正確な日本語
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語は正確な意味を知って使う 語にはそれぞれ意味がある。 意味を正確に知らずに、うろ覚えで語を使うと、結果的に意味不明な文になったり、珍妙な文になったりする。 (1)「沈黙」と「無言」 「沈黙」は、「沈黙を破った」などと使われるように、「口をきかないでいること」の意味。 これに対して「無言」は、「一切話さないこと」の意味で、「無言の行」などと使われる。 (2)「佳境」と「ヤマ場」 「佳境」は、「物事が進行して最も興味深くなるところ」の意味。 これに対して「ヤマ場」は、「(進行している)物事の最もさかんな(重大な)場面」 例えば、「A君とB君との神経戦は「佳境」に入ったといえよう。」という文はおかしい。 この場合は、「ヤマ場」を用いるべきである。 (3)「しほうだい」と「しっぱなし」 「ほうだい」は、動詞の連用形や助動詞「たい」について、「自由に存分に行う」という意味の接尾語である。 これに対して「しっぱなし」という接尾語は、「そのままにしておく」という意味である。 例えば、「雨でも降れば身を寄せるところもなく、観光客はぬれほうだいというあんばいだった。」という文はおかしい。 観光客は自分から進んで雨に濡れているわけではない。 「ぬれっばなし」とすべきである。 (4)「〜ごと」と「〜おき」 「ごと(毎)」は「そのどれも。そのたびに。いつも。」という意味。 これに対して「おき」という接尾語は、数や量を表す語について、その数量だけ間を隔てることを表す。 例えば、「今年は1年ごとのマスの豊漁年にあたる」という文はおかしい。 「1年ごとの豊漁年」では、毎年が豊漁年ということになる。 「1年おき」とすべきである。 (5)「思う」と「考える」 「思う」は、「故郷を思う」「はるかなベネチアの都を思う」「不満に思う」など。 「考える」は、「問題を考える」「万が一の場合を考える」「段取りを考える」など。 どちらでもよい場合、「私はこうしようと思った」「私はこうしようと考えた」など。 「思いこむ」は、1つの考えを心にもったときに、それ1つを固く信じて他の考えをもてないこと。 「考えこむ」は、問題に関わって、あれこれとしきりに考えをめぐらして止まらないこと。 「思い出す」は、1つの記憶を心の中によみがえらせること。 「考え出す」は、あれこれ工夫して新しい考えを生むことである。 「思い知らせる」「思いとどまる」「思いおこす」は、自分の心の中にある1つの気持ちを相手に分からせたり、抑えたり、引っ張り出したりすること。 すなわち、「思い」とは、胸の中にある1つのことをいい、1つのイメージが心の中にでき上がっていて、それ1つが変わらずにあることである。 これに対して、「考える」とは、あれかこれか、ああするか、こうするかと、いくつかの材料を心の中で比べたり、組み立てたりすることである。 すなわち、胸の中の2つあるいは3つを比較して、これかあれか、こうしてああしてと選択し構成することである。 (6)檄を飛ばす 「檄を飛ばす」は、本来、「自分の主張や考えを、広く人々に知らせて同意を求める」という意味である。 しかし、文化庁の国語世論調査では、この本来の意味を選択肢から選んだのはわずか「14.6%」であった。 「74.1%」の人が、「元気のない者に刺激を与えて活気付ける」ことと理解していた。 もっとも、岩波書店の広辞苑でも、1991年発行の四版から「刺激して活気付ける」の意味が加えられている。 (7)姑息 「姑息」は、本来、「一時しのぎ」という意味である。 しかし、文化庁の国語世論調査では、この本来の意味を選択肢から選んだのはわずか「12.5%」であった。 「69.8%」の人が、「ひきょうな」という選択肢を選んだ。 (8)憮然 「憮然」は、本来、「失望してぼんやりしている様子」という意味である。 しかし、文化庁の国語世論調査では、この本来の意味を選択肢から選んだのはわずか「16.1%」であった。 「69.4%」の人が、「腹を立てている様子」という選択肢を選んだ。 (9)取り付く島がない 「取り付く島がない」は、本来、「つっけんどんで相手を顧みる態度がみられない」という意味である。 