大友克洋 インタビュー(第2回) メッセージトップ>>
●石森先生との奇妙な縁

ー 石ノ森先生は、大友さんの高校(宮城県・佐沼高校)の先輩であるというお話ですが、それは入学してからわかったことだったのでしょうか。

大友:まあ、聞いていましたけどね。あのへんで進学校というと、あの学校しかないですから。きちんと大学に行こうと思った人間は、そこに行くしかなかったんでね。実は、僕のおじさんが生徒会長をしていたとき、石ノ森さんと同級生だったそうですが、何かのときに同級会があって、「石ノ森章太郎におまえのこと言っといたよ」なんて言われて、「いや、いいのにそんなこと言わなくて」(笑)。

ー 石ノ森先生に初めてお会いしたのは、いつ頃のことでしょうか。

大友:初めてお会いしたのは、だいぶあとの話で。講談社漫画賞の審査員を頼まれたときじゃないでしょうか(92年)。そのとき石ノ森先生もまだ審査員をなさってました。ほかに、ちば(てつや)先生とかね。あのときは、不思議な感じがしましたよ。

ー どういった印象でしたか。

大友:最初は、ちば先生とか、そういう先生方といて、「あ、よろしくお願いします」と話をしたくらいで。そのときは、こっちも緊張してましたから。2回目か3回目ぐらいのときに、授賞式のときだったかな、エレベーターが一緒になったんです。それで、近頃の気候がどうだこうだという話をして「ああ、そうですね、雨が降りそうで降らないですよね」と、何でもないふつうの会話をしているときに、「なんか、すげえな、これ」って思いましたね(笑)。石ノ森先生と季節の話題を話しているオレって何?みたいな(笑)。すごく不思議な感じがしたんですよね。

ー それまで一読者として見てきた相手と、間近でそういう話をできるようになったわけですからね。

大友:ほんとはもっと、ふつうにお酒を飲むとかすればよかったんでしょうけど。むこうもお忙しいですしね。手塚さんのときもそうですね。お会いする機会はあるんですけど、個人的に酒飲むとかはなかったです。

ー 大友さんがアニメーション映画に初めて関わったのは、石ノ森先生の「幻魔大戦」(83年)のキャラクターデザインだと思いますが、そのときは、主に監督のりん・たろうさんとお話されたんですね。

大友:そうですね。映画は大変なんだなと思いました。初めてだから、アニメーションのスタジオに行ったりしてね。みんながすごく絵が上手いことに驚きました。やっぱりあれも、時代があって、さすがに石ノ森さんの絵じゃしんどいかなということで僕になったんだと思います。これはほんとうに難しい話なんですが、手塚さんの「メトロポリス」(01年・脚本で参加)という作品を以前やりましたけれども、(監督の)りんさんと、手塚さんの作品をやるんだったらやっぱり古い絵のほうがいいですよね、という話は前にもしてるんですよ。手塚プロが新しく作るのはつまんない。なぜかというと、変に今に合わせようとするから良くないよ、と。そうじゃなくて、昔手塚さんが描いてた絵がいいよね、という話をするんです。手塚さんにしてみれば、若い頃の絵というのは、ディズニーの影響が大きいので、手塚さん自身は嫌いなんですよ。でも、僕らが見ると、たしかにディズニーっぽいんだけど、そういうのがいいわけです。だから、石ノ森さんの作品も、古い絵でやってほしいわけですよ。この前やっていた、「サイボーグ009」のアニメーションは、古い(絵柄の)感じを出していてよかったですね。(「龍神沼」の)こういう絵は、古いって言われるかもしれないですけど、ここまで行くと、かえっていいんです。それを新しくしようとするからダメなんですよ。これで素晴らしいのにね。自分も昔の絵は大っ嫌いで、本を出したくないですけど、人に言わせれば、それがいいっていうこともあるでしょう。

