― 竹宮さんは、デビュー以来、石ノ森先生とは何度か対談もなさっていますね。
竹宮:石ノ森先生の特集などがあるときに、ときどき声をかけていただいて、対談したことはありました。でも、石ノ森先生もお忙しいし、私も漫画家になってしまうと忙しくて、なかなかお会いするということはなかったんですけど、新人の頃、東京に出てくることになったときに、部屋を探すからどこらへんがいいかって編集さんに聞かれると、やっぱり桜台にしたいって言っちゃうわけですよね(笑)。石ノ森先生がいるから。近くにいると思えば頑張れるみたいな思いでいましたね。石ノ森先生が「ラタン」(注:石ノ森先生の指定席があったという、桜台駅前の喫茶店)に来ているというのは知っているから、淋しくなるとなんとなく買い物かご下げて寄ったりして(笑)。こんにちは、とか言うだけで帰っていました。桜台にいたのは、友達ができて一緒に住むようになるまでの半年間だけでしたけど。
― 竹宮さんの作品について、石ノ森先生からお言葉をいただいたことはありましたか。
竹宮:石ノ森先生は「COM」の中で、同人誌の批評を書かれていたんですよ。いろんな同人誌、あるいは新人が作品を描いているような貸本を含め、そういうものの批評をなさっていました。その中で「宝島」が1回取り上げられて、私の作品に関して、「ほとんどプロの領域である」と褒めていただいたんです。それはすごくうれしくて、励みになりました。そんなにたくさん接点を持つことはできなかったんですけど、ずっと変わらず(先生に対する)気持ちが続いていたので、先生の仕事場の方にも身内扱いしていただいていました(笑)。
― プロになって、竹宮さんがヒット作をどんどんお作りになる姿を、石ノ森先生も見守っていらしたんでしょうね。
竹宮:石ノ森先生が「アガルタ」という作品を「少女コミック」に描かれることになったんですが、そのときは、(私も連載していたので)表紙に並んで名前が載るんだと思ってドキドキしましたね。うれしくて友達にも電話をかけたくらいです。
― 石ノ森先生の作品では、「ファンタジーワールド ジュン」に関しても思い入れがおありだそうですね。
竹宮:あれは、いちばん高い本が先に出ましたよね。2度目に石ノ森先生のところに行ったときに、それを私が買ったと言うと、アシスタントの人たちに「偉い」と言われました。「え、みんな買わないんですか?」って思いましたけど(笑)。
― 当時としては、かなり高価でしたよね。
竹宮:先生には、マンガは安くなくてはいけないとか、そういう常識も関係なかったんでしょうね。安いものはあってもいいけど、高くたってできるというような、アーティスティックな試みだったと思います。
― 作品の中だけではなく、いろんな意味での実験、試みをなさっていたんですね。
竹宮:そうですね。当時はほんとにいろんなことをされていました。私は、童話の「あしたの朝は星の上」も買いましたし、小遣いを買える限り、使いました。
― 先生につぎ込んでしまったわけですね(笑)。
竹宮:ただ、少年誌でも、「サイボーグ009」は買いましたけど、何度も何度も出るじゃないですか。そういうものを追いかけることはできなかったですね。部屋が狭くて、むしろ置けなくて買えませんでした(笑)。そのへんは家族が非常に一般的でして、私がどんなにマンガ好きでも、普通というものを押し通すという感じで、好きなようにはさせてもらえなかったですね(笑)。妙に、マンガ界ではバランス感覚がありますねと言われるんですよ。突っ込んでいないというか、夢中になって耽溺しないって。それはまあ家族がそうだからだと思うんですけど。
― 「サイボーグ009」などは、連載でお読みになっていたんですか。
竹宮:もちろん連載で読んでいました。その週刊誌も、自分で買えるんだったらそんなに盛り上がらないのかもしれません。毎週買えばいいだけだから。ですけど、自分のお小遣いは使えるのに、家に置いておけないから、買えませんでした。クリーニング屋さんのお兄さんが、「少年マガジン」「少年サンデー」「少年キング」を毎週買っていたんですが、それを2か月分くらいためて、どかっと貸してくれるんです。その一時期的な、3日間くらい夢中になって本に漬かっていられるという幸せ、それにもうまいっちゃって、むしろ、そのために買わなかったといってもいいかもしれない(笑)。待つというのが、楽しかったですね。当時は電話を使って人を呼ぶとかしませんでしたから、来るまで待つわけです。たまたま自分が家にいて、そのクリーニング屋さんが来るというタイミングが合わないと、持ってきてねと言えないわけなんです。