しかし、文化庁の国語世論調査では、これを意味する言い回しとして、「取り付く暇がない」を選んだ人が「42.0%」もいた。 (10)押しも押されもせぬ 「押しも押されもせぬ」は、本来、「実力があって堂々としていること」という意味である。 しかし、文化庁の国語世論調査では、これを意味する言い回しとして、「押しも押されぬ」を選んだ人が「51.4%」もいた。 (11)的を射る 「的を射る」は、本来、「物事の肝心な点を確実にとらえること」という意味である。 しかし、文化庁の国語世論調査では、これを意味する言い回しとして、「的を得る」を選んだ人が「54.3%」もいた。 「当を得る」と混同しているようだ。 (12)「生産」と「製造」 「生産」は、生活に必要な物を作り出すこと。 「製造」は、原料を加工して商品をこしらえること。通常、大規模な設備で一定のものを大量に造ること。 「製作」は、物品を作ること。大量生産でもよいが、個性的なものを作る場合にもいう。芸術作品・番組などを作る場合には「制作」を用いる。 「作製」は、通常、物品を作る場合で、書類・計画などの場合は「作成」を用いる。大量生産の場合には普通使用しない。 発音の仕方 文化庁の国語世論調査では、2通りに発音される10語について、どちらが多数派か調べた。 (1)世論 「せろん」18.9%、「よろん」73.6%。 (2)重複 「じゅうふく」76.1%、「ちょうふく」20%。 (3)情緒 「じょうしょ」14.9%、「じょうちょ」82.2%。 (4)固執 「こしつ」73.7%、「こしゅう」19.5%。 (5)施策 「しさく」67.6%、「せさく」26.1%。 (6)早急 「さっきゅう」21.2%、「そうきゅう」74.5%。 (7)地熱 「じねつ」43.3%、「ちねつ」52.4%。 (8)十匹 「じっぴき」23.3%、「じゅっぴき」75.1%。 (9)3階 「さんかい」35.7%、「さんがい」61.2%。 (10)あり得る 「ありうる」39.8%、「ありえる」54.5%。 「ノダ」「ノデス」「ノデアル」 ノダ・ノデス・ノデアルの第一の用法は、その前の文を受けて説明するときである。 従ってこの用法のときは、前の文章と内容と密接につながっている。 例えば、文の頭に「ナゼナラバ」が付くような場合である。 ・彼はびっくりして立ち止まった。(ナゼナラバ)20年前の恋人が眼前にすわって雑誌を見ているノダ。 ノダ・ノデスの第二の用法として強調や驚きの表現もある。 例えば、文の頭に「オドロクナカレ」が付くような場合である。 単にダ・デス(ノダ・ノデスからノを抜いたもの)を強調に使う場合もある。 ・新聞をひらくとまずさしえから見ていく私です。 サボリ敬語 例えば「あぶないですから白線までさがってお待ち下さい」というような掲示が駅のホームに出ている。 この「あぶないです」や、イナカ言葉の「死んじまっただ」、軍隊用語の「小さすぎるであります」とかいった用法は、文法的に間違っている。 助動詞の「ダ」と「デス」は、接続は次の3種類に限られる。 (1) 体言(名詞・数詞等)に。 (2)「の」などの助詞に。 (3) 未然形と仮定形だけが、動詞・形容詞および動詞型活用の助動詞・形容詞型活用の助動詞・特殊型活用の助動詞の、それぞれ連体形に。 ということは、用言(活用する語)のあとに「ダ」や「デス」の連用形・終止形・連体形は接続しないということである。 「あぶないです」「死んじまっただ」「小さすぎるであります」はすべて違反だ。 「うれしいです」「悲しかったです」「よかったですか」等々も同様である。 「ケ」は「个」の当て字 「1ヶ月」「5ヶ」「2ヶ所」という表記をよく見かける。 「ケ」と書いて「カ」と読ませるのはなぜか? 実は、これは「个(個と同じ意味で「カ」または「コ」と読む)」からきている。 行書(草書)で書くと「ケ」に近い文字になるところから「ケ」で代用したのが事の始まりである。 「ケ」には本来「カ」という読みはないため、年月では「カ」「か」、物を数えるときは「カ」「か」「個」「箇」を使った方がよい。 (1)1ヶ月 → 1か月、1ヵ月 (2)5ヶ → 5個 (3)2ヶ所 → 2箇所、2ヵ所、2か所 「はじめ」「ほか」「おきに」「や」 (1)「はじめ」「ほか」「など」 「はじめ」や「など」は、その前の事柄を含む。 「ほか」は、その前の事柄を含まない。 例えば、次のような言い換えが可能である。 ・「aをはじめとした3種類のAを持っている」→「aなどの3種類のAを持っている」 (他にも「aを中心に広範囲にわたって」という言い方がある) ・「aのほかに3種類のAを持っている」→「aなどの4種類のAを持っている」 (2)「おきに」 「おきに」は、次のように言い換えることができる。 ・「1ヵ月おきにチェックしてください」→「2ヵ月に1度チェックしてください」 (3)「や」「および」「または」 「や」は、「および」「または」のどちらの意味にもとれる。 例えば、次の文は2種類の意味が考えられる。 ・「部品Aや部品Bを使って作る」→「部品Aと部品Bを使って作る」または「部品Aまたは部品Bを使って作る」 範囲を示す用語 範囲を示す「以〜」は基準の数値を含み、「〜前」「〜後」は基準の数値を含まない。 (1)「以上」「以後」「以降」「から」 これらはいずれも基準の数値を含み、それよりも大きな数値であることを表している。 (2)「以下」「以前」「以内」「まで」 これらはいずれも基準の数値を含み、それよりも小さな数値であることを表している。 電車に乗っていると、「この電車は、京橋まで止まりません」という案内放送が流れてくる。 しかしこれは、「京橋(に止まる)まで(途中の駅には)止まりません」の略語であり、正確な日本語ではない。 こうした表現は誤解を招くため、案内放送を肯定形(〜に止まります)に変えるよう検討されている。 (3)「〜前」「〜後」「あと」「〜を超え」「〜未満」 これらはいずれも基準の数値を含まない。 横書き パソコン(ワープロ)が普及したため、最近は横書きの文書が増えてきた。 縦書きには、慣例で決まった書き方がある。 本文の後に日付と差出人名、左上に相手の名前を書き入れる。 これをそのまま横書きに当てはめると、相手の名前が手紙の左側最下部に来てしまう。 縦書きでは、相手の名をできるだけ高い位置に書くのが礼儀にかなう。 だから本文でも行末になりそうな時はあえて行替えして上に書くべきだとされる。 横書きだからといって最下部に置くのでは、相手に違和感や不快感を与えかねない。 公用文の場合、半世紀前に文部省(今の文部科学省)から横書きの書式が示されている。 上から順に、まず右肩に文書番号と日付、その下段左寄りに相手の名を、発信者の名前はその下の右寄りに書く。 そして、発信者名の下の中央に文書のタイトルを書き入れ、行を変えて本文に入る。 とはいえ、私信では、英文の手紙のように本文の後に日付や差出人名を書くことも多い。 縦書きのときほど明確な決まりはないようだ。 ただし、横書きのときでも相手の名や社名、祝いの言葉などに関しては、二行にならないようにした方がよいことは言うまでもない。 ら抜き言葉 最近、”ら抜き言葉”を使う若者が多いと、批判めいた記事を良く見る。 しかし、言葉は、同じ意味の言葉は同じように、違った意味の言葉は違ったように言うことが合理的である。 ら抜き言葉で、「見れる」といった場合、「見ることができる(可能)」という意味にしかとられない。 これに対し、「られる」を使うと、”可能”のほかに、次のような意味にもとられることがある。 例えば ・お客に来られる(受身) ・いつ来られますか(尊敬) などである。 そういった意味では、「ら抜き」を使うのが自然といえる。 昔は、”書ける”を”書かれる”、”読める”を”読まれる”と言っていたそうだ。 関西では、今でも”書かれへん””読まれへん”と言う人が多い。 尊敬語と謙譲語 駅のホームでこんな案内放送が流れてくる。 「3番線に到着の電車は回送電車です。どなたも、ご乗車できません」 しかし、これは正しい日本語ではない。 「ご乗車できる」は「ご乗車する」の可能形である。 「ご(お)〜できる」は、「ご用意できます」や「お調べできます」のように、自分の行為をへりくだって表す謙譲表現だ。 