永野護 インタビュー(第3回) メッセージトップ>>
●先人であり、ライバルである存在
― 永野さんご自身は、石ノ森先生の影響を感じることはありますか? キャラクターとか映画的なセンスとかの面で。

永野:この人たちには、影響を受けた受けていないというレベルではないと思うんですよ。作家にとって、キャラクターデザインとかメカニックデザインとか生物デザインとかというのは、一つの派生でしかないんです。キャラクター描けて背景描けてメカ描けて当たり前なんですから。いまは変に分化しちゃう傾向にありますけど、そういうことがすべて当たり前の時代にやってきた人たちは、展開するバリエーションというのもケタが違いますね。キカイダーみたいなロボットにしろ、マンガ作品の中における特殊な位置づけであるとかを考えて、キャラクターとしてきちんと描かれているんですよね。もしそこでアニメの手法を使って、キカイダーはメカデザイナーがデザインしてとかバラバラにやっていたら、何かちがうでしょうという話です。やっぱりキカイダーというのは、人間とロボットの姿があるけど、同一人物が描くからちゃんとした統一性があるわけです。それに、「キカイダー」や「仮面ライダー」でのオートバイのように、小物の使い方がうまいですよね。当時まだ暴走族が出る前で、カミナリ族がちょっとすたれていたくらいの時代だったと思いますが、あの時代の子供たちは仮面ライダーのオートバイに憧れましたし、それ以降に出てきた暴走族は、みんなサイクロン号を意識しているんじゃないかと思えるところがありますよね。

― 確かに、仮面ライダー世代には、オートバイに対する憧れというのが刷り込まれています。近年になって、現実のオートバイ業界がその頃のオマージュみたいな物を作っている部分がありますね。

永野:やっぱり、アメリカ大陸のど真ん中を開拓した人たちだから、後の人たちはどうしてもそこを通らざるを得ないというのがありますね。悔しいけどここを通らないといけなくて、それ以外といったら、ゴビ砂漠のど真ん中とかを耕しに行かなきゃならないという感じですよね。たぶん僕がそのゴビ砂漠を耕すんですよ。誰がアメリカなんか行くかボケ!と言いながら(笑)。

― 永野さんとしては、いままでの先人が手をつけたところではない、まったく新しいところを耕したいとお考えなんですね。

永野:普通に考えると、プロの作家として、人の耕したところを耕したって、それはお金にならないでしょう。お金というのは語弊のある言い方ですけど、要するに人気を得られないでしょう、読者の評価を得られないでしょう、ということです。だって、それなら石森さんとか手塚さんを読んでいればいいんだから。もしくは亜流の作家とか後継者でいいわけですよね。どうしたってそれ以外のところで評価を得ようとしたら、ゴビ砂漠とか、ボルネオのジャングルとか、エアーズロックとかあたりをやるしかないわけですよ。だから後発ははっきり言って大変厳しいですよ。石森さんがキカイダーを1分で描いたとして、僕がモーターヘッドを描くのに3時間かかる。やっていることは同じなんだけど、なんでこんなに手間がかかるんでしょう、みたいな。……そういう意味では、影響を受けているか受けていないかという範疇ではとても答えられない。たぶん、この時代の偉大なマンガ家の人たちというのは、すべてDNAの中に入っちゃっているから、そこから石森さんだけを取り出すというのはちょっと難しいものがあります。

― アニメの石ノ森作品は、アニメの世界にお入りになってから、結構ご覧になったんですか。

永野:そうですね。サンライズで作った「サイボーグ009」とかは見ましたし、この業界に入ってから、もう1回見直したものもあります。僕がプロとしてデビューした時には、僕の作ったサンライズの作品(注:「重戦記エルガイム」「機動戦士Zガンダム」等)の30分後に、ちょうど石森さんが基礎を作った東映の戦隊ものが放映されていました。哀しいことに、「サンバルカン」とかには、俺の女房(川村万梨阿)が出ていたんですよ(笑)。当時は声優じゃなくて東映の役者だったので、戦隊ものに何回も出ていました。

― ある意味、石ノ森先生は過去の先人と言うより、リアルタイムでのライバルでもあったわけですね。

永野:僕らもプロですから、石森さんたち先人をどかさなきゃいけないという思いはあります。そうしないと自分たちの居場所がない。だから、石森さんというのは、絶えず意識しているわけではないけどそこにある、でっかい山みたいなものですね。

