― このたび、石ノ森章太郎萬画大全集の発刊を記念しまして、石ノ森先生との思い出をお聞きしたいと思います。まず、大友さんの子どもの頃からの石ノ森体験をおうかがいしたいのですが。
大友:「快傑ハリマオ」(60年)とか、「幽霊船」(60年)とか、この頃の作品をよく読んでいましたね。あの頃は、少年画報と少年と冒険王、ぼくら。そういう月刊誌を学校の友だちが1冊ずつ買って、回し読みしていました。懐かしいですね。
― 大友さんは、石ノ森先生の「龍神沼」に大変思い入れがあるそうですが、この作品はいつごろお読みになったんでしょうか。
大友:「龍神沼」を最初に読んだのは、「マンガ家入門」ですね。でないと読めないじゃないですか(笑)。
(注:「マンガ家入門」は、石ノ森章太郎が自作品をテキストとしてさまざまなジャンルのマンガの描き方を解説した本で、ストーリーマンガのテキストとして、「龍神沼」が全編収録されている)
― 少女マンガですからね。
大友:(資料を見ながら)実は、最初どの雑誌に載ったのかもよくわかってないんです。朝日ソノラマのサン・コミックス版は持っていましたけど。61年掲載(「少女クラブ」)ですか。まず、「竜神沼の少女」(57年)という元になった作品があって、さらに完成形を作っているんですね。すごいですよね。ふつう、1本書いたら(同じ話で)2本書きませんよ。
ー 「マンガ家入門」で「龍神沼」をお読みになったときのインパクトというのは、具体的にはどういったところだったんでしょうか。
大友:いやあそれは素晴らしかったですよ。マンガというのはかくあるべきだという見本でもあるわけですけど、これは非常に、映画の作り方を意図されているんです。日本のマンガでは、手塚さんが映画の表現を取り入れはじめたので、それに準じたということなんでしょう。「龍神沼」をどういう意図で描いたのかということは、(「マンガ家入門」には)書かれていないんですが、もしかしたら、こういう解説をしているのと同じような、作品に対する実験として描かれたのかもしれないですね。前に1回下書きのような作品があって、それをさらに詩的に高めているような感じがしないでもない。だからすごくちゃんとしていますよ、解説も含めて。自分で、映画的な手法であったり、いろいろ考えていることを実際にやってみようと取り組んでみた作品なんじゃないかなと思います。でないと、こんなふうに、解説が書けるようにマンガを描けないですよ、ふつう(笑)。それはすごいですよ。また、「龍神沼」を見ると、(石ノ森先生が)いかにきちんと映画を見ていたかということがわかりますね。このくらいきちんと解説が書けるぐらい、映画を分析しながら見ていたということですね。
ー 大友さんが「マンガ家入門」をお読みになった頃は、ご自身でもマンガ家というものを意識されていたのでしょうか。
大友:「マンガ家入門」は、ほとんど出たときに買っていると思いますけど、小学校かな。すごく読んだ本でした。ただ、マンガ家になりたくてとかじゃなくて、単に石ノ森先生の本を読みたいというだけだったと思います。いい本でしたけど、まあ、これ読んでマンガ家になれるとは思っていませんでした(笑)。それよりは、石ノ森さんの考え方だったり、物の見方だったりを知りたかったんじゃないでしょうか。その頃僕は石ノ森さんが大好きでしたからね。いや、あの頃はみんな(石森さんが)好きでしたけど。石ノ森章太郎といえば、ほとんど買っていました。石ノ森さんの単行本がいちばん多かったですね。ぼくは手塚さん(の影響)もあるんですけど、石森さんのほうがもしかしたら影響は受けているかもしれない。すごく好きでしたし、石ノ森さんのマンガは、すごく映画的だったんです。
ー 手塚さんの映画的手法をある意味深化させたようなところがありますね。
大友:そうですね。手塚さんがマンガを映画的にしたというのは、旧態然とした「のらくろ」のようなマンガから、カメラワークが付いたという点なんですけど、石ノ森さんの場合は、カメラ自体がさらに、望遠であったり、いろんなレンズを使えるようになって、すごく深化しているんですよ。そして、叙情的なシーンとして、風景をきちんとマンガの中に描くということをした。それが石ノ森さんの素晴らしいところだと思います。マンガの中で、ほとんど風景だけでコマを成立させているんです。ふつうは話を追いかけるのがせいいっぱいですから、(「龍神沼」に出てくるような)蜘蛛の巣で不安な心情を表すとか、心理描写として背景を使うなんて、なかなかできませんよ。手前の木と人物がシルエットになっていて、向こうの山が明るいという夕景にしても、見ればそれは美しいですけど、ふつうはこの大きさを使って描けないと思います。手塚さんは、そこまではやらなくて、ストーリーだったり、構成のほうに行っちゃうんですけど、石ノ森さんは、1コマの絵を非常に情緒的に書くということをされたのが素晴らしい。だから僕らはみんな、かっこいいなあと思ったんです。「のらくろ」から「鉄腕アトム」へとマンガを発展させた手塚さんを、石ノ森さんたちが素晴らしいと思ったように。僕らにしてみれば、手塚さんというのはもうすでにいた人なので、手塚さんに感動するというのはなかなか難しいんですよ。その当時は手塚さんのすごさがいまいちわかってなかったですね。僕らの中では、石森さんだったんですよ。石森さん(の活躍)がリアルタイムでしたから。僕は今のマンガ家をあまり知らないですけど、こういうふうにきちっとした情緒を描けるマンガ家は、いまだにいないんじゃないでしょうか。
ー やはり石ノ森先生は革命的だったんでしょうか。
大友:ビジュアルなんですよ。ビジュアルのはしりでしょうね。石ノ森さんの影響を受けた少女マンガ家が多いというのは、そういう理由かもしれない。ビジュアルが素晴らしい。結局、今の竹宮(惠子)さんとか、あのへんの人は、みんなこれから始まっていますから。萩尾(望都)さんの吸血鬼もの(「ポーの一族」)とかも、みんなそうですね。
ー 「マンガ家入門」には、プロになれるなれないというより、マンガ家の秘密を知るような楽しみ方がありましたね。
大友:それは、一般的な入門書における意味ですからね。「あなたも写真家になれる」とかと変わらないと思いますよ。結局、マンガ家になるためには、オリジナルを書かなきゃいけないということになるので、人の描き方を見ても本当はしょうがないわけです。一度僕にも、マンガ家入門を書きませんかという話がありましたけど、最初に、大友克洋のマンガの描き方を見ても大友克洋にはなれない、やめたほうがいい、ということを書かなきゃいけない。そういうことですよ。石ノ森さんの「マンガ家入門」で素晴らしいと思うのは、石ノ森さんでさえもあまりやらないような表現をしていることです。一般的な映像表現のあり方について、「龍神沼」を描かれているので、それは非常にテキストになり得る。個性的な人間は、自分のことしか書けないから、マンガ家入門は書けないわけです。だから石ノ森さんはすごく一般化してるんですよね。これ(「龍神沼」)は、すごく客観的に映像表現ということについて描いた作品だったんだと思います。
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