また、例えば「今からご報告できます」と声をかけたら、「報告する」のは声をかけた人間である。 ただしここでの例では、「ご乗車できる」という謙譲表現自体が一般に使用されず、成立しにくいと考えられる(「入場」「鑑賞」も同様)。 すなわち、上の文は、正しくは、尊敬表現の「ご乗車になれません」か、もしくは「ご乗車が(は)おできになりません」かである。 単純に「お(ご)」さえ添えれば敬語表現になるわけではない。 それどころか、後に続く「する」「になる」を誤ると、礼を失する結果を招く。 電車内で「車内での通話はご遠慮下さい」というアナウンスを聞くことがある。 この文では、「遠慮」という部分が気になる。 「遠慮」は「他人に対して、言葉や行動を控えめにする。気兼ねしてでしゃばらない」という意味で、自発的に行うものである。 また、「ご遠慮」が丁寧・遠回しの表現であるにもかかわらず、「下さい」という命令形であるのはバランスが悪い。 同じ命令形なら「通話はおやめ下さい」あるいは「通話をお控え下さい」と言ったほうがバランスがよい。 相手に尊敬を表すとき、「○○様」と呼ぶことがある。 この「さま」は、「横ざまから吹き付ける雨」「逆さま」など、方向や方角を示す言葉でした。 身分の高い人に対し、「その人のいる方向」との意味合いで、名前や職名に付けるようになったようです。 高い敬意を込めて使い始めたのは室町時代からです。 例えば、「お客様」「お医者様」「お母様」「お嬢様」「奥様」といえば、確かに「さん」よりも格式張った言葉遣いに感じられる。 ところが、この使い方がすべてに当てはまるわけではない。 「先生」「長官」「社長」「市長」など、敬称の役割を果たす職名につけるのは重複表現である。 「先生様」「長官様」「社長様」では、相手を侮っているようにも聞こえかねない。 一般的な職業を様呼びすればなおさらである。 例えば、「銀行員様」「店員様」「記者様」「刑事様」...。 最高級の敬意を示す「さま」は、使い方を誤れば逆効果を招くことにもなるのだ。 社内・社外文書や手紙類の宛名で、「○×株式会社御中」に続けて、「○△部 山田太郎様」と書いたものをよくみかける。 「御中」は会社・官庁・団体などの組織あてに文書を出すときに用いられる語で、宛名の下に書き添えて敬意を表す。 明治以前に使われていた「人々御中(ひとびとおんなか)」の省略形を音読みしたものといわれる。 だが、取引先の会社の担当者にあてて文書を出す場合は、組織名はいわば住所の一部。 「○×株式会社 ○△部 山田太郎様」で十分である(「御中」は必要ない)。 「御中」と「様」の重複は避けるべきだ。 「〜していただく」は、「〜してもらう」の意で、へりくだって敬意を込める謙譲表現に使われる言葉である。 もともとは、「頭にのせる」「高くささげる」という意味だったそうだ。 また、「いただく」を単独で用いる場合は、「もらう」「食べる」などの意味を持つ。 たまに、ホテルなどで「お名前をいただけますか」と言われる。 これは、「お名前を書いていただけますか」の「書いて」を省略したものだと思うが、これでは「お名前をもらえますか」という意味になってしまう。 このように、文の一部を省略することによって、謙譲表現まで省略されてしまうことがあるのだ。 謙譲表現「いただく」について考える。 例えば、お客様用の広告に「ご利用いただけます」という表現がある。 これは、利用されたいお客様に「私たちはこれらのサービスを提供できます」と伝える表現である。 しかし、これに違和感を感じる人もいる。 「いただく」は、「〜してもらう」の謙譲表現で、「ご利用いただく」は「利用してもらう」の意味である。 「ご利用いただけます」は、「ご利用になっていただけます」の「になって」が省略されたものと考えられる。 違和感を感じる人は、この省略表現を理解できなかったからであろう。 もし、「ご利用していただけます」と言えば、これは失礼である。 「ご〜する」は謙譲表現の公式で、「〜する」人がへりくだるときに使う用法だからである。 違和感を感じる人は、「ご利用していただけます」の「して」が省略されたものと感じるのかもしれない。 「ご利用していただけます」に代えて、「ご利用が可能です」「ご利用になれます」などにすれば、こうした誤解を招くこともないだろう。 