蕨市の比人一家 きょう仮放免期限(02.27東京新聞)

蕨市の比人一家 きょう仮放免期限

「3人一緒で日本に」

不法滞在は罪、でも娘と離散は…

家族離散か、生まれ育った日本との別れか−。埼玉県蕨市に住むフィリピン人の中学1年カルデロン・のり子さん(13)一家は今日、一時滞在を認める仮放免の期限を迎えた。正規の在留資格がない外国人に対する在留特別許可。この取得を一家は望む。だが、明確な基準がない中、同様のケースでも司法の判断はまちまちだ。支援者たちは「子どもの教育を第一に」とハードルを下げるよう訴えている。

(さいたま支局・望月衣塑子)

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「両親が帰るとみんな離ればなれになってしまう。でも(親子)3人の帰国も考えられない」

東京・霞ヶ関の司法記者クラブで26日、のり子(カルデロン・ノリコ・ビオラ)さんは父のアランさん(36)、母のサラさん(38)とともに記者会見した。東京入国管理局は今月13日、両親には帰国日を決めるよう通知し、のり子さん1人なら在留特別許可を認めることを示唆した。

この会見の前夜、一家の自宅を訪ねた。2DKの古いマンションの一室。一家は最後まで希望を捨てたくない、と荷造りはしていない。のり子さんも普段通り通学し、この日は中学3年生の送別会で踊るダンスの練習にも参加したという。

彼女の机には中学の教科書や辞書が並ぶ。小学校のころ、50冊の本を読んだご褒美に、と校長先生が送ってくれた「50冊ひらくのり子の夢」という色紙もあった。

のり子さんは日本語しか話せないという。つまり"母語"。「勉強は好き。友達がいる学校はとても楽しい」と話す。

母のサラさんはこのところ眠れないという。「なんとか家族で残らせてほしい」と涙した。父のアランさんも「自分の責任であり罪は償わなくてはいけないが」と不法入国した過去を責めた。

あらためて一家の歴史を振り返る。親の病気から家族を支えるため、長女のサラさんは偽造旅券で1992年に日本に入国、弁当店やクリーニング店で働いた。サラさんの幼なじみのアランさんも後を追い同様に入国。建設会社に勤めた。

2人は93年に結婚。在京のフィリピン大使館に届け、間もなくのり子さんが生まれた。出生届は当時、住んでいた同県川口市に提出した。

しかし、2006年7月、職務質問からサラさんが不法滞在容疑で逮捕された。妻が拘置されていた約1年3カ月間、「お目こぼし」扱いを受けたアランさんは夜中に工事現場で働くときは、会社のトラックでのり子さんを寝かしつけた。

 

残る望みは法相の許可

その後、一家は同年11月に強制退去処分を受ける。「娘の将来のために」と入国管理局に仮放免を申請する一方、退去処分の取り消しを求める訴訟を起こしたが、昨年9月に最高裁で処分が確定。いままで仮放免を20回重ねてきたが、それも限界に達した。

残る手段は法相の権限である在留特別許可しかない。これを実現するためにのり子さんの友人たちが集めた嘆願署名は約19,700人分になった。一部は既に提出済みだが、27日に再び法相あてに提出される。


在留特別許可、年7000件超

あいまい基準で明暗

支援者ら「子どもの幸せ優先を」

この在留特別許可の件数は近年、飛躍的に増えて年間7,000-10,000件に達する。この中には「日本で生まれ育った子どものため」という今回のようなケースも含まれる。

在留特別許可の取得を支援している市民団体「アジア民衆友好協会(APFS)」(東京都板橋区)では、不法滞在者の両親を持つ小学生以上の子どもたちは全国に100人程度と推計している。

問題はこうしたケースで日本の在留を認めるか否かの基準が曖昧で、司法における判断もまちまちだという点だ。

たしかに法務省は2006年10月、在留特別許可についてガイドラインを示している。許可を認める要素では@日本人や永住者との結婚、A難病、疾病などで日本での治療が必要、B難民認定された、C人身売買の被害者−など。逆に認めない要素は@過去に退去強制命令を受けた、A不法就労の助長や集団密航などの犯罪にかかわった−などだ。

これに加え、子どもが中学生以上なら認めやすいという点も暗黙の基準になっている。だが、実際には裁判官によって明暗が分かれる。

退去命令時の年齢がのり子さんと同じ10歳だった少女とフィリピン人の両親に在留特別許可が認められたケースがある。

この一家の強制退去処分取り消し訴訟で東京高裁は07年9月、取り消しは認めなかったものの「日本で生まれ育った少女の教育を奪う機会を失わせ、将来の夢を断念させるのは見るに忍びない」と判決に付言。この結果、昨年1月に法務大臣が在留を許可した。

外国人政策に詳しい立教大の鈴木江理子講師は「原告敗訴とはいえ、付言がついたことは画期的だった」と評価する。

一方、のり子さん一家は一審、二審とも付言もなく敗訴。付言がついた先の東京高裁の審理では子どものビデオレターが証拠採用されたが、のり子さん一家のケースでは彼女の証言機会さえ与えられなかった。

のり子さん一家を支えている渡辺彰吾弁護士(東京)は「昨年の付言のケースがあったので希望を持ってきた。許可に明確な基準がない中で、なぜ似たようなケースで結果がこう違うのか。のり子さんの教育を受ける権利が全く認められず、やりきれない」と語る。

前出の市民団体「APFS」の吉成勝男相談役は「どんな裁判官に出会うかで結果が違ってくれば、逆の意味で不平等だともいえる」と指摘。

「非正規滞在者は建築現場などの労働現場で低賃金でも仕事を続けているが、経済情勢が悪化する中で、非正規滞在者を排斥しようという空気ができつつあるように感じられる」と懸念する。

家族で1999年に出頭、在留特別許可を得たイラン人男性は「以前は捕まることが怖くて外出できなかった。現在は家族で遊びにいける。国民健康保健にも入れ、病院にも行け、車の免許も取れた。子どもの顔も明るくなった」と喜ぶ。まさに明暗くっきりだ。

外国人問題に詳しい龍谷大学の田中宏教授(経済学)は「許可を与えることは結果的に『不法滞在者』を減らす。地域に溶け込み、重罪を犯さずに仕事を持ち、家族を支える外国人は多い。法務省は日本で生まれ育った子どもの最善の利益を考えてほしい」と訴える。

父のアランさんは不安にあらがうように、取材の最後にこう告げた。「たくさんの人々に支えてもらい幸せ。本当に感謝しています。


在留資格と在留特別許可

外国人の在留資格は@外交官や画家、記者、大学教授など職業に応じて認められる資格、A短期滞在や留学など就労が認められない資格、B日本人の配偶者や難民など身分や地位に基づく資格−などに分けられる。

在留特別許可はこれらのいずれにも該当しない不法入国者や不法滞在者に例外的に在留を認める制度。法相が許可すべき理由があると判断した場合にのみ認められる。