― 待つのが楽しい時間ですね。
竹宮:本が積んであることの幸せですね(笑)。週刊誌って、1週間続きが読めないじゃないですか。でも、続きが全部揃っている状態でそこにあるというのがすごいうれしくて。まず1回目は、絶対、好きなマンガの続きは読まないんです。1冊通して読んでから次を読んで、全部読んでから、次の2回目は、好きなのだけをずーっと読んで(笑)。と、いろいろな読み方をして楽しみましたね。借りている本じゃなければ、それはできないですよ。自分の家にあったらしないと思うんですよね。返さなきゃいけない、ずっとそこに積んでおくことはできないからこそですね。
― そうして、デビュー前から石ノ森先生を追いかけていたわけですが、先生からの影響は、竹宮さんの中ではどういうところにあると思いますか。
竹宮:石ノ森先生のおっしゃる一言というのを、すごく何度も考えたりしました。先生が調子が良かったり悪かったりするときに、ぽろっと言われることというのを、先生の状況を考えながら、どんな気持ちで言われたんだろうなとか、考えましたね。いま描きたいものはどんなものですか、何ですか、と聞いたときに、「んー、全然ないね!」とおっしゃられたりですね(笑)。すごくおもしろかったのは、たぶん私が2度目におうかがいしたときだと思うんですけど、「仮面ライダー」が(人気投票で)今週3位だったと編集さんが言われたときに、「仮面ライダーが3位になっちゃいけないよ」とおっしゃったんです。
― え、それは、「3位には上がってはいけない」という意味ですか?
竹宮:こんなものが3位になっちゃいかん、もっと違うものがとらなきゃ、ということです。石ノ森先生の客観的な感覚を感じましたね。ああそうか、作家って、自分の作品が可愛い、だけじゃなくて、いろいろ考えているんだと思いました。手塚先生は、そういう意味ではもっと入れ込んでおられますよね。自分の作品がいちばんでなくちゃ、という感じです。石ノ森先生は、自分の気持ちにそぐわなくても、描ける人だなと思うんです。嫌でも描くときがあるという、そういうものを私は感じました。だから私は、スランプで苦しんだときもやめずに済んだと思うんです。描くことだけはやめない、マンガで食べることだけはやめないと思ってやっていたので。かなりスランプで、自分の描くものが嫌で、でもそれでお金もらうことだけはやめないという感じでした。そういう部分は石ノ森先生から学んだんじゃないかなと思います。
― 石ノ森先生はかつてインタビューで、「手塚先生はマンガに命をかけているようなところがあるけど、俺はちょっと遊び感覚でマンガを描いている」というようなことをおっしゃったことがありましたが、そういう部分はお感じになりますか。
竹宮:そうですね。そこまで入れ込まない。ファンは言いたいように言いますよね。あれは良かったけどこっちはあまり良くない、とか平気でファンは言いますけど、だからそれに傷つかない。ファンは自由に何を言ってもいい。そういうところが私にもあって、何を言われても全然傷つかないんですよね(笑)。作品というのはさまざまで、Aの人はいいと言ってもBの人はつまらない、というものなんだということを、わりと早いうちから実感していました。そうでないと、長く続けるのはつらいですから、手塚先生のほうがよっぽどつらいんじゃないかなと思いました。いつもいちばんじゃないといけないという方でしたからね。
― そういう点では、石ノ森先生は少し飄々としたようなところがありましたね。
竹宮:そうですね。どうなるのかわからないけど行ってみようか、みたいな感じで(笑)。それが安心できるんですよ。どんな状態でも、石ノ森先生だと心配しないというか。
― 石ノ森先生から竹宮さんが受けた影響というのは、作品自体だけじゃないと……。
竹宮:じゃないと思うんです。漫画家としての生き方みたいものですね。
― 作品に関してはどうでしょう。ご自分で、これはもしかしたら石ノ森先生の影響かな、と思われるような部分はありますか。
竹宮:それはもう、それこそ足の描き方とかポーズの取り方とか、いっぱいあります。とにかく、動きを大事にするというのは石ノ森先生の影響だと思います。形が崩れても動きのほうを優先するとか。ただ読者が少女たちなので、整えなきゃいけないというのがあって、昔ほど自由自在には描かなくなりましたけど。昔は躍動感みたいなものがすごくあって、あれが好きでした、と言われることがあるんですけど、またそれを描こうと思えば今でも描けるとは思います。状況が変われば描き方も変わりますし、プロだったらそうやっていかないと生き残れないから、そうしているということです。もし何も縛りがなかったらどんな絵を描くだろうというのは、自分でも探求してみたいような気もしますね。