ウチ・中立・ヨソの3つに分類する。 例えば、「名前」はウチ、「氏名」は中立、「お名前」はヨソといった具合だ。 他にも、「まいります−来ます−いらっしゃいます」など。 ウチは謙譲語、ヨソは尊敬語にあたる。 見積書などを要請する文章の一例として、「ご提出いただきますようお願い申し上げます」という文がある。 では、一日も早く返事をもらいたかったら、これをどう書き添えればよいだろう。 もしここで、「できるだけ早く返事がほしいので」と書いたとしたら、後に続く「お願い申し上げます」という文と釣り合いが取れない。 相手に無理強いするような文言ではなく、しかも率直にこちらの希望を伝える文章が望ましい。 模範回答の文例は「至急ご回答いただきたく存じます」である。 祝辞などで、しばしば「これをもって私のあいさつに代えさせていただきます」と締めくくる人をよくみる。 「代える」は「あるものに他のものと同じ役目をさせる」の意味がある。 「あいさつに代える」には、「以上簡単だが」「はなはだ意を尽くせないが」「まことに租辞だが」などの言い訳が付くのが本来である。 本来は、例えば感謝やおわびだけを短く述べて、代わりにするということだったのだ。 目上の人に対する手紙に「○○先生へ。こんにちは」と書く人がいる。 しかし、「○○へ」はもともと身内の、しかも目下の相手に使う言葉である。 手紙は、「拝啓」で始まって「かしこ」「敬具」などで締めくくるのが型どおりのスタイル。 格式張った言い回し「前略ごめんくださいませ」「格別のご指導を賜わり」「私も元気で暮らしておりますので他事ながら御休心ください」はかえって堅苦しくなってしまい好ましくない。 間違った敬語としては、「お客様が申されました」「こちらでお待ちしてください」などがある。 これらが間違っていることはすぐに分かる。 しかし、「○○様でございますね。お待ち申し上げておりました」という敬語の間違いに気付く人は少ない。 これは「○○様でいらっしゃいますね」とすべきである。 丁寧語の「ございます」では、敬意は伝わらない。 文化庁発行の「言葉に関する問答集」では、「である」を丁寧に言うと「です」「であります」「でございます」になる。 しかし、「田中様でございますか」と問うのは、魚を指して「これは魚でございますか」と問うのと同様であるという。 新選国語辞典(小学館)では、「お子さんはございますか」よりも「お子さんはおありですか」のほうがよい。 「山口さんでございますね」よりも、「山口さんですね」や「山口さんでいらっしゃいますね」のほうがよいとされている。 ちなみに、応対に出た秘書に、客が「私は○○でございます」と名乗るのは正しい言い回しである。 「私は○○である」というのを丁寧語で伝えているからである。 「うちの○○はおりますか?」と尋ねられて、「はい、おられます」と答えることがある。 一般的には、「はい、いらっしゃいます」と答えるのが適切とされる。 敬語の解説書では、謙譲語の「おる」に尊敬の「れる」を付けるのは誤りと書かれていることが多い。 ところが、国語辞典を調べると、「おる」を謙譲語と明記しているのは少数派。 なかには、「『おります』で丁寧な言い方、『おられる(おられます)』で尊敬の言い方として用いられる」とするものもある。 「いられる」と言いにくいことから、その穴を埋めて使われる、と考えられている。 秘書が「お届けしてまいりました。よろしくと申されていました」と報告した。 この報告で問題となるのは、「申される」という言葉である。 「申す」は「言う」の謙譲語であり、これに尊敬の「れる」をつけるのは間違いとされる。 「よろしくとおっしゃっていました」が正しい言い回しだ。 ところが、国会中継を見ていると、「先生も申されたとおり..」のように、「申される」が頻出する。 また、時代劇では「殿は何と申されているのか」などの表現を耳にする。 平安時代は「申す」を謙譲語で使用していたが、室町時代から丁寧語の用法も出てきたようだ。 確かに国語辞典には丁寧語の意味も書かれている。 「申し込み」「申し出」「申し付け」「申し送り」などの「申す」は、すでに謙譲や丁寧の意味は失われている。 