藤岡弘、インタビュー(第2回) メッセージトップ>>
●「仮面ライダー」は「プロジェクトX」になるべき話です
― 「仮面ライダー」のような特別な設定でもないと、改造人間などという主人公は存在しえないですからね。

藤岡:僕は、そういう内面を演じられることが嬉しかったんです。それはまた僕の当時の痛みでもあって、自分自身とオーバーラップするものがあったんですよ。僕自身も田舎から家出同然で大都会に出てきて、カルチャーショックを受け、自分がどれほど未熟であるかということを思い知らされました。大都会のすさまじい流れの中で生きなければならないという戦いがあって、それに負けてはダメだと、逃げてはダメだと、屈してはダメだと、あきらめてはダメだと、父から教わった武士道精神を糧に戦っていたので、本郷猛の心情とどこか共通するところを感じていたのかもしれませんね。……僕が俳優としていつも大事にしているのは、登場人物の動機や目的や過去であって、自分のこれまでの経験を意識し、そこから想像しながら演じているんです。その頃はまだ若かったけど、若いなりに考えてやっていた経緯がありますね。僕の場合は、うちひしがれながら、現実的にその日生きていけるかどうかわからないような現状、自分で自分の生活を守らなければいけないという追いつめられた環境で生きていたわけですから。ちょうど「仮面ライダー」は、戦後日本の高度経済成長ととにも生まれてきたんですね。万博景気によって世界的に浮上し、社会にはエネルギーが満ちあふれていたけれど、国内でいろんな問題が起きていたし、混沌として先が見えない、とてつもなく刺激的な時代でした。そんな世の中に、みんなが光を求めていたわけです。混沌とした時代だったから、みんな必死になっていた。NHKの「プロジェクトX」をご覧になったらわかると思いますが、あれが日本の繁栄の元を作った本当の姿ですよ。

― 今でも形は違えど、「仮面ライダー」のシリーズが連綿と作られているということは、その頃の意志が受け継がれているということでしょうか。

藤岡:そうですね。時代の違いもあるでしょうけど、いまは全てが整いすぎていて、完成されすぎたような印象はありますね。不完全な魅力、手探りで作っている魅力ってあるじゃないですか。例えばCGや最新の機械などに頼らずに、人間の持っている精神力や魂をそそぎ込んで作り上げていく、いわば職人の手作業というか、匠の世界ですよね。スタッフみんなが共通の目的と共通の価値を持ち、必死になってお互いが傷だらけになって作っていこうという、一致団結したものがあった。それがこの「仮面ライダー」です。人間ひとりひとりの英知を結集した、いわば、クリエイターたちの勝利のたまものですよ。「仮面ライダー」(の製作秘話)なんか、「プロジェクトX」になってもいい話ですよね。当時の子どもたち、いわゆるカギっ子たちは、家でお父さんお母さんを待ちながら、この映像を見て仮面ライダーの勇姿に驚嘆していたわけですからね。大変な効果を与えた作品だと思いますよ。

― 「仮面ライダー」の「プロジェクトX」は是非見たいですね。

藤岡:そのきっかけを作られた石ノ森章太郎先生の偉大さを、とても尊敬しています。人間は出会いによってその人生も変わる、運勢も変わる、そして歴史も変わると言われていますね。同様のことを父からも言われており、「出会いは偶然ではない、必然なんだ。だから心して行け、そして出会いを大事にしなさい」という言葉は今でも心に残っています。例えば、石ノ森章太郎先生に出会わなければ、僕の現在はありません。維新の志士たち、西郷隆盛と坂本龍馬、西郷隆盛と勝海舟、山岡鉄舟と勝海舟、どれひとつの出会いがなかったとしても、明治維新はなかった、今の日本はなかったわけですよ。歴史を変えるすごさが出会いにはあるんです。そういうことを考えますと、僕自身「仮面ライダー」という作品との出会いに感謝しています。石ノ森先生は、マンガという誰にも受け入れやすい、当時の子どもたちの心をとらえやすい娯楽作品に、大変深い内容を内包した上でうまくアレンジしてくださいました。それを感じ取って、僕がやる気になった。そうした、出会いの中でなにか引っかかるものが誰しもあるわけです。この作品に携わったスタッフのみなさんが、どこかになにか引っかかっていたと思うんですね。

― その引っかかりに応えるために一生懸命になっていたということですね。

藤岡:そうです。スタッフが言っていたことを思い出しますよ。子どもが学校で、俺の父ちゃんは仮面ライダーを作ってるんだと言ったとたん、ほかの子どもたちの羨望の的になった、「俺は父ちゃんを尊敬するよ」って言われて嬉しかった、と。当時この作品に携わるだけでも誇りを持てたというくらい、「仮面ライダー」は大きな影響を与えていました。

― それまでもヒーローものはたくさんありましたが、ヒーローを描くにあたって、完全無欠な存在としてではなく、人間的な悲哀を背負わせて描いたのが、石ノ森先生のすごいところではないかと思います。

藤岡:僕もほんとにそう思います。演じる私にとってはそれが魅力だったんです。不完全な人間であり、痛みや苦しみや悩みを持ったヒーローなんですよね。普通なら同情されるような存在なのに、それを人のせいにしないで、周りを守ろうとするヒーローですよ。本郷猛はすでに犠牲者なのに、周りの人間に対して犠牲になってほしくないという願いから、自分がさらに犠牲になって戦い続ける。僕の俳優論から行くと、いちばん演じたい、たまらない芝居ですね。それがたとえSF的なものであろうとも、根っこの動機がそこにある。だから僕は、「仮面ライダー」をやってよかった、俳優としてこんなすごい作品はないと誇りに思っているんです。周りには「なんだ子ども番組か」と言う人もいますが、捉え方が違うんであって、僕自身は満足なんですよ。周りはいろいろ言いますから、言いたい奴には言わせておけばいいんです。特にこの世界では、芸術はたたえられて、娯楽というものをあまり評価しません。それがとても悲しいですね。でも、ヒーロー復権ですよ。どの国にも、歴史的ヒーローがたくさんいます。例えばロビンフッドもそうだし、怪傑ゾロもそうだし、いまだにそういうヒーローは、アメリカでもメジャーな大作として堂々と真剣に演じられていますよね。それを考えたら、僕は、娯楽も歴史的に見て評価するべきだと思います。これだけの影響を与えて、これだけの内容の深さを持っている、マンガという大衆娯楽の最高峰じゃないですか。私はこの作品に出会い、参加させていただいて、自分の出来はどうだったかは別にしても、ほんとに感謝しています。この出会いがあったから現在の自分が存在しているんだと思います。

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