― 常にいろんな条件や制限に合わせて描いているわけで、それが何もない状態で描くということは現実的にはないわけですね。
竹宮:税金の申告のときに、分類すると漫画家はサービス業に入るんですよと言われて、すごい意外で、気に入らなかったんですよ。でも、ある意味サービス業だな、と思います。自分が描きたいものを描いているわけじゃなくて、お客、つまり読む人に向かって、その人たちが快適なように描いているというのが、だんだんわかってくるんですね。それで、サービス業でもしょうがないかと思うようになったんです(笑)。
― そういう意味では、石ノ森先生は、まさにプロとしてサービス業をやっていらっしゃった方という感じがしますね。
竹宮:そうですね。青年誌のほうに描くようになってから、女性の肉体とかを描くじゃないですか。石ノ森先生ファンの女性たちは、むしろ自分が男の子になりたいと思うような人で、ああいうのが好きじゃない人が多いんですけど、私はその、女性の匂いがするような上手さがすごいと思うんです。自分の中の女性の部分では、そういったファンと同じようなところがないわけではないので、女の匂いがするのがイヤと思う部分もあるんですけど、別の部分でプロとして、すごいなと。やっぱりそういうものを描くんだったら匂いがしなくちゃダメでしょうと思いますしね(笑)。
― 昔の作品を見てきた女性ファンの方々は、キャラクターの中性的なところが好きだったわけですよね。「009」もそうですが、大人になっていない、性別のないような存在というところですね。
竹宮:純粋にまっすぐなところが好きですよね。でも、人生ってそれだけでは終わらないので(笑)。やっぱり、その先があるものだと私は思います。そのへんがバランス感覚がいいと言われるところなんです。手塚先生の作品でも、「陽だまりの樹」が好きなのは、大人の感覚がするところですね。
― 石ノ森先生の作品を読んで、変遷のようなものはお感じになりますか。
竹宮:変遷というより、ほんとに必要に応じて描きわけられていましたね。器用貧乏とおっしゃっていましたけど、そういう方だと思うんです。注文があればそれに応じるという。それもあんまりよく考えずに、さらっと。そこに悩みがなかったかというと、そんなことはないんでしょうけど。それだけ信奉者が多かったから、それを振り切るというのは大変だと思うんですよ。もうカミソリどころの騒ぎじゃなかったんじゃないかと思います(笑)。こんなふうに描かないでという、「ミザリー」な状況は、私たちどころじゃないものがあったんじゃないかな。
― 「仮面ライダー」以降、TVヒーローものをたくさん手がけられますけど、そういうものを快く思わないファンもいたとうかがっていますが。
竹宮:それはあったと思います。でも、ああいうものを描いて、振り切ってしまう。別のものをやりたいから、そういうのを合間に入れてということもあると思うんです。私も似たようなことをしていますしね。ファンクラブを全部やめてしまったりね。そういうことをしないと、もう先に行けなくなるんですよ。
― そういうお話をうかがいますと、石ノ森先生には、いろいろ抱えているものがあっても、それを振り切れる力があったということでしょうか。
竹宮:そういう意味では、あんまり人とべたべたしない人ですよね。肉親ともちょっと縁が薄い人という感じがします。
― 竹宮さんが、石ノ森先生の印象をお書きになった文章で、「乾いた優しさ」という表現をなさったことがありましたね。
竹宮:そういうのって、握手をするとよくわかるんですが、石ノ森先生は、握手するとほんとに分厚い手であったかいんですけど、さらっとしていて、長く握手することのない感じの人。そういうところに(性格が)現れているんじゃないでしょうか。
― あまり執着しないという感じでしょうか。ファンを囲うということにもこだわらない。
竹宮:そうですね。漫画家は変わっていくものだということでしょうか。その変わっていくというのも、攻める気持ちとか、気負いとかが全然ない。ないように見えるだけなのか、そのへんはわかりませんけど、見た目には全然ないですね。
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