― いわゆるトキワ荘時代のマンガ家、手塚治虫先生をはじめとする方々が、映画的手法をマンガに取り入れてどんどん構図などが工夫されていったと言われますが、その中で、石ノ森先生の特徴、個性というのは、どういうところにあったと思われますか。
萩尾:石ノ森先生のいちばんの個性というのは、ポエムなところと、ペンの線のナイーブさだったと思います。映画的手法・構図というのは、どうも手塚先生以前からあったようなんですけれど、画面を文学的に読んでいくテクというのは、手塚先生でものすごく進歩して、ほんとに映画を観るように流れるように、コマからコマに自然に呼吸するみたいに展開していくようになった。それを石ノ森先生は、石ノ森リズムみたいな感じに変えられたんだと思います。
― 手塚先生ともまた違った、独特のものがあったということでしょうか。
萩尾:石ノ森先生と水野英子先生と手塚先生は、絵柄とか画面の味が、非常に似てるんですね。水野先生と石ノ森先生は、初期には合作なさっていたし。ただ、やっぱり個別的にそれぞれ特徴があって、水野先生の線というのは、豪華できらびやかなんです。石ノ森先生の線というのは、ナイーブで繊細。特に、少年マンガの中で石ノ森先生が描いていると、ぱらぱらっと見てそこのページだけ非常にナイーブな印象を受ける。豪傑の中に美少年がひとり、みたいな(笑)。手塚先生は、丸い絵柄を描いていらしたけれど、線はシャープで固い。堅実という感じですね。
― 萩尾さんも、そういった先生方の影響を受けたわけですね。
萩尾:今はいろんなコマの取り方があるけれど、当時は、少年誌には変型ゴマというのはほとんどなくて、流れるように画面を追うことができた。そういうコマのリズム、呼吸みたいなものを当時の先生たちから学びました。手塚先生も横山光輝先生も石ノ森先生もちばてつや先生も、みんな独自の呼吸、舞台演出法とでもいうものがあります。変な言い方ですが、フキダシの中のセリフ全部に目がいくんですね。私はそれが普通だろうと思っていたんですけれど、マンガ家になって、劇画が出てきた頃、フキダシの中の文字があんまり多いので一息で全部読めなくて(笑)。実はこれは大変なテクニックだったんだなと思いました。劇画になると、息継ぎしないと読めなくなる。そうすると、絵の部分に何が描かれていたか、読んでいるうちに忘れちゃうんです。
― 単にセリフを追ってしまうということですね。
萩尾:そうそう。絵物語になっちゃう。石ノ森先生の時代の方が描かれていたのは、一呼吸でコマが読める程度で、無駄がないし、足りない物もない。読んで疲れないし、全部するすると頭に入ってくる。その頃は私も頭が柔らかかったもので、これ(読み切り短編)ぐらいのマンガだと、1回読むと1年くらいは構図からセリフから全部覚えていられました。ほんとに印画紙みたいに吸い取っていったんです。ところが、劇画になっちゃうとそうはいかなくなってしまった(笑)。
― ご自身の中で、石ノ森先生の影響を感じることはありますか。
萩尾:SFでこんなふうにマンガが描けるという影響ですね。具体的に言うと「ミュータントサブ」が非常に面白かったから、私もいずれは超能力ものを描きたいなと思いました。手塚治虫先生の作品の中には、超能力ものは「ユフラテの樹」1作しかないんですね。石ノ森先生の作品には超能力ものがたくさんあるんです。「009」にも出てきますし。
― 石ノ森先生の、そういったSF作家としての側面はどうご覧になっていましたか。
萩尾:構図の取り方とか見せ方がほんとにきれいで、格闘シーンにしても、すごく品がいいんですよ。ロボットマンガは他にも、「鉄腕アトム」の手塚先生とか横山光輝先生が描いていましたけど、石ノ森先生は、格闘シーンが、なんかいちいち色っぽいんですよね。やっぱり、美少年が剛腕な人々と戦っているという(笑)、いたいけな感じがありました。主人公がケガしたときとか、なにかちょっとしたシーンに、ちょっとマゾヒスティックな(笑)匂いを感じるんです。「少年同盟」では、イライザという相棒が実はアンドロイドだったんですが、それもすごい色っぽいキャラクターでした。
― 母性愛をくすぐる感じでしょうか。
萩尾:そうですね。たとえば手塚先生の「鉄腕アトム」も、しょっちゅうエネルギー切れになったりして倒れていましたけれど、それとはまた別な神経がくすぐられるというか。手塚先生のほうは、戦いそれ自体にセンチメンタルな部分はあまりないんです。結果として、別れたり出会ったりという、人間関係の濃さ、深さがあって、それが手塚先生のマンガにのめり込んでいく魅力だったと思いますが、石ノ森先生の場合は、ストーリーはストーリーで別にあるんだけれど、このシーンのこのケガをして苦しんでいるところが痛々しくて可愛いという、なんかこう妄想がふくらむような(笑)、絵の力がありました、はい。
― 超能力ものをお描きになっていても、サイボーグものやロボットものにしても、ちょっと異端者的なものを中心に据えて、哀しみを感じさせる部分がありますね。
萩尾:みんな、背負っている背景が大変ですね。主人公も、それから敵も。「009」の最初は少年院からの脱走で始まるんですけど、私は普通に育ったもので、「不良が主人公?」と(笑)。しかも、(ちばてつや先生の)「ハリスの旋風」みたいな、普通の子がちょっとアウトローで不良になっているんじゃなくて、少年院にまで収監されているような悪い子が主人公だというので、最初非常にびっくりしたんですよ。そのあとでずいぶん少年院もの(のマンガ)も出てきましたけれど、私の読んだときは、そういうものは初めてでした。警察に追いかけられてるし、行き所がないし、もうどうするんだろうこの子は、と思って読んでいました。
― 少年マンガで、「ミュータントサブ」や「009」以降の後年の作品はご覧になっていましたか。
萩尾:「ブルーゾーン」とか、「スカルマン」の最初くらいまでは読んでいましたけれど、テレビで大評判になった「仮面ライダー」あたりはときどき見ていたくらいですね。……あとは、主な仕事が大人のほうになってこられましたし。そのあたりはときどきは読んでいたけれど、やっぱり石ノ森先生の作品の魅力というのは、私には10代に読んだ少年少女マンガがいちばんかなと思います。
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