萩尾望都 インタビュー(第3回) メッセージトップ>>
●「ポーの一族」はこうして生まれました

― 萩尾さんの代表作「ポーの一族」には、石ノ森先生の短編「きりとばらとほしと」(62年)の影響があるのではないかと言われていますが、本当でしょうか?

萩尾:はい、ありますね。「きりとばらとほしと」は、私が中学生ぐらいでしたけど、「きのうはもうこない だがあすもまた…」と同じように増刊の読み切りで読んだと思います。あの頃、(石ノ森先生は)過去に行ったり現在に行ったりする時間ラグを扱ったものに興味がおありだったのか、少女マンガで珍しく、本格的な時間ものを描いていらした。そのときは、「きりとばらとほしと」も、そういうタイプの話だと思って読んだんです。吸血鬼になった少女が、過去・現在・未来と生きていく話ですね。それで、ずいぶん先になって、私が吸血鬼の話を描こうかなと思ったときに、はっと思い出したのが「きりとばらとほしと」でした。一時代の話で、あるシーンで、ある町で、吸血鬼が出てきて、という話ではなくて、そのシーンの過去も未来も描けるんだ、と。「きりとばらとほしと」では、このシーンの過去も未来もある、しかも歳をとっていない。「これはやったぜ」と(笑)。吸血鬼の話は、小学校の頃、横山光輝先生のマンガで「吸血鬼ドラキュラ」の日本版を読んだことがあるんですが、絵が怖くてちょっと読めなかったんですよ。怖いものだという印象がずっとあったんですけれど、どこでどう間違ったのか、描こうとしたときに、石ノ森先生が描いた吸血鬼はきれいだったので、きれいな吸血鬼だったら私も描きたい、と思いました。

― 当時、怪談ものではない吸血鬼ものというのは、なかったんじゃないでしょうか。

萩尾:私はほかにひとつも読んだ記憶がないです。吸血鬼ものを描こうと思って、何本か映画を観てみたんですけれど、やっぱりいたいけな主人公や家族がいて、「わっはっはっ」と笑う吸血鬼に次々やられていく。もう、怖いんです(笑)。

― 基本的にはスリラーですからね。「ポーの一族」は、吸血鬼側の視点に立って描かれているのが特徴ですね。

萩尾:最近ではずいぶん、吸血鬼側の視点に立ったものもありますね。アン・ライスのヴァンパイアシリーズとか。あれは映画で初めて観て、かっこいいなと思って小説を読み始めましたが、私の描いた「ポーの一族」の2年ぐらい後にシリーズが発表されていたんです。「良かったー、先に描いてて」と、もう冷や汗がたらたら(笑)。

― 昔、石ノ森先生の「マンガ家入門」はお読みになっていましたか?

萩尾:(正・続とも)全部読みました。いや、これはすごく面白かったんですけど、石ノ森先生がマンガ家になって苦労したという話を書いていらっしゃるので、根性のない私は、こんなに苦労するならマンガ家になるのはやめようとちょっと思ったんです(笑)。大根ばっかり食べているとかね。これを読んでちょっとためらっているときに、実は手塚先生の「新選組」を読んでショックを受けて、やっぱり真面目にマンガ家への道を進もうと思いました。だから、石ノ森先生で迷って、手塚先生で決定したという(笑)。

― 「マンガ少年」の対談で興味深かったのが、石ノ森先生が「作品にひたり込んで描いたマンガは1本もない。趣味として考えているんだよ」というご発言をされていたことです。石ノ森先生に、そういう趣味の部分、遊びの部分というのは感じますか。

萩尾:あのう、頭勝ちしてセンスがいい人って、ときどきそういうことを言いたがるんですよ(笑)。だから石ノ森先生の、自分のセンスに酔った言葉だなと思って聞いていました(笑)。やっぱり、何日も徹夜して、締め切りに追われて描いているわけだから、なにも指の先とか足の先で描いているわけじゃなくて、必死で描いているんだと思うんですけれど、その世界そのものがきっと石ノ森先生にとっては、夢の中みたいな感じなのかなあ。……長編もずいぶん描かれていますけれど、基本的に石ノ森先生というのは、ひねりのきいた短編をずっと描いていくタイプの方だったんじゃないかなと思います。「009」にしても、ひとつの戦いがけっこう長く続いたりするけれど、大きなうねりとしてドラマがどこかに収斂するという感じではなくて、毎週1時間ドラマがあるみたいな感じ。毎回読み切りのようなリズムを感じます。これもセンス勝ちしている人にありがちですが(笑)。それが、石ノ森先生特有のマンガを描く呼吸だったんだろうなという感じがします。

