ。私の作品を読んでこう思いましたと書いてあって、ほんとにそうだと思える人がいるんですよ。そうすると返事を出したくなるんです。

― 石ノ森先生がもしいらっしゃらなかったら、竹宮さんはもちろん漫画家を目指してはいらっしゃったでしょうけど、今のような漫画家にはなっていなかったかもしれないですね。

竹宮:でも、石ノ森先生がいなかったら、漫画家なんて大胆なことはやめたかもしれません(笑)。それはわからないですよ、ほんとに。石ノ森先生のところで、「墨汁二滴」という少女マンガの同人誌があって、そこにいらっしゃったのが、西谷祥子先生。西谷祥子先生は少女マンガの中で革命的な漫画家で、それまでとは全然違う方向のものを描いていて、私はすごく好きだったんです。その西谷先生からもお手紙をもらって、(マンガ賞に)応募してみませんかと言われて、応募したのが佳作になって、デビューにつながりました。そうなったのは、石ノ森先生のごく近いところにいる人だということを私が知っていたからで、そこに「いちばん信用できる大人」がいなかったら、応募はしていなかったかもしれないし、東京に出てきて、ということはなかったでしょうね。

― いわゆる石ノ森門下というつながりが、大事なきっかけになったんですね。

竹宮:その通りですね。

― 最後に、萬画大全集をお読みになる読者の方々に、一言メッセージがありましたら、お願いいたします。

竹宮:石ノ森先生の作品というのは、私にとっては、「灯台」なんですけれども、とにかく、ものすごい膨大な数です。その中から自分にとって大事な言葉を拾い出すのは、それぞれの読者だと思うので、たくさんの中から、たったひとつのダイヤモンドを拾い出してほしいと思います。

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