ただし、文化庁による1997年度の世論調査では、「申される」に違和感をもつ人が4割と高く、むやみに使うのは避けたほうがよさそうだ。 ”販売課でご確認くださいませんでしょうか” 「ご確認いただけませんでしょうか」とすべきでは? 「ください」は命令する言葉だが、「ご確認ください」は誤った言い方ではない。 ただし、「ご確認してください」「ご確認していただく」と言えば失礼である。 「ご○○する」は謙譲表現で、相手の行為に使ってはいけない。 ところが、「確認してください」「確認していただく」であれば正しい。 ”すぐ鈴木にお取り次ぎいたします” 「お○○いたす」は、「○○」の行為をする話し手が聞き手の敬意を伝える謙譲表現。 ”そのようなことは鈴木から伺っておりません” この表現は間違いである。 「伺う」は「聞く」の謙譲語。 ここでは、秘書が上司にへりくだっている。 来客の前で、身内の上司に敬意を表したため、来客を低める結果を招いたわけだ。 適切な言い方は「そのようなことは鈴木から聞いておりません」となる。 ”中村からは何もご伝言を承っておりません” この表現は間違いである。 「承る」はもともと「受け賜る」の意味で、「聞く」「承諾する」「引き受ける」の謙譲語だ。 来客の前で、身内の上司に敬意を表したため、来客を低める結果を招いたわけだ。 また、伝言に添える「ご」も不要で、「中村からの伝言はありません」「伝言は申し付かっておりません」が適切な言い方である。 ただし、”中村が戻りましたら、ご連絡を差し上げるように申し伝えます”における「ご連絡」の「ご」は正しい。 「連絡」は中村の行為だが、この場合の「ご」は謙譲の意味を込めた表現で、連絡相手の取引先に敬意を表している。 また、手紙などで”ご返事が遅れて申し訳ありません”などと書くことがある。 この場合も、その返事は相手に届くので、「ご」を添えてもよいとされている。 ”専務の山本は3時ごろに戻ると申しておりました” ”お約束をいただいておりましたでしょうか” ”この冊子を拝見くださいますでしょうか” このなかで不適当なものはどれか。 「拝見」がおかしい。 「拝見」は、「見る」の謙譲語。 「拝」には、「つつしんで〜する」という意味があり、自分の行為にしか使えない。 「この冊子をご覧くださいませんか」「この冊子をご覧いただけますか」などが適切な言い回しである。 このほかにも、「拝」の付く言葉には「拝読」や「拝借」があるほか、取引先との文書のやりとりで「拝察」や「拝受」は常用句。 「ご清栄のことと拝察申し上げます」「御社の見本品を拝受いたしました」などと多用される。 謙譲語に「申す」「いたす」などの謙譲表現を重ねるわけで、極めて高い敬意を表している。 ただし、例外もある。 例えば有名なお寺の入り口で、「拝観料大人500円」などと書かれている。 「拝観」は「神社・仏閣またその宝物などを謹んで観覧すること」で、本来は謙譲語だった。 ところが、「申し込み」「申し送り」の「申す」と同じように謙譲の意味合いが薄れたせいか、普通の名詞のように扱われている。 アトランタ五輪で銅メダルをとった有森裕子さんの言葉「自分で自分をほめてあげたい」(本当は「ほめたい」のようです)。 「あげる」は、もともと、相手にへりくだる表現。 最近は「やる」の上品な言い方として用いられる傾向も著しい。 「あせらず、あわてず、あきらめず」「恐れず、ひるまず、とらわれず」 打ち消しの「ず」を重ねたことで独特のリズムが生まれる。 手紙の書き出しには慣習的な定型がある。 例えば、「謹啓」「拝啓」「前略」、最後は「頓首」「敬具」「草々」などだ。 メールにはまだ、定型が確立されていない。 例えば、メール冒頭では、「○○様、お世話になります」などが多く用いられている。 商用文書の指南書などには、結びの言葉の例として次のような例文が挙げられている。 「今後ともいっそうのお引き立てを賜りますよう宜しくお願い申し上げます」 さらに、相手方に何らかの返事を求める場合にはさらに丁寧になり、 「恐縮ですが」「ご多忙とは存じますが」 と断りを書いた上で「ご返事をお待ち申し上げます」と持ちかけるのが常道とされる。