― 生前の石ノ森先生とはお会いする機会はありましたか。

永野:ご縁がなくて、お会いできませんでした。手塚さんとは一度お会いしたことがあるんですけど。微妙ですね、僕は昭和の最後から平成にかけて出てきているから、(デビューが)5年早ければお会いできたかもしれません。手塚さんや石森さんが、僕のマンガを見てどういう感想を持つんだろうと、たまに思うことがあります。こんな複雑なもの描きやがって、と絶対怒られるだろうなと思いますけど(笑)。

― やはりトキワ荘の方々に対する思い入れは強いのでしょうか。

永野:僕にとってのマンガは、手塚治虫さん、藤子不二雄さん、石森章太郎さんたちで、やっぱり幼稚園の頃の影響が大きいですね。後の世代の永井豪さんとかになるとちょっと怪しいんです。もちろん、「ハレンチ学園」や「マジンガーZ」は知っていますが。トキワ荘って、藤子不二雄さんが「まんが道」で描いていらっしゃいますよね。僕はあの作品がけっこう好きで、たまに読み返しているんですけど、やっぱり昭和30年代に頑張った人たちをああいう形で見せられると、ノスタルジーじゃなくて、同業者として感じるものがありますね。誰も楽なんかしちゃいないよという。そういうことを考えると、まだ僕は、石森章太郎さんなんかの足下で、足の指の間でわーっとやっている感じだなという気がしますよ、これは謙遜でもなんでもなく。

― 石ノ森先生は、非常に幅広いジャンルをお描きになった人ですね。

永野:僕は「ゴルゴ13」(さいとう・たかを)が好きだったので、「ビッグコミック」とか20代によく読んでいたんです。それぐらい毎週買うお金はできたので(笑)。「HOTEL」は毎週読んで、やっぱりすごいなあ、と。「マンガ日本経済入門」とかもそうですけど、どうしてこの時代になっても、まだこんなすごいものをトップの位置で描けるんだ、と。普通デビューから30年以上経ったら、もうちょっとカスカスになるだろう(笑)。墓に片足つっこんでくれないと、ほかの後続はどうすりゃいいんだという部分はありますよね。

― 枯れた部分がなく、現役のままお亡くなりになりましたよね。「HOTEL」とかをお読みになって、すごいなと感じたのはどういったところでしょうか。

永野:ただ単純にドラマ性です。作家のクセってあるじゃないですか。映画でもありますけど、この作家だとこういう演出だろうとか。「HOTEL」とかは読んでいて、それを感じさせませんよね。次の世代の人たち、永井豪さんや本宮ひろしさんたちは色がある。どの作品でも、こういうふうになるという読みって見えますよね。でも、石森さんには全然ないじゃないですか。まるで別人ですよ。手塚さんだって結構クセのある人だし、人間って、絵だけでなく、見せ方とかお話とかに、クセが出てくるものですよ。そのクセがないというのは、自分自身が作ったものを、一度ぐちゃぐちゃに壊しちゃった人なんだろうな、壊すことができた人なんだろうな。そういう気がしますね。

― 最後に、石ノ森章太郎萬画大全集の読者に向けて、こういうところを見てほしい、感じ取ってほしいというポイントがありましたらお願いします。

永野:全集として読み方というものは別にないと思いますが、石森章太郎さんの作品は、どれを読んでも面白いから、まとめて読めば、延々読んでいれば読んでいるほど、面白くなってくると思うんです。例えば、「仮面ライダー」だけが好きな人でも、「仮面ライダー」だけじゃなくて、いろんなものを読んでいるうちに、自分の許容量が増えていくんですね。そうすると、「佐武と市」も面白いし、「キカイダー」もギャグ作品も面白い。ジャンルで読むんじゃなくて、ひとりの作家の連続した作品として読む、そういう楽しみができると思うんです。全集を全部読むんじゃなくて、いろんなジャンルの作品がある中から、自分自身が楽しみながら読めるものを読む、そういう読み方をしてもらってもいいですね。自分の好きな守備範囲の作品だけを読むんじゃなくて、いろんな作品を読む楽しみがあります。

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