― 石ノ森先生は、残念ながら7年前に亡くなりましたが、ご活躍なさっていたらこういうものを描いていただきたかったというものはありますか。

萩尾:いや、もう全部描かれているから、何も言いようがありません。自分もマンガを描いているので、こういうものを描いてくださいと読者から言われたりするんですよ。それで描ければいいけれど、「えー、もう描けないんです、すいません」という場合が多いんですね。石ノ森先生はいくつでデビューなさったんでしたっけ。

― 17歳くらいですね。

萩尾:それで、50いくつまでお仕事なさってきたということは、40年。40年仕事をするということは、すごく大変なことなんじゃないかな。特に創作関係で、自分の中から絞り出していく仕事は。しかも、何度も同じことはできない。手塚先生は、4年ごとに自分が変わる、それは読者が変わるからだとおっしゃったけれど、石ノ森先生も、「龍神沼」とか「ジュン」とかファンタジーで詩的なお話を描かれた時期があって、時代物を描かれた時期があって、教科書のような「日本の歴史」とかを描かれた時期があって、と仕事の内容が少しずつ変わっていく。やっぱり歳月の重力というのが、自分の中に重なっていくんです。よく読者は「ずっと変わらないでいてください」と言うけれど、ずっと変わらないでいたら、だいたい4年で飽きられます(笑)。ずっと変わらないように見えて、実は少しずつ変わっている。ディズニーランドのミッキーマウスのキャラクターも時代とともに微妙に変わっているように、みんなこっそり少しずつ変わっているんです。それで、変わりそこなったら、あの人はもう古いからと言って忘れられていく。なかなか厳しい商売ですね。特に、ギャグ系と、こういったセンス系の人というのは、基本的に寿命は短いんです。というのは、ギャグとかナイーブなイメージというのは、ほんとに消耗が激しい。骨太ストーリーというのは、けっこう長持ちするんです。だから、さいとう・たかを先生の「ゴルゴ13」はまだ元気でやっていますけれど、このナイーブなセンスを抱えて40年というのは、ほんとに大変だなあと思います。

― 順番はつけづらいと思うのですが、萩尾さんの中で、石ノ森作品のベストというとどうなりますか。

萩尾:ほんとに、順列は非常につけづらいんですけれど、やっぱり「009」を挙げたいと思います。……難しいですね、「ジュン」も好きでしたし、あまり話題にならないけれど「黒い風」という冷たーい忍者物があって、好きでした。それから「ミュータントサブ」「おかしなおかしなおかしなあの子」も面白く読みました。

― やっぱり「009」への思い入れは特別ですか。

萩尾:あの頃は狂ったように夢中になっていましたね(笑)。

― キャラクターとして、芸能人を好きになるような形でお好きだったんですか。

萩尾:ええ。あの頃はタイガースが全盛でしたけれど、みんなが「ジュリー、きゃ〜!」とか言っているときに、私は「ジョウ〜、きゃ〜!」という感じで(笑)。毎週毎週楽しみにしていました。

― 最後に、萬画大全集の発刊にあたって、読者の方々にお薦めの言葉がありましたらお願いします。

萩尾:石ノ森先生の作品の、私がいちばん好きなところは、画面の情緒性豊かなところ。風が流れているような、霧が流れているような、静かな音楽が流れているような、ポエムと言ってしまうと少女趣味になってしまうけれど、そういうところですね。ハードなSFを描いていても、ミステリものを描いていても、それが一貫して風みたいに流れていて、その匂いというか味が非常に好きでした。キャラクターのひとりひとりにもそういった情緒性があって、なんだか読んでいると胸がきゅんとするような(笑)甘さがありました。こうして昔の作品を見ていると、ああ、過去の物だなと思ったり、逆に、新鮮だなと思ったり、思いは複雑なんですけれど、やっぱり、これだけの量を描いて一線で活躍されて、すごい作家さんだなと思います。SFの描き方とか、キャラクターの持っていき方とか、いろいろなことを作品から教わりました。浸るにはいいシリーズじゃないかと思います。どうぞよろしく。

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