ー 昔、石ノ森先生の「幻魔大戦」のアニメ化に関わり、近年は手塚先生の「メトロポリス」にも関わられましたが、ご自身が子どもの頃に好きだった作品を手がける思いというのはいかがでしたか。

大友:そうですね。「幻魔大戦」とか、古い作品に接するのはいいですね。そういう機会がないと読まないというのもありますが。普段は小説ばかり読んでますから、たまに、自分の子どもの頃にすごく面白がって読んでいたものを読むと、当時を思い出しますね。「マンガ家入門」を読んでいたときとかの感じが甦りますね。

ー 生前の石ノ森先生のマンガ家生活をかいま見たりしたことはありましたか。

大友:それは全然ないですね。ずっとファンのままで終わりました(笑)。僕らにとっては、石ノ森さんとか手塚さんとか藤子さんとか、トキワ荘(出身)の人たちは別格ですからね。一緒に酒を飲むということさえもあまり考えられない感じですね。

ー 子どもの頃には、よく鉄腕アトムやオバケのQ太郎やサイボーグ009などをお書きになっていたそうですね。

大友:そりゃまあ書きますよ、鉄腕アトムもオバケのQ太郎もテレビでやってましたから。009は好きでしたね。やっぱり、絵がすごくかっこよかったですよ。マンガをああいうふうにかっこいい絵にしたのは、石ノ森さんかもしれないですね。描いてみたいなと思うんです。オバケのQ太郎やドラえもんを描くのと、009を描くのは違うわけ。009はかっこいいんですよ。その当時、そういうかっこ良さというのはあまりない。横山光輝さんも、あそこまではかっこ良くないですからね。

ー ちょっとまた違う路線ですね。

大友:石ノ森さんは、ビジュアルなんですよ。まあ、マンガ上のビジュアルなんですけど、それがすごく良く描けていたということですね。石ノ森さんのマンガは、一枚絵が成立できたんですよ。マンガというのは一枚絵で成立するものではない、一枚絵である意味さえなかった頃に、すでに一枚絵を目指していたところがありましたね。だから僕らも石ノ森さんのマンガに惹かれていたんでしょう。あまり考えたこともなかったんですけど、今考えるとそういうことかもしれないですね。

ー 石ノ森先生の絵には、色っぽさもありますね。

大友:色っぽいですよ。すごくセクシーな感じがしますね。そういえば、昔、石ノ森さんの女の子の絵で、変な髪型をしてるのがあったんですよ。なんでこんな髪型なのかなあと思っていたら、あとで、ヘップバーンの「おしゃれ泥棒」かなんかの影響だとわかった。石ノ森さんは、すごく映画を見てるから、そういう新しい感覚があったんでしょうね。それは、パクったとか言う人もいるでしょうけど、見てすぐにこれだなと感じる、石ノ森さんの中にすでにそういうセンスがあるんです。非常にモダンなセンスを持っていた人だと思います。だから不思議なもので、僕も、「あんなド田舎で生まれてなんであんなマンガを」と言われるんですが、そのときは「石ノ森さんもいるからいいんだよ」と答えています(笑)。なまじ何もないところだからそういうことになるんでしょうね。だけど別に、田舎に生まれて(都会に)憧れてるということじゃないんですよ。僕も違うし、たぶん石ノ森さんもそうだと思うんだけど、憧れてるとこういうふうにはならないんですよ。こういう感覚がすでにないと描けないんです。憧れると、もっと悲惨なことになる。そういう嗅覚のようなものが発達していたということ。非常に頭のいい人だったし、センスの良い人だったと思います。僕はそうでもないですけど(笑)。

今回はインタビュー動画はありません

<< 前のインタビューへ 次のインタビューへ >>
▲ Page top
森章太郎とは? | 作品の紹介 | 大全集の紹介 | 予約特典 | ご注文ガイド | 立ち読みコーナー
トップページ | 動画インタビュー | 応援メッセージ | 私の石 | お問い合わせ | 個人情報保護方針 | サイトマップ