― 今回は、萩尾望都さんに、石ノ森章太郎先生の人と作品についておうかがいしたいと思います。萩尾さんは、子どもの頃から石ノ森作品に触れていらっしゃったと思いますが、その頃印象に残っていた作品はありますか。
萩尾:はい。小学校の時に、近くに貸本屋さんがあったんですが、何かの本の増刊に「きのうはもうこない だがあすもまた…」(1961年)という作品が載っていて、読んですごいショックを受けた記憶があります。その前後に、「少女クラブ」を定期的に貸本として借りていて、「江美子STORY」(62年)を読んでいました。それから「週刊マーガレット」になると、「おかしなおかしなおかしなあの子」(64年〜)がありました。ちょっと後のほうになると、「ミュータントサブ」と「(サイボーグ)009」に夢中になっていました。
― 「きのうはもうこない だがあすもまた…」でショックを受けたというのは、どういう点だったのでしょう。
萩尾:未来から少女がやってきて、その子が(会うたびに)どんどん大きくなっているという、現在の時間との時間差攻撃というんでしょうか、その発想がものすごく面白くて、すごいなあ、と。小学校2年生くらいから、「幽霊少女」(56年〜)という作品を断片的に読んでいたんですが、それは4次元を扱った話で、閉まっている部屋にどうして入ることができたのかというところにやっぱり時間差(の発想)を使っていて、面白いなあと思いました。それに、絵が可愛かったですよね。
― 石ノ森先生の少女マンガ時代はもちろんですけれど、少年マンガの「009」などでも、女性ファンが多くいましたね。
萩尾:そうなんです。石ノ森先生の線というのは、非常にデリケートで透明感があるんですよ。柔らかくて、それでいてちょっと透き通っているような感じ。そこに、シャープなセンスがある。あるとき、マンガ家になってからの話ですけど、小学館の新人作家の方何人かと一緒に、編集さんとどこかのバーに行ったんですね。そこに、石ノ森先生とさいとう・たかを先生とつのだじろう先生が3人でいらしたんですよ。それで紹介していただいたら、私も含めて、「きゃーっ」という感じで(笑)、みんな手持ちの紙とかに「サインくださいサインください」って。そしたらさいとう先生が、「なんでこいつだけもてるんだ」と言って、怒って服を脱ぎ始めたんです(笑)。
― ええっ!?
萩尾:酔っぱらっていらしたんでしょうね(笑)。
― 少年マンガを描いていても、そのなかに女性に受ける要素、女性の共感を得る部分があったんでしょうね。
萩尾:そうですね。「009」のジョウなんか、中学校・高校時代の私のアイドルでしたし(笑)。まわりのマンガを読んでる子には、石ノ森章太郎が好きだという子がけっこういました。今で言うと、なんか、おたくですけど(笑)。
― どういうところがみなさんを引きつけたんでしょう。
萩尾:やっぱりキャラクターがデリケートですよね。「龍神沼」とか「江美子STORY」とか「おかしなおかしなおかしなあの子」とかを見ても、人間の心のちょっと揺れ動く、泣きどころというかウイークポイントというか、それを優しい感じで物語にするというところが共感を呼んだんじゃないかな。読んでいて、気持ちがいいんです。(作品を手に取りながら)それと、初期のこの「三つの珠」(58年)なんか、今見てもほんとに構図がきれいですよね。読みやすいし。この、いちいち丸い手といい足といい、可愛いなあ。それに、この背景のくにゃくにゃとした木。
― 魅力的なのは、人間だけではないわけですね。
萩尾:ええ、雨から何から全部。情感みたいなものがしみじみありますね。「COM」で、「ファンタジーワールド ジュン」(67年〜)という作品を連載されていたけれど、そういった、情景や情感というものがしみじみとお好きだったんだろうなと思います。……今ざっと考えても、男性作家でそういう情感が出せる人って、少ないじゃないですか。松本零士先生も情感豊かなマンガを描いていらっしゃるけど、女性のファンが多いですね。そういった共通点があるんじゃないかな。やっぱり、女の子はムードから入っていくから(笑)。
― 石ノ森先生は大変SFがお好きで、その中でも(ムードのある)レイ・ブラッドベリがお気に入りだったとうかがっています。SFという、発想の面白さが勝負となるような作品においても、やはりムードなり雰囲気なりを大事になさっていたんでしょうね。
萩尾:怖いものは、「マタンゴ」なんかすごく怖かったし、「おかしなあの子」なんかも半分SFで、いろんな未来グッズが出てきたりして、なかなか可愛らしいものがありました。「サイボーグ009」は、サイボーグ、サイバネティック・オーガニズムという言葉を広めましたね。次々と新しいナンバーが現れて、世界平和のために戦っていく。キャラクターのひとりひとりに過去があって、それがひとつのチームとなっていくというところが非常に面白かったですね。そしてまた、スタイルとか洋服のデザインとかがかっこいいんです。あの時代のひとつのモード、でしょうか。
― 萩尾さんは、「009」を大変お好きで、雑誌を切り抜いて保存なさっていたそうですね。少年キングでの連載が終わったとき(65年)には、ファンレターをお出しになったとか。
萩尾:いやあ、恥ずかしい(笑)。そうなんです、実は。(ミュートス・サイボーグ編の最後で)島が爆発して、みんな生死不明のまま終わってしまったので、それこそ「なんじゃこりゃあ」という感じで(笑)。これはちょっと、続きを描いてくださいって言わなきゃと思って書いたら、たぶんスタッフの方だと思いますけど、お返事をいただきました。
― その幕切れが相当ショックだったわけですか。
萩尾:やっぱり、ハッピーエンドになってほしいとか、これからも世界のどこかで活躍しているとか期待しましたから。そういえば、奥歯をカチッと噛むと加速装置がついて何倍もの速度で走るという設定があったもので、その後、仕事をしているとき、奥歯を噛んで加速装置をつけなければ締め切りに間に合わない!とか言いながらやっていました(笑)。
― のちに、直接お会いになった石ノ森先生ご本人の印象というのはいかがでしたか。
萩尾:私がまだ20歳くらいの頃ですが、石森プロが西武沿線の駅にある頃に、石ノ森先生がちょっと見ていらっしゃる同人誌の方が、喫茶店で集会を開いていたんです。そこに先生が来られたのを覚えています。「ああ、丸い人だなあ」と(笑)。ソフトな印象の先生で、「みんな元気?」とか言って、若い方とお話をするのが楽しくてたまらないという感じでしたね。私はその同人誌はよく知らなくて、ただ石ノ森先生が来る喫茶店があるよというのを聞いて参加させていただいたので、ちょっと隅のほうにいて、ご挨拶をした程度でしたけれど。
― その後、石ノ森先生とは何度もお会いになっていると思いますが、たとえば、77年の「マンガ少年」での対談は、覚えていますか。
萩尾:「さんだらぼっち」とか、時代劇の話をした記憶があります。「佐武と市(捕物控)」とか「さんだらぼっち」とかの時代劇の構図は、すごくきれいだと思います。江戸の風景が浮かび上がってくるような、いらかの波とか。いろんな絵草紙とか、その時代の画家のパロディも中に使っていらっしゃるんですけれど、そういうものも入れ込みどころがすごく良くて、面白いなあと思いましたね。
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